第1098話 戦いの再開
武蔵が暦の件について動き始めた明くる日。一日目の仕合を冒険部で唯一――アルは軍属、ルーファウスはそもそも教国の騎士――生き残ったカイトは再び仕合に参加する為受け付けへと向かっていた。
「お待ちしておりました。場所については昨日と同じ場所となります。そちらへ向かってください」
「わかった。かたじけない」
カイトは受け付けで己が向かうべき場所を聞くと、それに従って昨日と同じく青ブロックの試合会場へと歩いていく。どうやら大会は今日から本格的な観戦が行われるらしく、人の入りは昨日より遥かに多かった。とは言え、それに反比例するかの様に大会の出場者は昨日の戦いで激減しており、人気は少なかった。
「さて・・・オレの顔見知りで残っているのは、とりあえずルーファウスとアルの二人だけか」
カイトは騎士を自負する二人を垣間見る。流石に試合開始前に場外乱闘なぞする事はなく、二人は敢えて距離を取っている様子だった。というよりも、もし場外乱闘なぞすればその時点で失格だ。
お互いに距離を取る事で何か要らぬ火花を撒き散らす事を避けたのだろう。両者控室の両端に居て、じっと精神を研ぎすませていた。
「うーん・・・」
カイトは残る実力者を見て、更に自分が知っている実力者――つまり青ブロック――を間引いて残りの実力者の実力を観察する。全員ここまで生き残ったのだから、当然全員弱くはない。が、アル達以上は数少ない。やはり天才と謳われた二人だ。並外れた能力を持ち合わせていた。
特にアルはそこにカイト達の手が加わったのだから、当然と言えるだろう。逆に教国での訓練だけでそれに匹敵出来るルーファウスの才覚がそれだけすごいと言える。
「ふむ・・・」
カイトは更に各々の武芸者の発する気の流れから、誰と誰が同グループなのかを把握する。やはり戦いが近いのだ。そしてカイトの様にすでに決勝戦を見据えて動いている者は殆ど居ない。故に、次の戦いの相手へ向けて無意識的に闘気を放っていた。見切る事は容易だった。
「なるほど・・・にしても、見事なもんだ」
カイトは絶賛と共に大鎧を見る。やはりこの大鎧の周囲だけは、一切の敵意を感じられない。ここでもある種の聖域が生み出されていたのである。勿論、大鎧が発する闘気さえ皆無だ。
まさに、水面の如く。明鏡止水と言うのが相応しい。一方的に向けられる無意識的、意識的な敵意や闘気を一切子牙にかけていなかった。
(だーめだな、こりゃ。確実に並の奴じゃあ、勝てそうにないか)
アル以上の実力。カイトはそれを実感として理解する。これだけの闘気に揉まれてなお、一切の闘気を生まないのだ。血の猛りも感じている様子はない。相当修練を積んでいると断じて良かった。
「剣豪と言うより聖域の主、か・・・」
カイトは自分と武蔵が名付けたあだ名が図らずも言い得て妙であった事に薄く笑みを浮かべる。この大鎧の性質は言ってしまえば、剣豪やら武芸者の性質とはかなり異なっていた。
剣豪と言うかそれを含めた武芸者であれば、どこかに血の渇きを感じているものだ。が、この大鎧にはそれが一切感じられない。つまり大鎧の根幹は武芸者ではない、ということだ。
そしてこの静謐さだ。それらを兼ね備えた中でカイト達が一番馴染んだ相手といえば、神職者の類だった。それ故、二人は直感でこの大鎧の事を聖域の主と言ったのだろう。
(厄介だなー・・・)
カイトはもしかしたら、と浮かんだ己の想像に対して苦いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。やはり相性はあるもので、万能に見える神陰流にとて相性の良くない相手は居たのである。
(まぁ・・・なんとかアル達が頑張ってくれる事を期待しておくか)
カイトは他力本願で情けないけどな、と笑いつつ、とりあえず試合開始前で取れる手段がそれしかない為、そうしておく事にする。と、そんな彼の決定を受けてすぐ。昨日と同じく大会の実行委員がやってきた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます! 大会のルールなどに変更はございません! 準備が出来次第、昨日と同じく係の者に従って移動をお願いします!」
大会の実行委員が声を張り上げてカイト達へと移動を促す。そうして、カイトはとりあえず青ブロックの勝負を決する為、再び昨日と同じ仕合の会場へと向かう事にするのだった。
さて移動したカイトであったが、流石に今日は初戦から戦う事になっていた。すでに残り仕合は三つ。そして彼の番号は比較的若い所にある。これがトーナメントであれば、第5仕合になった時点で一番最初となるのは当たり前だろう。
「残り、三つ。そこから更に青と赤の戦いで、最後の勝負か」
カイトは残りの仕合の数を数える。とりあえずカイトの絶対条件であるシード枠獲得の為には青ブロックを制する必要がある。これについては、問題がない。
流石にあの大鎧を除けばランクSの冒険者がこんな地方の予選大会に出場する事はなかったらしく、出場しているのはランクAまでがせいぜいという所だ。もしカイトがカイトでなくても、ランクAの実力があれば十分に勝ち目があった。
これは真の実力を隠さねばならないカイトにとっては幸運だった。今回はここまでかなり余力を残せている為、くじ運が良かったと言い訳出来るからだ。
そもそもこんな大会に興味を示すランクSであれば、すでに大会の常連でシード枠を得ていたり武蔵や旭姫、クオンの様に大会側が本戦シード枠で招いている。その点を考慮すれば、くじ運に恵まれさえすればカイトが優勝出来ても不思議はない。
まぁ、それでも今回は大鎧の真の実力次第である。あまりに強ければ、カイトとて敢えて敗北するつもりだ。流石に武蔵とて優勝しろ、と言いつつカイトの正体を露呈させるつもりはない。負けても何も言わないだろう。カイトも自分の趣向と為さねばならない事を勘違いはしていない。負けねばならないと判断すれば、非難を覚悟でも負けるつもりだった。
「よし。行ける」
カイトはとりあえずこのブロックでの優勝が見えた事に密かに安堵しておく。出来ないと思うより、出来ると思って戦う方が遥かに楽だ。
「天音 カイト、前へ!」
カイトは大会の実行委員によって己の名が呼ばれるのを、耳にする。相手が誰かをいちいち見る必要はない。カイトが会場入りしてからずっと彼へ向けて闘気を放ち続けていたのだ。わからないはずがない。
「右! 神陰流! 天音 カイト! 左! リミナリア流! 匿名希望!」
どうやら、対戦相手は匿名希望で登録していたらしい。大鎧もそうであったが、何らかの理由で匿名で参加せねばならない事もある。詳細は大会側が把握していれば良いだけで、対戦相手に教えてやる必要はない。匿名希望での参戦は可能だった。
「仕合・・・開始!」
大会の実行委員が手を振り下ろし、仕合開始を二人へと告げる。そうして、カイトはこれが仕合である為、しっかりと相手に向かって一礼する。
それに対して流石にここまで残った相手で、どこかの流派に所属するのだろう武芸者だ。相手もまた、静かに一礼する。その所作に淀みはなく、慣れ親しんだ動きだった。かなり長い間武芸を嗜んでいる様子だった。
「リミナリア流師範代フアン・リミナリア・・・参る」
「ん?」
匿名希望と言いながら自らの名を告げたフアンという男に、カイトが思わず片眉を上げる。正々堂々と名乗ったのだ。なのでこれは意表を突く為の行動とは思えない。とは言え、カイトとて武芸者だ。その意図は理解出来た。
「なるほど・・・神陰流・・・あー、見習い? 天音 カイト。お相手仕る」
名乗られたからには、名乗らねばならない。武芸者である以上、応ずる事は必須だ。そして応じれる場でもある。なお、神陰流では弟子に段位などをつける事が無い。そもそも入門出来た時点で普通ならどの流派でも秘奥を授けられた程度の力量はあるからだ。
なので入門した時点で見習いや印可などではなく神陰流を名乗る事が許されるのであるが、流石に秘奥を極めていない己が神陰流を名乗るのは烏滸がましいと考えたらしい。カイトは敢えて見習いを名乗る事にしていた。
「かたじけない」
カイトの名乗りにフアンは僅かな感謝を示す。当たり前だがカイトに応ずる義務はない。カイトの語り口から、神陰流に段位などが無い事も察せられた。敢えて考えてまで言ってくれた事への礼だった。
そうして、図らずもわずかに空気を弛緩させた両者であるが、それはここまでだった。すぐに張りつめた様な空気が試合会場を満たす。
「・・・」
「・・・」
カイトは神陰流。その極意は居ながらにして勝つ事だ。待ちの一手が基本的なスタイルだ。故に、敵にはこちらからは向かっていかない。
それに対してフアンを名乗る男は何らかの型を構えて、カイトに向けての攻撃の用意を整えていた。が、その型もまだ決まっていないらしく彼は頭の中でどれが最適であるかを考えながら、何度も型を組み替えていた。
彼とて昨日のカイトと藤堂の戦いは見ていた。彼は会場に居た為に武蔵の解説は聞いていないだろうが、信綱の新陰流に属する武芸が後の先を取る事は見て理解しているだろう。ここまで残ったのだ。それぐらいは出来る。
「・・・」
「・・・」
フアンは何度も型を組み替えながら、カイトへ向けてどう打ち込むかを高速でシミュレートする。それに対してカイトはただ自然体でその動きを、その流れを読んでいた。
流れを読まねば、カウンターは決められない。神陰流では世界と一体化する感覚を持ち、ただ流れる様に攻撃を叩き込むだけだ。故の、自然体。構えとは、自然ではない。流れを己で阻害する事となるのだ。
(リミナリア・・・何度かこの大会でも耳にした名だな。師範代という事だが・・・流派の名と姓が一致している。本家筋という所か。他の名は孤児達に与えた名と言う所か・・・?)
カイトはメインとなる思考で流れに身を任せ自然と一体化している一方、別に分けた思考でこの大会の最中に何度か耳にした名である事を思い出していた。
(師範代が門弟達を連れて腕試しに来た、という所か。この呼吸から察するに中々の腕利きだな・・・リミナリア・・・そう言えば、300年前にも聞いた名だ)
カイトは日本の武芸者としての知恵ではなく、エネフィアの武芸者としての知恵を総動員して相手の流れを見極めるべく思考を続ける。
彼は最強の二つ名を得ている。当然であるが、山ほどの武芸者から挑戦状を叩きつけられている。そしてその大半は一刀と共にまた送ってこい、という言葉を叩き返した。その中には、リミナリア流の開祖と思われる男も居た。返せなかったのはクオンら超級の化物と言われる奴らぐらいだ。
(であれば・・・彼の子孫か。南部の出身だと言っていたな)
知識を総動員することで、だんだんとカイトの目にリミナリア流の流れが見え始める。これが師にして開祖である信綱ら超級の使い手なら初手の時点で流れが見えているのだろうが、残念ながらカイトは見習い。まだその領域には達していない。熟練を相手にするのなら己の知識を、己の感じる全てを総動員して流れを掴むのが精一杯だ。
(これだな・・・『呼吸』を掴んだぞ)
カイトは幾重にも思考を重ね、フアンという男の『呼吸』を把握する。『呼吸』とはその人個人の持つ固有の意識の流れ、意識の鼓動と言って良い。
人だけではなく大地やそれこそ剣など全ての存在はある一定のリズムで『呼吸』しているらしく、彼ら神域と言われる領域に立った武芸者にはそれを見切る事が出来るのである。カイトが為すべきは、この『呼吸』のリズムを掴む事だった。
が、熟練ともなればこの『呼吸』は非常に落ち着いており、見切る事が容易でなくなる。故に師範代ともなるとかなり落ち着いた様子で、カイトであっても掴むのに少し時間が掛かったのであった。
(・・・)
カイトは流れを掴んだ事により、サブの思考回路も停止して完全に流れに身を任せる事にする。もう、流れは見えた。もしこれで神域に足を掛けた武芸者であればこの『呼吸』を意識的・無意識的に外してくる事も可能であるが、この男はまだその領域には達していない。師範代、というのも道理な実力だ。まだ最奥にはたどり着いていなかった。
「っ・・・」
何かが変わった事が、ファンにも理解出来たらしい。僅かに彼の額から汗が流れる。そうして、それが地面へとこぼれ落ちた瞬間、彼から放たれる闘気が一気に増幅した。
「はぁあああ!」
どうやら、初手は安易に近づかない事にしたようだ。フアンが斬撃を放つ。が、これはカイトには見えていた。
「・・・」
飛んできた斬撃に対して、カイトは自然体を貫く。為すべきことはたったひとつ。己が身に纏う障壁を柔らかくして、敵の攻撃を受け流す事だ。
「っ」
フアンの顔に驚きが浮かぶ。柳に風。その言葉が頭に浮かんだ。カイトに襲いかかった斬撃はまるで彼を避けるかの様に、障壁に衝突すると左右に二つに割れたのだ。完璧に受け流したのである。神陰流の教えの一つだった。
「見事」
フアンが小さく賞賛をカイトへと送る。どうやら、自然体を突き崩さぬ限り遠距離の攻撃は無意味と理解したらしい。剣を構えて近接戦に備えた型を構えていた。
「っ」
とんっ、とフアンが地面を蹴る。その動作は軽やかだというのに、速度と力は師範代に恥じぬ程度だった。が、これで終わりだった。
「・・・お見事。流石、伝説の剣豪さえ恐れさせる武芸という所か・・・」
すれ違いざま、フアンが激痛に耐えながらカイトへと賞賛を送る。遠距離が通じず、近接戦闘に持ち込まれた時点で彼は負けを悟っていたようだ。完全に流れを掴んでいたカイトは彼が振りかぶる隙のがら空きの胴体へと、高速の居合による一撃を加えていた。
なお、フアンが神陰流を知っていたのは弟子から昨日の武蔵の解説を聞いていたから、だそうだ。ここらは別に知っておいても問題はない。リミナリア流が知られている以上、これも正々堂々の範疇だ。
「勝負あり! 勝者、天音 カイト!」
立会人がカイトの勝利を宣言する。流石に今回は藤堂とは違い、誰が見ても一目瞭然の一撃だ。観客達も困惑も無く、ただ両者へ――勿論、カイト達には聞こえないが――と拍手を送っていた。
「ありがとうございました」
カイトがフアンへ向けて一礼する。流石にフアンも胴体に一撃を受けた後とあっては、立ち上がれるだけの余力はない。辛そうに一礼を返すだけで精一杯だった。そうして、カイトは次の戦いへと歩をすすめる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1099話『カイトの大誤算』




