第1095話 神陰流対柳生新陰流
『天覇繚乱祭』の予選大会に参加したカイトであったが、とりあえず彼は危なげなく第四仕合まで歩を進めていた。その彼の次の相手は、天桜学園剣道部部長藤堂だった。
「右、柳生新陰流 藤堂 兼続! 左、神陰流 天音 カイト! 仕合始め!」
大会の実行委員が仕合の開始を告げる。それと同時に、二人は揃って頭を下げた。お互いに武の道を歩む者同士であり、そしてこれは仕合だ。であれば、礼に始まり礼に終わるのである。
「さて・・・」
カイトは刀を鞘から抜き放つ。とりあえず、今回カイトは神陰流として動いている。そして初手は様子見が基本だ。であれば、双剣はまだ使えない。
「はぁー・・・」
一方の藤堂は鞘から刀を抜くと、正眼の構えを取って深呼吸していた。やはり根っこに剣道と言う物があるからだろう。柳生新陰流として戦うにしても、一度これで構えを作って居るらしい。いわゆるプリショット・ルーティーンと言う事なのだろう。
「・・・」
藤堂は己が最善の動きを出来る様にするプリショット・ルーティーンを終えると、即座に正眼の構えを解いて別の構えへと移行する。
そうして移行した型は、背中側で剣先を下に向けた独特な構えだ。五行の構えの中でも脇構えと言う構えに近い。藤堂が初戦から使い続けている型でもある。どうやら、彼はこの型を一番好む様だ。
「・・・」
それに対して、カイトは自然体で刀を持つだけだ。こちらは信綱の神陰流。藤堂の使っている型は使えるが、使わない。神陰流にとって、型とは使う必要が無いからだ。そしてこれもまた、カイトが初戦から使い続けているスタイルだ。
『お互いに一切の動きを見せませんが・・・』
『お互い流派としては同じ部類に入る。後の先、居ながらにして勝つ。即ちカウンターメインの戦い方よ。初手がお互いに様子見になるのは自然な事であろう』
『なるほど・・・であれば、どちらが先に焦れるか、と言う精神勝負になりそうですね』
実況は武蔵の解説になるほど、と頷く。どうやら玄人好みの戦いになりそうだ、と思った様だ。が、これに武蔵が笑った。
『さて、どうかのう』
『え?』
『ほれ、よう見てみんか』
武蔵は相対する両者を観察するよう、実況――そしてそれを聞く観客達――へと告げる。そうして、実況もじっくりと両者を見て気付いた。
『・・・そう言えば・・・天音選手は一切構えを取っていませんね』
『阿呆。構えを取っておらんなぞと・・・きちんと、構えておるわ』
『え?』
実況が武蔵を見て目を見開いた。カイトは自然体、つまりは一切の構えを取っていない。が、そうではないのだ。
『カイトと相対する兼続を見てみい。どうなっておる』
『え・・・あ・・・』
実況は実況を忘れて、目を見開いた。ただ構えているだけに見える藤堂の額からは珠のような汗が流れていたのである。すでに秋に入って少し経過している。暑い日もある事はあるが、今日は幸いそこまで蒸し暑い様な日ではない。あまり動いていない藤堂がここまで汗を掻くのは可怪しいだろう。つまり、別の要因で汗を掻いているわけだ。
『かなり端折って言うが、信綱公は新陰流の極意を構えを無くした『無形』と説かれた。その極意は攻防一体である、とも説かれておる。そして新陰流の基本的な考え方は、相手の動きを誘導すると言う事にこそある・・・であれば今のカイトの構えはある意味、その極意に立っておると言って良い』
『それは、どう言う・・・』
『わからんか? 新陰流とは即ち、居ながらにして勝つ剣術。こちらの行動から相手の行動を誘発し、然るべき技でカウンターをしてみせるのが新陰流。その構えは端的に言ってしまえば、相手の行動を誘発する為に存在しておる訳じゃ。この構えを取れば相手がこう出るだろう、と言う動きを誘発しておる訳じゃな』
『なるほど・・・敢えて隙を作り出してやれば、と言う訳ですね』
『そうとも言えるのやもしれん。まぁ、儂は他流派故にこれが正解かはわからん。宗矩殿も十兵衛も酒飲み話程度にしか語らなんだからな。他流派の剣客に己の流派の詳細は明かせぬ時代であった』
実況の例えに武蔵は頷いた。相手の動きを誘発するのであれば、最も良いのは敢えてこちらから隙を創り出してそこを打たせる事だろう。達人であればあるほど、本能的に相手の隙を狙い打つ。そこが一番勝利に近いからだ。なのでこの例えはおそらく、正しかったのだろう。
そして相手を動かして勝つ事が新陰流の基本であるのだ。そこについてはカイトも藤堂も違いはない。だから、違うのはこの先だ。そうして、武蔵が問いかける。
『が・・・もし型が無ければ?』
『え・・・? 隙だらけ、と言う事ですよね?』
『うむ・・・つまり、敵はどうとでも打ち込める。そしてこれを取ると言う事は?』
『取ると言う事は? あいてっ!』
『阿呆。何オウム返しをしておる。考えい、と言うておるじゃろうが』
『す、すいません・・・』
武蔵に殴られた実況が両者動かぬ間を利用して、武蔵の問いかけの答えを探る。そもそも実況しようにもカイトも藤堂も動かないのだ。実況のしようがない。
その間に他の仕合の実況も可能であるが、目玉の一つが特異な戦いになっていると言うのにそれを敢えて実況解説しない方が可怪しいだろう。そうして数秒待った後、このままでは戦いが進みかねないと危惧した武蔵が答えを述べた。
『時間切れじゃ・・・どう言う攻撃であっても最適な攻撃を返せる、と言う訳じゃ。勿論、攻め込むも可能。お主の言う通り、構えなぞ取っておらんに等しい訳じゃからな。ある意味、自然体とは究極の攻防一体の型。攻めも出来、守りも出来る。道理であろう?』
『はぁ・・・と、とりあえずつまり相当な自信があると?』
『そうでなければ取れん構えよ。どのような動きで来ようと最適な動きで返す、と言うておる』
『では・・・藤堂選手は打ち込めば負ける。精神力を切らしても負ける、と?』
『そう言える』
実況の問いかけに武蔵が頷いた。今のカイトはどんな攻撃でも打ち返すと言うのだ。であれば、攻撃すれば藤堂の負けが確定すると言う訳である。
だが、同時にこのまま攻撃しないでも藤堂は精神力が切れてカウンターが不可能になり負ける。カイトは自然体。対する藤堂はカイトの行動を誘発する為の構えを取り、それに向けて全神経を集中した状態。集中力の消費量はどう見ても後者が圧倒的に上だ。勝負は見えていた。
『では、この戦い・・・遠からず藤堂選手の精神力が切れて終わると?』
『いやぁ、そうはならぬよ』
実況の問いかけに武蔵は笑う。そう、そうはならない。何故か。それは相手がカイト故に、だ。
『カイトは、それを望まぬ。確かにこれも言ってしまえば居ながらにして勝つという事であろうな。が、それは些か面白うない。これは演し物。客を楽しませてこその戦いよ。この緊張感漂う刃を交わさぬ鍔迫り合いは一体感を持てる玄人が見て楽しめようが、何が起きておるかわからぬ素人が見ても面白うない』
『えっと・・・つまり天音選手は観客達の事を考えて敢えて勝負を捨てに行くと?』
『それでも勝てると踏むからこそ、じゃな。十兵衛曰く、そも新陰流は自ら打ち掛かりに行く剣術でもあった。であれば、攻めが出来ぬではない』
武蔵は楽しげに笑いながら、実況の言葉に頷いた。遠からず精神力が切れるのなら、それを切らしてやるのも戦いだ。勝負の世界に卑怯なぞ存在していない。
ある野球選手の高校生時代の試合は有名だろう。勝てないのなら戦わない。勝負をさせてもらえないのもまた、戦い方なのである。
『ま、喩えこのまま兼続を潰えさせても誰も非難はすまい。したら儂が阿呆と叱ろう。所詮これは勝負事。次を見越し体力を温存する為、勝てぬからと勝負をせんで勝つのも十分、武略と言える。勝負をせず勝って非難するは勝負を知らぬ阿呆の所業よ』
『はぁ・・・』
武蔵の言葉に実況が生返事を返す。彼は武芸者であるが、同時に兵法家としても名を馳せている。カイトが戦わぬ戦い方を選択してもそれを戦い方と認めていた。が、同時にカイトが酔狂な男である事も知っている。故に、ここから先の行動を彼は許した。
「さて・・・」
今までただ自然体を貫いていたカイトが唐突に笑みを浮かべる。そうして、彼の身体から放たれていたある種の達人だけが放てる圧力が雲散霧消する。
「まぁ・・・お互いに新陰流を名乗ってるてのが悲しい所ですね、今回ばかりは。本質が待ちにある以上、どうしても相手の行動を待ってしまう」
カイトは集中を切らさぬ藤堂に対して一方的に微笑みと共に告げる。その顔にどこか苦笑があったのは、仕方がない事なのだろう。このままでは一度も刃を交える事なく終わるのだ。
カイトとてそれが最善の勝利とはわかっているが、やはりそれは物悲しいらしい。そしてカイトは言ってしまえば先達だ。この様な勝利はいまいち、なんというか格好良く無い。そうして彼は少しだけ藤堂に対してわかりきった話を始めた。
「柳生新陰流と言いますが、正式には柳生石舟斎殿が引き継がれたのが新陰流の本流。故に石舟斎殿の新陰流こそを新陰流と言うので間違いはない。とは言え、こう言っちゃあなんなんですが、信綱公は本当は型を作っていないんですよね、あの人。そもそもあの時点で極意たる無形にたどり着かれている訳ですから当然なんですが」
カイトは笑いながら、日本で得た己の師について語る。一応間違いの無い様に言えば、信綱も新陰流を作る上で型を作った。そこに間違いはない。
が、それは言ってしまえば、彼が使う為の物ではない。自分より遥かに才能の劣る弟子達が使う為の型だ。彼自身は決して型を取る事はない。いや、取る必要がないのだ。<<転>>の極意を極めた彼にとって、構えや型と言う物は不要なのである。
相手の行動を誘発する事も、それにカウンターを決めるのも容易い事だからだ。カイトも取るこの自然体こそが、彼にとっての最適な型だった。この状態からなら、どの状態にも移行出来る。それこそが、剣聖と呼ばれる者の領域だった。
「とは言え・・・あの構えに意味が無い訳では無いです。あの構えは攻防一体。だから・・・<<転>>の真の極意の一端を、次代最強の片割れと謳われる藤堂殿にお見せしよう」
「っ!」
藤堂はカイトの風格が再び剣士のそれに変わった事を悟る。そして、同時にカイトが踏み込んでくると理解する。そうして、覚悟を決めた藤堂に対してカイトが切り込んだ。
「はぁあああ!」
己の隙を狙い打つ様に踏み込んできたカイトに対して、藤堂は定められた動きで半身をズラして回避。返す刀で逆袈裟懸けにカイトを狙い打つ。
「・・・」
これに対して、カイトは迷う事無く左手で鞘を手にして迎撃する。隙を敢えて打ったのだ。そして柳生新陰流は攻撃に対して最適の動きでカウンターを打つ流派。後の先だ。最適の動きであるのなら、同じく<<転>>の極意を学ぶカイトにとって見切る事は容易なのだ。
「っ!」
己の攻撃が防御された事を悟った藤堂は即座に次の型へと移行する。これもまた、カイトの攻撃を誘発する物だ。それに、カイトは再び藤堂に望まれる攻撃を打ち込んだ。それを、彼らは繰り返す。
「はぁ!」
藤堂はカイトの動作を見切り、再びカウンターを打ち込む。これに対して、カイトは今度は回避を行う。一瞬で繰り返される攻撃とカウンター、そして次の型への移行と再びの攻撃。この繰り返しに、観客達が沸き立った。まるで流麗な剣舞を見ているかの様だったのだ。
『すごい・・・先生、これは一体何が起きているんですか?』
『見たままで良かろう。カイトが打ち込み、兼続がカウンターを仕掛ける。そしてそれが躱され防がれれば再び型を構え攻撃を誘発し、カウンターを仕掛ける。単にこれの繰り返しじゃ・・・それが、超高速で行われておるだけじゃのう』
武蔵は己の弟子の動きを一挙手一投足見極めながら、ただただ感嘆の吐息を漏らした。
『はぁ・・・これがもし極まった剣聖が使えば・・・・いや、敢えて言おう。信綱公が使われたのであれば、おそらく儂は・・・いや、儂だけではなくクオンやあの姫でさえ百度打ち込まぬ内に切り捨てられような。いやさ恐ろしきは新陰流。天に昇りし我が剣技は神域には至らず、と思い知るわ』
武蔵は己の立場も忘れて己の弟子にもう一人の彼の師であり、己の目指す相手の影を見る。まだ皆伝にも至っていないカイトが使って、これだ。それ程までに、<<神陰流>>は凄まじかった。そしてそれは誰よりも、藤堂が理解していた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
武蔵の感嘆の一方。藤堂は息も絶え絶えと言う所だった。無理もない。ただ攻撃を仕掛けるだけのカイトとは違い、彼はカイトの一挙手一投足を見極めた上で次の最適解を一瞬で探し出して、更にカイトの攻撃に対して最適解をぶつけねばならないのだ。その動作は最適解の連続だ。もし最適解から外れた瞬間、彼の身体はカイトの一撃に襲われるだろう。
「っ・・・」
藤堂は流れる汗を拭う暇さえ無く、ただ己の最適解を探し続ける。背中は汗でぐっしょりと濡れており、額から流れる汗は滝のようだ。
それでも、彼はまだ終わっていない。一応、柳生新陰流の型のほとんどは習得していると思っている。柳生の宗主直々に教えを受けた。出来る事なら娘婿となり跡を継いで欲しい、とも直々に頼まれている。彼自身、新陰流を使う事への自負も誇りもある。
故にどの様な攻撃でもカウンターを叩き込める、と考えている。が、やはりその最適解を高速で探すのは一苦労だ。ただその経験が、その類まれなる才能が、なんとかまだ彼を最適解へと導いていた。
「あはは。なんか懐かしいな」
そんな藤堂から、カイトは一歩だけ遠ざかる。それは藤堂の集中力を回復させる事になるが、問題はない。どうせもう勝ちなぞ見えているのだ。故にその顔には、懐かしそうな微笑みがあった。
「多分、オレも信綱公を前にした時、そんな顔だったんだろうな」
カイトは数年前を思い出し、自分が初めて信綱と相対した時の事を思い出す。あの時、彼は信綱を前にして今の藤堂の状況だった。常に最適解を探し出し続けた。汗は滝の様だったし、なんとか打ち合うので精一杯だった。それを思い出していた。
「うん。そろそろ体力も集中力も、そして魔力も限界でしょう。で、残念ながら先輩にはオレの様に次への一歩は進めない。それにはまだ早い。信綱公のその時の言葉を借りれば、鍛には到達すれど錬には至っていない。ま、武蔵先生の言葉なんですけどね」
呼吸を整え次への最適解を導き出そうとする藤堂へと、カイトは終焉を告げる。確かに藤堂は体力と集中力を回復させてはいるが、そんなものは所詮わずかな物だ。
後一分保てば良い方で、カイトの目算では30秒足らずで藤堂の見込みが外れる動きが出ると見ている。そうなれば、その数手先で無様に敗北するだけだろう。だから、彼はかつて己が信綱にされた事をする事にする。
「神陰流の極意。<<転>>の真の極意の一欠片、ここにお見せしよう」
カイトは刀を構え、意識を研ぎ澄ませる。そして、次の瞬間。藤堂が唐突に倒れ伏した。
「・・・これが本当の<<転>>・・・その極意の一欠片です」
『・・・え?』
実況が唖然とする。何が起きたか、誰にも一切わからない。勿論、最も間近で見ていたはずの立会人でさえも、である。結界さえ、反応出来ていない。なのに事実は事実として、て藤堂の敗北を告げていた。
「この場合、どうなんだ?」
「え? あ、え? す、少し待ってくれ」
カイトの問いかけを受けた立会人はかなり困惑しながらも、大会の実行委員会へと対処を問いかける。藤堂は戦闘不能に陥っている。だが、何が起きたか誰にもわからないのだ。どう判断すれば良いかわからなかった。そうして、しばらくして結論が出たらしい。立会人が結論を高々と宣言する。
「しょ、勝負あり! 勝者神陰流 天音 カイト!」
「ありがとうございました」
カイトは倒れ伏した藤堂へと一礼する。そうして負けた藤堂はここで脱落して、勝ったカイトは次の戦いへと歩をすすめる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1096話『次の戦いへ』




