第1063話 閑話 もう一つのヴァイスリッター家
カイト達が神聖帝国ラエリアにて内戦の終結に奮闘していた頃。エンテシア皇国から遠く離れたルクセリオ教団の総本山にて、ある一つの会議が行われていた。
「と、言うわけなのだ。是非とも、君に受けてもらいたい」
「滅相もないお言葉・・・教皇猊下のお頼みとあらば、例えそれが異教徒の地だろうと地の果て、地獄だろうと拒みはいたしません」
教皇ユナルからの命を受けたある少年騎士が僅かな内心の揺れ動きを顔には出さずにはっきりと頷いた。この会議にて、彼には正式に一つの重要な任務が与えられたのである。揺れは緊張そのものだった。
頑張って隠していたわけだが、周囲にも、そして彼の父にも丸わかりだった。そしてその騎士の父であるルードヴィッヒが口を開いた。
「ルー。これがお前の初任務となる。困難が予想される任務ではあるが・・・」
「いえ、父上。承知の上です。教皇猊下直々のご命令。必ずや、達成してみせます」
「そうか。くれぐれも、向こうで我がヴァイスリッター家の名に恥じる事の無い様に」
「はい」
父よりの忠告にルーファウスははっきりと頷いた。彼とて不安はある。これが彼単独――正確にはそうではないが――での初任務となる。冒険者としても行動するアルとは違い、こちらは騎士としての本業と貴族としての立ち振舞いが全てだ。故に、アルに比べて遥かに遅い独り立ちだった。
が、アルとは違い根っから生真面目な彼だ。周囲はなんとかなるだろう、と思っていた。そしてそれは彼に使命を与えた教皇ユナルも同様だった。
「そうかそうか。すまないな、遥か遠くの地にまで・・・」
「いえ、猊下の激励があれば、どれほど遠い地だろうとやっていけます」
「そうか、達者でな・・・いや、まだ早いか。私からも何かあれば声をかけよう」
「ありがとうございます」
教皇ユナルの柔和な笑みでの言葉がけにルーファウスは恐悦至極という感じで再び頭を深々と下げる。ただでさえ跪いている様な形なので、何時か頭が地面に着くのではないか、と周囲は少しだけ苦笑していた。
「教皇猊下。よろしいですか?」
「うむ」
「では、次の議題に・・・」
教皇ユナルによる激励が一段落したのを見て、会議の司会進行を行っていた枢機卿の一人が先を進める。そうしてそれを聞きつつルーファウスは少しの間、横に居る妹がなぜここに居るのか等ここ数日であった事を思い出すのだった。
事の始まりは、数日前の夜の事だ。基本的に本家ヴァイスリッター家では任務に出ていない時以外は家族で揃って夜ご飯を食べる事になっている。そこでの事だった。
「ルー、アリス。この後時間、あるか?」
「私は課題の手直しが出来た後ならありますが・・・兄さんは?」
「ん? ああ。俺は大丈夫だ。今日は非番だからな・・・父さんは知ってるだろうが」
ルードヴィッヒの言葉に兄妹は頷いた。幸いと言うかなんというかアリスはまだ一応は騎士学校の学生だしルーファウスは今日は非番だ。なので予定は空いている。
「そうか。なら、二人は食べ終わったら書斎へ来なさい」
「「はい」」
ルードヴィッヒの言葉に再び兄妹が頷いた。父の書斎に呼び出される時は大抵、何らかの騎士としての仕事か貴族としての仕事がある場合だ。アリスは本来は準騎士であるが、準騎士であるということは騎士見習いでもあるのだ。仕事を与えられる事が無いわけではなかった。
とは言え、正規の騎士であるルーファウスに比べれは頻度は随分と落ちるし、そもそも彼女の場合は多いのは貴族達との懇談に参加する場合だ。そして今まで二人一緒に騎士としての任務で呼ばれる事は無かったし、当分無いだろうとルーファウスは思っていた。なのでこの時もルーファウスはそうだと思い、父の書斎へと向かう事にした。
「それで、父さん。何の用事ですか」
「ああ、ルーか。もう少し待て。アリスが来てからだ」
父の書斎へとやってきたルーファウスであったが、どうやら内容はアリスも関係する物らしい。であれば、やはりこれは貴族としての内容か。彼はそう判断した。と、そんな風に考えていたルーファウスに対して、ルードヴィッヒが問いかけた。
「そう言えば・・・お前、武器はどうしていた?」
「武器ですか? 武器は我が家で懇意にしている表通りの鍛冶屋の鍛冶師に頼んでいますが」
「いや、そうではなくてだな・・・ああ、いや。そう言うということは制式採用の物は使っていないのか?」
「はい・・・あれは手に馴染まないので・・・」
ルーファウスは少しだけ恥ずかしげに父の問いかけに答えた。本来、彼も軍人であるのなら職務では制式採用の品を使うのが最良だろう。個人所有の物だと正規品との部品の差等から整備の手間が掛かる。
が、ルーファウスはこれに反して自分で保有している個人所有の武器を使っているのであった。これはエネフィアであればどこの国でも少なくない軍人がそうしている。なので別段珍しい事ではないが、バレれば怒られる事はあった。勿論、気にしない軍人もそれなりに多い。なのでそこはそういうものなのだろう。
「ああ、いや。別に構わん。それに今回はそれで良いからな」
「はい?」
ルードヴィッヒの言葉にルーファウスは首を傾げる。本来なら怒られて然るべき事だが、それで良いとはどういう事だろうか、と思ったのだ。と、そのルーファウスの疑問に対して何かを考えていたルードヴィッヒは再び口を開いた。
「アリスは?」
「あいつも同じ店を使っていますよ。と言っても調整ではなくて単なる買い替え等ですが・・・」
ルーファウスは己の知る所を父へと述べる。ここら、武器の調整は各個人が行う事、とヴァイスリッター家では定められている。武器の手入れは騎士にとって当然の事だ、というわけらしい。と、そんな返答にルードヴィッヒが少しだけ目を見開いた。
「む・・・まだ剣を渡していなかったか?」
「ええ・・・我が家の家訓を忘れたんですか?」
「ああ、いや・・・すまん。少し出てくる。アリスが来たら待つ様に言っておいてくれ」
ルードヴィッヒはそう言うと、椅子から立ち上がる。どうやら何か忘れていた事を思い出したようだ。そうして、彼が少し急ぎ気味に部屋を後にしてしばらくで、アリスが書斎へとやってきた。
「あれ・・・? 父さんは?」
「何か忘れた事があるらしく、少し出かけた。そのまま待っている様に言っていたから、すぐに戻るだろう」
呼び出されたは良いものの当人が居ない事に驚いていたアリスへとルーファウスが事情を説明する。と、そうして少しすると、普通にルードヴィッヒが戻ってきた。その手には、一振りの細剣が握られていた。
「いや、すまんすまん。ついうっかり忘れていた。店屋の主人にもこんな時間に唐突に来るな、と怒られてしまった」
ルードヴィッヒは椅子に腰掛けて二人を近くに来させるなり、照れたように笑いながら頭を掻く。細剣を取りに行っていたと考えて良いだろう。どうやら、発注等は随分と昔に終わらせていたのだろう。明らかにオーダーメイドの一振りだった。
「アリス。我が家の家訓は覚えているな?」
「はい・・・ヴァイスリッター家の者が騎士に叙任された時、当主より刃を賜る、ですね」
「ああ・・・いやぁ、すまんな。ドタバタとしていた所為でついうっかり渡すのを忘れていた」
「え? いえ、ですが・・・」
おおよそ予想は出来ていたものの、やはり信じられないという顔でアリスが父へと言外に問いかける。アリスはかつてルードヴィッヒが述べていた通り、政治的な事情により準騎士から騎士へと昇格させられている。彼女の通う騎士学校でもそれは把握しているので対外的には騎士として扱いつつも、ルードヴィッヒの後押しもあって準騎士として扱っていた。なので彼女もそこらは十分に承知の上である。
というわけで、このヴァイスリッター家の家訓にある当主より刃を賜る、という話は彼女に関しては例外として当てはまらない事になっていた。そしてルードヴィッヒも当初はそのつもりだった。が、その上で彼は口を開いた。
「いや、俺も当初は与えないつもりだったがなぁ。そこらは柔軟に考える事にした。騎士に叙任されたのは事実だし、猊下のお考えである以上才能はあるという事なのだろう。そして才能も無い騎士を昇格させる程、我々も甘くはない」
ルードヴィッヒは少し柔和な顔であるが、真剣な顔でアリスへと明言する。ここらは、彼としても親の贔屓目無しに判断したつもりだ。ヴァイスリッター家の者は通例として彼が率いている『白騎士』に所属する事になっている。故に、そこは父娘ではなく騎士団長として同じ騎士への目で見ていた。
「まぁ、確かに実力としてはまだまだではある。ではあるが、決して無いとは言わん。故に、この刃に見合う騎士となれ、という激励を込めてこの刃を渡す事にした」
ルードヴィッヒはそう言うと、薄い藤色の鞘に収められた細剣をアリスへと差し出す。薄い藤色なのは彼女の洗礼名にちなんでの事だろう。その鞘には白い薔薇とその蕾の意匠が金縁で施されており、まだ幼さの滲む彼女にマッチする様相だった。
「白バラの花言葉は知っているか?」
「はい。純潔と深い尊敬と」
「そうだ・・・しかし、実はもう幾つかあってな」
ルードヴィッヒはアリスの言葉に笑ってそう告げる。そうして、彼はアリスに与えた細剣を見た。
「抜いてみなさい」
「・・・はい」
アリスは父の言葉を受けて、細剣を鞘から抜き放つ。そして、その素晴らしさとその特徴に目を見開いた。
「刀身が・・・」
「青い?」
アリスの言外の言葉をルーファウスが口にする。一応、青い金属というのはエネフィアには存在している。というよりも、魔結晶系の鉱石は青だ。であれば、これには一部それが使われていると見て良いだろう。
「材質は魔結晶だ。それで、作ってもらった。ルーのよりは少々値が張った・・・いや、それは良いか。だが、それ故にお前では使い勝手は悪いはずだ。勿論、ルーでも満足には使えないだろう」
明らかに、不相応の品。兄であるルーファウスでさえ嫉妬しない程に不相応の品だった。なにせアリスではどう頑張っても使えない。使えない物を与えられたのなら、嫉妬よりも憐れみがあるぐらいだ。
それに彼の今の愛剣は父から貰った物だ。彼が今後10年の間使える最良の物を貰った。それが、ヴァイスリッター家の通例なのだ。勿論、二人に刃を渡したルードヴィッヒとてそうだった。
故にルーファウスは今でも愛用しているし、今後10年は使い続けるつもりだ。これはヴァイスリッター家の家訓の裏に、この刃を越える存在となれ、という激励が秘められていたからだ。この刃が使えなくなった時こそが、本当にヴァイスリッター家の騎士として一人前だ、というわけである。
が、アリスのこれは今後10年使えるのではなく、10年後には使えるだろうという品だ。今は単なる観賞用。それにしかならなかった。ヴァイスリッター家の通例からは、外れていた。が、この父が何の意味もなく渡すとは思えず、二人は改めてルードヴィッヒを伺い見た。
「刃の根本の部分を見てみなさい」
アリスはルードヴィッヒの言葉に従って、淡い青色の刀身の根本を見る。そこには、キレイな薔薇の意匠が施されていた。
「青い薔薇の花言葉はまでは、知らないだろう」
「存在していない物は知りえません」
「ははは・・・とは言え、実は花言葉は存在している」
アリスの返答にルードヴィッヒは笑う。地球では青い薔薇は存在しているが、それとて科学技術の進歩によって2000年代初頭に造られた物だ。科学技術が劣るエネフィアでは相変わらず、存在しないものの代名詞だった。故に、花言葉は古来の通りだった。300年前までは、だ。
「『不可能』『あり得ない』と言われていた」
なるほど、とアリスもルーファウスもそう思った。もともと地球ではそうだった。故に、不可能の代名詞とされても不思議はない。が、ルードヴィッヒの言葉は過去形なのだ。そこに、二人は気付かなかった。
「だが・・・300年前。勇者カイトが来た事で変わった。今の花言葉は、彼の言葉を借りて『神の祝福』『奇跡』と呼ばれる様になった」
ルードヴィッヒが二人に告げる。何の因果か、カイトも色としては青を象徴とする人物だ。故に、彼の功績を青い薔薇に喩えたのだ。不可能を為し得た者、と。故に、地球の花言葉をエネフィアでも青い薔薇の花言葉とする事にしたのである。
「白い薔薇の花言葉には、何者にも染まり得るという事から『貴方に相応しい』という意味がある。その蕾には、『純潔』という花言葉が。青い薔薇には『奇跡』。その3つに相応しい騎士となれ、という激励を込めて、敢えてその不相応の刃を渡す事にした」
ルードヴィッヒはアリスへ向けて、騎士団長にして父親としての顔で激励を述べる。この刃には、それら3つの激励を込めていたのであった。そうして、彼は続けた。
「もし挫折しそうになった時には、白い薔薇を見て己の目指す騎士の姿を思い出せ。邪な考えに捕らえられそうになった時には、その蕾を見てその考えを捨てろ。そしてその刃を抜き放つ時には、蒼き薔薇に相応しい奇跡を起こす覚悟で抜き放て」
アリスは父からの助言をしっかりと胸に刻む。そうして、アリスは再び刃を鞘へと収める。まだ、これは抜き放つべき時ではなかった。
「・・・ありがとうございました」
「ああ。しっかり、その刃に相応しい騎士になりなさい」
「はい」
アリスは父の言葉にしっかりと頷いた。これに相応しい騎士になる。それを当面の目標にするつもりだった。と、そうして要件が終わったのを見て、アリスが頭を下げた。
「では、失礼します」
「ああ・・・いや、違う違う」
先程までの真剣な騎士としての面持ちはどこへやら、ルードヴィッヒが笑ってアリスを引き止める。そもそも彼女を呼んだのはこれが目的ではない。ルーファウスとの会話の中で忘れていた事を思い出しただけだ。
「その剣を渡す為に呼んだんじゃない。いや、必要だから今渡したんだが・・・ルー、アリス。二人に任務がある」
「任務、ですか? アリスと一緒に?」
「ああ、そうだ。アリスと一緒に、だ。ルーにとっても初となる重要な任務だろう」
ようやく本題に入ったのだが、その内容にルーファウスが首をかしげる。そうして、ルードヴィッヒの口から驚くべき内容の任務が二人へと語られる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1064話『もう一つの騎士達』




