第1059話 閑話 ――彼らの思惑――
カイト達がラエリアの紛争を終わらせて、マクダウェル領へと帰還していた頃。どこかそこではない遥か彼方に、彼は居た。そこは、カイト達が破壊した研究所の研究成果等を移送した場所だ。
移送の用意が整った事で、彼らはカイト達に動いてもらう事にしたのであった。世界の裏に潜み適切な情報を適切なタイミングで流す事が出来るのであれば、このぐらいどうということもなく出来るだろう。彼らはそれをしたに過ぎなかった。
「そうですか。わかりました・・・では、実験は成功した、と」
『道化の死魔将』は笑顔で報告者の報告に頷いた。それに、報告者は非常に安心した様な様子を見せる。やはり相手は『死魔将』。恐怖が滲んでいた。
「は、はい・・・数ヶ月前の実験で得られたデータを下に、幾つかの試行錯誤を行った結果・・・なんとか一定の水準に到達することは」
「そうですか・・・とは言え、その様子。何かまだありそうですね」
「は、はい・・・一つだけ、どうしようもない問題が・・・」
報告者は道化師の問いかけに正直に問題点とやらを報告する。先程から恐怖が滲んでいたのは、その為だった。一応、報告出来る水準には到達している。が、完璧ではないからだ。そうして、今度はかなり怯えながらその問題点を報告する。
「なるほど。それは当然の話と言えるでしょう」
「はい・・・どうしてもこればかりは、私達には・・・」
「いえいえ。流石にそこまでは貴方達に望んでおりません。それこそ魔王ユスティーナ殿や我らの主の領域だ。我々には無理と思う事にしましょう」
怯えながらも謝罪する報告者に対して、道化師はそれを笑って良しと明言する。切り捨てるべきは、切り捨てる。それぐらいわかっている。
相手は強大。こちらとて強大だが、相手の最大の戦力は失われていないのだ。油断が出来ない事はどちらも変わりがない。故に、完璧を目指すではなく何処かで見切りは付けねばならなかった。
「とは言え、ふぅむ・・・何か手を打たねばならないのも事実ですね」
道化師は報告者の言葉に頷くと、とりあえずそれに向けての対処を考える。一応、無くてもなんとかなる事はなんとかなる。
が、ベストは対処が出来る事だ。そして無理な事は無理と切り捨てはしたが、対処をしておきたいというのも事実である。ベターを了承するのは良いが、それの中でもベストに近いベターを目指すのが最善だろう。
「ふむ・・・仕方がありませんか。あのお方に知恵をお借りする以外、方法はなさそうですね。大事を抱える身故にあまりご無理はさせたくはないのですが・・・」
道化師はわずかに眉をひそめながらも、そうするしかないのだから、と自分を納得させる事にする。そして決まれば、報告者は必要がなかった。
「ああ、もう良いですよ。後については我々が対処しておきましょう。その為にも一度、状況の確認をしたいのですが・・・彼らはどこに? 確か出して搬送したはずでしょう?」
「あ、はい。彼らでしたら、移送が終了した後第3区画に。ご命令通り、拘束等はせずにベッドに寝かせております。ただ、まだ詳細なチェックは出来ていませんので、おそらく目覚めは・・・」
「そうですか。わかりました」
道化師は報告者からの情報に満足すると、それで良しと一つ頷いた。兎にも角にも問題に対処をする為にも、まずは状況を己の目で見なければならないのだ。彼らの主に繋がれるのは、彼らのみだ。自分の目できちんと確認した上で、報告すべきだろう。そうして、報告者の報告通りに道化師は第三区画とやらへと移動する。
「ここ、ですか。誰が居るかはわかりませんが・・・まぁ、なるようになれ、で」
道化師は幾つかの部屋の内の一つの前に立つと、とりあえず状況を見る為に扉を開いた。が、そうして彼は今日一番驚く事になる。
「良いねぇ。御大将はいつも通り、キレるとやばい」
「・・・」
「んん? どうかしたかぁ?」
部屋の中に居たのは、どこか飄々とした印象を受ける男だ。服装は何らかの病院服の様な簡素な服装だ。けが人、もしくは病人と言われても至って健康に見える以外は納得できる。
一方の道化師の顔は大いに驚きに満ちあふれていた。先程報告者も言っていたが、目覚めるのはまだまだ先のはずなのだ。それが覆されていた。
が、彼は即座にその驚きを消し去ると、いつも通りの道化の様な柔和な顔で笑顔を浮かべる。とは言え、あまりの驚きで咄嗟に出せたのは、素直な驚きだけだった。
「いやぁ、これは驚きました。まさかもうお目覚めになられますとは・・・それで、それは一体どちらで?」
「ああ、これか? これならそこら辺をほっつき歩いていた妙な白い服装の男からちょいと、な」
道化師の問いかけに対して、男は平然と何らかのパネルを振って示す。それはここの研究者達が常用している道具だった。大した情報は入っていないはずだが、勝手に見られていて良い事ではなかった。
「これは驚いた。まさか、そんな簡単に盗めるとは思ってもいないのですが・・・」
「油断、隙、まさか。そんなもん誰にだってある事だ。気にすんじゃねぇよ。これでも、嘘を吐くのは大得意でね」
道化師の問いかけに男は飄々と笑みを見せる。それは軽薄そうでいて、決して軽いだけには見えない何か得体の知れない気迫の様な物が滲んでいた。明らかに、彼は一角では決して足りない程の人物だった。
「恐ろしい方だ・・・それをお返し願えますか?」
「ほらよ」
道化師の要求に見せかけた脅迫に、男は素直に従ってタッチパネルの様な器具を返却する。それに、道化師は呆気にとられた。
「・・・一体何をお考えですか?」
「俺か? なぁんにも考えてねぇよ。考えられる状況でもないだろう?」
「ふむ・・・」
道化師は少しだけ、男の言葉を精査する。当たり前であるが、この言葉を素直に信じてやる程、彼はお人好しではない。とは言え、嘘を言っていないのも事実だ。考えられる状況ではない、というのは非常に正しい。そしてだからこそ、男の思惑も理解は出来る。
「・・・わかりました。客を招いておきながら茶の一つも振る舞わなかった我々の不手際を認めましょう」
嘘は言っていない。が、真実も言っていない。道化師は男の言葉をそう判断する。そしてそれ故、彼の先の行動に目を瞑る事にする。どちらにせよ、彼の力は非常に有用だ。その為のこの数ヶ月と断言して良い程だ。切り捨てるにしても、まだその時ではない事だけは明白だった。
「そうしてくれよ。俺だって困惑してるんだ。目覚めたら、こんな場所だったんだからよぉ。お釈迦様はどこだ、エンマ大王はどこだ、って探しちまったじゃねぇか」
男は道化師を前にして、相も変わらず飄々と笑う。この言葉は一切合切が嘘だ。困惑なぞしていない。いや、確かに疑問はあるだろう。あるだろうが、それを飲み下しているだけだ。
道化師は本能でそれを悟るが、それが真実だかどうかはわからない。本能的に嘘だと見抜いただけだ。とは言え、嘘だと指し示す言葉が一つだけ、あった。
「御大将とお呼びでしたが・・・ご存知で?」
「そりゃ、当たり前よ。どこの戦場だい、そいつぁ・・・随分と知った顔じゃなくなっちまったが・・・分かるんだよ。俺にゃ」
男から一瞬だけ、飄々とした気配が消える。そこには深い親愛の情と、絶大な信望があった。それに、道化師が問いかける。
「なおさら、疑問に思われないので?」
「だからさっき言ったろ? 困惑してるって」
食えない男だ。道化師は男の言い分に僅かに内心で顔をしかめる。この男はこちらと始めから交渉する気だったと理解したのだ。おそらく、かなり前から目覚めていたと見て間違いない。こちらの隙を狙っていたのだろう。そしてその隙を突いて、研究員からこれを密かに盗んだと見て良かった。
が、それぐらいはしてくれなければ、わざわざ彼を呼び出した理由にならない。そのぐらいをしてくる技量だからこそ、勧誘する価値があるのだ。故に道化師は内心のしかめっ面を仮面で覆い隠し、何時もの笑みを浮かべる。
「それは申し訳ない。まずは事情を説明せねばなりませんね。付いてきてくださいな」
「その前に。あんたの名前を聞いてないんだがよ?」
「これは失礼を・・・名前は名乗っておりませんので、道化師とお呼びください」
「道化師ねぇ・・・」
道化師は一瞬、男の目がまるで光ったかの様な印象を得る。それは決して、今の時代の者たちには無い鋭い眼光だ。狩人が獲物を見定める目付きより、もっと鋭い。その鋭さはもしも彼が何処かの将であるのなら、確実に大将首と言われる領域だろう。が、それは一瞬だけだ。すぐにその光は雲散霧消して、先程までの飄々とした風格が戻ってきた。
「じゃあ、道化師さんよぅ。世話になるぜぇ」
「はい。では、付いてきてください。ついでに道中で着替えも済ませましょう。ここに戻る事はもうないでしょうから、もし他にも何かあるのなら、今の内に。後で密かに来る、とかはやめてくださいね」
「もうねぇよ」
男は飄々としたまま、道化師の言葉にそう告げる。それに道化師はわずかに視線を走らせて外で見張りをさせていた兵士達に命令を送る。
『他に何か隠していた痕跡が無いか調べなさい。失態を認めるのは、一度だけですよ?』
「「「・・・っ」」」
兵士達が一斉に顔を青ざめさせて、生唾を飲んだ。もし何か見落としがあれば、その時には自分達の命は無い。そう理解するのに十分な殺気が乗っていたのである。
(やれやれ・・・簡単にこちらの思惑通りに動いてくれる手駒ではないですが・・・適切に取り扱えば、こちらに非常に有用に働いてくれはするでしょう。とりあえず裏切られるまでの共生関係という所になれる、でしょうか)
道化師は自分の後ろを興味深げに歩く男の先導を行いながら、小さくため息を吐いた。実のところ、ラエリアの内紛は言ってしまえば時間稼ぎの為の時間稼ぎと言ってよかった。
その為に、彼らを勧誘したのである。いや、正確にはこれから勧誘するのだ。彼らに、カイト達に対して時間稼ぎをしてもらうつもりだったのである。
(まったく・・・面倒だ。細かい策は私の得意分野ではありますが・・・要らぬ事は探られない様に対処はしないといけなさそうですね・・・息をする様に裏切る男とは聞いてはいたのですが・・・)
道化師は後ろの男を少しだけ見くびっていたと自省する。知恵や策略の面だけは、経歴や年数に影響されない。それ故に彼のひらめき力やら咄嗟の判断力、頭の回転の速さであれば、油断すると自分さえ食い殺しかねないと理解したのである。
とは言え、彼が思う通り、息をする様に裏切るのは彼も一緒だ。故に何処か妙な親近感を抱いていた事もまた、事実だった。それ故、僅かな苛立ちと共に何故かその苛立ちを許せる妙な人徳も感じられていた。
「ああ、まずはこちらでお待ち下さい。流石にそれをそのままお召になられて、というのは我々としても具合が悪い。すぐに着替えを持ってこさせましょう」
「ああ、そうか。すまねぇなぁ。こりゃ、どうも変な服とは思ってたんだよ。手傷を負った奴が着るような・・・なんてかそんな感じがあったんでな」
道化師の言葉に男は素直に従って、部屋に入る。何か仕掛けられるとは思っていない様子だ。そして、この部屋には真実何も仕掛けられていない。
「自分が有用だとわかっている、か・・・やれやれ・・・」
一切の警戒心を抱かなかった男に道化師はため息を吐いた。彼は今回自分が呼び立てた面子の中でも最もの知恵者であるが、それ故に油断はできそうになかった。
男は気付いていたのだ。自分が何らかの理由でここに呼び立てられ、そしてそれは自分故にだった、と。故に、迂闊な事さえしなければ傷付けられる事が無いと確信していたのである。
それを確信する為に彼はあの魔道具をくすねて、そして危害は加えられないと見てそれを明かしたのだ。彼自身の商品価値を高める為に、である。そして十分に高まったと断言して良い。
「さて・・・彼への衣服を持っていって差し上げなさい。それと・・・一度他の方の確認もお願いします。触れて脈を測るだけではなく、魔術的な調査、科学的な調査のどちらも行いなさい。二度も三度も出し抜かれるのは、ご遠慮願いたい。化物揃いとは百も承知ですが・・・残る方々も下手をすると、どちらか片方だけなら余裕で出し抜きますよ」
「「「はい」」」
研究員達はわずかに怯えを見せながら、鋭い眼光の道化師の言葉に従う。道化師は統括者。逐一実験や研究の進捗なぞ把握していない。それ故、先の男に出し抜かれたのだ。内心では少しばかり苛立っていたのを、研究員達も肌で感じていたようだ。とは言え、少しで済んだのはそれ故だからでもあった。
「さてさて・・・これからは我々も密かに、しかし本格的に動く事に致しましょうか。と言っても所詮は我々の最終目標の為の時間稼ぎと言ってしまえばそれまでなのですが・・・まぁ、しばしの間、我々の時間稼ぎを存分にお楽しみくださいませ、勇者カイト殿」
道化師はわずかに笑いながら、遥か彼方で久方ぶりの平穏を得ているだろうカイトへとそう告げる。そうして、ついに彼らが本格的に動き出す事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。次回でラエリア編第二部は完全に終了です。
次回予告:第1060話『閑話』




