第1037話 戦線離脱
地球で得た神の力を解き放ち、その上で過去世と融合してデンゼルを問答無用かつ一撃で消し飛ばしたカイトは、消し飛ばされた跡を見ながら天を見上げていた。
「・・・やっぱ、虚しいもんだ」
カイトが僅かにため息を吐いた。こんなことをした所で気が晴れる事はない。死者が喜んでくれるわけでも、死者が蘇るわけでもない。それは誰よりも、彼が一番把握していた。
「・・・だがまぁ・・・これで浮かばれるだろうよ」
カイトは小さく黙祷を捧げる。人形にされてしまった少女らの多くは、当たり前だが望んでそうされたわけではない。そしてあれは死体では意味がない。
生きたまま、己の肉体が作り変えられてしまう苦しみを味わわされる。その怒りや苦しみがこれで少しは晴れれば、と思うだけだ。そうして黙祷を捧げたカイトへと、彼の魂の内側に潜む『もう一人のカイト』が口を開いた。
『終わったな』
「ああ。終わった」
『なら、融合を解除するぞ。今の身体にこの形態は負担が大き過ぎる』
「・・・そうだな」
カイトはもう一人の己との融合を解除する。この一つの姿が、彼の本来の姿だ。が、その姿は今でさえ持て余す力に更に神の因子という更に桁違いの因子を目覚めさせてのものでもある。
龍の力にも神の因子によるブーストが加わり、カイトに掛かる負担も増幅されている。どうしても彼の身体が耐えきれないのであった。
それでも、まだ目に宿る『龍眼』を使うよりはマシというのがなんとも言い難い所だ。先程の力を全力でやればコア一つでもティステニアを討った時の力に匹敵させられる。これの方がまだ、遥かに負担は少ないのであった。
「・・・っ」
元の姿に戻ったカイトが痛みに顔を顰める。今までは無視していたが故に平然としていられていたが、身体の方はずっと悲鳴を上げていたのだ。どちらにせよこれ以上は、厳しそうだった。そうして、カイトが地上に舞い降りる。
「右手、使えてたのか」
「まぁな。これでも自己治癒能力は高い方だと自負している」
ディガンマの問いかけに地上に舞い降りたカイトが軽い感じで右手を振るう。実のところ、最初から右腕は使えていた。デンゼルが必殺を勘違い出来る様に敢えて使わず、治癒もしていなかっただけだ。
その気になれば一瞬で再生は可能だ。彼が駆け抜けた時代の戦場だ。今とは桁違いの敵が大量に居た。これぐらいは平然と出来ねば、最強を名乗る事は難しいのである。
なお、これは何度も言われているが戦場での応急処置に近い。感染症等の危険性を一切無視して、生還する為の非常手段だ。まぁ、それでも一瞬なので感染症等の危険性はほとんど無いというのが現代医学の知識を含めたティナの見解――勿論、ゼロではないとも言っているが――だ。
更には一瞬で怪我が癒えた反動で神経に異常をきたすため、戦闘終了後には幻痛等神経系に非常に嫌な反動が訪れる。なるべくやらない方が良いというのには、変わりがない。
「ま・・・オレに傷を負わせたかったら治癒を遅らせる効果を乗せた攻撃を放つべきだな。お前の胸の傷みたいにな」
カイトはディガンマの胸に刻まれた大きな傷を指し示しながら、己の古傷から零れ落ちていた血を握る。今もまだ、血は止まっていなかった。痛みも消えていない。
これだけは、コアを不活性化させなければ止まらないだろう。とは言え、ディガンマの傷はそれとは話が違う。これはカイトの側が癒えない様にしていた。
「・・・おい」
ディガンマは味方の冒険者達に問いかける。彼は、今の考えではこれ以上戦いたくないというのが素直な考えだ。彼にはこのままやっても勝ちが見えなかった。
「お前ら俺抜きでやって勝てる見込み、あるか?」
「・・・やはり無理か?」
「ああ、これ以上はヤバイ。そろそろ力を抜かないと失血死しかねん」
ディガンマは平然としながらも、己の傷の状況を正確に理解していた。先にもカイト当人が言ったが彼は刃に傷の治癒を遅らせる類の力を込めていた。カイトの影響下から出ない限りは傷は癒えない。
別に更にそれを上回って傷の治癒が出来る者が居るか自分で上回れれば即座に傷を癒やして戦線復帰は可能だが、残念ながらディガンマにはカイトの力を上回れる再生能力は備わっていない。
そして勿論、そんな治癒術者も居ない。そしてこの傷の深さだ。致命傷ではなかろうと、先の様な全力での攻撃はもはや不可能と見てよかった。
「・・・おい、蒼髪」
「なんだ?」
「ここらで、お互い手打ちにしとかねぇか?」
ディガンマは様々な状況を鑑みて、ここでこれ以上両者が争う事は無意味と判断する。確かにこのまま死ぬ気でやってカイトを打ち倒す事が彼らにとっての最善だろうが、それは望めない。確実にディガンマは死ぬだろうし、この5人の中の半分以上は死ぬだろうと簡単に予想出来た。
そして幸運な事に、ディガンマはこの交渉が可能だと読んでいた。カイトの私的なこの戦場での目的は果たせている。そして戦略的にもランクS級冒険者の半数を撤退に追い込めれば御の字だろう。
ランクS級冒険者二人で敵のランクS冒険者の半分だ。北部軍にとってこの価値がどれほどのものかというのは、計り知れない。勿論、逆説的に南部軍にとってどれだけの痛手なのかも、だ。と、そんな提案にカイトが問いかける。
「そっち、手傷を負ったのはお前一人だ。それで引くか?」
「だから、引く。お前さんが引けば、だが。その傷、ここで負ったもんじゃねぇんだろうが・・・決して浅くはないだろう?」
「・・・」
カイトはディガンマの言葉に横の4人を伺い見る。その目は確かに、この提案に乗っても良いという意思があった。まぁ、それはそうだろう。ディガンマが攻撃の要だ。それを欠いてのカイトの攻略なぞ不可能だ。ディガンマが戦線離脱レベルの怪我をさせられた時点で、彼らに勝ち目は限りなく無くなった。
なら、今日はこれ以上の消耗を避けるのが一番の得策だろう。この戦いは、今日一日で終わる物ではない。それがわかっていれば、ここで引くのは敗走ではなく戦略的撤退だろう。
「わかった。こっちは引こう。この傷、かなりきついのはきついからな。出来れば引いておきたいのは事実だ」
「良いだろう。簡易ギアスで取り決めだ」
「慎重だな」
カイトはディガンマの問いかけに笑いながらも、その提案を受け入れる。簡易ギアスというのは、一種の契約だ。それも強制力のかなり強いものだ。
とは言え、これは永続されるものではなく、例えば一日限りや数時間だけ効力を発揮するものだった。長くても一週間という所だ。こういった戦場や捕虜交換の場で短時間だがお互いに信頼関係を作る為に使われるものだった。
使用用途は主に捕虜交換で捕虜がスパイの偽装ではないと示したり、今回の様に戦場で誰かの撤退を対価に敵の撤退を決定させる場合に使うのである。どちらもお互いの安全や裏切りが無い様に、という万が一に備えてのものだった。そうして、ディガンマがあちら側の条件を提示する。
「こっちはこの五名の撤退。そっちはお前さんらの撤退」
「効力は今日の24時まで。付随する条件はお互いにラクシアを巡る戦いには戦闘員として参加しない事。ただし、撤退での不可避の戦闘は可能」
「それで同意する」
「こちらも、同意する」
向こうの集団の代表としてディガンマが同意して、こちらはカイトが同意する。向こうの代表がディガンマになったのはカイトと元々知り合いだったからだ。話がしやすかった事が大きい。
そうして、お互いの間で浮遊していた魔法陣から7つの光が迸り、各々の身体を貫いた。これで、戦場からの撤退以外での戦闘は両者共に不可能になった。背中から斬りかかられるという事はあり得ないと言って良いだろう。
「ユリィ。引くぞ」
「うん」
カイトは戦闘を停止したユリィに明言する。これ以上戦った所で無意味し出来ない。であれば、さっさとここから帰って明日以降に備えるだけだ。と、そうしてお互いにその場を後にしようとした所で、最後まで残っていたディガンマがカイトに声を掛けた。
「・・・あー・・・おい」
「ん?」
「俺ぁ多分ここで降りる。明日は戦えねぇだろうからな。そこまで甘い傷じゃあないだろ、こいつ」
「なんだよ、謝ってでも欲しいってのか?」
「いや、まさか。砦の時とこことで2日、ここまでの激闘を連続で出来た。俺としちゃぁ、満足だ。前金で結構貰ったし、セルヴァ候爵にゃ結構な口止め料貰ったしな。金も戦闘欲求も満足出来た。当分は色々困らねぇな。南へ出て女でも抱いてりゃ痛みも忘れんだろ」
ディガンマはカイトの問いかけに笑って首を振る。そこには敵意は一切滲んでいなかった。やはり、彼も根は冒険者という事なのだろう。恨みも無い、敵でもない相手に殺意や敵意を向ける事は無い様子だ。
先程まで命のやり取りをしていたというのに、そして己は大怪我を負わされたというのに平然としていた。おそらく何らかの魔術で鎮痛剤に似た力を展開しているのだろう。そうして、そんな彼が笑いながら問いかけた。
「名前、教えておいてくれや。俺が今までの一生涯で最大の攻撃を打った敵だった男の名を知らねぇのは勿体無い」
「・・・カイト。家名はかつては、色々な名で名乗った。だからか単にカイトと呼ぶ奴が多い。それでも必要なら、幾つか教えるが?」
「勇者と同じ名か。じゃあ、カイト。どっかでまたバトろうや」
「オレとしちゃ、今度は一緒に旅でもしたいね。オレはそっちの方が好みだ」
「気が合わねぇな」
ディガンマはカイトの返答に笑うと、そのままその場を後にする。ここで、彼はこの内紛からは戦線離脱だ。彼の見抜いた通り、あの傷は甘くはない。カイトは確実に殺せるのなら殺すつもりで打った。
それでもギリギリ命からがら生き延びたのは、彼の実力と言って過言ではないだろう。そうして、カイトはその去っていくディガンマの背を見送り、その場に背を向けた。
「・・・ま、次に会えるとすりゃあ総会かね」
「会いたいの?」
「いや、全然。ありゃぁ、本当にヤバイ奴だ。後20・・・いや、10年もすりゃ熾天からお呼びが掛かりかねんな」
カイトは笑ってぐっと足に力を込める。彼としても離脱するつもりだった。ディガンマは本当にヤバイ奴だった。<<原初の魂>>を開放したカイトとやりあえたのだ。その腕はまだ完成されきってはいないものの、先は十分に認められる程の実力者だった。そうして、カイトは空中へと跳び上がる。
「ああ、レヴィか?」
『なんだ』
「敵のランクSの冒険者5名の撤退を条件に戦線を離脱した」
『上出来だ。どちらにせよ貴様の傷も浅くはないだろう?』
「ああ。まぁ、それに・・・」
レヴィと話しながら、カイトは密かにほくそ笑む。ディガンマ達は、気づいたのだろうか。これさえも、カイト達の作戦だったということに。その上で言えば、一人を戦線離脱に追い込めたのはかなり良い結果だったと言える。
『作戦の首尾は順調だ。これで、明日は必ず敵はこちらの予想通りに動くはずだ。貴様のお友達もすでに帰還させている。そろそろだからな』
「良し・・・とは言え、あと少し、もうひと押し欲しいな」
『それはそうだが、そこはもはや貴様の出来る事ではないな』
カイトの意見に同意しつつ、レヴィは戦況の推移を告げる。
『敵中央の陣形は現在、ようやく本調子という所か。デンゼル艦隊がデンゼルの戦死を受けて戦列に復帰。それに合わせて中央の艦隊もようやく砲撃を開始した』
「轟沈、させておいた方が良かったか?」
『そこまで他人の戦争で手を汚す必要もないだろう。これで十分だ』
カイトの問いかけにレヴィは首を振る。別に轟沈させるのなら轟沈させてもよかったが、こちらの被害を軽減させるのに十分に利用出来た。それで良しだった。
そうして、カイトはそこらの情報を聞きながら虚空を蹴る。どうやら敵もカイトの撤退は把握しているようだ。下手に被害を食わない為、彼に追撃を仕掛けるつもりはないのだろう。
「りょーかい。じゃあ、こっちはもう帰還する」
『ああ・・・っと、案の定、陣形が構築出来た事と貴様が冒険者を引かせた事で動いたぞ』
カイトの言葉とほぼ同時に、どうやら敵陣営に動きがあったらしい。それに、カイトも空中で振り向いた。
「わーお。聞いてちゃいたが実際に見ると凄いな」
『この数ヶ月で設置させたらしいからな。流石にこれは突破は難しい』
カイトの目の前の『ラクシア』の城塞の上に、巨大な十数門のガトリング砲型魔導砲が展開されていた。それが本当に雨あられの様に魔弾を発射して、中央が空いた事で一気に侵攻しようと見せていた北部軍の艦隊を牽制していたのだ。その勢いや凄まじく、隙間がほとんど見受けられなかった。無傷での侵攻は不可能だろう。
「こりゃ、ベストタイミングじゃないか?」
『ベストタイミングになる様に調整したのでな・・・良し。全軍に撤退命令を通達した。これで、一日目は終了と見て良いだろうな』
カイトの問いかけにレヴィは撤退命令を発しながら頷いた。その顔には敵の猛攻を受けて撤退させられるというのにも関わらず、笑みが浮かんでいた。そうして、カイトもその撤退命令に合わせる様に本陣へと帰還する事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1038話『停戦中』




