第1004話 迷いの森
最後の休息を終えたその翌日。カイト達は全ての武装を整えて、ラエリア南部の第二の都市である『パルテール』へと通ずる森の前に立っていた。
「ここが、通称『迷いの森』。ここ二百年もう誰も本当の名では呼んでいない森だよ」
「これは・・・うっへぇ」
フロドの言葉を聞きながら森を見たユリィが舌を出す。顔はしかめっ面だ。そしてカイトもまた、同じような顔だった。粘着くような嫌な気配が蔓延していたのである。
「かなりどぎついな、これは・・・あの研究所には死霊術師まで居たか・・・ちっ」
「どぎついっていうか・・・後天的にこれはあの世と繋がってるね。と言っても完璧じゃあないけど・・・」
「あの世と?」
ユリィの言葉にソラが反応する。何かはわからないが、碌な予感はしなかったようだ。
「うん・・・あの世って言っても純粋な意味でのあの世じゃないよ」
「黄泉平坂、ハデスの守る冥府・・・そんな所か」
「・・・ガチあの世じゃね?」
「違う違う。あの世とこの世の境目だ。あの世には誰もだどりつけない。そこに至る前、魂を洗い流す為の場所が、人の捉える本来の冥府だ。輪廻転生の輪に入ると戻れないからな」
カイトは笑って解説を行う。そういうことであるとするのなら、ここは半ばそれらあの世とこの世の境目に近い所なのだろう。
「・・・つまりは三途の川という所か?」
「そうですね。黄泉平坂も冥府も全て、本来は三途の川と捉えて良いのでしょう。こちらでは神様が実際に居るので、そこらはしっかりと学術的な研究がされているらしいです」
「なるほど・・・」
赤羽根の質問の答えに、全員がなるほど、と納得する。そして同時に、それならカイトがわかっていても不思議はなかった。
「ということは、この先はそこだと?」
「多分・・・感じませんか? 何か薄ら寒いような、粘着く様な・・・」
「・・・確かに、そんな気はするな」
木更津はカイトの言葉に僅かに顔を顰めて同意する。おどろおどろしいわけではない。何か危険を感じるわけでもない。ただ本能として、この先には死が満ちていると理解出来る。そんな感覚を得ていた。
「天音・・・危険過ぎないか?」
「いえ、あの世だから、とそこまで強力な魔物は生まれませんよ。所詮、そういう空間なだけです」
「まぁ、それでも半分外でもあるから、ここはどうなってるかわかんないよ。気にはしたほうが良いね」
カイトの言葉にフロドが森の中をにらみながら告げる。その目は珍しく真剣だった。
「それに・・・兄ぃならわかるでしょ? 肌で感じるこの気配。あの頃と一緒。死が顕在化して、冥府が発生している。ここに居る何かは、あの世に送られるのに対して強引に抗っている。それ故、ここら一帯を森そのものが擬似的に冥府にして対処している。魔物よりやばいのが居るかも」
「ああ・・・この先に居る奴は多分・・・死ねないんだろうな・・・」
カイトは悲しげに森の奥を見詰める。素直に、悲しいとしか思えなかった。そして同時に、改めて怒りを胸に抱いた。どう考えても研究所の実験の結果、死ねなくなったのだろうとしか思えなかったのだ。
「にぃ・・・ちょっと途中で」
「ああ、わかっている・・・森の最奥でちょいとやっておこう」
「ん」
ソレイユの願いにカイトは応ずる。これはいくらなんでも見過ごせない。この先に居る生命は、本来はもうすでに死ぬはずの生命だろうとわかったのだ。
なお、ソレイユは幽霊云々より過去の戦争の犠牲者、という方が強いらしい。怖さ云々よりも憐れみが勝ったようだ。決意がにじみ、恐怖感はなさそうだった。
「悪い。ここを進む・・・多分、予想と違ってちょっと危険になるけど・・・すまん」
「いや・・・そういうことなら構わないだろう。赤羽根も良いか?」
「ああ・・・そういうことなら仕方がないだろう。周囲の警戒は任せてくれ」
瞬と赤羽根はカイトの結論に許可を下す。二人だけでなく全員にこの先には何か悲しい事がある事はわかった。ならば、行き掛けの駄賃で助けてやるぐらいは良いだろう、と判断したのである。
それにカイト達の口ぶりなら、対処も可能なのだろう。見付からないで進めるし、更にはある種の人助けも出来るのだ。悪い話ではなかった。
「行くか」
「おう」
カイトの号令に全員が頷く。そうして、カイト達は一路、森の中に進んでいく事になるのだった。
カイト達が森を進み始めて、しばらく。森の奥地に入った所だ。そこでカイト達は『迷いの森』の本領を思い知る事になった。
「これは・・・そういうことか」
「ん?」
「赤羽根先輩。魔力を込めて矢を放たず弓を鳴らせますか?」
「どういうことだ?」
カイトの言葉を受けて、赤羽根が首を傾げる。確かに唐突に言われてもわけがわからないだろう。
「えっと・・・鳴弦の儀という奴なんですが・・・ご存じないですか?」
「ああ、鳴弦の儀か。知っているよ・・・ああ、なるほど。そういうことか。やり方を教えてくれるか?」
赤羽根は弓を手に取ると、カイトへとやり方の教示を願い出る。鳴弦の儀というのは、日本古来の除霊方法の一種だ。弓の弦に矢をつがえずに引っ張って音を鳴らす、という一般的にもよく知られた方法だろう。
とは言え、勿論単に音を出すだけで除霊が出来るわけがない。それは赤羽根にもわかったらしく、カイトにやり方を聞いた、というわけだ。
「ええ・・・これは日本風じゃなくて中津国でのやり方ですけどね。大陸間会議の時にあちらの術者の方とお会いした際、教えていただいた単なる手習いですが・・・効果はあるでしょう」
「そうか。それでやり方は?」
「まず、矢ではなく弓の方に力を溜めてください・・・慣れない様子でしたら、弓懸は外してください。ああ、魔力を溜める際、弓弦には魔力を溜めない様に」
「ああ」
赤羽根はカイトの言葉を受けて、念のため弓懸――弓道用の手袋――を外す。癖で矢を作ってしまうかもしれない、と考えたようだ。確かに間違って矢を放っても面倒だろう。
「それで、弦を引っ張って・・・手を離す」
「すぅ・・・」
赤羽根は息を吸うと神聖な気持ちで弓弦を引っ張って手放した。すると、薄く魔力の乗った振動が周囲に放出された。どれだけ頑張って弓弦に魔力を込めない様にしても、弓の方から僅かに魔力は浸透してしまう。とは言え、それで良いのだ。その力を込めるよりも遥かに薄く、しかし意図的には難しい量がこの場合は重要らしい。
「あ・・・なんかりぃーん、って音が・・・」
耳をそばだてていたソラが周囲を見回す。普通に弓弦を引いて鳴らすのとは全く違った澄んでいて、どこか鈴の音にも似た音が聞こえたらしい。
「魔力の共振による鳴動だよ・・・もう一度」
「ああ」
カイトの指示を受けた赤羽根は再度、カイトと共に鳴弦の儀を行う。今度は全員が耳を澄ませていて誰も何も発しなかったので、全員の耳にはっきりと聞こえていた。
「やっぱりか・・・」
「どうした?」
「もう一度、やります。今度は音が返って来る際の様子に注意していてください・・・それで、分かると思います」
百聞は一見にしかず。そう考えたカイトは一人で鳴弦の儀を行う。それに今度は全員、弦から鳴らされた音ではなく、それが木々に当って返って来る反応に精神を集中させていた。
「「「あ・・・」」」
全員が一斉に真北から僅かに逸れた方角を注目する。こちらから、何か薄ら寒いというか悲しげな反応が感じられたのである。
「わかった、ようですね」
「ああ・・・何か薄ら寒い気配が・・・」
赤羽根はカイトの問いかけに頷いた。それこそが、カイトの感じていたものだった。
「おそらくそちらが、この気配の原因かと」
「後は鳴弦の儀をやりながら歩けば良いのか?」
「いえ、鳴弦の儀には除霊の力も無いですよ」
赤羽根の問いかけにカイトは笑って首を振った。カイトがやるならまだしも、除霊の力を持ち合わせない赤羽根がやった所で何の意味も無いらしい。
「鳴弦の儀は確かに一時的に魔力的な攻撃等を退ける事が出来ますが、それは単にこの魔力の波動が特殊な物だから故です。詳しくは知りませんけどね。まぁ、専門家曰く振動する事で魔力の波動が様々な形に変化する事で、その中に僅かな除霊とか退魔とかが出来る力が混じっているのだろう、という事らしいです」
「ということは、一時的で更にはほとんど意味がない、と」
「ええ。人払いの結界や弱い幽霊でよほど弱い力しかないなら対処出来るらしいですけどね・・・流石にここまで遠くでも感じられる程になると、対処は難しいでしょう」
カイトは真北から僅かにずれた方角を見ながら赤羽根の言葉に応じた。そうして、これで見えた事を語った。
「おそらく・・・昨日の研究所の犠牲者達は葬られる事もなくここで放棄されていたんでしょうね」
カイトは遥か過去を思い出しながら、語る。ここは狼や野犬、人の屍肉を食らう様な魔物は多かった。が、多かったのではなく、必然として集まってきたのだろう。
それがなぜ今は居なくなったのかはわからないが、時を経てその怨念がここに淀みとなって蓄積されていたのである。この様子だと遠からず、『守護者』達の出番となることだろう。
「人を迷わせるのは、捨てられた犠牲者達の怨念がここに呼び寄せているんでしょうね」
「でもにぃ。助けてもらった時はそんな邪念無かったよ?」
「それ、なんだよな・・・もしかしたらどこかに守り人でも居るのかもしれん」
カイトはソレイユの言葉に少しだけ悩む様にして答える。何が彼女を守ったのか。それがわからない。ここに蓄積された怨念はかなりの恨みを含んでいる。量こそラカム達金獅子族の御山とは比べるべくもないが、恨みを向ける先が明白な分より一層濃密な怨念が撒き散らされていた。
それも当たり前だろう。あまりに非人道的な実験だったのだ。とは言え、であればここの原理にカイトが気付いた様に、霊と近い存在が居れば誰かが気付いても不思議はない。カイトは除霊師でもあるが、それは決してカイトだけではないのだ。その誰かが時折ここを訪れて除霊を試みていたり、対処が出来ず出来る限りを、ということで迷い込んだ人を救っていたりしても不思議はない。
「じゃあ、その守り人に会えれば・・・」
「ああ。楽に突破出来る可能性はあるな」
ソラの言葉にカイトも同意する。霊達が救ったとは考えにくい。であれば、救ったのはその誰かの可能性が高かった。そしてそれなら、その誰かの助力を求めるのが今回の最良だろう。
「行こう。まずは守り人とやらに会ってみない事には何もならん・・・が、多分怨霊達が実体化して襲い掛かってくる可能性はある。そこだけは、気を付けてな」
カイトが注意を下す。相手は怨霊。魔物よりも厄介だが、同時に魔物よりも対処し易い相手でもある。魔物は何をしてくるかわからないが、相手は曲がりなりにも元人だ。
出来る事はあくまでも、元々そいつが出来た事にプラスアルファ程度にしかならないのである。怨霊だからとサイコキネシスやらが使える様にはならないらしい。
「なんかよ・・・ここで本当に戦争、あったんだな」
「ん?」
「いや・・・今まで過去の歴史としか思ってなかったんだけどさ・・・こうやって目を背けたい事ってどっかにやっぱ眠ってるんだな、って・・・」
カイトに対して、ソラが悲しげに語る。その目は悲しげに伏せられていて、これが現実に起きたのだと否が応でもわからせていた。それに、瞬も同意した。
「一歩歩く度に、敵意がこちらに向けられてくるな・・・」
「なぁ・・・何歳ぐらいの人達なんだ、犠牲者って・・・」
翔が問いかける。その顔は興味本位とかではなく、悼む為になるべく相手の事を知ろうとする感情が滲んでいた。
「・・・下は6歳ぐらいから、上は君達ぐらい、かな・・・昔、ここの研究所に居た人の言葉だけど、ね」
「っ・・・そっか」
フロドの言葉に翔が顔を顰める。とは言え、だからこそ、と更に一歩力強く足を踏み出した。
「フロド、ソレイユ。二人共、先導は頼む。多分守り人が出るにしても、もっと奥のはずだ」
「「うん」」
フロドとソレイユが応じて、一同の先導を始める。そうして、カイト達は更に森の奥へと、足を踏み入れていく事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1005話『怨霊達との戦い』




