第987話 苦悩
バリーより死した筈のハンナの生存の可能性がもたらされた後。カイトは執務室に篭って一人悩んでいた。が、その間にも事態は進む。なので、カイトは悩む前に為すべき事を為していた。
「ああ、オレだ。校長を頼む。危急の案件だ。会議中だろうと取り次いでくれ」
カイトがまず連絡を入れたのは、天桜学園の方だ。今回の事態はあまりに大事になりすぎる。カイト一人で決断して良い事ではなかった。少なくとも、天桜学園としての審議に掛けるべきだろう。そうして、すぐに桜田校長へと繋がった。
『おお、天音くん。どうしたね。君が危急というのは珍しいな』
「ええ・・・もはや私一人の判断では不可能な事態が起きてしまいましたので・・・」
『君一人では無理・・・?』
桜田校長が目を見開く。大抵の事はカイト一人で片付けてしまう。その彼が、一人では決断出来ないと言うのだ。よほどの事だった。
「ええ・・・神聖帝国ラエリアの軍事クーデターはご存知ですか?」
『うむ・・・把握している。現在南北軍による内紛の真っ只中だったかね?』
「ええ。現在神聖帝国帝王シャリク率いる北部軍と大大老・元老院の生き残りが擁立した傀儡王シャマナの南部軍が覇権を争っている最中です」
カイトは敢えて傀儡王と王女シャマナを評する。シャリクの現在の目的は、大大老達に捕らえられて傀儡にされている末妹シャマナの救出だ。
救出は民衆向けの大義名分ではあるが、今までの歴史を考えればその救助というのは支持を集めやすい。彼はそれ故に救出と公言しているし、軍には最大限配慮する様に命じていた。カイト達の心象を考えても、これを覆すわけにはいかないだろう。
「それで・・・ついさっき、北部軍のバリー・シュラウド少佐よりアポイントがありました」
『ふむ・・・』
桜田校長は先を促す。それに、カイトは先程の情報の中でハンナに関わる以外を伝える事にする。
「というわけです。北部軍が強力な手を欲しているというのは、事実でしょう」
『ふむ・・・』
桜田校長はカイトの言葉でなぜ彼が悩むのか、というのを理解したようだ。彼もまた、悩ましげな顔を見せた。
『大凡、我々は戦争になぞ関わりたくない。それは如何に勇者と言われる君とて変わらないだろう。その君がこの話を持ってきたということは・・・』
「ええ。報酬はそれら人道的な見地を無視してでも、是が非でも手に入れたいものです。その有益性はかつて皇国より頂いた『導きの双玉』をも上回る」
『あれをかね?』
桜田校長はカイトの断言に目を見開いた。あれで、一度限りとは言え日本への連絡を取れる様になったのだ。それをも上回るとなると、どれほどの重要性かは察するに余りある。
「『大地の賢人』・・・謁見は到底叶わぬと思い今まで秘して来ましたが・・・ご存知ありませんね?」
『うむ・・・聞いた事もない。一体何なのかね』
「とある精霊です。古い古い精霊・・・ラエリアの民なら誰もが名前は知っている賢人です。名前だけは、ですが・・・」
カイトは知らないのも無理はない、と念を押す。他大陸にも関わらず知っているカイトが珍しいだけだ。
『とは言え、それなら君の伝手でどうにかなるのではないか?』
「いえ・・・彼は動けないんです。ラエリアの禁足地の中に存在する精霊なのですが、そこは千年王国の王族しか立ち入れない禁足地でした。故に、どれだけ有益性があろうと無理と諦めていたのですが・・・」
『それを、報酬に持ち出した、と・・・』
「ええ」
カイトは桜田校長の言葉に頷く。それが、全ての答えだ。金銭なぞ彼らの目的の前では副次的な物でしかない。最も重要なのは、異世界へ渡る術。地球へと帰還する方法なのだ。そちらの方にこそ、値千金の価値を見出している。そうして、カイトが続ける。
「『大地の賢人』・・・大凡、この世に存在する賢人の中では最大にして最高の知恵者でしょう。彼ならば、およそ大半の魔術を把握している。その慧知の中には当然、異世界へ移動する術もある」
『それは本当かね?』
「ええ・・・かつては、私もティナもその薫陶を受けました。私はほぼほぼ友人付き合いの様な物なのでさほど、ですけどね。とは言え私がかつて地球へ帰還した折には、その慧知をお借りもしました。まぁ、彼も流石に世界を越えるとなると、己の領分を超えた知恵となり正確な所を知っていたわけではないのですが・・・」
カイトは今まで隠されていた所を明らかにする。世界間転移術というのはエネフィアではティナが初となる魔術だ。意図的に世界を越えた者はほとんど居ない。それ故、手探りだったのだ。ティナとて独自開発したものの、更に知恵ある者達からの知恵を借りたいと思うのは不思議ではない。
「それでも、彼の知識は侮れない。それはわかった。その知恵を借りれるのなら、絶対に借り受けるべき相手です」
カイトは断言する。これだけは、断言出来る。カイトでさえ無理と思っていたが、手に入れられる可能性があるのならその可能性には縋らねばならない程の相手だった。
『・・・一つ、聞いておきたい。もしこの機を逃した場合、その『大地の精霊』とやらと別の機会に会える可能性は?』
「限りなく、低いでしょう」
桜田校長の言葉に、カイトは再度断言する。勿論、これは彼が勇者カイトとして行かない限りは、という話だ。が、現状でそれが出来ない以上、カイトの答えが全てである。
「禁足地が禁足地と呼ばれる理由がある。大凡、それは危険故か神聖故。今回は後者です。ラエリアの民にとって一番大切な土地。下手に押入れば・・・神聖帝国そのものを敵に回します。上策ではないでしょう」
『ふむ・・・もしあり得るとするのなら?』
「・・・そうですね・・・他にあり得るとすればまずひとつは、契約者となる事。それもこの場合は大地の大精霊の契約者となる事でしょう。他は、神聖帝国に対して多大な恩を売る事。それもシャリク帝近辺の高官に、ですね。出来れば帝室に連なれば良い」
『どの程度の勲功を、と聞くのは野暮だろうな・・・』
「ええ・・・どうにせよ、一番可能性があるのは今のこの紛争に関わる事でしょう」
深く息を吐いた桜田校長に対して、カイトもその言外の言葉を認める。今こそが、チャンスなのだ。そしてこのチャンスを逃せば、今後数十年の間に巡ってくる可能性は天文学的な確率になるだろう。
それもこの紛争が終結すればするほど、その可能性は低くなる。ただでさえアニエスにはユニオンの本部があるのだ。外からの冒険者にそんなチャンスが訪れる可能性は皆無に等しい。
『・・・稟議を行わねばならん、か』
「ええ・・・見返りは大きい。それも非常に、大きい。ですが同時に、デメリットも大きすぎる。一人で決めるには、あまりに大きすぎます」
『だろう・・・何時にするかね?』
「早い内に」
『わかった・・・明日の昼に招集を掛けられる様に手を打とう』
「お願いします」
カイトの求めを受けた桜田校長が早速各所への連絡を送り始める。これはおそらく、かつて俊樹少年の処罰を審議した時以上の会議になるだろう。だが、避けられない話でもある。そうして、通信を切断して、カイトは深く椅子に腰掛けた。
「・・・どう見るべきだ・・・?」
カイトは何度目かになる調査報告書を確認する。これは、明かしていない。これはカイト個人の問題だ。学園に関係がある事ではない。
「・・・情報が足りないな・・・」
何度見直しても、これだけでは判断が出来ない。だから、カイトは連絡を待っていた。
「・・・」
待つ事、数時間。夜に差し掛かった頃だ。その頃に、カイトの執務用の机に連絡が入った。
「・・・来たか」
カイトは通信を起動する。そうして、個人用のモニターにサリアが映った。
『お久しぶりですわね、ダーリン』
「ああ・・・やはりあんたが動くか」
『あら・・・これほどの儲け話がありまして?』
サリアが笑って問いかける。カイトが動く、と彼女は読んだ。それ故、彼女自身が動いたのである。
『まぁ、そんな話は良いですわね。時は金なり。雑談はここまでにしておきましょう・・・答えは白。嘘は言われておりませんわね。ラエリアの上層部はこの情報を真実と考えている様子ですわね。そしておそらく、真実ですわ。大大老がそのような会話をしていたのを、ウチの密偵が捉えております』
「そうか・・・」
『・・・しばらく、引いておきますわね』
「助かる」
カイトはサリアの心遣いに感謝を示す。サリアもカイトに何があったかは掴んでいる。なので遠慮したのだ。
「・・・ちぃ・・・」
カイトが盛大に舌打ちする。動けるのなら、動きたい。ハンナを救えるのなら、救いたい。それが、後悔を得た者の判断だ。が、これが己一人の事で済まないからこそ、動けないのだ。
「・・・紛争、か・・・人と人の殺し合い・・・得られる対価もデカイが、失う物もデカイな・・・」
人と人の殺し合いだ。それもルール無用なぞの生易しい場所ではない。地獄と変わらない。精神は一気にすり減るし、後遺症も酷い。生半可な覚悟で臨んでなんとかなる場所ではない。ある意味、ランクSの魔物との戦いよりも遥かに厳しい場所だった。
「・・・覚悟はある。そう、オレには、な・・・」
カイトは言い聞かせる様に肩の力を抜いた。確かに、カイトには覚悟はあるのだ。地球でも紛争地へは赴いた事があるし、大国との紛争も行った。今更、万単位で殺そうとどうでも良い。今更過ぎる。が、これはカイトだけの問題ではないのだ。
「・・・問題は、オレ以外か・・・ちぃ・・・要求は小隊規模。最低でも10人は欲しいだろうな。オレひとりでどうにか出来る問題ではない、か・・・」
カイトはどうすべきか悩む。これでカイト一人で来い、というのならカイトは喜んで向かう。今更人殺しに躊躇いは無いし、カイトからしてみればハンナの方が重要だ。だが、この依頼はそうではないのだ。
「・・・そうとう難しい結論を行わされる事になる、か・・・」
紛争だ。嫌悪感は果てしない物だろう。それを、カイトも桜田校長も見通していた。そうして、カイトはこの夜一晩中悩む事になるのだった。
一方、その頃。バリーは公爵邸の外れに新たに作られた離宮にやってきていた。
「貴方は?」
「バリー・シュラウド。サマンダにて冒険者をしておりましたが兄君のお召し出しにより、軍人として働かせて頂いております」
「そうですか。よくお出で下さいました」
「有り難きお言葉」
シャーナの言葉に対して、バリーが頭を下げる。そうして幾つかの社交辞令が交わされた後、シャリクからの親書が手渡された。
「こちらが兄君よりの親書になります」
「ありがとうございます・・・シェリア。こちらを」
「はい」
シェリアは親書を受け取ると、それを台座においておく。後で読むつもりだ。そうして、更にシャーナはシャリク達の現状を問いかける。
「そうですか・・・王都、いえ、帝都は復興の最中と」
「はい。シャリク陛下の手腕は素晴らしい物で、新聞は決して、誇張ではございません」
「そうですか」
シャーナは満足げに笑顔を見せて頷いた。これはおそらく、本当だろう。というより触れられれば嘘か真か分かるのだ。触れる事を少しでも恐れる素振りを見せたのなら、その時点でこの話が嘘だと分かる。力とは使うだけが能ではない。使うかもしれない、と相手に見せるだけでも力になるのだ。
「それで、東西南北はどうなっておりますか?」
「はい・・・南部は今も末妹シャマナ様を傀儡とする大大老共が治めております。が、この討伐も時間の問題でしょう」
「兄上のよしなに」
「はっ。しかと、お伝え致します」
シャーナからの伝言をバリーは記憶する。そうして、彼は本題に入る事にした。
「それで・・・先王陛下にはお伝えせねばならない事がございます」
「なんでしょう」
「先王陛下の侍従長ハンナ殿の事にございます」
「っ・・・」
今の今まで穏やかだったシャーナの顔に、苦いものが浮かび上がる。とは言え、すでに悲しみは飲み下せている。なので、彼女は覚悟を決めて先を促した。
「遺体の移送手はずが整いましたか」
「・・・いえ」
バリーは覚悟を決める。そうして、カイトに語ったと同じ内容の話を行う。
「っ・・・それで彼女は今どちらに?」
「・・・最後に目撃されたとされているのは・・・レゼルヴァ伯の本拠地です」
「「「っ!?」」」
シャーナや側仕えのメイド達が全員、顔を顰める。その名は全員が知っている。そして知っているが故に、最悪を遥かに超えた最悪の事態の想像が頭をよぎったのだ。そうして僅かな間の後、シャーナが問いかけた。
「このお話は他にどなたへ?」
「先に世話になりましたカイトという冒険者へと。彼は兄君より、招聘を受けております。その際に、本件も」
「・・・そうですか。わかりました、ありがとうございます。本件については、それ以外には誰にも語りませんよう」
「はっ・・・では、失礼致します。まだしばらくこちらに滞在致しますので、ご用命の際にはお呼びください」
「ありがとうございます」
シャーナが礼を言うとバリーが立ち上がってその場を後にする。そうして、残されたのはシャーナとメイド達だけだ。
「・・・どうなさいますか?」
「・・・少し、考えさせてください」
「かしこまりました」
シャーナの言葉にシェリアが腰を折る。そうして、彼女もまたカイトと同じように一晩の間、この後の対処を悩む事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第988話『失敗』




