寂しい王子様(その後)
黒く丸い物体を胸に抱き、イライラと小さな殿下が部屋を歩き回る様子に王太子宮の女官や官吏たちは心を痛めていた。
そこへ待ち人がやってきた。
「ヴィル、どうしたんだい? 君が来てくれと言うなんて珍しいじゃないか」
穏やかな面持ちで部屋に現れたのは、王太子殿下の叔父ジェイナスだった。
失礼ながらも、よろしくお願いいたしますと願いを込めた視線を、誰もが送っており。
ジェイナスは苦笑しながら、王太子ヴィルフレドに向かい合った。
「母様が来てくれないんだ。どこか身体を壊したの? 僕の態度が悪かったから来ないの?」
ヴィルフレドはジェイナスに駆け寄り、縋るような瞳でそう問いかけた。
この前、ようやく義姉が王太子宮への地下通路を貫通させ、母息子の対面が叶ったとはいっても、義姉の情報はここまで入ってこない。あれから義姉はここへは来れないでいるのだった。
「どちらでもないよ。説明するから、まずは座ろう」
ヴィルフレドの言葉で兄と義姉が喧嘩になりはしたが、微笑ましい王宮奥の出来事におさまっていた。
どう話そうかと思っていると、ジェイナスは隣に座る少年が胸に抱えた黒い物体に目をとめた。
「それは……クマろん?」
「うん」
「義姉上が持って来たんだね? もっと男らしいものがいいって助言したんだけど、な」
「僕はこれがいいよ。母様のプレゼントだから」
少年はジェイナスが部屋に入ってきた時よりは少し気が落ち着いてきたらしい。
大事そうに腕に抱えたクマろんを撫でていた。今も抱えているくらいだから、よほどお気に入りなのだろう。
しかし、そのクマろんに、ジェイナスはいい思い出はない。義姉である王妃に頼まれ、クマろんを小脇に抱えて王都を歩かされたからだ。クマろんの完成版が出来上がるまで、王妃のデザイン変更依頼を伝えるため、王宮から王都にあるクマろん製造所を何度も訪れた。
恥ずかしいと何度も訴えたが、王妃にどうしてもお願いと頼まれれば嫌とは言えず。物々しい警護を引き連れ、クマろんを片手に王都の賑やかな通りを歩いた。
全てはクマろん宣伝のために。
それを持って似合う少女や、女性の方が適役なのではないかと提案したのだが。王妃は断固として主張した。
ジェイナスは素敵な男の子だから、女の子や若い女性に注目を浴びるの。ちょっと可愛いくらいの女の子ではこうはいかないわ。女はどんなに子供でも女なの。理想の容姿の男の子であるジェイナス、貴方がにっこり微笑んでくれれば、女なんてチョロイわ。おほほほほほ!
そう言って、義姉はジェイナスの女性に対する何かを破壊した。そこに新たな何かが構築されては行くのだが、それはまだ先のことになる。
複雑な気分を振り払い、ジェイナスは少年に義姉が来れない理由を説明した。
「そうか。今は通路を修理中なんだ」
「あちこち危険だったらしいよ。整備ができたら、こちら側から義姉上を訪ねて驚かせてやろう」
「うんっ。いつできる?」
「五日くらいじゃないかな。できた時にまた来るよ」
目を輝かせる少年を前に、ジェイナスは思わず笑みが浮かんだ。
正直に感情を表現するのではなく、じきに隠すことを覚えてしまう。できれば長くこうした顔を見たいものだと思った。義姉に似た、自分を温かい感情で満たしてくれる笑顔を。
その頃、義姉である王妃ナファフィステアは執務室にて陛下の膝の上におり、休憩時間の抱き枕もどきとなっていた。
陛下のご機嫌取り中なのだ。
なぜこのような事態となったのかといえば、時間は数日前に遡る。
見事に王太子宮への地下道を完成させ、興奮冷めやらぬ状態で陛下の部屋で仕事が終わるのを待った。
可愛くない発言について、一言文句を言いたかったのである。一年数ヶ月ぶりに会った息子に、可愛くないって……クマろんに負けるって……。王妃はいたく傷ついていたのだ。
陛下は何度も会っているくせに!との不満が溜まっていたらしい。
「陛下っ! ヴィルに、私は可愛くないって言ったんですって?」
陛下が部屋に入るやいなや、王妃は陛下に大きな声で訴えた。
息子に逢えて喜んでいるだろうと思っていた陛下は、予想していなかった展開に暫し固まった。
黙ったまま王妃の言葉を熟考する。
その陛下に。
「どうせ私は可愛くありませんから! 明日から王太子宮かジェイナスの所に泊めて貰いますねっ! じゃっ」
王妃は小さい身体で精一杯胸をそらし、威嚇するよう足を踏ん張ってそう宣言した。が、あまりというか、全く迫力はない。
室内の女官達は、少しばかり気の毒がるような視線を向けていたが、気にとめる王妃ではなかった。
ふんっと鼻息荒く、大股でダンダンと一歩に力を込めながら踏み締め、陛下の横を素通りしようとした。
もちろん陛下がそのまま行かせるはずはない。
「王宮を出ることは許さん」
陛下は王妃の腹に腕を回し、軽くすくい上げるとそのまま寝室へ移動し、ジタバタしている王妃をぽいっとベッドへ放り投げた。
転がった王妃はドレスのスカートが頭に被さり、柔らかいベッド上でもがいていた。
「ナファフィステア」
陛下の声は不機嫌だった。
ここ最近、貫通間近で穴掘りに力を注ぎまくっていた王妃は、陛下の存在を疎かにしていた。
陛下の言葉は少なくとも王妃が何かと陛下の気分を読み取り意思疎通がなされていたのだが、それが極端に減った。夜にしても先に眠り、起そうとしても疲れて起きないことが多かった。陛下にかける言葉が少ない。陛下に注意を払わない。
実に不満だった。
しかし、息子に逢おうと頑張っているのだからと我慢に我慢を重ねてきた。目的を達するまでは、息子を優先するのもいたしかたないと思っていた。だが。
「ヴィルフレドに会うための通路を完成させたのだったな?」
「そ、そ、そうよ」
王妃は驚きの表情を浮かべ、どうして知っているのよ、とでも言いたげだった。
「王宮奥に勤める者なら誰でも知っておる」
冷ややかな陛下の言葉に、あらら?と王妃は表情を変えた。自分の不満を訴えて、意気揚々と部屋に帰るつもりだったけれど。誰もが知ってた? そんなこと知らなかったし。もしかしなくても、陛下も知っていた? 内緒のつもりだったんだけど。見逃してくれてたってこと、かな。
形勢が逆転されてしまう可能性あり? それは王妃にとって想定外だった。
唸るだけで言葉にならない王妃を余所に、陛下が話を続ける。
「そなたが王太子宮との間にある壁を奇妙な液体で壊そうとしたり」
それ、ご存知でした?
王妃は顔を引きつらせた。地下道がなかなか掘り進まないのに業を煮やした王妃は、壁を破壊しようと試みようとした。その時は、庭師達に自分達が牢に入れられますと泣きつかれたため思いとどまった。
「王宮奥の塔の窓から、グライダーとかいう怪しげなもので飛び降りようとしたり、していたそうだな」
それも、ご存知でいらっしゃいました?
王妃は睨まれたカエルのように、ひたすら引きつった笑顔はりつけ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
陛下、目が据わってます、ね。
「ナファフィステア。それがどれだけ危険なことか、わかっておったか?」
「あ、いや、その……」
「余が即刻止めるよう言い付けなければ、そなたの命はなかったかもしれぬ」
「そ、んな、ことは……」
「そなたが命を落としておれば、ヴィルは悲しんだであろうな。そなたに手を貸した庭師達や神殿の学者達、女官や官吏達もどのような咎めを受けることになったか」
「あううっ」
痛いところを直撃され、王妃はベッドに突っ伏した。
「ごめんなさいっ。誠に申し訳ございませんでした。私が悪うございましたっ。みんなを咎めないでください。お願いいたします!」
ふんっ。
陛下は鼻で返事を返した。
それから王妃はひたすら謝り続けたが、陛下は機嫌を治さなかった。
その後、数日にわたり、王妃は陛下の機嫌を取るべく、朝もお茶休憩も夜も陛下の元に通っているのだ。
その間、陛下はこっそり地下道の強化工事を庭師に手配した。王妃が一日中自分の事を考えていることに満足しながら。工事が終われば、また息子優先になることは間違いないが、時々こんなのも悪くはない。
そうして陛下は、腕の中に王妃を抱いて休憩するのであった。
陛下が王妃のことを『可愛い者や美しい者ならいくらでもいる。だが、あれほど余が愛しいと思う者は他にはおらぬ』と息子に語ったことを、王宮奥の人々は知っていた。ただ王妃だけがいつまでも知ることはなかった。
~The End~




