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寂しい王子様(前編)

息子ヴィルくんの子供の頃のお話です。


 

 緑の色が深くなりつつある昼下がりの庭園で、少年はキョロキョロと周囲を見回す。

 ザワザワと木々がたてる音と揺れる枝によって影が動くばかりで、そこに少年の探すものは見つからない。

 諦めたように俯くけれど、しかしまた顔をあげて何かを探す。

 泣きそうな顔を誰にも見せまいと歯を食いしばり。そして、女官が時間だと呼ぶまで、何もない庭園に居座り続ける。

 これが、王太子宮における夕刻前の日常だった。


 庭園の向こうには、少年が少し前まで暮した本宮奥がある。三歳になった時に王太子宮へ連れてこられ、それ以降、父母と離れて暮している。

 少年がどんなに泣いても喚いても、戻ることはできなかった。


 四歳の誕生日には父と母に会えると聞き、少年はその日を待つことにした。それしかできなかったのだ。

 少年にとって数日以上先のことなど考えられないほど遠いのだが、それでもちょっとずつその日に近付くことで寂しい気持ちを紛らわせるしかなかった。

 父王とは一カ月に一度は面会することができた。しかしそれは臣下に囲まれた場所で、体調はどうか、勉強は順調かなど簡単な言葉を二言三言交わすだけの僅かな時間でしかなく。触れることのできない父が、少年には遠く感じられた。それでも会える日が来るのは嬉しかったが。

 立派な姿を見れば喜んでくださると教師達が口々に言うので、頑張って勉強した。剣術も習いはじめ、挨拶の言葉も型も何度も練習して。

 しかし、少年が母と会う機会は全くなかった。何度も失敗した日などは特に、四歳の誕生日が待ち遠しくてたまらなかった。


 少年にとって父は表情が固くてよくわからないが、母は黒い眉が上がったり下がったりしてとてもわかりやすい人だった。母はどんな言葉をかけてくれるだろうか、どんな風に喜んでくれるだろうかと想像しては寝付くのが遅くなる日もあった。

 そうやって、会ったら何て言おうかと思いながら指折り数えて誕生日を待って。


 誕生日の当日、王宮へ出向いた彼の前には、いつもの面会時と同様に父王と臣下がいるだけで、そこに母の姿はなかった。



 誕生日の祝典に最後まで母が現れることなく、落胆したまま王太子宮へ戻った少年に怒りが込み上げてきた。


「父や母に会えると言ったのは、嘘だったのか?」

「陛下は非常にお喜びでございました。王妃様はあいにく体調を崩され、ご出席にはなられませんでしたが、殿下の様子を頼もしく思われたことでしょう」

「うるさい、うるさいっ。嘘つき共! 出て行けっ」


 誕生日から数日、少年は勉強や剣術も何もかも放棄して部屋に閉じこもってしまった。

 女官達や教師達が何を言っても、嘘つきと怒鳴り散らした。


 次第に食事の量も減り、怒鳴ることもなく段々と無口になり、少年は周囲の者に対して冷ややかな視線を向けるようになっていった。



 そんなある日、部屋にこもり黙って窓の外を見つめる少年の元に叔父であるジェイナスが訪ねてきた。


「やあヴィルフレド。食事も満足に取ってないんだって? 陛下や王妃が心配しているよ」

「心配なんてしてないよ。してたら、ここにくるだろ? 僕のことなんてどうでもいいんだ。王太子が生きてれば、それで」


 少年は言葉をとぎらせ悔しそうに唇をかんだ。ジェイナスはまだ十五であり産まれた時から知っている仲なので、少年が他の大人達に対する態度とは違う。

 その様子を影から女官達は慎重に見守っていた。やはりジェイナス様に来ていただいたのは正解だったと思いつつ。


 ジェイナスが少年を見る視線は少し苦々しい瞳である。ジェイナスもここで同じように時を過ごしたことがあるからだった。


「王妃様の言葉を忘れてしまったのか?」


 ジェイナスは小声で少年に問いかけた。

 どうして知っているんだという顔でジェイナスを見上げたが、すぐに視線を床へ落とす。


「母上は、もう僕のことなんて忘れてるんだ。僕だって母上の顔なんて忘れたんだから」

「あの王妃様がヴィルのことを忘れるはずがないだろう? 必ず王妃様はヴィルに会いに来るよ」

「誕生日にだって会ってくれなかった……」

「あんな場は、互いの姿が見えるだけで、会ったとは言えない」

「いつまでたっても母様は来ないじゃないか! 僕に会いにくるって言ったのにっ。約束したのにっ。きっと、他の奴らみたいに僕を、僕を……騙したんだ」


 少年は激しい口調でジェイナスに訴える。騙したんだと言う言葉は小さな声で。そんなはずはないと何度も思ったのだろう。今でも思っているはずだ。なぜ来てくれないんだ、待っているのに、と。

 そうして過ごした日々をジェイナスも思い出す。自分もそう思っていたはずなのに、いつの間にか王太子宮の生活に慣れ、それが当たり前になったのはいつ頃のことだったろう。少年よりも早く諦めていたことを思えば、母の違いなのかもしれない。自分が待っていたのは、母ではなく乳母だった。そして、乳母とはもう二度と会うことはないと知っていたのだから。


「王妃様を疑うのか? こっそり会いにきた時に殿下がいなかったら、王妃様は見張りに見つかってしまう。そうしたら本当に二度と会いにはこれなくなるだろうな」


 はっと少年は顔をあげた。

 二度と会えなくなる、その言葉が胸を突き刺した。

 少年の脳裏に蘇る、約束した時の母が。


「母様は必ずあなたに会いに行くわ、ヴィル。その時、あなたの護衛に私が殺されてしまわないように、庭に現れた母様をあなたが一番に見つけてちょうだい」

「うん。僕が母様を守るから。きっと守るから。絶対に会いに来て」

「ええ、もちろんよ。小さな陛下」


 にっこり笑って母が首をかしげると、黒い髪に映える金細工の髪飾りが揺れ、シャラシャラという音がした。

 一年以上も前のそれを鮮明に思い出す。


 少年は慌てて庭へと飛び出した。どうしよう、この数日の間に母様が来ていたら。見張りの騎士に見つかっていたら。

 少年の目に映る、風が抜ける美しく整えられた庭は、いつもと変わりがなかった。だが、もし、既に……。


「王妃様はまだ来ていないよ」


 背後から小さな声がかけられた。少年は振り向きもせず。

 

「そっか。なら、いい」


 黙って庭に立ちつくす少年の後ろ姿を、ジェイナスは少し羨ましく思った。

 自分が王太子宮にいたのは一年ほどのことで、すぐに出されたのは兄王の計らいだったのだろう。兄王は三歳の時から王太子宮で暮らし、十六になる頃に母である王妃が亡くなったため、結局王太子宮に入って以降、母と会うことはなかったと聞いている。

 自分も兄も望んでも叶えられなかったことを、少年は叶えられるのだ。近いうちに義姉上は必ずここへ来るのだから。

 それが羨ましくもあり妬ましくもあり、そうなれば嬉しいとも思う。あの寂しかった想いを蘇らせる姿を見ていたくはない。王太子教育として、誤ったことだとしても。

 兄上もそう思っているのだろうか。ジェイナスは少しだけ無表情の兄を身近に感じるのだった。



 その日からまた、少年は教育を積極的に受ける日々に戻った。夕刻には庭へ出る日々に。



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