侍女リリア視点(15)◆緑水祭儀◆
私は朝から目の回る忙しさだった。
なぜかといえば、緑水祭儀に急遽ナファフィステア妃も参加することになったためだ。
緑水祭儀とは、王位を継ぐ者が二十九歳を迎えた歳に神殿で執り行われる儀式のこと。
王家の守り神たる主の眠る神殿の泉にて、主への感謝を述べ、主から祝福を受けるという儀式なのだけど。
この儀式は陛下または王太子と神殿の選ばれた神官達、そして主の代わりとなる少女のみが参加する。
もちろん警備騎士は配置されるとして。
そんな儀式に、妃が参加するなんて聞いたことがない。
私は間違いではないのかと妃様付き事務官吏のユーロウスに確認したのだけれど、間違いではないという。
この妃様の緑水祭儀への参加については多くの貴族達が陛下へ苦言を述べるという事態に発展したらしい。
主の代わりを務める少女は幼少の頃に神殿が数人を選出し、穢れなき美しい少女へと育て、その中から更に一人だけが選ばれる。
最終的に選ばれた少女は、神殿に住む妃となり一生を神と王に捧げることになるのだ。
王の言葉を神に伝える者として、神殿では神の代理としての立場を保障され、神殿の奥深くに秘される。
妃という地位は、実際には与えられないのだけど。信心深い娘やその娘を輩出した家族にしてみれば素晴らしく名誉なこと。
その少女の役をナファフィステア妃が務めることに、意義を申し立てる者が続出したのである。
しかし、当の神殿は陛下の提案に何の文句も出なかった。
主の代わりとなる少女の存在の意味を、儀式を執り行う者以外の人々が誤解していたのだ。
私も知らなかったことだけれど。
主の代わりの少女は、本来、主である小柄な王妃の身代わりであるため、少女である必要も未婚である必要も無垢である必要もない。
むしろ、非常に小柄な妃であるナファフィステア妃の方が、少女よりも主には近い。
そのため、神官達は陛下が提案したナファフィステア妃が務めることに反対はしなかった。できなかったと言うべきだけど。
陛下の側としては、儀式が執り行われる間は陛下が武器を携帯できない。その無防備な状態で、少女といえど見知らぬ者を近付けたくはなかった。
この儀式は陛下の命を狙う絶好の機会なのだ。陛下の警護にあたる騎士達が緊張をみなぎらせている。
おかげで王宮内はピリピリした状況だった。
儀式を行うのは王太子であったり、例え王位を継いでいても王太子がいることが常だが。
陛下にはまだ王太子がいない。
今、陛下に何かあれば――。
そんな緊張とは無縁なのが、儀式に突然参加することとなった妃様だった。
「こんなペラペラした服一枚? 下着は? つけちゃだめなの? こっそり着ててもいいんじゃない? このままじゃ、スカスカして恥ずかしいわっ」
儀式で身につける衣装についてしきりに苦情を述べている。
神聖な儀式の衣装を変えることはできない。
それを説明すれば、妃様はちゃんと理解して下さるので困った方ではない。
ただ。
「同じ布をちょっと腰に巻くくらいはどうかしら。このくらいならいいわよね。あら、意外にかわいい」
色々と画策しようとするところが面倒といえば面倒ではある。
しかも、素足をさらすことには全く抵抗がないようで。
儀式用の衣装をつけたまま裾を腰近くまで引き上げ、素足を太ももまで晒している。
下着姿を見られることは恥ずかしがるというのに、素足を見られるのは平気だというから不思議。
下履きが見られるのも恥ずかしいと思うのに、それもない剥き出しの素足など。
私には全く理解は出来ない。
しかし、妃様は衣装の裾を腰まで引き上げ巻きつけて、ほっそりした足を見せた姿を鏡で確認している。
「うーん、やっぱり、短い方がかわいいわ。裾が長い服ばかりだったから、すっごく新鮮!」
新鮮どころではなく、危険すぎです。
短くても、あれは下着の構想だから構わないけれど。
さて、衣装の下に、あんな腰に巻くものなど許してもらえるだろうか。
神殿に打診してみないと。
そう考えていると、昼間だというのに陛下が部屋へお越しになった。
今日はそんな予定はなかったはずだけど、陛下にお時間ができたのだろう。そうしたちょっとした空き時間に妃様を訪ねて来られるのだから、妃様のご寵愛の深さが伺えるというもの。
私は誇らしく思いながら部屋の端に控えた。
「見て見て、陛下! かわいいでしょ?」
腰に布を巻き付けているため小さな腰やお尻の形そのままで、余った布を右手に束ねて握り持ち、腰をくねらせ素足を晒してポーズをとっている妃様。
陛下にそれは……どうでしょうか……。
案の定、陛下は眉間に皺を寄せて、妃様を見つめていた。
「それは、何だ?」
「かわいいなって思っただけよ。短いスカートって、ここにはないから」
「儀式の衣装か?」
「そうよ。ちょっと工夫しようかと思って。かわいいと思うんだけど」
陛下がかわいいと言わないので、妃様はくるりと反転し陛下に背を向け、鏡の自分の姿に首を傾げている。
そんな妃様に、背後から歩み寄る陛下。
鏡越しに陛下に笑って見せる妃様は無邪気だったけど。
陛下のご様子をよく理解していないものと思われた。
ひょいっと陛下に背後から抱きあげられた妃様は、まだわかっていないらしく。
「似合わない?」
不満そうな顔を陛下に向けていらした。
陛下は無言で奥へと進まれ。
「えっ? 何? ちょっと奥へなんか行かないわよっ? 何か用事があったんじゃないの、陛下? 陛下っ!?」
陛下が寝室へ向かわれることに気付いた妃様は何か喚いていらしたけど。
ご自分が誘っておられたのではありませんか。可愛らしくポーズをとって、見せびらかして。
あれに応えないなんて、男性としてありえませんから。
私はさっそく神官に儀式の最中の妃様の衣装について許可を得られるよう事務官吏ユーロウスに調整を依頼した。
その結果を待たず、妃様ご希望の短い下着というものの作成を依頼するため職人を手配する。
たとえ儀式で着用できないとしても、きっと陛下にはご満足いただけるはず。
私はそう確信していた。
何とか数日で妃様ご希望の下着も出来上がり、神殿の許可も下り、儀式用の衣装は間にあった。
儀式当日。
神殿の控えの間にまでは妃様に同行することができたけど、儀式にまでは御一緒することは叶わなかった。
一定の距離をおいて妃様付き騎士がつき従うとはいえ、見知らぬ神官に神殿の奥へと連れていかれることには不安そうなご様子だった。
「何かあれば声を上げるか、腕を上げてください。前後にいる騎士ボルグや騎士ウルガン達がすぐにお助けいたします。儀式が行われる時には、おそばに陛下が居らっしゃいます」
「ええ、わかっているわ。暗くて湿っとしたところが嫌いなだけだから。大丈夫よ」
妃様は緊張したご様子だったけど、騎士達にも頷いて見せた。
そういえば、妃様は虫がお嫌いでいらした。
妃様が緊張していらっしゃるのは、先程、廊下をあるいている時に王宮内では見かけない多足虫を見てしまったせいかもしれない。
妃様は神官の後をついて歩いているけど、そわそわと足下や左右に視線を走らせているご様子。
びくびくしている妃様は、騎士達にたいそうな庇護欲を掻き立てるらしく。
いつもに増して、妃様警護の騎士達は奮い立っているようだった。
残る騎士達もまた、名残惜しく妃様の後ろ姿を見送っていた。
その後、私は神殿の控えの間で妃様のお帰りを待っていた。
待つ間はどうにも落ち着かない気分だった。
一緒にいる女官達も言葉は少ない。
やはり自分と同様に緊張しているらしい。
無事に終わってくれればいいけれど。
拳を握りしめて、時間が過ぎるのをじっと待つ。
じりじりとした時間がゆっくりと過ぎ。
神殿の奥がザワザワと騒がしくなった。
何事?
と、奥の様子を伺うために廊下へ出ると。
騎士ヤンジーが部屋の前にいる騎士達に説明をしているところだった。
今日も凛々しい眉で。
「部屋へお戻りください。神官を装った暗殺者が入り込んでいた模様です。すぐに妃様がお戻りになります。準備を」
「わ、わかりました」
私は女官達とすぐに王宮へと戻れるよう妃様の着替えの手順を整えた。
そこへ陛下が入ってこられた。
腕の中に妃様を抱きあげておられ、お二人ともびしょぬれだ。
「すぐに神殿を出よ」
陛下は私たちに向かってそう命じると、妃様を腕から降ろした。
妃様は少しというか、かなり足下が危うい。なぜこんな状態に?
しかし、それよりも今は一刻も早く王宮へ戻らなければ。
「ナファフィステア、立てるか?」
「うん、だ、大丈夫」
私はすぐさま妃様の身体を支え、衝立の裏へと連れて行く。
陛下は厳しい声で指示を飛ばしながら騎士達を従え部屋を出ていった。
私達は急いで妃様の濡れた服を脱がし、ドレスに着替えさせる。濡れた髪を布で水気をとるものの、結いなおしている時間は惜しい。
女官達とともに妃様を連れそのまま王宮へ戻ることを選択した。
私達は妃様の両脇を支えるようにして神殿から王宮へとつながる通路を歩いて戻った。
王宮へ戻っても妃様はぼんやりした状態で、しっかり立ったり動いたりはできないようだった。
けれど、妃様は、大丈夫だから心配しないでと言うばかり。
医師を呼ぼうとしたのだけどそれも止められてしまって。
事務官吏ユーロウスには連絡しているし、陛下が居合わせていたのだから、状況は伝わっているはず。
それでも何の説明もないままに時間が過ぎていくのが、とても不安でたまらなかった。
そして判明したのは、妃様が酒に酔ってしまっている、ということだった。
神殿の泉は、儀式の時には緑色に輝く。
その緑色の正体は、緑色の酒を大量に注ぐためで。
その泉に、うっかりと妃様が落ちてしまわれた。それは、神官に紛れた刺客の仕業だったらしいのだけれど。
妃様は泳げなかったらしく、泉に落ちた妃様は酒の混じった水を飲みながら溺れていたのだそう。
陛下はそばにいたけど、刺客の注意を引いていて助けるのが遅くなってしまい。
助け上げた時には妃様はぐったりしていたらしい。
「え? 酒に、酔っただけ?」
「妃様は酒に耐性がないのでしょう。陛下も驚いておられました。我々は酒を飲んでも気分が高揚するだけですが、妃様の種族は大量の酒を飲むと動けなくなったり気分の悪い状態に陥ったりするようです。そういう症状を、酒に酔う、と言うのだそうです」
たしかに妃様は、酒ではなく茶を好まれると思っていたけれど。
酒を飲むとそんな状態になるなんて。
「それで、妃様のお身体は大丈夫なのですか? 酒は、妃様にとって毒となるということなのですか?」
「毒というほどではありませんが。やはり、耐性が低いわけですから、多く摂取することは毒となるのでしょう。その“多く“というのがどれ程の量なのか想像もつきませんが」
そう言って、陛下の指示でやってきた医師は帰っていった。
妃様は、今までに何度も酒を召し上がっている。
その時に顔を赤くされていたのは高揚している様子だし、それをおかしいとは思わなかった。
でも、カップ一杯を飲み干されたことはなかった。
お茶なら何杯も飲まれるのに。
だから、あまりお好きではないのだろうと最近では食事に出されることもなくなっていた。
まさか酒を飲んだだけで、あんなにふらふらと歩けなくなるなんて。吐きそうな気分の悪い様子で、ベッドに入られてからもしばらく唸っておられた。なんてお気の毒な。
今後、酒は禁止しましょう。
しかし。
「ナファフィステア、これはどうだ?」
陛下が三分の一ほど液体を入れた小さなカップを妃様へ手渡した。
それをクンクンと匂いを嗅いで。
「美味しそうな匂い」
妃様はカップを手にちろっちろっと舌で液体をすくって味見する。
「このお酒、結構きつそうね」
そう言いながら酒を少量口に含む。その横で陛下も同じ酒を飲み、妃様の様子を眺めている。
「飲みやすいかも……」
あれから陛下は妃様の口にあいそうなさっぱりした味の酒を見つけては、妃様に勧めるようになった。
その理由は明白だ。
「美味しいー。陛下、ありがとー!」
お酒を勧めていくうちに妃様は酔っ払ってしまわれる。そうして今夜も妃様は、陛下の膝の上にのり、首に腕をまわして抱きついている。
首にすりすりと嬉しそうに。
「それだけか?」
「それだけぇ」
妃様はふざけながらも陛下の顔にキスしたり、頭をだきしめたりと楽しそうに戯れており。
陛下は非常に満足そうだった。
一定量以上のお酒が入ると、妃様は陽気になられ陛下にはそれが甘く感じられるらしい。
妃様は、飲んだ翌日には、陛下に甘えてじゃれついたことが恥ずかしいらしく。
ちょっとばつの悪い照れた顔をする。
それがまた陛下には楽しいようで、酔わせた翌日は昼間に一度妃様の顔を見に現れる。
夜もまたしかり。
そして、陛下の同席しない場ではナファフィステア妃に酒を供してはならないとの通達が回った。
それにより、料理に使用される場合の酒の分量について王宮内料理人達による議論が遅くまで続いていたという。