侍女リリア視点(14)◆眉への拘り◆
王宮では相変わらず忙しい毎日が過ぎていく。
そんなある日、私は自覚した。
自分が眉フェチである、と。
騎士ヤンジーが視界に入ると、つい眉をチラチラと見てしまう。
今日も素晴らしい型かどうかを確認しないと気がすまないらしく。
はっと我に返って、騎士ヤンジーから微妙な顔で見返されていた時の気まずいことといったら。
そして、妃様の眉。
これはもう、見事としかいいようがない。
型とか、顔の中の配置とか、そんな問題ではない。
全てを超越した眉がそこにあった。
妃様の感情のままに、上がったり下がったり、両端が下がったり片眉だけぐっと上がったり。
自在に、それはそれは器用に動く。
黒々と存在感のある、眉が。
彫りの浅い顔、黒い睫毛に囲まれたつぶらな瞳、薄い唇、小さな鼻。
丸い顔の主に下半分にこぢんまりと配置されたそれら。
その上に、黒い眉が、ある。
絶妙な存在感。
圧倒的なそれは、あの神とはまるで違い。
どどーんと訴えかけてくる。
私を見ろっ!、と。
妃様付き女官となってから、妃様の黒い全てをジロジロ見てしまわないよう気を配ってきた。妃様と向き合う時は黒いどこかを見つめたりしないように、と。
なのに。
眉フェチ自覚した途端、誰の顔もまず最初に眉だけは見るようになってしまい。
妃様と会話する時は、必ず視線は眉に固定されてしまう。
だって、妃様の眉って動くから。口や鼻ももごもご動くけど私の意識的には眉ほどのインパクトはない。
それほどに、あの眉からは……。
はぁーっ。
このままではいけない、と思うけれど。
眉神みたいに爆発しないだけマシだけれど。
妃様の気分を害しているわけでもなさそうなのだけれども。
女官達の休憩用の部屋で私は溜め息をついていた。
「どうしたの、リリア?」
悩む私に声をかけてきたのは、女官仲間のナーナだった。
彼女だけは、顔よりもまず手に視線がいってしまう。なぜなら、いつも痛々しい赤い肌が袖口からのぞいているから。本人は大した痛みではないらしいけど、ヒリヒリ痛そうにしか見えない。
彼女ナーナは、今、脱毛に凝っている。
もちろん自分のためではなく、妃様のお肌の手入れのためだ。その脱毛の新しい方法を自分の腕で試しているらしく、赤い肌はその失敗をあらわしていた。
妃様は黒い髪や瞳などを見られるのは何ともないけれど、腕などの体毛を見つめられるのは抵抗があるらしい。
どちらも大差ないだろうにと思うけれど、妃様的には全く違うとおっしゃる。微妙過ぎてよくわからない感覚なのだけれど。
以前は、妃様が刃物を手に自ら剃っておられ、とてつもなく心臓に悪い時間だった。私だけでなく、女官達はみなその時間を恐れていた。妃様は、いつも何処かしら失敗して、赤い傷を作っておられたのだ。
中でもナーナは、妃様の肌が傷になるのに神経を尖らせており。毎回、裏で嘆いていた。
そんな彼女が率先して、妃様の肌のために軽い剃刀を業者に特注で作らせたり。妃様へ、代わりに剃らせて欲しいと訴えていた。
刃物を他人にあてられることが怖かったのか、はじめは断っていた妃様だったけれど。
ナーナの調合するクリームは、妃様の肌にはよくなじんだ。それが信頼につながったのか、妃様はナーナに剃刀を任せてみることになった。
それからは毎回ナーナが剃刀を担当することになり、女官達はそれは安心できるようになった。
そして、今ではナーナが妃様の化粧をとりしきっている。
「ナーナ。実は、私、妃様と向かい合うとき、つい、眉を見つめてしまうの。ほんとうに黒くて立派な眉でいらっしゃるから……」
つい、愚痴ってしまった。
ナーナなら、主張の激しい妃様の眉に注目してしまう私の気持ちをわかってもらえるかもしれないと思ったのだ。
「まあ、貴女も? 実は私もなのよ!」
勢い同意する女官ナーナ。
休憩用の談話室に並んで座っている横から、彼女は私の軽く握った手を取る。
そして、強い目力で迫りくる彼女に、私は思わず背中をそらした。
えっと、迫ってきすぎて、引く。なんて押しの強さ。
思った以上に彼女の反応は激しかった。
「あの方の艶やかな肌。つるつるもっちりで、素晴らしいと思わない? あぁ、貴女も仲間だなんて、嬉しいわ!」
ナーナは、肌フェチ、だったらしい。
フェチというからおかしな響きになってしまうけれど。
特に興味をひかれること、と言いかえれば別におかしなことじゃないと思う。
類友を見つけた悦びのせいか、ナーナは延々と妃様のお肌が如何に素晴らしいかを語る。
語る、語る。終わりがこない。
彼女によると、妃様の肌というのは若い娘特有の張りがあるだけでなく、もっちりとしたみずみずしさがあるのだという。貴族娘達がこぞって保湿クリームを塗り、陽に当たらないよう、風に当たらないよう気を配る生活でなんとか維持しようとしているのに。
妃様の肌は、クリームを塗らず放っておいても一晩すれば艶艶が復活するし。きつい日差しに負けて火傷したりしない頑丈さも備えていて。
育った環境によるのか、食生活によるのかわからないけれど。とにかく、この国の中では、すごく珍しい肌を持つ人なのだと彼女は力説した。
ごめんなさい、ナーナ。
私の拘りは、眉、であって、肌ではないの。
と、何度も途中で告げてみた。
けど彼女の勢いは止まらなかった。彼女はとても語りたくてたまらなかったのだろう。しかし、なかなか彼女の熱意を受け止めてくれる人は少なく。
私は妃様のことをよく知る上、眉を見るなら肌も見るはずだから同志だと思ったらしい。
まあ、その気持ちもわからんではない。
そう思った私は。
私も彼女に、妃様の眉がどれほど自己主張激しくその存在を顔の中で訴えているかを語りはじめた。
はじめてしまえば、あとは熱に浮かされるようにテンションは上がり、語り口は止まらない。すぐにナーナの気持ちがわかってしまった。
理解など得られなくてもかまわない。
誰かに言いたかった、聞いてもらえればそれでよかっただけだった。反論なんか聞きたくない。とにかく、この熱い想いを、誰かに訴えられればそれでよかった。
私達は、互いにすれ違った語りであると知りつつ、長々と好きなことを語りあった。語りあったというか、互いはほぼ一方通行で、ナーナは肌の事を、私は眉のことを喋りたおした。
スッキリした。
ものすごくスッキリできた。
お喋りというものは、受け流されるだけでも、かなり効果があるらしい。
もしかしたら、今なら、私は眉神にも勝てるかもしれないと密かに思うほど吹っ切れた気分だった。
今度は、あの神について語ってみてもいいかもしれない。と思ったけど。
うっ。突然、込み上げそうになる。
思い描くだけでこれでは。私はすぐさま脳裏の映像を騎士ヤンジーの眉に置き換えた。
そして、私達は互いにすっきりした表情で妃様の部屋へ向かった。
さあ、仕事をしましょう。
「えっ?」
妃様が私の言葉に硬直なさった。
妃様は驚愕の表情を浮かべて本を手に固まっておられるけれど、私は特に変わったことを口にしたわけではない。
「どうかなさいました?」
「今、なんて?」
「陛下が二十九歳になられるので、今年は神殿で緑水祭儀が行われる、と……」
「陛下、二十九歳?」
「はい。そうです」
「三十九歳の間違いじゃなくて?」
「二十九歳です」
「三十って、十の三倍よ? その三十歳より前?」
「そうです。その二十九です」
「まだ三十……前……? 陛下、が?」
「……そう、です」
妃様は、陛下が二十九歳であることに驚いている。くどいほど確認を繰り返し、指で三と十を示して見せる。間違いじゃない?と。
ここまで驚くことだろうか。陛下は、貴族男性の同年齢の方々に比べると貫禄のある様子ではあるけれど、年相応でいらっしゃる。
だというのに、妃様は、陛下を四十歳くらいだと思っておられるのだろう。それは、あまりに、陛下が気の毒な……。
「あの、妃様。妃様は、陛下の年齢をどのくらいだと思っておられたのですか?」
私は訊いてみた。
三十九歳の間違いではないかと口にしているのだから、大体の予想はついていたけれど。
「四十過ぎだと思ってたわ。まだ二十代だなんて……老け過ぎ……。働き過ぎじゃないの?」
四十前ではなく、四十過ぎだと思っていたらしい。妃様の親のような年齢だと?
たしかに、お二人が一緒の場面はそう見えるとはいえ。それは、妃様が子供に見えるからであって……。
妃様のお国の方々は、若く見える人ばかりなのだろう。妃様と同じく。
だから妃様にはこの国の人々は思った以上に老けて見えてしまうのだ。
ならば、陛下以外の年齢も当然誤解しているのでは。
そう思った私は、妃様に問いかけた。
「陛下が老けているなんて誰も思っておりませんわ。妃様は、騎士ボルグが何歳くらいに見えるのですか?」
「五十前?」
ぐっというくぐもった音があちこちから上がる。私も、思わず口元を引き締めた。
騎士ボルグが気の毒すぎて。確かまだ三十くらいだったはず。
「私は、どのくらいに?」
「二十八」
私は、言葉を失った。
男女に関わらず、妃様はこの国の容姿から年齢を推測することができないらしい。
妃様のお育ちになった国は、この国の人々に比べ相当に若く見えるのだろう。
「私はまだ二十歳になったばかりです」
「え? ええーーーっ。あっ、あのねっ、さ、最初はリリアのこと二十歳くらいかなって思ったのよ? うん、そう思ってたっ! ただね、あんまり貫禄、じゃなくて、ええっと、落ち着きがあるからね? ずっと年上かなって」
必死に言い募っておられる妃様。
侍女ごときを相手に、こうして慌てていらっしゃる妃様に、自然と顔が笑ってしまう。
ひくひくと上下する眉が、私の機嫌を取ろうと、動いているなんて。そして。
「ボルグ、ごめーーーん。もしかして、ボルグの年齢も間違えてた?」
「私は三十一になります。若く見られたくはありませんので、お気になさらず」
妃様は騎士ボルグへも謝っている。ごめんごめん、迫力あるから、とか何とか言っている。
騎士ボルグは淡々と妃様に答えていた。内心傷ついてないといいけど。
傷ついていたとしても、ああやって妃様が騎士ボルグの目の前で手を合わせて謝っているのだから、今は逆に喜んでいるかもしれない。
妃様が口元で手を合わせて頭を忙しく動かすのは、謝っていることを意味しているらしい。妃様の国でのマナーのようなものだろうか。
私にも、ごめんね、と手を合わせて首を傾げてらした。
別に怒るようなことではないので、謝っていただくのはとても困ってしまうのだった。
「妃様のお国の方は、皆若く見える方ばかりなのですね」
「そう、ね」
そう短く答えた妃様は、小さく笑った。
しばらく待ってみたけれど、妃様はそれ以上何もおっしゃらなかった。
「陛下が、二十九歳、かぁ。そんなに近い年齢だなんて思わなかった、な」
しみじみと呟かれる。
それは陛下の年齢のことだけで。妃様の故国のことについては、さりげなく拒まれたように感じた。
妃様のお国のことは、喋ってはいけないことなのだろうか。尋ねてはいけないことなのだろうか。
私は、妃様に故国のことを語って欲しいと思った。
妃となったからには、この国の女性として暮らすべきだし、故国のことを懐かしんでこの国に馴染もうとしない女性であってはならない。
でも、故国を遠く離れているというのに懐かしむこともなく暮らしておられるのはおかしい。妃様の故国を知る者がここには誰もいないとしても。
一人の時に思い出しておられるのだろうか。
故国のことを語っていただけないのは、妃様に信頼されていないからなのではないか。
事務官ユーロウスに聞けば、妃様の故国のことを知ることは出来るだろうけれど、そうする気にはならなかった。
いつか妃様に故国のことを語っていただけるように、信頼を得られるようになりたい。
今は無理でも。いつかは。
その夜、訪ねていらした陛下に。
「ごめんね」
と、妃様は謝った。
その謝罪は、昼間の陛下の年齢誤解のことなのだと私には察することができたけれど。唐突過ぎて、陛下に意味が通じるはずはなく。
「何がだ?」
そう答える陛下の声は不穏な響きを帯びていた。
妃様はそうした陛下の様子の変化をたいして気にも留めることなく。スタスタと戸棚に向かい、置いてあった瓶を持ってきてテーブルへと持ってくる。
それは妃様の夜用の化粧クリームだ。
妃様はその蓋を開けながら陛下へ話しかける。
「陛下にも、私と同じクリームを塗ってあげるわ。明日の朝にはとってもしっとりするから、陛下ももうちょっと若く見えるようになるはずよ。さ、ここに座って」
そう言って、瓶からクリームをたっぷり手に取り、妃様は陛下にソファを指した。
陛下はよくわからないまま、妃様の指すソファに腰を下ろす。
妃様は陛下の膝の間に立つと、クリームのついた手で陛下の顔を撫でた。額や頬や首などをぺたぺたと小さな妃様の手がクリームを塗り広げていく。
陛下は黙っていたが。妃様がクリームを塗り終え、片付けようとする妃様の後ろから陛下がその小瓶を取り上げた。
そして陛下はクリームを少し手に取り、妃様の手に塗りはじめる。妃様の塗っていたのを真似るようにして。
「ちょっと、私はいいのよ。もう塗ったんだから」
「そなたの肌にはまだ足りぬようだ。余が塗ってやろう」
「だから、もう塗ったんだって!」
「もっと塗った方がよい」
「ち、ちょっとっ! クリームが必要なのは陛下の方なのよっ」
「では、そなたにも塗らせてやろう。後でな」
「何してっ、ちょっ、まっ、陛下っ!」
いつの間にか不機嫌な陛下は消え去っておられた。陛下は楽しそうに妃様の服を脱がせ、妃様は慌てて逃げようとなさる。
いつもの仲の良いお二人だった。
私とナーナは寝室の隣の部屋へと下がった。
ナーナはと見れば、彼女は宙を見つめて思案顔で。
「もっとトロっとしたクリームの方がいいかしら」
ぶつぶつと呟いていた。
新たな化粧品の構想が浮かんでいるらしい。
私はといえば、明日の朝の妃様の不機嫌顔が予想でき。妃様のご機嫌回復のための何かないかと思いを巡らせた。
そうして今日も平和に夜が更けて行くのだった。




