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侍女リリア視点(11)◆妃様の周辺は静かに動く◆

長いです。シリアスちっくです。m(_ _)m

 王宮では多くの人が忙しそうに働いている。来客用の正面でもなければ、優雅な雰囲気などない。少し前に新規部門ができたり、部門統合があったりで、まだ落ち着きそうになかった。私の所属についても変わったばかり。ナファフィステア妃の関係部門はすべて陛下直属になった。その中でも妃様部門は独立できる体制が整えられつつあり。妃様が王妃になる準備ではないかと勤める者達の間で噂になるのは当然のことだった。そんな状態ではあったけれど、噂好きの貴族の人々はその話題を笑って無視していた。陛下の怒りを買ってしまった妃様は王宮を出されるとの見方が大半なのだ。部門構成や人事異動での変化は静かであり、当事者でもなければ私も気付くことはなかっただろうと思う。ヒシヒシと自分にのし掛かってきそうな雰囲気が漂っている。そう遠くない未来、陛下付き女官達と同等の立場に立たされることになりそうな予感が、していた。

 ユーロウス達事務官吏や、騎士ボルグ達が小さいながらも独立部門として機能するのはいいとして。妃様付き女官の私達がなぜ?と思う。今まで通り、王宮奥女官の一人として、妃様付き担当。それでいいというのに。

 ため息を深い呼吸のふりでごまかし、私は仕事場である王宮奥へと向かった。

 王宮奥への入り口は見張りがいて警備が厳しい。いくら妃様付き女官と知られてはいても奥に入るには毎回手続きする必要があるのだ。しかし、そこにはすでに先客がおり、見張りの官吏と対峙していた。


「なぜ入れないんだ? 彼はナファフィステア妃に呼ばれているのだよ?」

「申請が通っていないのでしょう。そちらを確認してください」

「それでは約束に間に合わない。ナファフィステア妃の指定は今日なのだ。私は申請が必要だとは知らなかった。あの方の手紙には、ただ訪ねてくればいいとあったから……」

「このままでは彼がナファフィステア妃の手紙を無視したことになってしまう。君はその責任をとれるんだろうね?」


 項垂れる男性と居丈高な男性を官吏は相手にしていたが、その様子は顔を顰め面倒くさいと言わんばかりだった。官吏にとってはよくあることなのだろう。

 しかし、そこに妃様の名前が出てきたため、私は耳をそばだて彼等の話に神経を集中させた。妃様からの手紙に、今日訪ねてくるようにと書いてあったと? まだ陛下の部屋におられる妃様にそのような予定はない。

 私は歩みを止めなかったので、じきに彼等の背後に迫った。二人の男性はその装いから貴族男性だとはわかっていたけれど、項垂れていたのはなんとエッジル氏だった。彼は、前の夜会で妃様が一目でお気に召した男性だった。

 そんな人が妃様からの手紙を持っている? そんな馬鹿な。一体、いつの間に。

 私は過去の妃様が書いた手紙をすべて思い起こしていく。当然、思い当たるものなどなく。では、私の知らないうちに出されたもの?

 妃様が手紙を出すとしたら、私かユーロウスが把握しているはずだけれど。他の女官や騎士にこっそり頼んだとしたら……。

 頭の中では様々なことが考え付いては打ち消すを繰り返しており、少しぼんやりしていたかもしれない。

 そんな私に、見張り役の官吏が気付き、手で合図を送られた。それは、右手の入口へ向けており、確認したので通ってよいという意味のようだった。私は頷きを返し、エッジル氏の背後から奥入口へと差し掛かったところで声がかけられた。


「侍女リリア、二日ぶりだね」


 親しげに声をかけてきたのはアドナン様だった。エッジル氏のそばにいた居丈高な男性は彼だったのだ。こんなに近くでは聞こえないふりをすることもできず、私は振り返った。アドナン様の、にこやかな笑顔で両手を広げる仕草は大袈裟な身振りに見えた。まるで周囲の人々の注意を引こうとでもいうかのようで。


「こんな時に貴女に会えるなんて幸運だ。彼はナファフィステア妃から今日訪ねよと連絡いただたのだが、官吏に入れてもらえないらしい。日を改めるので、気落ちなさらないよう伝えくれないか? ナファフィステア妃は、とても楽しみにされていただろうから」


 アドナン様の声は、辺りの人に向けて発せられていた。私に向けてだけではなく。まるで私と親しいかのように語りかけ、ナファフィステア妃のことをよく知っているのだという彼の態度に怒りがどっと込み上げる。

 妃様はエッジル氏に手紙を出していないはずだし、たとえ出していたとしてもエッジル氏に会いたいと思っているはずがない。いろいろと考えたけれど、妃様にこっそりという言葉はない、と私は結論付けていた。ご本人がそう思っておいでになるかどうかは別として。妃様は周囲の目を気にしないために、こっそりのつもりでも注意力はかなり散漫であり、それは実現しないのだ。

 それに、妃様を簡単に独身男性に声をかけるような軽い女に分類するなどと。

 アドナン様、許すまじ。

 貴方に妃様の気持ちなど計れるはずないでしょうが! 私にだって理解が難しいというのに!

 最近の鬱憤が溜まっていたのか、ふつふつと沸き上がる怒りに、自分の顔が引きつっていくのがわかる。私などよりもはるかに上位の貴族子息とはいえ笑顔など向けていられない。いや、一応、口元に笑みを浮かべてはいる。ただ、そのまま彼を凝視している私は笑いとは程遠い感情を如実に現しているだろう。それで構わない。

 私の視線は彼の眉をとらえていたが、細眉もどきならば私の敵ではなかった。


「何か勘違いなさっていらっしゃるのではありませんか? ナファフィステア妃より手紙を受け取ったなどと、嘘を騙ると咎めを受けますよ?」


 私はつとめて冷静な声で彼等に話しかけた。それに対して、エッジル氏は戸惑いを、アドナン様は怒りを表した。


「嘘だと? 侍女ごときが我々を侮辱する気か?」

「今日、ナファフィステア妃とエッジル氏の面会がないことは事実。そして、ナファフィステア妃から手紙を受け取ったなどと陛下のお耳に入ればどのようなことになるか。エッジル氏はご存知ありませんの?」


 エッジル氏は前回の夜会で陛下の厳しい視線を受けている。妃様と話していただけで。そこで陛下の機嫌を損ねたにも関わらず、この所業。ちょっと考えれば、妃様と親しいなどと公言することの危険性はわかりそうなもの。貴族家を継ぐ者であるなら、当然、陛下から疑われるようなことはすべきではない。その地位は簡単に取り上げられてしまうのだから。

 アドナン様は、睨まれはしても咎めを直接受けることはないかもしれない。エッジル氏が困っているようだったから口を出しただけ、という立場だから。しかし、エッジル氏の態度とアドナン様の態度には大きな違いがある。エッジル氏は普通に奥へ入ろうとする者達のように官吏へのみ対している。ところが、アドナン様は官吏と話す内容を周囲に知らせるという目的をもっているように思える。私を巻き込んで。

 ナファフィステア妃が陛下の怒りを買ったこの時に、より決定的なことを陛下へ印象付けようとしているのかもしれない。妃様がお気に召したという男性と密かに連絡を取り合っていると。それが事実であろうとなかろうと疑惑が残せたなら効果は高い。陛下の寵愛をナファフィステア妃から完全にそらせるかもしれないのだから。

 そのためにアドナン様は私に近づいていたのかと思うと、彼に言葉を返した過去をすべて消してしまいたい。きれいさっぱり無視してしまえばよかった。情報を漏らしたりするだけではなかったと今頃気づいても遅い。私が悔やみつつもその怒りを瞳に込めてアドナン様とエッジル氏を交互に睨んでいると、エッジル氏が口を開いた。


「おかしいとは思った……。読んだら手紙を燃やして欲しいなどと書かれてあったから。ここは出直すことにします。お騒がせしました」


 エッジル氏はアドナン様や私、そして、官吏にも申し訳なさそうに告げた。


「何を言っているんだ? ナファフィステア妃からの手紙を無視するのか、君は?」

「ここで騒いでも通してもらえるわけではありません。彼女が言った通り、私と会う予定はないのでしょうから」

「こんな我々を侮辱するような者の言う事を信じるのか?」


 エッジル氏は意外にも簡単に引き下がろうとしていた。私に対して何かの感情を向けるでもなく、隣のアドナン様の意向を尋ねるでもなく。エッジル氏は手紙を無視することはできず確かめたかっただけなのかもしれない。そして、アドナン様と連れだっているのは、エッジル氏の望むことではなかったのだろう。極力、事を大きくしたくないと考えているらしい。それはそうだろう。下手をすれば、陛下寵愛の妃を奪おうとする男という立場になり、家存続が危ぶまれるのだから。

 

「そろそろお帰りになった方がいいですよ。ナファフィステア妃から連絡をもらったと騙る人は時々います。女官に頼まれてとか、なんとか申請許可なしでも奥に入ろうとする人は後を絶ちませんのでね。今ならそんな中の一人ですみますが、これ以上騒ぐと、侍女リリアの言うように騎士達から詰問を受けることになります」


 私達の間に、見張り役官吏からの言葉がかけられた。

 真っ先にエッジル氏が礼をして踵を返した。急いでいるわけではなかったけれど、早くその場から立ち去ろうとしているようだった。アドナン様は、私を睨みつけ。


「ナファフィステア妃も大変だな。こんな気の利かない侍女がついているのでは。だが、ナファフィステア妃にエッジル氏のことは必ず伝えろ」


 そう言い捨て、彼は去った。

 エッジル氏のことなど伝えるわけがないでしょう。ふんっ、と後ろ姿に鼻息で返した。正面切ってそうできなかったのは、やはり根が小心者だからだろうか。

 そうして、やっと戻ったいつもの奥入口の様子に、私はふうっと溜め息をついた。


「ナファフィステア妃から手紙をもらったと偽る人がいるのですか?」


 私は官吏に問いかけた。別に咎めようというつもりはなかったのだけれど。官吏は苦笑を浮かべた。


「ほとんどが申請のことを知らない売り込み商人ですよ。上位貴族につてのある店が情報を独占してしまっていたりするのでね」


 官吏は内緒ですよと前置きしてから、詳しく説明してくれた。

 陛下の御用達にはほとんど変化はないため、ナファフィステア妃の御用達看板が欲しいと思っている店は多い。しかし、上位貴族の後押しによりナファフィステア妃への面会機会の大部分を一部の者に独占されている状態らしく。上位貴族との繋がりが物を言うのは常であり、何事も公平にというのは難しい。

 ところが、ナファフィステア妃がベルクナン靴店を指名したのがきっかけで、妃様へ直接訴える方法に出る店主が現れはじめた。その行為は、店取り潰しの危険をはらんでいる。エッジル氏のような貴族家を潰すのに比べれば、いとも簡単に実行されるのだから。しかし危険性を十分理解した上での彼等は、腕には自信があり、また生活がかかっているので貴族の彼等とは必死さが違っていた。

 ベルクナン靴店とは、王都では名の知れた上質かつ高価な靴店である。貴族家とのつながりが薄く、美しさよりも履き心地を優先することもあって貴族相手の商売は難航していた。しかし、その履き心地から、拘りのある人々には絶対的支持を受けていた。そんなベルクナン靴店が妃様に面会したのは、今では妃様御用達ドレスメーカーの一つとなったマカレイア子供服店の連れとして妃様の衣装合わせに同行した時だった。

 その時にはドレスに合わせたその場限りの仮靴を持参していただけだった。だが、あまりに履き心地が良く、妃様はすぐにお気に召され何足も注文することになった。

 ベルクナン靴店は一度の王宮奥訪問で御用達看板を得た。いいものであれば上位貴族の後ろ盾がなくとも認められる。その逸話は王都中に広がり、商品や腕に自信のある者達は、こぞって直接ナファフィステア妃へ売り込みを!と思ったらしい。第二のベルクナン靴店を目指し、王宮への直接売り込みや申請が殺到。何度も申請への誘導を行っているが、それでもなお申請を知らず直接奥入口まで店命をかけて乗り込んでくる者はいるのだという。今では王都の外にまで噂は広がり、地方領地からもやってくるらしい。そういう熱意ある者が咎められないよう、見張り役の官吏達はこっそり申請の方法を教えている。悪質な者は申請しても受けられないはずと考えて。

 それと同時に申請業務の官吏からは毎日のように文句を言われるらしい。


「そのうち国を越えて売り込みに来る商人も現れるかもしれませんよ」

「そんなに噂が広がっているのですか?」

「商人の情報は早いですからね」


 私は官吏の話を聞き終え、妃様の元へと向かった。

 ちょうど妃様は針子達に囲まれて、新しいドレスを合わせているところだった。妃様は王宮へ居を移した時ドレスをほとんど持っておらず、まだ作っても作っても足りない状態だった。普通の貴族女性ならば新しいドレスを作ることをとても喜ぶというのに、妃様は虚ろな瞳で宙を見ている。ほんとうにドレスを作るためのこうした工程が苦手でいらっしゃる。

 私は笑いが漏れそうになり、視線を落とした。妃様にはもう少し頑張っていただかなくてはならない。冬服は夏服よりも作る手間が違うので、いくつも今のうちに準備しておかなければならないのだ。

 妃様は冬服を一着もお持ちではなかった。昨年はどう過ごされたのか。王宮へ居を移す前の様子を騎士ヤンジーから簡単に説明を受けてはいたけれど、実際に妃様の荷物が運びいれられた時には女官達の誰もが唖然とした。もっておられた衣服は何度も洗濯を繰り返し、くたびれたものしかなく。使えるものは一つもなかったのだ。美しいドレスが一着あったけれど、袖を通した跡はなかった。それは陛下から妃様へ贈られたドレスらしいけれど、妃様にはとても不似合いだった。せめてそれが冬服ならば、どんな形でも袖を通したかもしれない。それほど、寒々しい服しかお持ちではなかった。

 思い出すたび、妃という地位にありながら妃様があのような処遇を受けておられたことに怒りが湧いてしまう。以前そばについていたという女官にも、恐れながら陛下にも。もちろん、今では、陛下のご配慮で存分に仕度が整えられるのだから、そんなことを思うのは一瞬のことなのだけれど。

 妃様は過去のことをほとんどお話にはならない。後宮にいらしたときのことだけでなく、妃様のお育ちになった国でのことすら。そこには何らかの考えがおありなのだろうか。妃様が思い悩まれる姿を見ることはないけれど、意図的に隠されていることはあるのだろう。

 現在、虚ろの瞳の妃様は、何かをお考えなのだろうか。


「妃様っ、妃様っ、起きてらっしゃいますか?」


 妃様がガクッと膝を折ってしまい、針子達が慌ててその身体を支えていた。


「あっ、ごめん。寝そうだったわ」


 いけない。妃様が限界を超えていたのに気付いてなかったとは。ここが陛下の部屋ではないために油断してしまった。


「妃様。この後は、町から取り寄せた新しいお菓子をご用意しております。もう少し我慢なさってください」


 私の言葉の、主に、『新しいお菓子』に反応した妃様の瞳はシャキンと焦点を取り戻した。力強く頷くと背筋に力を入れて立つ。

 妙な事を考えるのはやめよう。頭を軽く振り、私は針子達の仕事を見守った。


 忙しなく動く針子達は、このドレスのデザインのポイントとなる大きなリボンの位置を決めかねているようだった。

 妃様は背が低い。通常の十二~三歳程度の背丈しかなく、骨格も細い。それでいて、本当の子供と違って胸があり腰がくびれている。そのため、子供と同じ服のデザインは微妙に似合わない。

 だからといって大人の女性のドレスを妃様にあわせて小さくしたとしても、全く似合わない。その小さな身体に対して、顔は決して小さくはない。黒髪をアップにすれば頭はとても大きく見える。そして、妃様の背が低い要因は手足の短さにある。一般女性の体型とは全く異なりバランスが悪すぎるのだ。そのバランスが、妃様の外見を子供に見せていた。

 そんな理由から、普通のデザインはことごとく似合わない。陛下が妃様に贈ったドレスはその典型とも言える。裾を妃様の身長に合わせて切っただけでは、妃様のバランスの悪さを強調するだけになってしまうのだ。

 そのため、妃様だけのデザインを考える必要があった。そこがドレスメーカーの腕の見せどころであったけれど、難しいことなのだろう。今のところ、妃様御用達ドレスメーカーは二店しかない。今、作業しているのはその二つではなく、この一度のチャンスをものにしようと懸命に悩んでいるらしい。


「ねぇ、そのリボン、後ろにあったら可愛くない?」


 妃様がぼそっと呟いた。妃様の前に跪いて作業している針子に向けて言葉をかけられたため、その針子は見上げた姿勢で硬直してしまった。針子へ直接言葉をかけるなど普通の貴族女性はしないことなので、驚いたらしい。店の代表者ではないけれど、彼女がデザインの決定権をもっているらしいことは作業する様子から察せられたので、妃様は彼女に声をかけたのだろう。彼女は背後を振り返って、店の代表者を見た。しかし、店の代表者としても妃様の対応は予想外だったらしく戸惑っている。

 そして妃様はじっと彼女の反応を待っていた。

 彼女は妃様へ視線を戻し、胸元にあてていたリボンを持って中腰になった。


「後ろに飾ってみます」


 そういって中腰のまま妃様の背後にまわった。それに合わせて他の針子達も他の飾り部分をもっての移動。

 結局、最初のデザインとは異なるけれど、妃様の背後に大きめのリボンが斜めに飾られ、そこから裾へとリボンの紐が伸びるというデザインに落ち着いた。全体的にすっきりとした大人っぽいデザインでありながら、妃様の背の低さを問題にすることのない斬新なドレスとなった。


「これは美しいですね。陛下が妃様を左腕に抱き上げられたとき、きっと背中のリボンがとても可愛らしく見えますわ」


 私はつい陛下に抱きあげられた妃様を想像し、口に出してしまっていた。そのドレスはそういう場面にぴったりだったのだ。

 うっかり軽口をと思ったけれど、私の言葉に針子達もその様子を想像したのだろう。誰もがほうっと熱いため息をつき、妃様のドレスを眺めていた。


「陛下の腕に妃様……。さぞお可愛らしいのでしょうね」

「ドレスがね」


 店の代表者の声に、妃様はちょっと拗ねたように口をとがらせて呟かれた。照れていらっしゃるらしい。


「できたら、陛下に抱き上げてもらおうかな」


 妃様もお気に召したのか、完成を楽しみになさっているようだ。その妃様の様子に針子達は誇らしげだった。

 ドレスを仕舞い、針子達や関係者達は顔をゆるめながら帰っていった。そのドレスはいい出来になりそうだったし、店の代表者は満足な様子の言葉を残した。


「たとえ御用達になれなくとも、陛下と妃様の仲睦まじい日の中に自分の店のドレスが加わることは、この上ない幸せです」


 このドレスメーカーは妃様御用達に加わるだろう。こうして御用達店が着々と増えるものもあれば、一向に増えない分野もある。それは宝飾品である。貴族女性の誰もが首元に飾る、必需品とも呼べる物なのだけれど。妃様御用達がないばかりか、妃様の胸元に飾られることすらないのだ。どの宝飾品の店主も、このドレスメーカーの人々のように努力しない点が大きいと私は睨んでいる。彼等は妃様に全く似合わないものばかり提示を繰り返していた。そして、妃様がご要望になる小振りで繊細なデザインについては作ることを拒否する。貧乏人向けの品は扱わないといって。宝飾品店は多くの貴族を顧客に持っているため、下手には出ないのだろう。彼等は貴族達の考えに染まっており、妃様はいずれ陛下の寵愛を失う存在だと思っているのが感じ取れるのだ。

 妃といえば美しい高価な宝飾品を身につけるのが当然であるので、この事態は頭の痛いことだった。しかし、妥協はできない。いくら高価なものであっても、妃様に似合わない品を身につけることはお勧めしたくないし、するつもりもない。妃様も、自分に似合うデザインをおおよその見当がついているらしい。何度も提示しているくらいだから。

 見張りの官吏が言っていたように、外国から妃様へ宝飾品を売り込みにこないものかと思ってしまう。国内の宝飾品店は、貴族との繋がりが強すぎるため、今後も期待できそうにない。事務官ユーロウスに提案しておこう。



 約束のお菓子とお茶をお出しして、妃様が陛下のお部屋へ戻ったのを確認して今日の短い仕事は終了した。陛下付き女官達の目にさらされていないと、こんなに楽なのかと実感する時間だった。

 足取り軽く王宮奥を出る。

 すでに奥入口の見張り役官吏や騎士達は交代していた。

 王宮の廊下を歩いていると、庭園にキラリと光るものを視界にとらえた。言わずと知れた、本物の、ドーリンガー卿である。一瞬であれば大丈夫。私は自分に自信を持った。ちょっと全身に力は入ってしまったけれど。視線をそらして廊下を回り込む。彼等の視界から、私の視界から外れるように。柱の向こうで彼等が私の左を通過しようとしているのを耳に届く音で測る。

 横を見ない。顔は前方固定。

 息を飲み首に力を入れた。

 ザッ、ザッという二人の男性の足音が近づく。そして、その会話も。


「あの馬鹿のせいで、エッジル氏が使い物にならなくなった」

「はぁ。功を焦ったのでしょう。成果が上がっておりませんでしたので」

「自覚のない馬鹿はどうにもならんな。馬鹿は馬鹿だ。言うとおりに動けばよいものを、それすらもできないとは」

「はぁ。して、どうなさいますか?」

「邪魔だ。北にやれ。おもしろい実験をしているらしい。馬鹿ほど役に立つだろう」

「一人息子ですし、フォレング卿が承諾するでしょうか?」

「承諾させる必要はない。馬鹿は自ら勝手に北へ行くのだから」

「承知いたしました」


 馬鹿……フォレング卿の一人息子アドナン様のことだった。北にやる、とはどういう意味なのだろう。ドーリンガー卿は、一体何をしているのだろう。彼等の会話の意味は、私の背筋に寒気をもたらした。明確な意味を掴めたわけではなかったけれど。いとも簡単に取り巻きの一人であったはずのアドナン様を切り捨てた。そして、何かをさせようとしている。

 それ以上、会話を聞きとることは出来なかった。彼等が歩き去ってしまったから。

 私は前を向いたまましばらく力を抜くことが出来なかった。


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