侍女リリア視点(5)◆ご機嫌伺い2◆
本日は陛下の従弟ドーリンガー卿が妃様の元へご機嫌伺いに来られる。彼の方に見つめられれば、どんな女性も息が止まってしまうと評判の見目麗しい男性である。
朝から、女官達はそわそわしており、使用人用の部屋にはいつもより倍の人数が詰めていた。今日は休みであるはずの女官も無給でいいから仕事を与えて欲しいとやってきているのだ。
人数多くても、ドーリンガー卿を拝顔できるほど近くに行ける仕事は数人なのだけど。
そういう私は、妃様のそばに控えるので、確実に拝顔できるわけで。このポジションを譲るつもりはない。そして、全く何の期待もないかといえば、そんなこともなく。
理想の男性と一目で恋に落ちるお伽噺を、夢見ないといえば嘘になる。ありえないことだと知りつつもそんな現実が訪れるかもと夢をみるくらいは許されるはず。
他の女官達と同じく、私もそう思っていた。態度には出さなかっただけで。
お伽噺が現実になるなんて奇跡であり、それはほぼ無いに等しい可能性と理解してはいる。でも、それはそれで、全否定することはないと思う。
ドーリンガー卿が理想の男性というわけではないけれど、一目で恋をするなら、それなりの見目麗しさが望ましい、やはり。
それほど世間に知れ渡った人気の高いドーリンガー卿とお会いになられる件について、妃様は「ふうん」といつもと変わらず聞き流していらした。
女性なら誰もがそわそわしているというのに、いくら身分が高い方とはいえ落ちつきすぎていらっしゃるように思えた。
妃様は、恋愛お伽噺が大好きでいらっしゃるというのに。ドーリンガー卿のことをご存知ないからかもしれない。
でも。もしも、妃様がドーリンガー卿と恋に落ちてしまわれたら?
妃様の陛下に対する態度から、恋に落ちているとか愛情を感じていらっしゃる様子は、無い。全くない。
そんな方が、突然、卿との恋に嵌ってしまわれたら?
陛下の寵愛を考えれば、それはとても危険なことなのでは?
私の高揚する気分は一気に冷めてしまった。妃様にとって、これは将来を左右する重大な事なのではないのか。
私は急いで事務室へ向かった。
「ナファフィステア妃がドーリンガー卿に好意をお寄せになってしまうかもしれないと心配ではないの?」
私は非難を込めて事務官ユーロウスに尋ねた。
けれど、ユーロウスはへらへら笑っているだけ。
卿の笑顔に妃様が心動かされでもしたらどうするのだろう。
妃様はお若い。今までご機嫌伺いに来た貴族男性には全く心動かされた様子はなかったけれど。噂のドーリンガー卿であれば、妃様のような小娘を落とすくらい簡単なのではないかと思ってしまう。
卿との恋に破れた貴族女性の愚かな行動が、時々話題になるけれど、そこに妃様の名を連ねていただきたくはない。
そんなことになれば、妃様は陛下の寵愛を失ってしまうに違いない。
だというのに。
腹立たしい思いでユーロウスを睨みつけていると、彼はわざとらしく肩をすくめた。
「大丈夫。ナファフィステア妃はドーリンガー卿のことを覚えられなかったくらいだから」
「覚えられなかった? お会いになられたことがあるの?」
「あるよ。陛下と王宮の夜会で。ナファフィステア妃は顔を覚えるのが苦手でいらっしゃるから、興味のない方は特に覚えられないらしい」
ユーロウスはその後、自分はすぐに覚えてもらえたけどね、と自慢げな一言を口にしていた。単に、そのひょうきん顔が記憶に残りやすかっただけでしょうに。
それにしても、あのドーリンガー卿にお会いして、覚えられなかった?
夜会の場は薄暗いから、背の低い妃様にはよく見えなかったのかもしれない。きっとそうに違いない。あのドーリンガー卿なのだし。
でも、余裕のユーロウスからはこれ以上どうにもしようがなく、黙って引き下がるしかなかった。
去り際、妃様がドーリンガー卿にうっかり惚れでもしたら、責任を取りなさいよ!と思いっきり睨みつけておいた。
午後、ドーリンガー卿がスマートな物腰で爽やかな笑顔ととも現れた。その姿に、私は思わず溜め息をもらした。
本当に美しくていらっしゃる。
「また、貴女にお会いできる日を、待っておりました。ナファフィステア妃」
声を落とし、しっとりと濡れて輝く瞳でじっと妃様を見つめるドーリンガー卿。切なさが溢れてくるようで。
その姿はうっとりするほど絵になる光景だった。
が。
妃様はいつもと同じ薄い笑顔を顔に張り付け、黙って椅子を指し示した。今まで訪れた貴族男性の時と同様、手を差し出そうともなさらない。
その素っ気なさに、怯んだのはドーリンガー卿の方だった。
ユーロウスの言ったとおり、妃様はドーリンガー卿にまるで興味がないらしい。
その妃様の様子に、私は我に返った。
ドーリンガー卿の笑顔に誤魔化されている場合ではない。他の女官はと見れば、溜め息まじりで卿の様子にうっとり見入っている。
「次回お会いする時には、ぜひ、この手を取り、踊っていただきたい。陛下のいないところで」
妃様のそばで卿の言動を冷静に見ていると、意味ありげに言葉を区切り、妃様へ視線を投げかけ。それは芝居がかった仕草のようにも思える。それを美しい男性がスマートにできるところが素晴らしいのだけれど。
「ここで? それはお断りね」
淡々と答える妃様。
あまりご機嫌がよろしくないらしい。卿は、ここで踊りたいなどと言ってないのに、この返答とは。
「ここではありませんよ。次の夜会で。貴女とともに星空の下を歩けたなら……」
「夜の散歩は禁止されているの」
「私と一緒なら許されますよ。王宮の庭はよく知っております。夜になると趣が変わりそれは美しい。そこに麗しい華のような貴女がいらしたら……。私をぜひ喜ばせてくださいませんか? 夜に輝く美しい貴女のお姿を」
「虫は嫌いなの」
「虫がお嫌いとは、お可愛らしい。何からも必ず貴女を守ってさしあげます」
「……そ」
投げやりすぎます、妃様。いくら芝居がかっていてうっとおしいと思われても、会話を放棄してはいけません!
卿から視線をそらせて宙を見つめる妃様に、私は非難を込めた視線を送った。それを受け、妃様は少し反省なされたのか、卿へと向き直られた。
卿は、妃様になんとか取り入ろうとしていた。今までの貴族男性達とは違い、その意欲は買うべきだろう。けれど、まずい手段に固執していた。卿は、妃様がその笑顔に反応しなかった時点で、方向転換をすべきだったのだ。
その笑顔が全ての女性に対して最強無敵だと思い込んでいるのは非常に残念である。
結局、ドーリンガー卿は長く居座ったけれど、妃様から何の約束も取り付けることができないまま部屋を後にされた。
最初は爽やかで素敵だと思っただけに、失敗した卿にひどく落胆した。卿が自惚れ屋だと知りたくはなかった。
しかし、女官達はそうは思わなかったらしい。もう一度いらっしゃればいいのに。素晴らしいお声と笑顔で。あんな風に見つめられたい。そんな意見が多数だった。
妃様が全く反応しない点については、妃様はお子様でいらっしゃるから、と。言葉にはしなかったけれど、私のこともそう思っているようだった。
顔がいいというのは、それだけで多くの難を隠してしまうものらしい。
妃様のそばでは、こうも見方が変わってくるものかと残念でならない。当代一の美貌の男性が、自分の中では、ただの顔だけ男になり下がってしまうなんて。
あり得ない夢の終わりは、サラッと終わりたかった。
他の女官達と同じように、あの方は素敵だったけど現実には何も起こらないわよね、と。余韻を楽しむ女官達が、羨ましかった。
ふーっ。
と、大きな息を吐きぐったりとソファにもたれかかる妃様は、いつもよりもお疲れのご様子だった。
「お疲れでございますね。ドーリンガー卿は女性には人気の殿方ですのに」
「人気なの? 眉無しが?」
ぐっ。
吹き出しそうになるのをこらえ、変な音をたててしまった。
本当に眉が無いわけではない。社交界の若くお洒落な男性達が眉を細く整えているのだ。ドーリンガー卿が流行らせたとも言われていて、特に細い。それが、妃様にとってお洒落には思えないのだろう。それどころか、変だと思っておられるらしい。妃様の黒い眉はそれははっきりと存在を主張しており、そういう顔を見慣れていれば、確かに、卿は。
眉無し……。
言葉を思い浮かべただけで笑いがこみ上げるので、考えないようにしなければ。眉無しって。うぷっ。
妃様を心配する必要がないというユーロウスの意見は正しかった。
そして夜。
妃様はいつもよりお疲れだったのだろう。早くに眠っておしまいになられた。
その後、陛下がお越しになられ。
「ナファフィステアっ!」
陛下は今夜も妃様を起こそうとなさっているらしい。その声は苛立っており。
二夜連続でお越しになれなかったせいかもしれない。ドーリンガー卿が妃様を訪れたというのも陛下が不機嫌な理由の一つだろう。妃様が素っ気ない対応をなさったことも御存知のはずなのに。
あんなに気持ちよさそうに眠っておられる妃様を、よく起こそうとなされるものだと思う。
「へ…か?」
妃様はしつこく耳元で呼ばれ、目を覚まされかけているらしい。うにゃむにゃと何かの言葉を呟かれる。それは妃様の母国語らしき言葉で、何を言っておられるのかわからない。
しかし、言葉を発するようになれば目覚めも近い。
「ナファフィステア」
それを知っている陛下の声のトーンが一転した。苛々していた先程までの陛下はどこへ行ったのか。
「へっか? ねた。うーっ、わたし、ねる。あっち、いけー。ねーたーっ」
寝ぼけていらっしゃるので、妃様は言葉がうまく話せない。我が国の言葉はとっさには出てこないらしく、妃様は片言の単語でしゃべろうとなさっているらしい。
陛下は寝ぼけ気味の妃様もお好みだった。発音がおぼつかないので、妃様はまるで子供が甘えているようで。きっと、その仕草も子供っぽくていらっしゃるのだろう。
「ねーるー、わたし。ね?」
間延びした妃様の言葉は陛下によって遮られてしまったらしい。
今夜、妃様は遅くまで寝かせてもらえないだろう。陛下は妃様を気遣って手加減なさっておられるけれど、その分、どうしても時間が長く……。
卿への対応に比べると、妃様の愛情が陛下に対して全くないわけではない、のかもしれない。
それは希望的観測が過ぎる……。
私はそれについて考えるのを止めた。
他に考えておくべきことがあったから。
妃様の明日のお食事を変更しなければ。
体力回復のための肉類を増やした方がいい。
仲の良いお二人のお声を遠くに聞きながら、私は朝一番に厨房の料理人へ届くよう必要なことを書き留めたのだった。