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 うだうだしている酔っ払いをケンジが半ば担ぎ上げ、ナツコが支払いを終えて店の外に出る頃には、遅ればせながらシズが夢の世界に旅立っていた。やれやれと二人は目を見合わせる。


 運転手であるケンジは一滴も飲んでいないので、回した車の後部座席にシズを転がし、助手席に腰かけたナツコを確認すると車を静かに発信させた。

 車内では規則正しい寝息が聞こえる。

 そんな様子を見遣ってから、ナツコはあーあと息を漏らした。


「今回はさすがに長かったわー」

「……ま、でもまさか馬鹿アランがさらなる馬鹿をしていたとは知らなかったしな」

「あー、避妊せずにってアレ? それはシズもキレて当然よねえ。男にはやっぱり女側のリスクなんか予想もつかないってわけで」

「耳に痛いな……」

 

 ずけずけと物を言うところはシズにそっくりだが、ナツコの方がさらに舌鋒鋭いかもしれない。ケンジはハンドルを握りながら肩をすくめた。


 男だって無闇やたら好き勝手にしたいわけじゃない。それでも年に何度か、気分が盛り上がった時なんかは特に、『今日くらいはいいんじゃないか』なんて安全日かどうかを彼女に問うこともある。

 ナツコの場合は非常にしっかりしているので、絶対にそんな甘えは許さないのだが、誇らしい反面、寂しい気もする。……なんて、わかっている事実を前にしてもあの手この手で言い訳を考えたり、筋の通らない正当性を主張してみたくなるのが、男は子供だと言われる所以なんだろう。


 そんなケンジの内心の自嘲を知るはずもないのに、ナツコは少しだけ声をやわらげた。


「でも自分で言ってたけど、結局アランに甘いこの子だって悪いのよ。流されたってことは、許してたってこと。まあ結果的に、宇宙にヤリ逃げなんていう予想外の展開が待っていたのは本当に気の毒だったけど、子供が出来てもいいって思ったのはこの子自身でしょ。それにほら、禁酒してた期間があったって言ったじゃない?」

「ああ、聞いたな」

「よく思い返してみれば、あの頃ってちょっと酷い風邪ひいてたこともあったのに、薬も飲まずに自然治癒に任せるとか意味不明なことも言ってたの思い出したわ。……仮にも婚約した相手の子供だから堕ろすっていう選択肢が浮かばなかったにせよ、細心の注意を払っていたんだって今さら気づいた。一人でも産む気だったのよ。真剣にね」


 妊娠していなかったことに安堵したこともまた本当なら、もし妊娠していたとしても全力でその子を愛しただろうことも本当だ。

 ただ出来ることならば、誰しもが覚悟を持って迎えられるときにそうなりたい。愛する人の子供と、愛する人と楽しみに待てる環境で待っていたい。


 ――シズの気持ちが、ナツコには痛いほどよくわかった。


「シズはやっぱり甘いから、あたしがアランに説教しなくちゃ。今まで一人にしてきたことと、今回一人にしたことは全然別物よ」

「あいつがシズに振られて残念会になんなきゃいいがな」

「あー、それはないわよ」


 幼馴染に待ち受ける判決を予想して少しばかり不安になったケンジを、あっさりとナツコは否定した。自らの口で「引導を渡したら」なんて勧めていたくせに、その口調はどこまでもあっけらかんとしていて、何でそう思うんだとケンジは問う。


「だってねえ、付き合い始めて六年以上。振り回され続けて何度も怒って泣いてきたっていうのに……ねえ、ケンジ気づいてる? この子、一度だってアランのこと『嫌い』とも言ったことないし、ましてや『別れる』なんて口にしたことないのよ」


 心底可笑しそうにナツコが笑うので、どうだったかとケンジも記憶に馳せた。


 最低だ、馬鹿だ、勝手だ、子供だと、悪態だけは山のようについていたシズ。でもたしかに、ナツコとケンジのように派手な言い争いを演じたこともなければ、冗談でも別れるという選択肢を提示したことがない。


「あたしたちの場合は『別れる』っていう言葉を、相手を試すような気持ちで使えるけどね。シズとアランの間じゃ、間違いなく最後の最後に用意された一言よ。シズを愛しすぎちゃってるアランのこと、この子自身だってよくわかってるもの。ほんの少し、軽いつもりで口に出したとしたって、シズが好きすぎるアランは真に受けるわ。シズのためを思って本当に離れることを選ぶ。でもアラン自身がそれじゃあ辛すぎるから、きっとどっかの国にいなくなって永遠に戻ってなんか来ない。シズの前から本当に消えちゃうわ」


 それを知っているシズは、絶対に『嫌い』とも『別れる』とも言わない。最低で馬鹿で勝手で子供なアランを、何度でもいつまでも待っては、ほんの少しの逢瀬をして見送る。


「心が広いと言うのかな」

「逆よ。すごく狭いの」

「……というと?」

「甘やかして、許して、そうやってどこに行っても帰ってくるように縛ってるの。どんなにアランがふらふらしても、最期には自分のところに帰ってくるように。あの女優の件、面白くないのは本当だろうけど、たぶん少しも本気にかしてないわ。シズは傲慢なほどにアランの愛情を独り占めしている自覚を持ってる。……でもそうね、もし手紙が来なかったら――『迎えに来て』っていうあの伝言がなかったら、今度こそ終わったかもしれないわ」


 そのときは、例えアランの子を産んでいたとしたって、シズは彼を切り捨てただろう。弁明の余地も与えずに、シズの人生から跡形もなくアランを弾き出したはずだ。


 ――自由でいたい。好きなことしかしたくない。


 だからアランは欲望に忠実に、シズを放ってどこにでも行く。有り余るほどの世界に対する興味の赴くままに、あらゆる物事に手を出しては遠くに行ってしまう。

 でも相反する心があるから、真に自由気儘が許される独りにはなれない。


 ――シズのずっと側にいたい。


 ――それが出来ないから寂しい。つらい。悲しい。


 ――好きで好きで好きで。


 ――愛しているだけ愛されたい。


 一つしかない身体に無理に押し込められた、心と衝動を持て余しているアラン。あまりにそれが大きすぎて、ときどき自分でも抑えられなくなるから、帰ってくるたびにシズに甘え倒す。本当はもっと他にしてあげたいことがあるだろうに、シズを感じていろんなものを大人しくさせるので精一杯。器用なのは外側だけで、内側は生きにくいほどに不器用。

 そんなアランを理解しすぎるほどに理解してしまったシズは、この先だってきっと彼から離れられない。嫌えないし、別れない。


「でも、アランも、少し変わったのかもね」

「ん? そうか?」


 ……だって指輪を置いて行ったのだ。曖昧で不確かな“恋人”という関係で満足していたはずのアランが、自らに首輪でも嵌めるように婚約を取り付けて行った。

 一世一代、魅惑的で、同時に危険すぎる宇宙への旅の前に。


 そうナツコが言ったなら、シズに気付かってはいたものの、低く抑えきれないというようにケンジが笑った。


「くくっ……半ノラからようやく飼い猫になる決心をしたってわけだ」

「飼い猫でも好き勝手にどっか行くわよねえ」

「首輪に名前とアドレス載せとけば、迷い猫は帰されるだろ」

「なるほど」

「本当はいつだってシズのところに帰りたいんだ。なのに外の世界があまりにいろんなものに溢れているから、知識欲の自己コントロールが利かなくて、それがもう自分でも我慢ならないくらいつらくなって。だから強制送還されるようにしたいんだ。どこにいても何をしてても、大事なときにシズのところに戻れるように」

「馬鹿だわ」

「ああ、大馬鹿だな」


 宇宙に飛び出る直前、高鳴る胸の鼓動の陰で、そんなままならない癇癪を抱えていたのだとしたら、まったくなんて生きるのが下手な男だろうか。

 でもきっとそうなのだ。

 二十八年間も幼馴染で居続けているケンジがそう想い、考えれば考えるほど面倒くさい男を愛してしまった親友を持つナツコが同調するのだから、きっとそうだ。


 海に出た船のように、宇宙を渡るシャトルそのもののように、アランというやつには港が必要なんだろう。未知と言う名のものが好きなアランは、この先も航海をやめられない。貪欲に知識を求めるアランがふと寂しいと思ったとき、孤独を感じたとき、それを唯一繋ぎとめて引き戻せるのがシズなのだ。


 そしてシズは、アランが帰ってくる限り両手を広げて待っているだろう。理屈じゃなく、もうどうしようもないほどの愛情がそうさせる。


 ――そんな風に互いが大事すぎるのに、何故か遠く離れてばかりいる二人。


「なあ、ナツコぉ」

「んー」

「この面倒くさい二人が片付いたら、俺らも将来のこと考えないか」

「あらまあ……」

「嫌か」

「嫌ではないわね」


 幼馴染に触発されたのか知らないが、酒臭い車の中で、つぶれた友人を後ろに乗せて言うことかとナツコは笑った。


「で、ナツコの予定は?」

「そうねえ。まあ今は仕事が楽しいし、遊ぶのも楽しいし。でも三十くらいであんたと結婚して、二人くらいあんたの子供産みたいかもね」

「お前が三十ってことは、俺が三十二か」

「まあまあでしょ」

「まあまあだな」


 おおむね満足のいく答えにケンジも笑う。なのに水を差すのも忘れないのがナツコだった。


「でも四年後か……続いてるかしら」

「そこは自信を持てよ」

「ええ? だって三回目のお別れがあるかもしれないし」

「四回目の付き合いをすりゃいいだろ」

「…………それこそ馬鹿みたいじゃないの」


 今までに二回別れたことのあるカップルだ。それが懲りずに二度もよりを戻した。今更もう一度離れるなんて言う悪あがきはしないと思うが、未来は何があるかわかったもんじゃない。

 それにしたって酷い話だと、ケンジは眉根をしかめる。


「馬鹿でもいいだろ。俺もナツコに子供産んでもらいたいし」

「あたし似の男の子と、あたし似の女の子ね」

「……俺の要素は無視なのか」

「アランとシズの子供ならどっちに似ても可愛いでしょうけどねえ」

「俺に似たって可愛いだろうが」

「いやあ、どうだか」


 あははと軽やかに笑うナツコに、苦笑を禁じ得ないケンジ。


 こんな風に、とナツコは思った。

 親友とその恋人が、微笑みながら未来を語れるならばそれでいい。

 縛り付けるためじゃなくて、繋がってともに導くための関係であればいい。


 ――遠い場所から帰ってくる彼を待つシズは、今はどんな夢を見ているのだろう。







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