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この作品で取り上げた職業に対し、お話の都合上良くない表現もあるかもしれませんが、あくまでフィクションなのでご容赦くださいませ。同時に拙い知識での描写もお許しください。
そしてところどころ、お下品な物言いが入っているかもしれません。用心の末のR15タグなのであしからず(汗)
「絶対、ぜーったい、迎えに行ったりしないからっ!!」
ジンジャーハイボールのジョッキをドカンッとけたたましい音を立てながら置いて、シズはもう何度目かもわからないその文句を高らかに放った。もちろん呼気は酒臭い。生ビールを二杯ほど干した後、六種類あるハイボールをそれぞれ一杯ずつ制覇している。
普段のシズの許容量はすでにオーバーしているはずなのに、いつもならあっさり眠りの世界に旅立つところを今日は爛々と目を光らせている姿は、対面でこれに付き合う親友とその恋人――ナツコとケンジをおおいに呆れさせていた。
けれどもまあ、気持ちがわからないでもないのでナツコは言いたいだけ言わせることにした。女同士の友情がそうさせるのであるから、ケンジもそれに追従する。
それでもシズが腹を立てる相手、それもまた放っておくのはしのびないやつであるから困る。一応はフォローしなければなるまい。
「そうは言ってもさぁ、アランだって寂しがってるでしょうに。可哀そうだと思わないの? 恋人と一年も会ってないのは向こうだって同じじゃない」
するといきり立っていたはずのシズは、ぴたりとその動きを止めて、握りしめていたジョッキの取っ手を離した。
急に静かになったシズに、まさかの緊急停止状態かとその動きを見守ってしまったカップルは、らしくもない暗くてどこか投げやりな目をしたシズに気付いて驚愕した。これはまずい。どうやらいろいろ煮詰まっている。
「えーえー、そうよね。諸国放浪するとか言って急に大学辞めたときも、半年経って帰ってきたと思ったら南極に行ってくるとか言い始まって、止める間もなくどっかの国の調査団に入ったことも、その間は画質の粗いテレビ電話越しにあいつの猛吹雪より寒い愛の囁きとやらを聞くだけだったのも、『アランだってつらいはず』と思えたから我慢出来たしね。おまけに一年ぶりの帰国早々、今度は休む間もなく渡米してしばらく音信不通。事件にでも巻き込まれたと思ったら何でもないように年賀状出して来たりして、慌てて電話かけたらオカマたちと馬鹿騒ぎの最中だったり」
……改めて聞くととんでもないな、とナツコもケンジも押し黙った。ようするに結局は友人とはいえ直接の被害など受けたことのない二人である。たびたび音信不通、住所不定になることを心配はしてきたものの、それでも「あのアランだし」とどこか仕方がないと思うことが出来た。
でもそれが自分の恋人だったら――冗談じゃない、かもしれない。
「そこから三年、ときどきふらっと帰って来てはやっぱり三日くらいで戻って行って。あたしっていったいあいつの何なんだろうって悩んだ頃に、今度は一ヶ月もあたしのアパートに住みついたりして。ようやく日本に戻るんだろうかって思ってたら、馬鹿みたいにデカいダイヤの指輪なんか渡して婚約してくれーとか言って。あまりの勢いにほだされて頷いたら、何でか次の日には跡形もなく消え去って。何日か後のニュースで見たのが、『日英ハーフの日本人アラン・C・サカモト、歴代最年少の宇宙飛行士に抜擢』? なんのドッキリかと思ったわよ。っていうかまるっきり悪夢だったわ」
その後、そんなに急なスケジュールとか有り得るのかっていうくらいあっさりとシャトルは飛び立って、再び音信不通になっていたアラン本人と連絡など出来ないまま、彼とシズは大気圏を挟んだ笑える物理的距離が開くこととなった。
大学で研究員をしているシズの職場で開かれた『未来の工学スペシャリストを目指せ』とかいう、抽選で選ばれた百名の理工学に興味のある中高生を対象にしたイベントでは、巨大なスクリーンの向こう側で、名前も知らない中高生たちの質問に分厚い猫の毛皮を被ってまともな人間を演じながら答えるアランの姿を、何故か会場整理係として見る羽目になった。
無重力空間でふーわふわ浮いてへらへら笑っているアランを見て、ああ、あの宇宙ステーションに亀裂でも入って、今すぐあいつ窒息しないかしら……とか、シズはわりと本気で思ったほどだ。
日本有数の難関大学を中退したと思ったら、いつの間にか渡米中に工学博士になっていたアランは、どこぞの国の南極調査団に入った縁でN○SAの関係者と知り合う機会があり、興味本位で宇宙飛行士の募集に応募したところ、極々狭き門を通過してしまったらしい。おまけに若くて柔軟で体力もあったことから、あれよあれよと次のシャトルの搭乗員に決定。
実のところ正式発表はもっと早い段階のはずだったらしいが(他の五名は現にその前に発表されていた)、本人の我儘を聞いてしまった偉い人がいたおかげで、ギリギリまで最後のメンバーは秘中の秘だったというわけだ。
だがいざ宇宙空間に飛び出してからは、遅まきながら世界中のメディアが騒ぎ立て、若くて独身でイケメンなアラン・C・サカモトは一大ブームを巻き起こした。
宇宙ステーションに一年間滞在し、様々なデバイスを操作ことを仕事にするアランは、いつの間にかその第何回目だかのシャトル搭乗員の中で顔役となった。世界規模のアイドルかと思うほどにネットでも雑誌でも新聞でもテレビでも、『アランの好きな食べ物』だとか『今日のアラン』だとか、馬鹿馬鹿しいネタを大真面目に取り上げる日々だった。
そのふざけた一年間が、もうすぐ終わる。
「シャトル帰還? アラン・C・サカモトの婚約者殿にはぜひ出迎えに来られたし? 冗談じゃないわ。つーか帰って来るな。そのまま宇宙の藻屑となるがいいよ!」
同情を禁じ得ないナツコとケンジの目の前で、あぁー腹立ってしょうがないわっ、とシズが頭をかきむしる。普段は『冷徹怜悧なK大の氷姫』なんて他の研究員やら院生やらに囁かれる姿は跡形もない。
本人の口からは何も語られないまま、アランが宇宙空間に飛び立った後。シズは婚約指輪とやらを二匹のデメキンが泳ぐ金魚鉢に投げ捨てて、それまで使っていた携帯電話を新しく買い直し、PCのアドレスから何からを変えまくった。
そこから仕事一筋な毎日を送ってきたというのに、ついこのあいだ届いたエアメールの中身に噴火したというわけだ。どうやらアメリカでのアランの友人だという男からのもので、本人がシャトルで飛び立つ前に、帰還が近づいたら迎えに来るように伝えてくれと頼まれていたらしい。
「……どこの世の中に婚約者に一言も言わずに姿をくらませて、ニュース越しに宇宙なんかに飛んでく馬鹿がいるの!?」
――あんたの恋人だよ……とナツコは突っ込みそうになって、命が惜しくなってやめた。この状態のシズを刺激するなど間違いなく自殺行為だ。
「ふんっ。あたしが行かなくたって綺麗どころがちゃんと出迎えるわよ。世界中でぎゃあぎゃあ騒がれた挙句にハリウッド女優から公開告白だもの」
「あんた……結局それが一番腹立ってんじゃないの…………」
「ああ、あれな」
米国の番組に出演した超A級のハリウッド女優が、「アナタ素敵だわ」と世界中の野郎どもを虜にする極上スマイルでアランに秋波を送ったのは世界規模の熱愛報道になった。 その女優は個人的なツテでN○SAのシステム越しに日々通信デートとやらをしているだの、実は二人はシャトル発射以前からの恋人関係であり、とある報道機関はアラン・C・サカモトが有名ブランド宝飾店で5万ドルの婚約指輪を購入していたことを突き止めただの。超遠距離恋愛をする有名人カップルの動向に誰もかれもが興味津々なのだ。
おまけに女優はここ半年ほどあらゆる芸能活動を休止しており、それは実のところアラン・C・サカモトの子供を妊娠しているからではないかと一部報道が騒ぎ立てた。実際、産婦人科にこそこそ通う女優の写真が撮られて全世界にアップされるという笑えない事実もある。
先月無事に母子ともに健康に出産を終え、世界中から祝福のメッセージが届いたそうな。いまだに女優は子供の父親の名前を公言はしておらず、『そのうちね』なんて周囲に言っているらしい。
「あのサイテー種まき男っっっ!! どこにでもホイホイ無責任に撒き散らして! いったいどこの畑に帰る気だぁ、おい!」
「シズ……下品よ」
大衆居酒屋の個室とはいえ、ドリンクを運んでいる学生バイトの女の子がぎょっとした顔で通り過ぎていくのをナツコは見た。
「知らない! くそ、非常識の塊め。この分だとあの女優以外にだって何人孕んでるかわかったもんじゃないわ。自分を育んだ星を一時離れるからって、なに動物本能に目覚めちゃってんのよ。帰ったらあいつの周囲だけベビーブームじゃないでしょうね。それも同い年で腹違いの子供たち……こわっ!!」
「さすがにアランだってそこまでだらしなくないだろ。浮気したこともないし」
「…………さあ、どうかしら」
降り注ぐ弾丸のように喋り立てていたシズの、それは低い最後の呟きに必死にフォローしたはずのケンジは冷や汗を流した。
……たしかに浮気うんぬんは確かめようがないと言うか、シズ本人には言えないが、一般的に見れば年に何回か会う程度のここ数年はすっかりシズがアランの二号さん的立場だ。有り得ないとはわかっているが、米国に本命が居るとしても不思議じゃない生活ではある。――有り得ないとは思うが。
だがシズがふつふつと怒っているのは、そのあるかないかもわからない浮気疑惑そのものではない気がする。
寛容すぎるほどに寛容だったシズは、ここ数年常々『アランだって発散場所くらい向こうの国にあるわよ。その分は浮気だなんだにカウントしないわ』なんて言っていたくらいなのだ。自分は鉄壁の身持ちの硬さだというのに、だ。
「あたしだって、あいつのこと大事なところではちゃんとしてる男だって信じてたつもりだったけど。雄大な宇宙とやらを前に動物本能に帰巣したんだったら、もはや人様の一般常識なんて期待するだけ無駄よね。古代生活にでも立ち返ってどこまでもフリーダムになっちゃったのかも」
「……どういうこと? まさか何かあったわけ?」
「…………」
これはおかしいぞと眉根を寄せたナツコの追求に、シズはハイボールの残りをぐいぐいと飲み干した。溶け残りの氷がカランと涼しく音を立てても、気分は全く晴れない。最悪だ。
「あいつ……」
「アランが?」
「…………一年前、一ヶ月なんていう珍しく長い期間アパートに転がり込んできて、うっかり婚約に頷くなんていう愚行をあたしが犯したその日よ。ギラギラした指輪を嵌めさせられた後、『じゃあもういいよね』って言いやがったの」
「もういい? 婚約して――何がだ?」
「ヒニン」
――ヒニン……?
ナツコとケンジはぼそりと告げたシズの言葉を、しばらく脳内でぐるぐるさせた。
そして思い至ってしまう。いやいやと否定したくとも、それしかないよなとやはり思う。
「まさか、」
「ヒニンって……あの“避妊”ことかっ!」
げ、と二人は同時に呻いた。これは詰んだも同然だ。あの気のいい日英ハーフの男を擁護する言葉がもう出ない。
「……生で、ナカに、一晩中、よっ!! でもまさかそういう行動に出た男が、次の日に目が覚めたときには忽然と消えてるなんて誰が思う!? このご時世、結婚と妊娠が前後したってまあいいか、あたしもそういう年だしなーなんて流されるままに許した自分もまあ馬鹿だったわよ。だからって! だからってアリなの? もし本当に出来てたらあいつはどうするつもりだったわけ? ――どうするもこうするもないわよね。本気で出来てたらあたしはあの二カ月後くらいにはその事実に一人で直面する羽目になって、種まきした本人は遥か彼方の大気圏の上。なんの手助けも協力も出来やしない。あたしは十ヶ月間を重い腹抱えて仕事も出来ずに過ごすことになって、たった一人孤独な出産よ? 馬鹿じゃないの、あいつ。馬鹿よね。滅ぶべきだわ……!」
「そう云えばあんたって、そのあたりに禁酒していた期間あったわね……」
酒豪とまでのいかないまでも酒好きが珍しい、何か失敗でもしたかと思っていたら、裏ではそんな事情があったとは……。
ナツコは頭を抱えた。そんな恋人の肩をぽんぽんと慰めるようにケンジは叩くが、おい待て、たしかアランをシズに紹介したのはあんただったわよねとナツコは心の中で突っ込む。
高校の同級生であるシズとナツコが進んだ大学で、二つ年上の同じ学部の先輩だったケンジ。そして彼の紹介で連れて来られた、幼馴染だという大学一の天才と有名だったアラン。
ほぼ同時期に付き合い始めた二組のカップルは、飽きるほどグループデートを繰り返した。というより、ケンジはともなくアランという男は自分でデートプランを練って彼女を喜ばせるという行為にどうも疎く、ナツコたちが気を回して手配するという奇妙な協力体制が出来上がっていたのだ。
それから約六年余り。ナツコとケンジはときどき喧嘩もしながら、そして二回ばかり実際に別れたこともありながら、それでも今に至ってはお互い以外は考えられないという関係にまでなった。しかしシズたちの厄介なところは、喧嘩にもならないところである。
それもそうだ。この六年間、会わない時間の方がずっと長い。シズがどんなに飽きれても怒っても、目の前に本人が居ないのだからその気持ちをぶつける事態にならないのだ。
そしてシズの感心するところは、結局アランがふらりと帰ってくるとたいていのことを許してしまうこと。心中のモヤモヤがあったとしても、たまに会った恋人とそれなりに楽しい時間を過ごすことを優先させる。心が広いのだか、妙なところでエネルギーを発散できない損な性質なのか、そこらへんは実に微妙なところだ。
だがまぁ、今回ばかりはその“許される範囲”から大きく逸脱したようだ。シズ本人だけでなく、生まれてくるかもしれなかった子供まで脅かす行為にほとほと堪忍袋の緒が切れたらしい。たしかにここまでキレているシズもまた珍しいのだ。
「もし出来てたらって思ったら気が気じゃなかったの。ちゃんと予定通りに生理が来てあんなにほっとしたことないわよ」
思い出してもまだハラハラする。
来るか来ないか、来なかったらどうする。何すればいい。妊娠検査薬か。それとも直で産婦人科か。妊娠していたらどうする。準備って何すればいいんだ。というか仕事はいつまでしていいんだ。出産費用はどうするんだ――。
ああ、本当にしみじみと怖い日々だったとシズは大きく息を吐いた。




