婚約破棄?OK、状況は把握した。ただいまより制圧を開始する。
ジェイソン・ステイサムになりたい人生だった。
真顔で言うと百発百中で(こいつ何言ってんだ)という顔をされるけど、本気でそう思っている。
分かってる。女で、日本人で、骨格ウェーブの私には到底なれっこないって。
たとえイギリス人男性だったとしても、そう簡単に到達できる存在ではない。
なれないからこそ夢をみていた。
初めて「トランスポーター」を観た時から、28歳になるまでずっと。
よく勘違いされるのだけど、私はジェイソン・ステイサムの女になりたいわけじゃない。ステイサムそのものになりたかったのだ。
だから習った。ブラジリアン柔術を。だから取った。クレー射撃のライセンスを。だから走った。毎朝5時から。
コスプレで好きなキャラクターになりきることは理解されても、一介の事務職がジェイソン・ステイサムになりたいと願うことは理解されない。そんな世の中くそくらえ、とはちょっと思ってたけど。
でもまさかトラックに轢かれてこの世から退場させられるなんて、思わないじゃない?
小さな子がボールを追いかけて道路に飛び出した時、ステイサムなら迷わず助ける。だから私も華麗なスライディングを決めて男の子を抱き込み、瞬時に歩道に戻る。
トラックの運転手に怒鳴られたら気の利いたジョークのひとつでも返して、男の子に「怪我はないか?坊主」と真顔で聞く。
無事を確認したらはにかむように笑ってその場からクールに立ち去る…はずだった。
現実は、道路に飛び出した男の子を突き飛ばすのが精一杯 。足がもつれた私はそのままトラックに轢かれて、あっけなく死んだ。
これじゃ、ステイサムに制圧される側の雑魚の死に方だ。最期に思ったのはそんなことだった。
*
そんな私が今、どういうわけか異国の貴族令嬢になっている。
晩餐会に参加する仕度中らしく、金で縁どられたドレッサーの鏡には、全く知らない私が映っていた。抜けるように白い肌と、切れ長の瞳はダークブルー。背中まで伸びたプラチナブロンドのウェーブ・ヘア。手首もデコルテも恐ろしく華奢で、骨格は多分ストレート。
キャンベル侯爵家の長女ルシア・キャンベルは、唐突に前世での記憶を思い出した、ということらしい。
家柄も容姿も申し分のない今世に、私は絶望した。
だってこれじゃあ、ジェイソン・ステイサムからは前世以上に程遠い。そして何より、ご本尊がこの世界に存在しない。私はもう、彼のつぶらな瞳を自分の記憶の中にしか探せない。
髪を結い上げてくれている侍女アマンダの話によると、私は公爵家嫡男のジェラルド・マクラウドと婚約しているそうだ。金髪碧眼の美しい彼と私は、家柄も容姿も魔力量もお似合いだと、アマンダは何度も力説した。
「ちょっと待って、魔力量もお似合いって…?」
「いやですわお嬢様。まさかごそんなご謙遜を。魔術師の家系として名高いマクラウド家に嫁ぐ最も大切な条件はなにより魔力量です。お嬢様は有り余る魔力を制御するため、幼少のころからこちらのバングルをつけていらっしゃるというのに。」
そう言われて右腕に目を落とす。そこには銀でできた細身のバングルがはめられている。白くほっそりした手首には似合うが、テンションがあがらない。どうせならもっといかつくて鋲でも打ってあればよかったのに、と思う。
私は混乱しながらも、徐々にルシアとしてのこれまでの記憶を思い出していった。
幼い頃から婚約者を決められ、膨大な魔力量を制限されて大人しく生きてきたこと。それでも魔法の美しさに惹かれてこっそり勉強や練習を積み重ねてきたこと。王立アカデミーに通っているが、1学年上のジェラルドには婚約者だというのに相手にもされず、パーティで同伴してもらえたこともわずかだったこと。
高位貴族の結婚で最も大切なものは確かに家柄と魔力量なのだろう。
けれどもジェラルドは真実の愛こそ本当に大切なものだと言っていた。アカデミーの生徒たちの目の前で、あざとくてずうずうしいことで有名な男爵令嬢の肩を抱きながら。
ステイサムを目指す私にとって、婚約者はなよっちいお荷物でしかないということだ。
どうせ今日のパーティもエスコートはないのだろう。
迎えすら寄こさない公爵家にキャンベル家から抗議することはない。私はそういう扱いをされてきた。体裁を取り繕うために兄が同伴することになっているが、前世の全てを思い出した私にとってはソロ参加で全然いい。
しかしそうはいかないのが貴族社会。厭味ったらしい兄は仕度が終わっていない私の部屋に無断で入ってくると、蔑んだ目で薄く笑った。
「見てくれは悪くないんだ。お前がその気になれば公爵家の坊ちゃんくらいたぶらかせるだろう。婚約者にエスコートされないだなんて、我が家の恥だな、まったく。毎回パーティに付き合わされる私の身にもなってくれ。」
私は鏡越しに兄を見る。いつもこうやって、ネチネチと妹を下げることで気持ち良くなっているのだろう。とんだド変態だ。
「婚約者のエスコートは貴族としての当然の義務です。私が気に入らないからという個人的な理由でエスコートのひとつもできない無能な男の尻ぬぐいなんて、私の仕事ではありません。お兄様が文句を言う相手はジェラルドでしょう?まあ、公爵家にたてつく度胸がおありとは思いませんけれど。」
「なっ…。お前、私のエスコートがなくなってもいいのか?」
「別にかまいませんけれど。」
「ふんっ。先に会場へ向かう。せいぜい会場で私に泣きつくといい。きちんと謝れば優しいお兄様がエスコートしてやろう。」
「お気遣い感謝いたします。お気をつけて。」
引き止められるつもりだったのだろう。一瞬うろたえた兄は、荒々しくドアを閉めて出て行ってしまった。
「よろしいのですか、お嬢様。」
アマンダが心配してくれたけど、あんなエスコートならないほうがマシだ。私はバングルがはめられた手をグーパーと広げて、手のひらから指先までの感覚を確かめる。
「大丈夫よ。いろいろ思い出してきたし、今なら魔法もうまく使えそう。」
何か言いたげなアマンダに気付かないふりをして、私は髪型をどうするか相談した。アマンダはそれ以上踏み込んでくることはなく、すぐにいくつかのヘアアレンジを提案してくれた。
この屋敷で唯一私の味方でいてくれる優秀な侍女に感謝しながら、これまでの両親との関係について考えた。
両親は、生まれつき魔力量の高かった私を魔術師にするつもりはさらさらないらしい。
貴族令嬢としての一般的なマナーを身に付けるだけで、魔術に関する教育は一切受けさせてもらえなかった。魔法を使うなんてもってのほか。
魔力の高い子供を産むことができる傀儡の娘。それがこの家での私の価値のすべてだった。
前世の記憶を取り戻すまでのルシアは、それでも魔術についてこっそり勉強を続けてきたらしい。
世間体と社交のために通うことが許された王立アカデミーでも、図書室にこもっては魔術史や魔法理論についての本を読み漁っていた。その知識は今の私の中にも蓄積されている財産だ。
私なのに私じゃない。不思議な感覚だけど、ジェイソン・ステイサムになりたいという軸が私を支えてくれる気がして、不安や恐怖は全くなかった。
ジェラルドが男爵令嬢と良い仲になっているらしい。アカデミーでその話を知った頃には、ルシアは婚約者として最低限の扱いしか受けなくなっていた。
今日あたり、婚約破棄を言い渡されるかもしれない。両親は怒り狂って、兄はそれみたことかと私を侮蔑するだろう。
かつてのルシアがもっとも恐れていたことは、もうどうでもいい。
編み込みながらまとめてもらった髪にはクリスタルを使った髪飾りをつけて、私はひとり馬車に乗り込んだ。
会場に着くと、誰もが私を見て声を潜めた。
婚約者がありながら、エスコートもなしにたった一人で晩餐会にやってきた侯爵家令嬢。インパクトはそれなりにあるのだろう。兄が同伴したって、すぐに放り置かれて一人でいるのだ。
そ知らぬ顔で社交の輪の中に入ってしまえば、いくつか同情の視線が飛ばされるだけで何かを言われるわけでもなかった。
それに今夜は、別の話題で持ち切りだった。これまで一度も社交界に参加したことのなかったヤルヴィ辺境伯の嫡男がやってくるそうだ。
魔獣の生息する森や、なにかといさかいを起こす隣国との国境に接しており、冬は厳しい寒さで他領との行き来が難しくなる辺境の地。
騎士としての強さがなによりも重んじられ、社交に明け暮れる暇などないと表舞台に出てこなかったヤルヴィ一族の息子が、今王都に顔を出す。
考えられる理由はただひとつ。花嫁探しだろう。辺境領の男は皆熊のような出で立ちで、なかでもヤルヴィ家の直系は化け物のように醜く、恐ろしいほど強いという。
そんな一族に嫁がされるなんてと、婚約者のいない令嬢たちは恐れている。そうじゃない参加者は、完全に怖いものみたさの野次馬といったとこだろう。
国防の要を担っているというのに、所詮辺境と馬鹿にする声がちらほら聞こえた。
その中で一番声が大きいのは、いつのまにか近くにいた婚約者ジェラルドだった。隣にいるのは男爵令嬢エヴァ・クロイツ。洗っても落ちない染みのようにぴったりとはりついている。
伯爵家主催とはいえ招待された席でこんなに好き勝手が許されるのは、ジェラルドが国王陛下の甥にあたるからだ。
非常に優秀で常に国民に寄り添う王子たちの従弟とは思えないほどのふるまいだが、王族特有の金髪と青い瞳が彼を増長させてしまったのだろう。
「全く、辺境伯だなんて名ばかり貴族の田舎者が、王都の社交界に顔をだそうだなんて身の程を知らないのだろうな。化け物に嫁ぎたい令嬢などこの場にいるわけがないだろうに。ああ、田舎者ゆえそんなことすら知らないのか。」
「仕方ないですわ。誰も教えてくれなければわかりませんもの。ヤルヴィ様にふさわしいお相手は別の場所で探された方がよろしいと助言してさしあげるべきです。」
「ははっ、エヴァは優しいんだな。他の男…いや化け者にまでそんな気遣いをみせるだなんて聖女のようだが、妬いてしまうぞ。」
「もうっ、ジェラルド様ったら。」
どうやら二人は、ただの学友だという設定すら忘れてしまったようだ。人目もはばからずぴたりと身を寄せ合っているが、彼の婚約者は私である。
義理を通さない人間は相応の報いをうけるべきだと、ジェイソン・ステイサムなら私にベレッタを渡してくれるだろう。
しかしここは社交界。私は婚約者としてこの場にふさわしい態度をとらなくてはならない。
「ジェラルド様。我が国の安全を守ってくださっている辺境伯様にそのようなことをおっしゃるのはいかがなものかと。公爵家の一員としてこのような場での発言には気を付けたほうが―」
私の忠告は最後まで聞き入れられず、ジェラルドは額に手をあて、うんざりしたという表情で深いため息をついた。
「それはまさか私への忠告か?嫉妬にかられた醜い女め。」
「…嫉妬?」
どのへんが?思わず心の底からの疑問が漏れてしまったが、ジェラルドは勢いよく続けた。
「そこまで擁護するならお前が辺境伯に嫁げばいいだろう。」
あまりにも突飛で無神経な発言に、会場がざわついたがジェラルドの耳には入らないらしい。名案を思いついたとでもいうように得意満面だ。
「ジェラルド様、一体何を…」
このままでは、公爵家の嫡男としてあるまじき発言をしてしまう。次に起こる展開を予想しながら、私は敢えて黙っていた。
前世の記憶を取り戻して、いつでも魔力制御用のバングルを外せる身となった今、私は自由だったから。
「ルシア・キャンベル!」
ホールにはジェラルドの確固たる声が響き渡り、誰もが彼に注目した。セットも筋書きも完成した。あとはそれぞれが舞台に上るだけだ。
私は期待された通りにきっとエヴァ・クロイツを睨みつける。
「婚約者の務めを放棄し、愛されない嫉妬から、アカデミーでエヴァ・クロイツ嬢に嫌がらせを繰り返すなど貴族令嬢としてとてもふさわしくない行為の数々。今夜、この場をもってルシア・キャンベルとの婚約を破棄とする!そして私は真実の愛を全うするため、このエヴァ・クロイツと新たに婚約することを宣言する!」
夜会を主催した伯爵家の顔に泥をぬり、家同士の取り決めだというのに個人の感情だけで勝手に婚約破棄を宣言して、勝手に別の令嬢と婚約宣言。
彼は自分に与えられた公爵家の馬鹿息子という役を完璧にこなしてくれた。
掃除がはかどりそうだなと、私は扇子で緩みそうな口元を隠した。
「そうだ。辺境伯次期当主がわざわざ王都に来ているんだ。ルシア、お前が嫁げばいい。父上に言って我が公爵家から推薦状を出してやろうじゃないか。女のくせに愛想笑いのひとつもできない家柄だけの女。物騒で不気味でどうしようもない、いい歳して嫁のなり手もいない化け物息子とお似合いだ。」
言っていい事と悪い事も分からないのか。マクラウド公爵夫妻より、未熟な息子をどうか支えてやって欲しいと頼まれたから陰ながら色々と助力してきたけれど、どうやら甘やかしすぎてしまったらしい。
俯いている私が打ちのめされていると思ったのだろう。ジェラルドはエヴァの肩を抱きながら優越感に浸っている。
背筋を伸ばしてパチンと扇子を閉じる。
カツ…と一歩踵を踏み鳴らしたところで1人の青年が私たちの間に出てきた。
「推薦状は不要だと思いますよ。こんなにも優秀で美しいご令嬢だ。婚約破棄されたところで、引く手あまたでしょう。」
「誰だ…。」
公爵家のジェラルドに睨まれたところで、青年は一切動じないどころかにっこり笑って見せた。
「ただいまご紹介にあずかりました。物騒で不気味でどうしようもない、いい歳して嫁のなり手もいないヤルヴィ辺境伯の化け物息子です。」
「なっ…!?」
噂とはかけ離れた中性的で端正な顔立ちに、周囲の令嬢たちがざわめいた。
青みがかった灰色の髪は肩まで伸ばしてハーフアップに結っている。服の上からでもしっかりと筋肉がついているのが分かるが、それでも騎士としては細い方だ。
この国では見たことがない赤い瞳は猫のようで、このために異端者扱いされてきたのかもしれない。
「あなたが…次期辺境伯?」
「ええ。久しぶりに王都に来てみれば、突然こんな美女のお相手に指名されて嬉しいやら驚くやらで光栄です。」
まずい。国防の要の機嫌を損ねるわけにはいかない。私は咄嗟にカーテシーをとった。
「巻き込んでしまって大変申し訳ありません。ルシア・キャンベルと申します。」
「レオニダス・ヤルヴィです。ま、名乗ったところで明日には領地に戻るので、覚えなくて結構ですよレディ。」
パチンとウィンクをすれば、背後の令嬢たちから黄色い声があがる。
私はあまりの驚きに声もでなかった。だって、ヤルヴィ辺境伯こそジェイソン・ステイサムのように無骨で屈強で、自分なりの美学をもったアウトロー的な存在なのだとばかり思っていたから。
なんだこの色男は、と声に出しそうになるのをぐっとこらえた。
「辺境伯騎士団のご活躍は王都にも広まっております。大変すばらしい訓練により、かなりの数の魔物を効率よく討伐されているとうかがっています。お目にかかれて光栄です。」
「そんな風に言ってもらえて嬉しいですね。なにぶん王都から離れているせいか、色々と話が歪んで伝わってしまっているようなので。」
レオニダス様はそういって赤い瞳で周囲を見渡した。そのまなざしには、確かに厳しい辺境の地で戦ってきた者の強さがこめられていた。
いい瞳だ、と純粋に思った。私もこんな強いまなざしを持てるようになりたい。
ふと、置き去りにされて怒りに打ち震えているジェラルドを見遣る。彼が婚約破棄を宣言した以上、それが非公式のものであってもこれだけの騒ぎだ。覆ることはないだろう。
辺境領に嫁ぐ。馬鹿息子の思いつきにしては、悪くないかもしれない。
「失礼ですが、今夜の晩餐会には婚約者を探しに?」
「ええ。いい加減身を固めろと両親どころか使用人たちまでうるさくてね。押し切られる形でやってきたのですが、このようなことになってしまった以上前向きな話はないでしょう。身軽に帰りますよ。」
いや、その容姿なら前向きどころか前のめりな令嬢が1ダースはいるのではと思ったけど黙っておいた。私だってせっかくのチャンスを逃すわけにはいかない。
「レオニダス様には将来を約束したり、懸想をしているお相手などは?」
「残念ながら。」
両手を挙げて降参のポーズをとるレオニダス様は、パーティを楽しんで帰るだけに決めたらしい。その仕草から気楽さが見てとれた。
「もしよろしければ、私との婚約を前向きにご検討いただけないでしょうか。魔力量は高いですし、家格的にも損はさせないかと。」
レオニダス様は目を丸くしてじっと私をみつめる。私の本気が伝わったのだろう、ふっと表情をゆるめた。
「むしろ物騒な辺境に嫁いでくれる貴族令嬢なんていないだろうから、こんな綺麗な子が来てくれるならうちにとっては損どころかメリットしかありませんよ。あなたは本当にそれで大丈夫なんですか。ヤケになっているのでは?」
「いえ。いたって正気です。」
真顔で答えたはずなのに、レオニダス様はなぜか吹き出した。
「それじゃあこうしよう。ひとまず仮婚約ということで、一度ヤルヴィに来てみませんか?どの道このまま王都にいても何かと大変でしょう。半年くらい様子をみて、王都に戻りたければ僕に断られたことにして戻ればいい。もし辺境で暮らす覚悟があるなら、生涯の伴侶として大切にしますよ。僕としては後者の選択を望みますけどね。」
「なるほど。…ちなみに辺境領騎士団で一緒に訓練させてもらうことは可能ですか?」
「まあ、過去には女性騎士がいなかったこともないけど…。」
「私は王都に戻ることは考えていません。であれば、将来的に上層部になる人間が事前に現場を把握することで組織がうまくまわることだってあると思いませんか?」
「いや、上層部とかじゃなくて夫人ね。」
「結婚についての諸条件は後ほど詰めていくということで、婚約する流れでお話を進めてよろしいですか?」
「もちろん。何の成果もなく帰るつもりが、こんなに興味深く美しいレディにあえて、今夜の僕はとてつもない幸運を手にしたようです。」
レオニダス様はそういって跪くと、私の手の甲にキスを落とした。
その時、事の成り行きを見守っていた観客の静寂を破ってジェラルドが叫んだ。
「さっきからこの私を抜きにして何を勝手に話を進めているんだ!まずはこの私とエヴァに謝罪して赦しを乞うのが先だろう!」
自分の右手首をさすりながら、私はレオニダス様を見上げる。
「ちなみに、ヤルヴィ辺境伯はその立地と実績から国王陛下より篤い信頼を賜っているとうかがっています。もしマクラウド公爵家と対立することになってもかまいませんか?」
「対立?いや、たしかにうちは辺境ゆえにその辺の影響力はないですが…。」
良かった。なら迷惑はかけずに済むということだ。
私はジェイソン・ステイサムになれたら言ってみたかった台詞を口にする。
「OK、状況は把握した。ただいまより制圧を開始する。」
手首にはめたバングルを外した瞬間、掌からなにかがあふれ出てバングルが吹き飛んだ。それは石壁に突き刺さり、大きなひびをいくつも入れた。
「いやちょっと待って、制圧って…」
止めに入った彼の言葉を聞きもせず、私は右手をかざして目の前に魔法陣を浮かび上がらせる。
自分の親指の腹を噛んで、そこに血を一滴落とす。
「使役者ルシア・キャンベルの名において冥府の花売りへ告ぐ。ジェラルド・マクラウド及びエヴァ・クロイツの2名へ、真実の刑を執行せよ。」
「冥府の花売りだとっ…?王宮魔術師ですら召喚できるものは一握りだというのに。貴様、そんな高位魔術が使いこなせるわけがないだろう。」
「短くはない間婚約していたというのに、貴様呼ばわりとは寂しいものですね。真実の刑に処さずとも、それがあなたの本性だったのでしょう。そちらの移り気なご令嬢とお似合いですよ。」
「エヴァが移り気なものか。私に愛されなかったからといってエヴァへの嫌がらせだけではなく、虚言まで繰り出すとは、心底哀れな女だ。」
この期に及んでよく喋る男だ。こういうのが一番いけない。映画だったら真っ先に殺されている。
「アウス・フュールング」
魔法陣から黒マントを被った老婆が出現した。黒ずんだ顔に、黒で埋められた双眸。幽霊のように、宙に浮いたままエヴァの目の前に行くと一輪の赤い花を差し出した。
「やだっ、なにこれ…。」
花を払い落とそうとしたが、彼女の手は空を切っただけだった。冥府の花売りは彼女の髪に花を挿した。その瞬間、エヴァの体がびくりとはねる。
「なによ。せっかくここまでこぎつけたのに。私のお腹の中にはねぇ、赤ちゃんがいるかもしれないんだから大事に扱いなさいよ。顔だけはいい舞台役者に捨てられてどうしようかと思ってたけど、お金持ちのジェラルド様に声をかけてもらえて運が良かったわ。勉強と家柄しか取り柄がないくせに、婚約者ってだけで生意気なのよ。こっちは既成事実まで作ったんだから邪魔しないでよね。」
「エヴァ…。まさかそんな。君は確かに純潔だったはずだ。」
「あんなの痛がるフリをしてあとから山紅葡萄の汁をシーツにこぼしただけよ。あれで何人もだまされるんだから男って本当に簡単よね…ってやだ。何これ。誰か止めて。こんなの嘘よっ…!確かに順序は違ってしまったかもしれないけど、ジェラルド様に初めてを捧げたのは本当ですっ!」
「舞台役者に付きまとわれて困っていると相談してきたのは嘘だったのか…。私はエヴァの豊満な体に耽溺し、アカデミーでの課題や生徒会での仕事をすべてルシアに押し付けて、自分がやったように見せかけていた。それもすべて、エヴァが私に処女を捧げるほどの覚悟があるからだと思っていたのに。」
ここでジェラルドははっと周囲を見渡した。
「ちっ、違うんだ。私に与えられた課題や仕事が、こんな出来損ないの女にこなせるわけがないだろう。すべて私がやっていた…!」
全くどうしようもない。私がためいきをついた次の瞬間、エヴァのつんざくような悲鳴が会場に響いた。
「いやあああぁぁっ…!なにこれ、気持ち悪い。誰か助けてぇ!」
エヴァの足元には老婆が差し出した花が散っていた。大きく露出した胸元から顔にかけて、そして両腕にびっしりと紫色の蕁麻疹のようなものが広がっていた。
ジェラルドの顔も同じもので埋め尽くされていたが彼は叫ばなかった。老婆に贈られた花が口いっぱいにつめられて、声を発することができなかったから。
「残念ながら、お腹に子どもは宿っていないようですね。それとも不幸中の幸い、というのでしょうか。」
周囲の人は誰も助け船を出さなかった。肩を寄せ合い息をひそめて、ただふたりが苦しむ様を傍観していた。
真実の刑はただ自白させるための魔術じゃない。嘘をつけば体じゅうに紫色の斑点が出現する。
本人が嘘を認めて本当のことを言うまで消えない。
だからこそ難しく、恐れられている高位魔法なのだけれど。欲に溺れることに忙しかった彼らは、そんなことも知らなかったようだ。
その時、ジェラルド様のご学友である男子生徒が私の肩を無遠慮に掴んだ。しっとりと汗ばんだ手が直に触れて非常に不快だったが、彼は怒りにかられてそんな事には全く気付いていない。
「おい。そんな黒魔術を使ってないで今すぐジェラルド様を解放しろ。」
レオニダス様がすぐに駆け寄ろうとしたけれど、私は首を横にふり彼を目で制した。
はぁ、とため息をつく。黒魔術じゃなくて高位魔法なんだけど。類は友を呼ぶって、異世界でも同じね。
「5秒さしあげます、その汚い手をどけなさい。」
「お前何を生意気に…」
5秒無駄にしてしまったな。私は彼の手首をつかむと魔力をこめた。
次の瞬間、彼は文字通り壁の花になっていた。ずいぶん壁にめり込んでしまったから、押し花という方が近いかもしれない。3人は伯爵家の私兵に連れられてホールを出て行った。
これで会場は完全に静まり返った。遠巻きに見ていた兄でさえ、もう私と目を合わそうとすらしない。
私はゆっくりと頭を下げて謝罪の意を表明した。
「本日はせっかくのパーティでお騒がせしてしまい申し訳ありません。ですが私に関して少し誤解があるようですので、訂正させていただきます。私はジェラルド様から押し付けられた仕事をこなすので忙しく、エヴァさんと喋ったことすらほとんどありません。決してエヴァさんに手をあげたり嫌がらせをするようなことはなかったと誓います。生徒会の方々に確認していただければと思いますが、まだ疑っている方には、個別にご説明させていただきます。どなたかいらっしゃいますか?」
小首を傾げた私の肩には、冥府の花売りが乗っている。ニタリと真っ黒な口を開けて音もなく笑っているレディとお近づきになりたい方は、さすがにいなかった。私は再び右手に魔力をこめると、ヒビが入って砕けた壁を元通り綺麗に修復してみせた。
静寂を破ったのは1人のゆったりした拍手だった。
人の輪の中から出てきた人物を、カテーシーで出迎える。
「見事な魔法だった。なかなか面白いものを見せてもらったよ、ルシア嬢。」
そう言って私の目の前に現れたのは、フィリップ第1王子殿下だ。
「殿下、このような場でのお目汚し、大変失礼いたしました。」
「いや、いいよ。最近のジェラルドには従弟とはいえ目に余るものがあったし、エヴァ・クロイツの評判も僕のところまで報告があがってきていたからね。ルシアが僕たちに縁付くのは喜ばしいことだけど、彼と結婚するのはもったいないと思ってたんだ。生徒会も君の身辺もすっきり掃除ができて良かったよ。」
「そう言っていただけるなら、掃除した甲斐がありました。」
「それにしても、私の知っているルシアとはずいぶんと印象が違うようだけど。何か心境の変化でも?」
前世を思い出しただけですなんて言えるはずもなく、私はにっこり笑ってごまかした。
「自分のやりたいことを諦めずに追求することにしたんです。」
「そう。」
「はい。その一環として、もしレオニダス様さえよければ明日ご一緒に辺境領に向かわせていただこうかと。」
「それは早すぎるのでは?いえ、僕としては嬉しいのですが、キャンベル夫妻とも話し合わなきゃいけないだろうし、女性はいろいろと準備があるでしょう?」
「あちらでこのようなドレスを着ることがなければ仕度は1日もあれば十分です。今後の人生設計を考えるにヤルヴィ辺境領こそ私の能力を余すことなく有効に使うことができるかと。婚約の有無にかかわらず、越境者に混じっている他国からの間諜や武装集団に対する尋問は、ぜひお任せいただきたいです。」
「能力とか関係なく、こんなに強く美しい人が嫁いできてくれるだけで大歓迎だから、そんな物騒なことをさせたくないんですけどね。」
「ありがとうございます。ですが私が目指すところはやはりジェイソン・ステイサムなので。」
「ジェイ…何?」
「私なりの美学…信仰のようなものでしょうか。」
「信仰、か…。ならぜひ力を貸してください。荒くれ者の多い辺境の地です。この見た目で領主になるのは前途多難なのは目に見えています。君に力添えしてもらえるならこんなに心強いことはない。」
心強い。そんな風に言って貰えたのは生まれて初めてだった。
前世では変わり者、今世では政略結婚の駒として扱われてきた私にとって、それだけでこの人を一生支えようと思えるほど強い言葉だった。
レオニダス様の背中を、フィリップ殿下がポンと叩いた。
「それじゃあ国王陛下には、私が責任をもって両家の婚約を掛け合っておこう。今夜は色々あったから、この混乱にまぎれてしっかり押し通しておくよ。」
「ありがとうございます。」
次期国王であるフィリップ殿下は大変優秀な方だ。きっと、良いように取り計らってくれるだろう。
殿下はすっと手を上げた。
「今日この時をもって、私の名においてレオニダス・ヤルヴィとルシア・キャンベル両名の仮婚約を認める。また、ジェラルド・マクラウドとエヴァ・クロイツの両名に関してはしかるべき調査を行った後、処分を下す。今夜ここで起きたことはふたりへの仮婚約祝いとしてすべて無礼講とする。くれぐれも、騒ぎ立てることのないように。異議があるものは冥府の花売りとこの私に抗議するといい。」
帰ってきたのは、沢山の拍手だった。会場にどこかほっとした雰囲気が広まって、演奏を中断していた楽隊が楽器を構えだした。
「今更だけど、一曲踊っていただけますか?」
「喜んで…と言いたいところですが、ダンスはあまり得意ではなくて。」
「それは気が合いますね。実は僕もステップを踏むより剣を振るう方が得意なんです。この顔で踊れないなんて、と良くからかわれるのですが。」
レオニダス様は、笑うと少しだけ目尻が下がって柔らかい印象になる。勢いですごいことになってしまったけれど、私はレオニダス様の手をとった。
理想の王子様なんていらない。幸せは自分でつかむ。
そう思っていたけれど、、レオニダス様は私をほんの少しだけ、ジェイソン・ステイサムに近付けてくれる人だった。なんて幸せな出会いを果たしたのだろう。
翌日、私は持てる力と能力をすべて辺境領に捧げるつもりでキャンベル家を後にした。
父はバングルの外れた右腕をみて、何も言わなかった。言ってきたところで制圧するのみ、という娘の気持ちを察してくれたのだろう。
それに嫁ぎ先はヤルヴィ辺境伯家。ただしくその重要さを理解していれば、申し分のない縁談だ。
後から聞いたところによると、勝手に婚約破棄と新たな婚約を宣言したジェラルドは、一晩にして真実の愛を喪い、公爵家から追放されたそうだ。
遠縁の子爵家へ預けられ、あんなに馬鹿にしていた田舎で会計の仕事を1から叩きこまれているらしい。
エヴァもまた退学となり、男爵家を追放。ふたたび平民に戻るどころか、貧民街に立っているのを見たという者もいた。いずれにせよ私の人生に関わることは二度とないだろう。
馬車の中で、隣に座るレオニダス様がふわりと笑う。
これから舞踏会にでもいくような優雅な所作だが、私たちが向かっているのは魔獣と違法越境者が日々現れ、隣国とのこぜりあいも多発するヤルヴィ辺境領。私にとって、もっともふさわしいステージだ。
「今さらだけど、後悔していませんか?今ならまだ、王都に送り返せる。」
だんだんと寂しく荒廃してきた景色を見て、レオニダス様が自信なさげにそう尋ねた。
私はそうですね、と小さく頷く。
「乗馬用の服とブーツ。それから私の手に馴染む剣を用意してこなかったことを後悔しています。」
どちらも女性用となると、辺境領で扱いがあるだろうか。心配する私の横で、レオニダス様は他には?と続けた。
「いえ、何も。」
「なら良かった。」
もしかしたらこの先、厳しい環境で生き抜いていく中でジェイソン・ステイサムの顔を忘れてしまうかもしれない。それが少し寂しい。
けれども、私が次のステイサムになればいいだけのこと。
そんな奇妙な決意を胸に秘めて、私たちは馬車の中で今更ながらお互いを知るべくいろんな他愛もない話をしては笑うのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
ジェイソン・ステイサムがお好きな方にもそうでない方にも、楽しんでいただけていたら何よりです。
もしよろしければこの他にも色々と書いていますので、読んでいただけると嬉しいです。
長編はすべて完結済みで、シリアスからおふざけまで色々書いていますのでどうぞよろしくお願いいたします。また別のお話でお目にかかれることを願って。
ありがとうございました!
夕波




