32.楽園への帰還
「ちょっと! 東京に帰してくれるんじゃなかったの!? この大嘘つき!!」
五月女さんが喚く。
「黙れ」
イオが冷たく言い放った。
整った顔には、静かな怒りの色が滲んでいる。
気圧されたのか、五月女さんがビクッと肩を震わせ、地面に尻餅をついた格好で後退りをした。
イオが、そっと私を地面に降ろす。
「チカ、大丈夫か?」
私の答えに頷き、イオは再び鋭い視線を五月女さんに向けた。
「ババアだ何だとうるせえよ。お前こそ他人をバカにすんな」
「だ……だって、本当のことだもん。邪竜様、センパイの年齢知ってるの? そのひと二十五だよ? アラサーなの! それが異世界でお姫様気取りなんて、みっともないったらありゃしない」
震えながらも言い返す五月女さん。
いたたまれない気持ちになって、私はただイオの背中をみつめた。
彼が、どんな顔で聞いているのか、斜め後ろの立ち位置になってしまって見えない。
(そういえば、イオとそういう話をしたこと、一度もなかったな)
私のほうが、ちょっと年上かな、とは思ってたけど。
二人でいれば、そんなことは一切、気にならなかったから。
……そう。
それは、あくまで「二人だけの」世界でのこと。
ここにはイオと私の他に、ヒトの姿をしているものはいない。
誰とも比べられない。イオも、私も。
五月女さんに言われたことが、毒のように胸を蝕んでいく。
たしかに、東京での私は平凡な会社員で。
人目をひくほど美人でもないし、取り柄もない。
二十五歳って、そんなに年嵩ではないと思うけど、新卒の五月女さんから見れば「先輩」。
お姫様気取りという痛い指摘にも反論できなかった。
たしかに今の私は、早乙女さんの知っている姿とは違うと思うから。
思うように話すこと、笑うこと。
ここでは自然にできているけど、元いた世界ではできなかった。
イオが私を見る目は変わるだろうか。
五月女さんの評価を聞いて、イオの中の私も、痛々しい女になってしまうんだろうか……。
「チカ」
私のほうへと、イオが振り向く。
まっすぐな瞳で、彼は問うた。
「あらさー、って何だ?」
「……え?」
急に二十一世紀日本スラングの説明を求められ、思わず目が点になる。
答えを待たずに、イオは呆れたような仕草で首の後ろに手をまわした。
「どうでもいいや、知らなくて困る言葉じゃなさそうだ。おい小娘、そんな口をきくんだから、お前は生まれて二十年ってとこか? ずいぶんアタマが軽いみたいだけど、そこまでガキなら仕方ねえな」
「ガキとは何よ、あんただって大して変わらないでしょ」
五月女さんの口調が尖る。
たしかにイオの外見は、せいぜい二十台半ばの若者だ。
イオが、つんと顎を上げた。
「聞いて驚け、俺は二百八十歳だ。お前の物差しで計れば立派なジジイだな」
「……えええええー!?」
五月女さんが叫んだ。一緒に私も。
「に、二百八十歳!? あんたが?」
「あー、ちゃんと数えてないから何年かズレはあるかもな。二百八十一か、それとも二百七十九だったか……ま、その程度の誤差はいいだろ」
「冗談でしょ、イオ? 私、あなたは年下だと思ってたよ?」
「冗談で言うか、こんなこと。竜人は長生きなんだ。人間と同じに思うな」
「そ、そうなの……? にひゃく、はちじゅう……」
考えてもみなかった。
竜人って、人間と寿命が違うんだ……!
イオが私のほうへと歩み寄る。
そして顔を覗きこむようにして、尋ねてきた。
「すまねえ、今まで黙ってて。驚いたよな」
「う、うん。びっくり、した」
「チカは俺が嫌いになったか? ジジイだから。長く生きてて……お前とは違うから」
問いかける眼差しは、真剣だった。
そして……どこか、悲しそうに見えた。
「そんなわけ、ないじゃない。イオはイオだもの」
「……そうか。そうだよな!」
イオが安心したように笑った。
五月女さんへと向き直り、言い放つ。
「てわけで、俺にとってもチカはチカだ。どれだけ生きてようが何処で生まれてようが関係ない、たったひとりの大事な女だ」
(イオ……)
胸の奥が、きゅっと熱くなった。
こんな状況だけど、イオが私のことを「大事だ」って言ってくれた……。
ところが。
やっぱりこの状況は、喜びに浸っている場合じゃなかった。
「小娘」
イオが、五月女さんへと一歩踏み出したのだ。
「お前はチカを侮辱した。そのうえ俺から奪おうとしたな。許さねえぞ」
五月女さんの目に恐怖の色が浮かんだ。
四つん這いで地面を後退しながら懇願する。
「や……やだ……許して邪竜様。日本に、東京に帰らせて」
「イオ、落ち着いて! 五月女さんをどうするつもり!?」
五月女さんへとにじり寄る背中に、慌てて縋りつく。
イオとロニーが遭遇してしまったときの悲劇を繰り返すわけにはいかない!
「お前はどうしたい、チカ? こんなクソ生意気な女でも殺すのは嫌とかいうんだろ。アスダールの国王に突き返してやるか、それとも森の向こうの氷の谷にでも捨ててくるか?」
「やめてよ、そんなの望んでない!」
「お人好しも大概にしろ、ここは怒っていいところだぞ」
「やだ……やだ、帰りたい。ごめんなさい、謝りますからぁ……!」
地面にへたりこんで号泣する五月女さん。
こうしてみると、まだ本当に子供みたいだ。
「もういいよ、彼女を帰してあげて。イオ、お願い」
「お前は……底抜けのお人好しだな、本当に」
イオは一旦、空を見上げ、片目を瞑って頷いた。
「けど、チカがそこまで言うなら仕方ない。こいつは帰らせてやるよ」
イオのブーツの踵が地面を蹴る。
私たちの前に、再び、あの光の渦が出現した。
ぐるぐると激しく波立つ水面の中心に、東京の景色が映し出される。
五月女さんが跳ね起きた。
髪を振り乱し、無言で渦へとダッシュする。
その背中に、イオが声をかけた。
「トーキョーってところで生きるのは大変そうだな、小娘」
五月女さんの足が、渦の淵で止まる。
振り向きざまイオを睨みつけ、彼女は叫んだ。
「そんなことないわよ! 東京はね、便利で清潔で楽しくて、みりあみたいに可愛く生まれた女の子にとっては楽園なの! あんたみたいなバケモノもいないしねっ!」
「けど、ちょっと長く生きたやつは貶めてもいい世界なんだろ? お前もすぐにソッチ側になるな。ま、頑張れよ」
ハッとしたように五月女さんが目を見開いた。
次に私のほうへ鋭い眼光を向け、唇を噛む。
そして両手の拳を握り、彼女は光の渦へと飛び込んでいった。
「楽園」へ帰るために。
年齢に関しての表現は、あくまで登場人物(五月女みりあ)の主観です。
作者の考えとは違います。念のため。




