26.きれいごと
ふっ、とイオが自嘲ぎみに息を吐いた。
空っぽの笑顔。そう、思った。
「わかっただろ。俺は本当の化け物だ」
「そんなこと、ないよ」
「本気で言ってるか? 考えてみろよ、俺は人間を喰ったことはねえけど、傷つけたことなら山ほどあるんだぜ。母さんの気持ちもわかる。こんな殺人兵器みたいなやつ、自分の子だって嫌いになるよな」
「そんな……そんなこと」
「生贄で送り込まれてくる女たちも、俺を見たら泣き喚いた。一人残らずだ。帰してやるって言ったら、すっ飛んで逃げていった。竜の姿じゃなくても見た目から怖いもんな、俺。チカだって帰れる場所があったら残ったりなんか……あれ? おい、なんで泣いてる?」
イオが私の顔を覗きこむ。
溢れる涙を抑えることができなくて、彼に背を向けた。
自分を「化け物」だと言うイオ。
ふざけた態度の裏で、彼は自らの過去の重さに押しつぶされそうになりながら生きているのだ。
私なんかじゃ想像もできない、絶望と孤独の中で。
なのに、寂しさを埋める手段を自分以外に強要しなかった。
花嫁(というか生贄)として送り込まれてくる女性を手元に置くことだってできたのに、もといた場所に帰らせてあげた。
イオの強さの、悲痛な証だ。
私は、なにも知らなかった。
「あのな、別に同情されたくて話したわけじゃねえぞ? そういう反応重いなー、重いわー」
背中越しに、イオが揶揄うような口調で絡んできた。
「重くてごめんなさい、でも悔しいの」
「なんでチカが悔しがるわけ? いま話したのは全部俺の話。お前に関係ねえの」
「わかってる。だから悔しい。私には過去を変えることはできないから。でも、これだけは言えるよ。あなたは化け物なんかじゃないよ」
イオが息を呑む気配が伝わる。
振り返らずに、私は続けた。
「イオは私を生かしてくれた。居場所をくれた。この世界に連れてこられて、私の話を聞いてくれたのはイオだけだよ。ロニーのことだって助けてくれた。迷子になったら探してくれて、見たことない景色を見せてくれる。あなたが優しいこと、私は知ってるから。だから自分のこと、化け物だなんて言わないで……っ」
熱に浮かされたように喋っていた言葉が、途中で途切れた。
背後からイオに抱きしめられたせいだ。
「口を開けば綺麗事を言うよな、お前は。こっちが恥ずかしくなる」
耳元でイオが囁く。
「……き、綺麗なことの、何が悪いの」
動揺しながら言い返した。
「何も。敵わねえなと思っただけ」
そう言って、イオは笑ったようだった。
ふっ、と彼が漏らした小さな息が、うなじにかかる。
イオが片手で、私の目を優しく覆った。
視界を塞がれて、鼓動が速くなる。
体を包む腕の力と熱に、眩暈がする。
片方の手で目隠しをしたまま、イオは私の体を、ゆっくりと反対の方向へ向けさせる。
「チカには、綺麗なものを見せてやりたい。この景色より、もっと、もっと」
「イオ……」
「だけど、ドレスや宝石じゃ、お前を喜ばせることはできないんだよな」
一陣の風が体を撫でる。
ざあっ、と音がした。――木の葉が擦れる音だ。
「目、開けていいぞ」
囁きとともに、そっとイオの手が外された。
開けた視界の色彩は、さっきまでとは、まるで違っていた。
「……!」
花々が絨毯のように咲き乱れる中に、私たちは立っていた。
一面に広がる緑。
眼下に広がる湖のまわりにも、いまは木々が豊かに茂っている。
金色の夕陽が森を照らし、みずみずしい草木の香りのする風を切って白鳥が群れ飛んでいる。
夢のように――美しい景色だった。
「きれい……すごく、綺麗……」
「やっぱり、チカには千の花が似合うよな」
掌で私の頭をぽんぽんと撫でながら、イオが言う。
後ろから抱きしめる腕に、力がこもった。
その彼の腕に、おそるおそる自分の手を添えてみる。
「ありがとう、イオ」
言いたいことは、他にもたくさんあるのに。
言葉にならないのが、もどかしい。
でも、今はこれでいい気がした。
過去を変えることは、できない。
でも、心に残った傷を癒し、前を向くことはできる。
イオも、私も。
しばらくのあいだ、私たちは体を寄せ合い、夕陽を浴びて輝く湖と群れ飛ぶ鳥たち、そして色とりどりの花々が咲きみだれる森を見つめていた。
それは本当に綺麗で、愛おしい光景だった。
この先どれだけ時が過ぎても、ずっと忘れないと思う。
イオの体の温もりも一緒に。
お読みいただき、ありがとうございます。




