第二十八話 知らない記憶
何も見えない。 体が動かない。
俺は死んだのか。
自分の体の輪郭を感じない。
まるで、意識だけがとり残されたみたいだ。
ーーー己の過去と向き合えーーー
その声は俺の声だ。
だが、俺の声ではない。
そして、体の傷が痛み始めた。
痛みがやむと世界が見え始めた。
田畑が広がる。
日が昇り始めている。
田畑をつなぐように家が点在する。
だが、朝の村は、まだ完全には目を覚ましていないみたいだ。 土の道には夜露が残り、靴跡と荷車の跡が重なっている。家々の屋根からは細い煙が立ちのぼり、どれも同じような高さで、同じようにゆっくりだ。
井戸のそばでは水を汲む音がして、向こうの畑では鍬が一度、二度と土を打つ。
通りを進むと、村外れに近い一角が見えてくる。
修理を重ねた木の家が並び、その中の一軒だけ、壁に剣の鞘が掛けられている家がある。
剣士の家だろうか。
扉は閉め切られておらず、わずかに開いている。
中から、薪のはぜる音と、かすかな声が漏れていた。
家の中に目を向けると、まず壁際の剣が見える。 無駄な装飾はなく、使われ続けてきた形をしている。
そのすぐそばで、背の低い影がちょろちょろと動いていた。 五歳ほどの子供が、剣士の足元にまとわりついている。
剣士は腰を落とし、短い言葉をかける。 子供はそれを合図にしたように離れ、ぱっと表情を明るくした。
少し離れたかまどの前では、大人の女が鍋をかき混ぜている視線だけを向けて何か言うと、子供が即座に反応する。 言葉の内容は聞き取れないが、やり取りの調子は穏やかだ。
やがて食器が並び、湯気が机の上に広がる。 剣士は剣帯を締め、家の中を一度だけ見回す。 扉の方へ向かうと、子供が後を追う。 小さな手が振られ、女の声が重なる。
剣士は外に出て、通りへと足を踏み出す。 扉が閉じると、家の中の様子はもう見えない。
村の朝は変わらず続いていく。 煙は揺れ、土の道には新しい足跡が増える。
剣士の家では、稽古は毎日のことだった。 その日も、日が傾きはじめる頃になると、庭先に二つの影が並ぶ。
父は背が高く、骨太な体つきをしている。 肩幅が広く、無駄な肉はない。顔には古い傷が一本、頬から顎にかけて残り、髪は短く切りそろえられている。派手さはないが、立っているだけで剣士だと分かる姿だ。
向かいに立つ子供は、その半分ほどの背丈しかない。 小さな手で木剣を握り、いつも通り構える。
少し離れたところで、母が様子を見ている。 父とは対照的に、細身で背は低めだ。長い髪を後ろで束ね、袖をまくった腕には家事でついた細かな傷がある。表情は柔らかいが、目はよく動き、二人の足運びを逃さず追っている。
稽古が始まる。
構え、踏み込み、振り下ろし。 子供の動きは拙いが、慣れがある。何度も繰り返してきた形だ。 その日は、子供の踏み込みがいつもより深かった勢いもある。
「止めろ」
父の声が入る。
低く、短い。
子供はその場で固まる。
「どうして?」
問いかけは珍しい。
父は一歩近づき、木剣の位置を指で押さえる。
「力が先だ」
「でも、できてる!」
子供の声が上ずる。
握った木剣がわずかに震えている。
父は表情を変えない。 傷のある頬も動かない。
「今日は違う」
その言葉で、子供は木剣を地面に落とす。
乾いた音が庭に響く。
母が一歩前に出るが、すぐには口を出さない。
父は落ちた木剣を拾い、子供には渡さない。
「ここまでだ」
子供は唇を噛み、父から目をそらすと、家の中へ戻っていく。
そこでホワイトアウトにあったように真っ白になった。 それと同時に体の輪郭を思い出し、『魔王の導』にそって激痛が走った。
ようやく目を開ける事が出来た。
どうやら俺は拘束されている。
顔を上げると、フィオラもとい、深淵主がいた。ツインテールをたらし、俺の顔を覗き込む。




