第十二話 鶴の一声は本当にある!
宴の準備ができた。いよいよだ。口火は王に切ってもらおう。銀時もなんか機嫌がいいな。
倉庫の大扉が、きい、と低い音を立てて開いた。
最初に外へ出てきたのは、王だった。
冠はない。外套も古く、色あせている。
それでも背筋だけは、不思議と真っ直ぐだった。
誰もすぐには気づかない。
倉庫の前では、料理の匂いに誘われた数人が立ち話をしているだけだ。
鍋の中で、具材が静かに煮える音。
パンを切る音。
どこか久しぶりの、生きた音が流れている。
王は一歩、倉庫の外へ出た。
そして、何も言わず、立ったまま動かない。
――あれ?
最初に気づいたのは、荷運びを手伝っていた若い女だった。
彼女は手を止め、目を瞬いた。
「……王、様?」
その声は小さく、風に溶けそうだった。
だが、その一言で、空気がわずかに変わる。
隣の男が振り返る。
さらにその隣が、視線を追う。
会話が途切れ、足音が止まる。
王は、まだ黙っている。
呼び止めもしない。
手も振らない。
ただ、倉庫を背にして立っている。
人が一人、また一人と集まってくる。
集まる理由は様々だ。
食べ物を見に来た者。
手伝いに来た者。
ただ、王がいると聞いて来た者。
やがて、倉庫の前に小さな輪ができた。
誰も声を張らない。
ざわめきも起きない。
それでも、確実に人は増えていく。
料理の匂いが、風に乗って広がる。
腹が鳴る音を、誰かが慌てて誤魔化す。
王は、その様子を見渡した。
一人ひとりの顔を、確かめるように。
疲れた顔。
痩せた顔。
それでも、ここに立っている顔。
王は、静かに息を吸った。
その呼吸の音すら、近くにいた者には聞こえた気がした。
倉庫の中では、鍋の火が強められる。
木皿が並べられ、布が敷かれていく。
宴の準備は、もう止まらない。
王は、ようやく口を開こうとした。
――その瞬間、
倉庫の前に集まっていた全員が、
自然と息をひそめた。
地声だった。張り上げてはいない。
だが、不思議とよく通る声だった。
「……集まってくれて、ありがとう。」
それだけ言って、王は一度、言葉を切った。
誰も口を挟まない。
「私は、王だ。だが――
この国を、この有り様にしたのも、私だ。」
視線を逸らさず、民を見る。
「守ると誓った。生きて帰らせると誓った。だが、できなかった。」
倉庫の壁に、鍋の煮える音が小さく響く。
「この場にいない者たちは、死んだからではない。
私が、守れなかったからだ。」
王は深く、頭を下げた。
それは短く、だが迷いのない動きだった。
「……謝っても、戻らないことは分かっている。」
顔を上げる。
「それでも、私はここに立っている。
なぜなら――
お前たちが、まだここにいるからだ。」
ざわり、と空気が揺れた。
「生き残ったことを、
恥だと思っている者もいるだろう。」
「『なぜ自分だけ』
『なぜあの人ではなく』
そう思った夜が、なかった者はいないはずだ。」
王は、ゆっくりと倉庫を背に手を伸ばした。
「だが、見てほしい。」
扉の向こう。
並べられた食料。
立ちのぼる湯気。
「これは奇跡ではない。
誰かが運び、
誰かが準備し、
誰かが生きようとした結果だ。」
声に、ほんのわずかに熱が宿る。
「この国は、まだ終わっていない。」
「形は壊れた。
家も、街も、誇りも壊れた。」
「だが――
生きている者がいる限り、国は死なない。」
王は、一人ひとりを見るように言った。
「今夜は、忘れろ。」
「嘆くことも、責めることも、
未来のことも、すべてだ。」
「ただ、食え。」
「笑えなくてもいい。泣いてもいい。黙っていてもいい。」
「だが、生きてくれ。」
一拍。
「それが、この国を失った王が、今も王である理由だ。」
王は最後に、静かに言った。
「――宴を始めよう。皆で生きるための…」
その瞬間、倉庫の中から、鍋の蓋が外される音がした。人々が一斉に倉庫に入る。一人一人に用意された食事を前にする。席につき、飢えた犬のようにかぶりつく。会話ない。ただ咀嚼音と心臓の鼓動だけが聞こえる。




