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だから生きて、そばにいて。  作者: 葉方萌生


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6




 信じられないことに、俺は連休明けに天使のように現れた渡会青葉と、付き合うことになった。

 恋をしてしまったのだ。

 かつて朱音を好きだった時と同じくらい……いや、ひょっとするとそれ以上に、彼女を恋慕う気持ちが芽生えていた。

 もう誰とも好き合ったりしないって決めたのにな。

 頭でどれだけ考えてても、心が勝手に動いてしまうのだから、仕方がないのかもしれない。

 大丈夫。俺たちなら、きっと大丈夫。

 教室の一番後ろの席で呼吸を整えながら、まっすぐに黒板を見つめる。

 右隣には、彼女の息遣いがして、俺はもう一人孤独に生きているのではないのだと感じた。



 彼女と交際を始めて一ヶ月が経った。

 十月初旬。

 本格的に夏の暑さが和らいで、秋が間近に迫っていると予感させる爽やかな風が窓から吹き込んでくる。

 これまで、渡会とは毎週のようにデートを重ねていた。

 今は、渡会にとってこの学校で初めてのテスト期間だ。二学期初めの中間テストの勉強会を、俺の家で開いた。もちろん、彼女と二人で。

 部屋の中でローテーブルに向かい合って座る。


「ねーねー、みっきーって勉強得意?」


「まあ……それなりには」


「それなりってどれくらい? 九科目で何点? 私、多分頑張っても七割ぐらいしか取れないよ〜」


「うーん、何点だろ、八割か、九割」


「うげえ、めちゃくちゃすごいじゃん。やっぱりみっきーと付き合って良かった!」


「俺と付き合って喜ぶポイント、そこかよ」


「へへん、もっちろん。別のところもあるよ、例えば……ほらっ」


 掛け声と共に、彼女が握っていたシャーペンを置いて、俺の胸へと飛び込んできた。突然のことだったので、あっと体勢が崩れそうになりながらも、何とか彼女を受け止める。ついでに頭をポンポンと撫でた。


「こうしたら、みっきーは絶対受け入れてくれるし、頭だって撫でてくれる」


「そりゃ、好きだからな」


「そういうの、照れもせず言えるところも好き」


「渡会に乗せられてるだけだ」


「素直じゃないところも好き」


 何を言っても、「好きだ」と口で伝えてくる渡会に、俺も自分の気持ちに正直にならざるを得なくなる。

 教室ではさすがにここまで本性を見せ合うことはできないけれど、それでも彼女と話しているときは、俺の顔は自然と緩んでいるだろう。


「私ね、今すっごく幸せなの。こんなに幸せでいいのかなーって思うくらい」


「……ああ」


 似たようなことを、昔朱音に言われたことがある。


——幸せすぎて、なんだか世の中の人に申し訳ないな。


 そんなこと、考える必要もないはずなのに、どうしてか切なそうに彼女は笑っていた。

 ダメだ。渡会と一緒にいる時に、朱音のことを思い出すな。

 彼女に、失礼だろ。


「みっきー、改めて私と付き合ってくれてありがとう。これからもよろしくね」


「こちらこそ、よろしく」


「ありがとう」も「ごめんね」も「好き」も、彼女は自分の気持ちを余すことなく伝えてくる。だから俺は、安心していた。

 朱音みたいに……何も言わずにいなくなっちまうような人間じゃないって、思えるから。

 もしかしたら俺のあの特異な体質も、もうとっくに治っているのかもしれない。 

 感情を素直に表す渡会から、憂いのまなざしは見えない。

 どうかこのまま、彼女とずっと一緒にいられますように。


「どうしたの、みっきー」


「ん、いや、幸せだなって思って」


「私も、すっごく幸せ。テストで全教科百点取れそうなぐらい」


「それは流石に努力次第だろ」


「うっ。ですよねー……」


 くすくすという笑い声が部屋に響き渡る。高校に入学してから——いや、中学の頃に朱音を失ってから、この部屋が華やぐことなんて一度もなかった。今、不思議な気分だ。


「よおし、初めてのテストだし、みんなにぎゃふんと言わせるぞ!」


「“ぎゃふんと”って、そもそもみんな渡会のこと勉強できないやつだとか思ってないから」


「あれ、使いどころ間違った?」


「うん、全然違う」


 あはは、とあけすけに笑う彼女の横顔を、ずっと眺めていたいと思う。

 こんな些細な日常の一コマで心がいっぱいに満たされるぐらいには、俺はもう、どうしようもなく彼女に恋をしていた。




「最近、坂倉って変わったよな」

「分かる。前まではめちゃくちゃ根暗だったのに」

「教室で一言も声を発しなかったもんな」

「でも俺、中学の頃はあいつも明るいやつだったって聞いたぞ」

「え、そうなの? じゃあなんで」

「なんか、色々と事件があったみたいで」

「そうなんだ。じゃあ今は克服したってこと?」

「うーん、どうなんだろうな。でも今元気そうだしいいんじゃね?」

「渡会と付き合ってるみたいだし、なんか幸せそうだな」


 教室のそこら中で、自分の噂をする声が聞こえてくる。

 悪口のようなものはなくて、ただ単に今まで教室の隅でひっそりと息を潜めていた俺が、渡会とよく喋るようになったことに、みんな純粋に驚いているようだった。


「光希」


 昼休み、とある男子から声をかけられた。

 田村慶(たむらけい)。中学の頃から同じ学校で、同じバスケ部に所属していた男子だ。慶とはかつて仲が良く、俺と朱音のこともよく知ってくれていた。でも、朱音が亡くなってから、俺を腫れ物に触れるように扱うようになった。心を閉ざした俺に対して、次第に彼も心を閉じていき、今では同じ高校に進学したというのに、会話をすることもなくなっていた。


 そんな彼が、久しぶりに声をかけてきた。

 俺は驚いてはたと顔を上げる。


「慶、久しぶりだな。俺に声かけてくるなんて、何か用か?」


 ひとまず俺が返事をしてくれたことにほっとしたのか、彼の顔が弛緩した。


「いや、これと言って用があるわけじゃないんだけど、気になって。前、座ってもいい?」


「ああ」


 俺の前の席のやつは食堂でご飯を食べているのか、今教室にいなかった。慶が空いている席に座る。教室の端の方では、渡会が橋本杏と一緒にお弁当を食べて和やかに話している声が聞こえる。無意識のうちに彼女の声を拾おうとしている自分がいて、思わず苦笑した。


「光希、最近明るくなったな。中学の頃に戻ったみたいだ。何かあったの?」


「いや……別に。とりわけ何かあったわけでは」

 

 嘘つけ。あっただろ、思いっきり。

 そんな自分へのツッコミを慶は見抜いたのか、ぷっと吹き出した。


「いやあ、本当か? 噂によると渡会さんと付き合ってるらしいじゃん」


 ニヤリと口の端を持ち上げる慶。彼と話したこと自体久しぶりだが、こんなふうに俺を揶揄ってくるのを見たのも、中学以来だった。

 そこまでばれているのなら、もはや隠すこともない。

 俺は観念したように、「そうだな」と頷いた。


「おお、噂は本当だったんだな。おめでとう!」


 そうか。慶は俺に「おめでとう」と言いに来たのか。ようやくここで彼の思惑に気づいた俺は「お、おう」と戸惑いながらも返事をする。


「光希が彼女つくるなんて、びっくりだな。もう、朱音ちゃんのことは大丈夫になったのか?」


 朱音の名前を出した途端、彼の声色が一瞬にして曇る。彼なりにずっと俺のことを心配してくれていたのだと分かり、胸にチクリと小さな棘が刺さったような気がした。


「大丈夫かどうかは……分からない。正直、朱音のことは一生背負って生きていくと思う。でもいい加減、俺も前を向かないとって、思った」


 言いながら、教室の端の方で友達と笑い合う渡会の横顔を見やる。

 幸せそうな彼女の顔を見ていると、ずっと暗い深淵に沈んでいた心が、ぽっと浮き上がってきて、温もるような思いがした。


「そっか。何はともあれ、光希が前みたいに明るい表情をしてくれるようになったのが、嬉しい。俺ともまた、友達やってよ」


 鼻の下を掻きながら、照れたように彼は言った。

 そうか。俺、朱音を失うと同時に、慶のことも突き放していたんだ。

 そのことに、慶は少なからず寂しさを覚えていたのかもしれない。まったく、俺は周りが見えていなかった。自分だけが辛いのだと思い込んで、自分の殻に引きこもっていたわけだ。


「ああ、今までごめん。また、仲良くしてくれたら嬉しい」


 こんなにも素直な気持ちを吐き出せるのも、渡会と出会ってからだ。

 彼女が、真っ暗闇で止まっていた俺の腕を引っ張って、明るい外の世界へと連れ出してくれる。俺にとって、彼女は太陽の光そのものだと思った。

 この先も、彼女の隣で本来の自分を取り戻していきたい。

 それが朱音への弔いにもなる気がするから。

 この時強く、そう願った。



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