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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

古いお伽噺

作者: とある語り部

 あるところに若い農夫がおりました。大陸は南に位置する小さな集落の生まれです。そこで暮らす農夫は水汲みをしに近くにある小川へと訪れました。一年を通して穏やかな流れの小川は、集落で暮らす者たちの生活の要衝でございました。ですから農夫もまた清流の恩恵に与る為、毎朝欠かさず小川を訪れていたのです。


 水を汲んだ農夫は小川の辺でとあるものを見つけます。刈り取られたばかりの藁や草花が敷かれた自然の絨毯の上に赤子が捨てられていたのです。随分と年季が入ってはおりましたが、元は高級そうな布の中で赤子は静かに眠っております。周囲に親らしき者の姿は見受けられません。なんということかと心を痛めた農夫は、水を汲んだ桶の代わりに赤子を優しく抱きかかえました。


 農夫はしばらく周囲を見て回りました。赤子の親がまだ近くにいるかもしれないと思ったのです。しかしどれだけ探しても集落の者以外は見つかりません。途方に暮れた農夫は赤子を家へと連れて帰りました。村の者の助けも借りて、親が見つかるまで自分が世話をしようと決めたのです。


 子を成す前に妻を亡くしている農夫にとって子育てはまこと大変なことでしたが、けして苦ではございませんでした。何故なら空を思わせる瑠璃色の瞳と目が合うと、赤子は相貌を崩して破顔するのです。その形容しきれぬ愛らしさに農夫は大層な慈しみを感じておりました。


 月日が経ち、赤子は少女と呼べる歳になりました。母親のいない自分にもまるで家族の様に接してくれる村の者達と共に、穏やかな日々を過ごしておりました。それでも一抹の寂しさを覚えぬわけではありません。同じ年頃の友人が両親と共にいる姿を見て、羨ましいと思ったことは一度や二度ではございませんでした。ですが苦とは思いませんでした。何故なら家に帰ればいつも優しく温かい、少女にとって最愛の父親がいたからです。


 とある日のことです。少女は猫を見つけます。酷く傷つき、今にも死んでしまいそうなほど弱った猫です。少女はすぐさま駆け寄ります。猫は逃げる素振りすら見せません。心を痛めた少女が猫に手をかざすと、猫は少女の手から漏れる温かな光に包まれました。少女は驚きのあまり仰け反って転んでしまいます。手の平を見ると光は消えてしまっていましたが、傷ついた猫はすっかり元気になり尻餅をつく少女の脚に頭を擦りつけておりました。


 その日の夜、少女は昼間起きたことを父に語りました。「私の手が光ってね、猫の傷が治ったの」。父親は困惑しながらも少女の話を静かに聞いておりました。少女もまた興奮冷めやらぬ様子で楽しそうに話を続けました。まるでお伽噺のような話ですから、少女も信じてもらえると思って話したわけではございません。話の内容などは関係なく、父と二人で過ごすこの時間こそが少女にとっては何より大切なモノだったのです。


 しかし、翌日以降も少女の身体に異変は起こりました。転んで擦りむいた膝がその日の夜には治っていたり、少女が腰痛に悩む村人の背を擦ると痛みがさっぱり消えて元気になったのです。


 それはまるでお伽噺に出てくる魔法の様でした。枯れた花の前で踊ればたちまち息吹を取り戻し、天に祈れば雲一つない晴れ渡る青空が広がるのです。村人は少女を褒め称えました。神の使いとまで言う者もおりました。


 最初は皆の力になれることを喜んでいた少女ですが、次第に自分が普通ではないのではないかと思い始め、怖くなりました。そして何故、村人の中で自分だけがこんなことをできるのだろうかと考えるようになりました。


 少女は父にこう尋ねました。「私はどうしてあんなことが出来るの?」。父親はこう答えます。「特別な才能があるのかもしれないね」。少女は不安そうな面持ちで、もう一度問います。「お父さんは同じこと出来ないの?」。父親は答えます。「そうだね、僕には出来ない」。


 少女は思い悩みました。普通、親子とは似てくるものです。ですが自分と父を比べて見ても、似ているところはほとんどありません。目や髪の色が違います。ほくろの位置も違います。好きな食べ物も好きな色も好きな香りも、思えば父親と同じなものは一つとしてありませんでした。


 少女は遂に泣き出してしまいます。そして(せき)を切ったようにこう尋ねます。「お父さんは本当のお父さんじゃないの?」。それはずっと考えないようにしていたことでした。少女は聡明だったので、物心付いた頃には心のどこかでそう気づいておりましたが、一度口にしたら愛する父が離れていってしまいそうで、ずっと言えずにいたのです。


 泣きじゃくる少女に父親は慈愛の微笑みを向けます。そして昔よりも少しだけ衰えた両腕で娘を抱きしめて言います。「確かに血は繋がっていないけれど、僕がセレスの父親であり、セレスが僕の愛する娘であることは変わらないよ」。


 昔から変わらない優しい父の声に少女は胸の中の(もや)が晴れたように安堵します。そして父の腕から伝わる温もりを自分からも返してあげようと、少女も父に精一杯の抱擁を返したのです。


 次の日から少女は晴れ渡るような気分で力を振るうようになりました。誰かが転んだり身体を痛めても問題ありません。怪我や病気はすぐに治ります。水が足りなければ雨を降らし、陽が足りなければ雲を晴らします。そうして村は豊穣に恵まれる地となりました。誰もが少女の献身を称えながら、穏やかで豊かな暮らしをするようになったのです。




 ですが、そんな生活は長くは続きませんでした。ある日、少女の噂を聞きつけた王が村を訪れたのです。その王は史上で最も劣悪とされる愚王でした。己が為政者であることを誇示するような豪華な装いで村を訪れ、村人のみすぼらしさを嗤いながら王は言いました。「セレスという娘を差し出せ」。そして見目麗しい少女を一目見てこう言います。「お前に我が国へ仕える栄誉を授けてやろう」。


 少女はそれを拒みました。何故なら国へ仕えるという事は村を離れるという事だからです。それは少女にとっては耐え難いことでした。村の皆と離れることはもちろん、何より愛する父と離れ離れになるなど到底考えられませんでした。


 少女の拒絶に王は大いに憤慨しました。その日の夜のことです。なんと王は衛兵を連れて村を襲ったのです。家屋には火が放たれました。火の手から逃れ外へ出てきた者は矢に射抜かれました。武器になる物を持ち抵抗した者は切り伏せられました。蹂躙は終わりません。男も女も子供も老人も皆、愚劣な王の笑い声の元に倒れてゆきました。


 王の目的は少女です。一人の村人は父親と少女の元へ走り、こう告げました。「気の触れた王がもうじきやってくる。二人はすぐに逃げるんだ」。そう言い残した村人は古びた剣を抜き、来た道を戻ってしまいます。父親は急いで荷物をまとめ、少女の手を引いて家を出ました。


 二人は暗い夜の道を走ります。衛兵が村人たちを襲っている場所からそれほど離れておりません。ですから火事の音や皆の悲鳴は少女の耳にも届いております。少女は助けに行こうと父に向かって叫びました。しかし立ち止まった父は悲痛な顔で首を振ります。「彼らは僕たちを逃がすために戦っているんだ。その意志を無駄にしてはいけないよ」。少女は止めた足を再び動かします。まるで鉛のように重い足でした。


 しばし走った先に村の境界に設置された門が見えてきました。森へと続く道でございます。幼い子を連れた村人の姿も見えます。彼らは二人によりも先に門の外へと出ましたが、先回りしていた衛兵に殺されてしまいました。


 父親と少女は足を止めます。他に村から出られる場所はありません。父親は何としても娘を守らんとしました。未だかつて振るったこともない剣を抜き穂先を衛兵へと向けます。娘を背に庇い、父親は言います。「安心しなさい。お父さんが必ず守るから」。少女はその力強い言葉に安堵しました。


 ですが、安堵も束の間でございました。少女の目の前で何かがずるりと滑って地面に落ちました。つられるようにして少女も視線を落とします。虚ろな目をした父の顔がそこにはありました。


 少女は言葉を失いました。慟哭すら忘れたようでした。信じがたい光景を目の当たりにして、わなわなと震えるだけでございました。そんな少女を衛兵は下卑た目で見つめます。立ったままの父親の身体を押し退けるようにして、衛兵は少女の手首を掴み上げました。




 気が付けば時間が過ぎ、朝になっておりました。頬を打ち付ける雨で少女は意識を取り戻します。身体の節々が痛みました。そして自分が立っていることに気が付きますと、半ば夢心地のまま少女は周囲を見回しました。崩れた家屋と血まみれで倒れる村人、そして衛兵の姿が目に映りました。


 少女はふらふらとした足取りで村の中を歩きます。少女の心を映したような雨は止みそうにありません。どこの家も崩れておりました。生き残っている者は一人もおりませんでした。家畜さえ残らず殺されておりました。それでも少女は足を止めません。夜中に走った道を辿り、やがて父の遺体の元へ辿り着きました。


 父のすぐ傍には、少女の手首を掴み上げた衛兵の亡骸が転がっておりました。あの衛兵に手首を掴まれた瞬間から少女の記憶は抜け落ちていました。ですが少女には何が起こったのかわかっております。村の中に転がる衛兵は、少女が殺めたのでしょう。王の遺体はありませんでしたから、兵士を盾に逃げたのでしょう。記憶にはなくとも身体が覚えております。なにせ少女は全身が血に濡れてなお傷の一つすらないのですから。


 少女の心に小さな疑問が湧きあがります。なぜ、こんなことに。考えても結論は出ません。少女は苦しさを紛らわすように身体を動かしました。皆の墓を掘り、丁寧に埋葬し、崩れた村を整え、日々を過ごしました。そうしなければおかしくなってしまいそうだったのです。


 季節は巡り、少女はまた一つ歳を重ねました。ですが少女を祝ってくれる者はおりません。立て直した侘しい村の小さな家で一人、少女は暮らしております。村人が遺したもので食い繋ぎ、今日を生きることを毎日繰り返すだけの日々でした。


 村の皆が死んだあの日からちょうど一年が経ち、少女の内に湧いた疑問はいつしか火種となっておりました。そしてくすぶり続けた火種は長い時間を掛けて少女を内側から焦がしたのです。歯が割れてしまいそうなほどに奥歯を噛みしめます。怨嗟の炎を宿した瞳は復讐を見据えておりました。そこには父の愛を一身に受け、純真に育った少女の姿はありません。少女は亡き父に王への復讐を誓ったのです。




 村を出た少女は大陸を北上しました。商人がよく使う街道を何日も何日も歩き続け、やがて見えてきたのは国一番の市場街でございます。大通りにはいくつもの露店が軒を連ねておりました。何一もの旅路で腹空きだった少女は少ない路銀でパンを買います。この一年で自分が作ったものとは比べ物にならないくらい美味しいパンでした。気づけば少女は涙を流しておりました。


 すれ違う人々に好奇の視線を向けられます。みすぼらしい格好の美しい少女が涙を流しながら歩いているのですから当然でございましょう。少女は不躾な視線から逃れようと路地へと入りました。そこは栄えている大通りから一転、薄暗く腐臭の漂う不快な場所でした。


 少女の足元を拳ほど大きな鼠が走って通り抜けます。それを追う猫も通りました。ほどなく鼠は猫に捕まります。余程お腹が空いていたのでしょう。猫は鼠の頭を生きたまま食い千切りました。少女は父親から追い詰められた鼠は猫を噛むという話を聞いたことがありました。ですから少し期待しましたが、やはり鼠では猫に敵いません。少女は顔をしかめますと、視線を外して路地を進むことにしました。


 しばらく歩くと少女はまた別の通りに出ました。大通りほど栄えてはおりませんが、疎らに人通りのある場所でございます。少女は道行く婦人に声を掛けました。ですが夫人は嫌悪を視線を向けてくるばかりで立ち止まってはくれません。少女は自分の格好を改めて確認しました。なんとも惨めな浮浪者のようです。


 少女は出で立ちを整えようとしましたが路銀が足りませんでした。ですが少女は街での稼ぎ方を知りません。日銭を稼げる職を探そうと街を歩いておりますと、とある話が聞こえてきました。草臥(くたび)れた格好の男が言います。「娼館の件だが、どうやらマルクスの奴が賄賂を握らせているらしい」。大柄な男が答えます。「衛兵が動かないわけだ。都合の良い社交場を失いたくないのだろう」。なにやら不穏な会話に少女は耳を欹てます。


 話を聞いておりますと、どうやらこの街の首長であるマルクスという男が国の役人に対して娼婦の違法な売買を行っているのだそうです。少女は男たちに声を掛けます。「その話、詳しく聞かせていただけませんか?」。二人の男は顔を見合わせます。みすぼらしい格好の少女のことを逃げ出してきた娼婦だと思ったのでしょう。「良いだろう、こっちへ来い」と男は少女を建物の中へ招き入れました。


 都合の良い勘違いでしたので、少女も敢えて訂正はいたしませんでした。扉が閉められた薄暗い部屋の中で少女は再度問います。「マルクスという男は悪い男ですか?」。抽象的な問いでしたが、草臥れた男は首を縦に振りました。「この一年で三十人以上の若い女が連れ去られ、よそへ売り払われている」。大柄な男がこう続けます。「しかも買っているのは国の役人だ。告発などしようものならこちらが葬られる」。権力を笠に着た鬼畜の所業に少女は怒りを募らせます。


 少女は二人の男を見てこう問いかけます。「その男が首魁ならば、捕まえてしまえばいいのではありませんか?」。二人の男は同時に首を振ります。「確かにマルクスさえ捕まえれば事態は収拾する。役人が危険を冒して奴を庇う理由はない」。しかしこう続きます。「だがマルクスも役人から護衛を買っている。もししくじれば逃げられてしまうだろう。だからそう簡単に手出しはできない」。二人の男は少女が思っている以上に苦慮している様子でした。


 そんな二人に少女は提案します。「では私がマルクスを捕まえます」。二人の男は怪訝そうな目を少女へ向けます。「君が? 冗談を言うな」。男は一笑に付しましたが、しかし少女は退きません。花瓶の中で枯れ果ててしまっている花に手をかざし、生花へと戻して見せました。


 二人の男は目を丸々と開いて驚きました。生き返った花を何度も繰り返し見ながら、男はとある噂を思い出します。ここより南の村に死者さえ蘇らせる魔術師がいるという噂です。草臥れた男は少女の目を見て問います。「君の名前は何だ?」。少女は答えます。「セレスと言います」。男は大きく息を吸い、吐くことを忘れて驚愕しました。


 男の記憶では、南の村はセレスという名の魔術師によって滅ぼされたはずでした。二人の男は後ずさりします。大柄な男に至っては懐からナイフを取り出しました。無理からぬことでしょう。目の前の少女が逃げ出した娼婦などではなく、村一つを滅ぼした魔女だったのですから。


 これほど露骨な拒絶を示された少女でしたが、その心は冷静でございました。静かに手を降ろしますと、自分が無害であることを伝えます。「お二人に危害を加えるつもりもありません」。少女はさらに続けます。「私がその気であればお二人ともすでに死んでおります」。いささか攻撃的な物言いではありましたが効果的ではありました。草臥れた男は脂汗を流しながら問いかけます。「目的は何だ?」。少女は答えます。「路銀が足りないのです。マルクスを捕まえる代わりに幾らか報酬を用意していただけませんか?」。


 二人の男はぎこちない動きで目を合わせますと、どちらからともなく警戒を解きました。この状況で敵意を向けても意味などないと悟ったのでしょう。深く溜息を吐いた草臥れた男は少女を見て言います。「もし君がマルクスを捕まえることが出来たとしたら報酬を支払おう。それほど多くは用意できないが」。もともと高額な報酬は求めておりませんから、少女は「構いません」と頷きました。




 数日後の夜、大柄な男は客を装って娼館を訪れました。この日、マルクスが遊んでいるという情報を掴んだのです。マルクスは気に入った娼婦を手当たり次第に買い、派手に遊ぶことで有名でございました。その日もマルクスは目に付いた娼婦を手当たり次第に買い、娼館の中で最も豪華な部屋で酒池肉林の情痴に耽っていたのです。


 マルクスの存在を確認した大柄な男は、娼婦と義務的にまぐわいながら部屋の壁を叩き、外にいる草臥れた男に合図を出します。合図を受け取った草臥れた男は「今日はコイツと三人で楽しむんだ」などと嘯きながら少女を連れて娼館へ入りました。それから二人は買った娼婦に部屋で待つよう伝え、目的の部屋へと向かいます。


 部屋の外には大層な装備を身を包んだ衛兵が立っておりました。不用意に近づこうものなら腰元の件で切り伏せられるでしょう。ですが少女は止まりません。衛兵の制止も聞かずに近づいてゆきます。ですから衛兵も剣を抜いて少女を斬り伏せようとしました。剣は確かに振り下ろされましたが、倒れたのは少女ではなく衛兵の方でした。


 他の衛兵が一斉の少女の方を向き、抜刀します。ですが、やはり少女を斬ることは出来ません。剣を振った者から倒れてゆきました。倒れた衛兵を一瞥した少女は押し退けるように扉を開きます。そこには裸の男が一人と裸の女たちがおりました。


 少女は問います。「貴方がマルクスですか?」。娼婦たちが冷や汗を流す男の顔を見ました。男は震わせるようにして首を振り、否定します。「マ、マ、マルクスなど知らん、私のことではない」。なんとも憐れなことです。言葉で必死に否定しても、それ以外が雄弁に「自分こそがマルクスだ」と語っておりました。


 少女はマルクスに手の平を向けました。それから招くように手を閉じますと、今まで喚いていたマルクスがまるで糸の切れた人形の様に脱力したのです。娼婦の上に覆いかぶさるように倒れたマルクスはうわごとのように呟きます。「ち、力が……」。少女が背後の扉へ向けて「終わりました」と言いますと「早いな」と呟きながら草臥れた男が入ってきました。




 マルクスが捕まったことで、娼婦の違法売買を巡る事態は一応の収束を見ました。根本の原因が解決したわけではありませんし、売り飛ばされてしまった娼婦たちの行方は未だ分かっておりませんが、二人の男はひとまず少女へ感謝の言葉を述べます。


「ありがとう。君がいなければマルクスを捕まえることは出来なかった」。草臥れた男はそう言って金貨の入った袋を少女へ渡します。「あまり多くないが、しばらくは生活できるだろう」。袋を受け取り、少女も礼をします。「こちらこそありがとうございました」。


 大柄な男が少女に尋ねます。「これからどうするのだ」。少女は答えます。「目的があります。その為に旅をしています」。二人の男は顔を見合わせましたが、多くは訊ねません。ただ幸運を祈り、少女を送り出しました。




 それから少女は受け取った報酬で、本来の目的であった衣服を買い揃えました。選んだのは店に入って最初に目についた白い無地の服でございます。それは子供の頃に父が作ってくれた、今はもう着れないお気に入りの服によく似ておりました。


 白い無地の服はすぐに汚れてしまいます。ですから少女はその服を優しく手で払いました。一切の穢れも寄せ付けない、永遠に白く美しいままの服となるよう祈りを込めたのです。


 店を出ようとした少女はとあるものを見つけます。それは店の壁に掛けられていた、柄も刀身も真っ白な模造刀でございました。縁の部分に(あつら)えられたシロツメクサが一層目を惹きます。少女は尋ねます。「あの剣は何ですか?」。店員は答えます。「あれは刀と言います。ですが見ての通り偽物ですから、紙すら碌に切れません」。少女は刀から目を離さずにもう一度問います。「あれを売って頂けないでしょうか?」。店員は怪訝そうに問い返します。「構いませんが、なにも切れませんよ」。少女は頷きます。「切れずとも良いのです」。


 白い刀を手に入れた少女は、その刀身を手の平でなぞりました。少女にとってそれが斬れる剣かどうかは重要ではございません。何故なら少女が振るえばたとえなまくらでも斬れるからです。純白の服に身を包み、純白の刀を()いた少女は、父の形見の外套を羽織ってその街を後にしました。




 その後、少女は訪れる先々で悪事に手を染める者たちを裁き続けました。犯した罪に相応しい制裁を与えたのです。盗賊からは全てを盗みました。暴漢にはより苛烈な暴力を振るいました。そして理不尽な死をまき散らした者には、理不尽な死を与えることでその罪を(あがな)わせたのです。


 やがて少女の行いは「悪人に裁きを与える白い死神がいる」という噂となって大陸中に広がり始めました。噂とは往々にして形を変えて伝わるものですが、不思議なことに「返り血を浴びても白いままの服と、あらゆる名剣も凌ぐ白い刀を持った、少女姿の死神」という部分は、何処へ行っても不変のままだったのです。


 そしてもう一つ、共通して伝わっている噂がございました。その死神はかつて南の村を滅ぼした魔女セレスの成れの果てであるというものでございます。それは多くの者にとっては単なる噂の一つでしかありませんでしたが、この国に一人、その噂が真実であることを知っている者がおりました。


 それは少女を狙って村を襲い、少女以外の村人を手に掛け、少女一人の手で返り討ちに合い、無様にも逃げ(おお)せた愚劣な王でございます。かつて王は、人知を超えた力を振るう少女がいるという噂を聞き、あの村を訪れました。そうでございます。全ての始まりは真偽も不確かな噂だったのです。その噂に踊らされた愚かな王の行いこそが、純真だった少女を皆が恐れる死神へと変えてしまったのです。王は惨めな敗走の汚辱を(すす)ごうと、嘘と虚飾で塗り固めた噂を市井に流布しました。ですが少女は王が流した粗末な嘘さえも利用して、自分の存在を大陸中に知らしめたのです。


 やがて王は城に籠るようになりました。以前は何かと理由を付けて旅をしておりましたが、近頃は公に姿を見せる事さえございません。無類の傍若無人として知られる王の変わり様に国民は違和感を覚えておりましたが、少しは落ち着いてくれたのだと思い安堵しておりました。ですが真相は違います。王は日に日に肥大化してゆく死神の噂を酷く恐れていたのです。




 旅を続ける中でさらに一つ歳を重ねた少女は、大陸の中央から北東辺りに位置します宿場街に辿り着いておりました。しんと冷たい雪の降る港町でございます。城下町まであと少しというところで少女がわざわざここを訪れたのは、旅の途中、とある噂を耳にしたからでした。


 なんでも魔女セレスがこの港町に潜伏しているのだそうです。似たような噂は別の場所でも聞いたことがありましたし、本来ならば捨て置くものではありますが、なにやら此度の魔女セレスは、不正を働いたと言われていた役人を殺害し、懲悪の対価として法外な報酬を要求しているというのです。


 宿で一夜を明かした少女は、翌朝から街中で聞き込みを始めました。それほど大きくはない町ですから、陽が頭の上に昇る頃には十分な情報が得られました。中でも少女の興味を惹いたのは、魔女セレス本人に会ったことがあるという証言でございます。曰く、頭から足の先までをすっぽり覆う白い外套に身を包んだ顔も分からぬ女であるというのです。


 件の魔女セレスは、新月の夜に時計台の上に現れると言います。そして何という偶然でしょう。ちょうど今晩が新月でございました。少女は陽が沈むまでを宿で過ごし、月明かりが照らす夜道を歩き時計台へと向かいました。


 時計台に着きますと、扉の鍵は壊されておりました。少女は静かに中へと入ります。壁に沿って登る階段は途中で崩れておりましたので、代わりに放置されていた梯子を使うことにいたしました。足を掛ける度に腐りかけの木が軋みます。時計台は今はもう使われていないと言いますから、手入れも碌にされていないのでしょう。


 上り終えますと、埃を被った振り子時計の前に人影を見つけました。少女よりもやや背丈は低く、証言通りの白い外套に身を包んだ人物でございます。少女は腰に佩いた模造刀に手を掛けながら問いました。「貴女が魔女セレス?」。謎の人物はゆっくりと頷きます。刀を抜いた少女はさらに言います。「私を騙る貴女はいったい誰?」。


 謎の人物は揺らめくようにこちらを見ますと、フードを外してその顔を露わにいたしました。顔に大きな傷をいくつも持つ女性です。女性は言います。「セレスを騙った上で下らぬ悪事に手を染めれば、本人が会いに来ると思っていた」。女性は足音も立てず少女に近づいて言います。「私の名はイド。魔女セレス、どうしても貴女に伝えたいことがあった」。少女は顔をしかめて繰り返します。「私に伝えたいこと?」。


 女性は少女の脇を通り過ぎますと、「こちらへ」と言って物置部屋へ入って行きました。少し迷いましたが、少女はその後を追います。部屋に入ると女性は何やら荷物を漁り始めました。そして女性は取り出した何かを少女に差し出します。それは小さな石が結ばれている古びたネックレスのようなものでした。


 少女は問います。「これは何?」。女性は答えます。「それは貴女の母テラの遺品だ」。少女は射抜かれたように言葉を詰まらせます。「……私に母はいない。母は幼い私を捨てて消えたから」。少女はそう言いますが、女性はそれすらも知っている様子で言葉を返します。「テラには貴女と同じ力があった。だが先王にその力を疎まれ命を狙われていテラは、せめて貴女だけでも先王の手から遠ざけようとした。けして望んで手放したわけではない」。滔々と語られる内容に少女は戸惑いを隠せません。


 言葉を失う少女に向けて、女性は言います。「あの人は最期まで貴女のことを気に掛けていた。捨てられた貴女はあの人のことを恨んでいるだろうが、それでもそれだけは知っておいてほしかった」。少女は返す言葉を持ちませんでした。


 少女は絞り出すようにこう問います。「私を捨てた後、母はどうしていたんですか?」。女性は答えます。「すぐのあの村から離れ、追手から逃れつつ再び大陸を北上した。しかしこの町に辿り着く目前で捕捉され、私も共に抵抗したが殺されてしまった。逃げ切ることは出来なかった」。女性は後悔の滲む声でそう語りました。


 少女の中に、あの日と似た熱が沸々と湧き上がります。思いがけず母のことを知りました。ですが母は先王によって殺されたというのです。自身は現王に父と村の人たちを殺されました。愚劣な親と愚劣な子に私の家族は殺されたのだ。少女の怒りは未だかつてないほどに燃え盛っておりました。渡されたネックレスを固く握りしめます。必ずや彼の愚王をこの手で討ち取らんと決意を新たにしたのです。




 雪が解け、春の息吹が芽吹く季節となりました。少女は遂に城下町へと辿り着きます。大陸で最も栄えた町でございますから、人の往来も一際多く見えます。中でも王宮前に敷かれた大きな凱旋路には、王の威光をこれでもかと見せつけるような意匠が随所に施されており、まさに傲慢な王の性格が見て取れるような光景が広がっておりました。


 少女は真っ先に王宮へ乗り込もうと考えましたが、それは叶いませんでした。王宮を守護する衛兵の数が目に見えて多いのです。城下町の中でさえ常に見える場所に衛兵がおります。これほどの兵が闊歩する中で騒ぎを起こせば、すぐにでも王の耳に入るでしょう。少女にとって衛兵など相手にもなりませんが、兵を蹴散らしている内に王が逃げてしまえばこれまでの旅が元の木阿弥です。故に少女は機会を伺うことにしました。


 そして少女は、偶然入った酒場でこんな話を耳にします。なにやら次の豊穣祭の日に合わせて観兵式が執り行われるのだと言うのです。凄まじい数の衛兵が行進する式典ではありますが、現王が公の場に姿を見せる絶好の機会でもございます。少女は決行の日をこの日に定めました。


 数度の夜を過ごし、豊穣祭の日が訪れます。町中が豊穣を祝う祭りの中で活気づく中、凱旋路では道全体を埋め尽くすほどの兵士たちが列を成して行進しておりました。一糸乱れぬ動きで剣を構え、国の内外へ向けて威容を示すのです。その迫力ある光景は住民の関心を強く引き寄せておりました。


 大勢集まった群衆の中で、少女は行進している兵を見据えております。衛兵が剣を掲げます。あの剣が少女の父の命を奪いました。別の衛兵が弓を引きました。あの矢が村の人の命を奪いました。そして現王の姿が見えます。あの王が、少女から全てを奪い去ったのです。


 少女は群衆を掻き分けて列を成す衛兵に近づいて行きました。少女を止めようとしたものは皆彼女に触れることさえ出来ず膝をつきます。その異変はすぐに王の目にも留まります。外套を脱ぎ去って露わになった白い死神の姿に、王は表情を強張らせました。


 王は叫びます。「奴を止めよ。殺して構わん」。その一声でその場にいた全ての衛兵が少女へ差し向けられましたが、少女が腕を一振りするだけで皆崩れ落ちてしまいました。その異様な光景に、ある者は茫然と立ち尽くし、ある者は悲鳴を上げ、ある者は逃げ出しました。


 少女は足を止めません。静かに、ゆっくりと王に近づいてゆきます。そして腰に佩いた模造刀を手に取り、遂に王の首に手を掛けます。王の目には怯えと嫌悪と怒りと憎しみが宿っておりました。王は懇願するように言います。「ま、待て。貴様の望む物を与えよう」。少女は答えます。「私が望むのは貴様の死だけ」。


 王が最後に見た光景は、少女の姿をした白い死神の姿でございました。王の頭は地面に転がり、虚ろな両目は少女を見据えております。それを目にした時、今まで少女を突き動かしていた怨嗟の炎が掻き消え、まるで凍り付いたように少女は動かなくなってしまいました。復讐は遂げました。皆の仇は討ちました。ですが少女を温かく包み込んでくれる父の腕はもう二度と帰っては来ません。少女は誰にも聞こえないほど小さな声で呟きました。


「寒い……」


 いつまで経っても動かぬ少女を、一人の兵士が討ち取ります。

 少女の空しき復讐は、斯くして遂げられ、幕を閉じたのです。






 魔女セレスは、わたくしが見てきた中でも特に憐れで惨めな少女でございました。特別な力があった為に母に捨てられ、父を奪われ、帰る家も失くし、無意味な復讐に人生を捧げ、挙句、短い生涯を閉じることになったのです。これを憐れと言わずしてなんと言いましょう。


 ですが、ご安心ください。これはわたくしめが描いた単なる創作に過ぎません。憐れな少女は初めから存在しないのです。特別な力も、不幸な出来事も、白い死神も、どれも実在しない空想の中の出来事です。ですから私の目の前にいる彼女も、本当は実在しておりません。白い装束に身を包み、シロツメクサが誂えられた刀を佩いた少女など、現実に居る筈もないので


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