069_本物の英雄とは。
『ああ、汝よ。我は、世界を周り、弱き者に正義を与える騎士であるが故、永遠に其方と共には居られまい。其方の他にも、我には、助けるべき者が居るのである』
騎士はそう言い、甲冑に取り付けられた赤色の外套を靡かせる。
そして、それを見て、眠りの姫であった王女は、自身を魔物から助けてくれた騎士を、強く引き留めた。
『待って!行かないで、貴方は、あの様な辺境の地に居て良い存在じゃ、無いわ!』
『我は、弱者に正義を与えるべく、世界を回っている。其方とは、共には居られまい』
名も無き騎士へ、姫は恋焦がれて居た。
だからか、姫は、騎士の赤いマントを引っ張って。その場に泣き崩れたのである。
『うっ、ぐす。……なら、貴方の名前を、最後に聞かせてお呉れ。名も無き、騎士様よ!』
『我は、名も無き騎士では無い。名の無き騎士なのだ。貴方様に、名乗る名等ございませぬ。どうか、我を忘れて、御幸せに──』
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私が、自室に沢山と置いてあった、騎士道物語の本を、読み耽って居た頃だろう。
部屋の扉が三回、単調にノックされ。部屋の扉が徐に開いたかと思えば、そこには、老婆が一人。
扉の隙間からは、実に食欲の唆る匂いが立ち込めて。……昼食の時間だろう。
「もう、昼食の時間よ。……あら、懐かしい。それは確か、騎士道物語じゃなかったかしら」
「ああ。この部屋には、沢山と騎士に関する本が在るからな。些か、読まずして、そのまま埃だらけにするのも勿体無いと思って……。ああ、勝手に読んでしまって良かったか?」
「良いのよ、全然!……ふふ、昔の頃を思い出すわね。私の娘はね、こういう騎士道物語が大好きな子だったの。兄と比べて、凄く活発だったわね。──ほら、昔話は程々にして。もう、昼食の時間よ、あの人を呼んで来て」
あの人──夫、老爺の事だろう。今は、外で薪割りをしているらしく。昼食の時間だから、呼んで来て欲しいとの事。
私も、些か飯が冷めるのは嫌なもので。良い所ではあったが、栞を挟み早々と切り替えて。ベッド上から立ち上がり、壁に掛けられた、綺麗なドレスを眺めながら。……静かに、玄関のドアノブを握った。
外は寒い。クリスマスは昨日、終わってしまったが、それを冷まさせまいと、雪は絶えず降り注いで。
と、奥に寒い中、白い吐息を吐きながら、薪割りをしている老爺の姿を見つけ。私は手を上空へ翳し、老爺へと。
「お〜いっ、昼食の準備が出来たとか。途中で悪いが切り上げて、昼食と行こうっ!」
「おお、もうそんな時間か……。ううむ、ぅ。今日の昼食は何かね?毎日の楽しみな物で」
「今日は、レタスとサラミのカスクートと、昨日の余り物のクラムチャウダーだそうだ。……クラムチャウダーは、味が染みて、嘸かし美味いだろうな」
だが生憎、クラムチャウダーには、クラッカーは付いていない様で。その旨を伝えると、老爺は少し悲しそうにしていたが。
……熟成させておいたサラミが、遂に出ると聞くや否や、少し嬉々とした表情を浮かべ。
「君は、クラムチャウダーは好きかね?……娘と息子は全員、苦手で一口も食べなかったよ」
「クラムチャウダーは好きだ。特に、あの馬鈴薯が。翌日になると、より一層。味が染み込んで、違う風味になるのが好きなんだ」
「奇遇だな。そりゃ、同じだ」
少しの笑みと談笑が、場を包み込む。
家に帰れば、美味しいクラムチャウダーと、カスクートが待っていると思うと、どうも胸が踊るのだ。
私は、老爺の持つ薪を半分貰い受け。それらを、全て小脇に抱え込むと。
「──っ、ほぅ、っ。……んん、今夜は、前夜よりも冷えるな。風の流が変わっている。……ほら、息を吐いた時に、昨日とは流れる吐息の向きが違うのだ。今夜の夕食は、暖かいスープ等が好ましいな」
「おお、風の流れで天気が分かるのか。まるで、魔女だな。…ああ、魔女と言えば。向こうの峠を超えた先の集落には、行ってはいえないよ。彼処はまだ、魔女を深く信じている。君何か、怪しさ満載だから、直ぐに磔にされて、火で炙り殺されてしまうよ」
所謂魔女狩りだ。だが、そんな悪習がまだ彼処の地域では、盛んに行われているらしい。
「怖いな。……うぅ、む。それにしても、よく冷える……っ」
私は白い吐息を吐きながら、静かに辺りを見渡した。細長い木が立ち並ぶ、もう随分と見慣れた光景。向こうには、兎用のトラバサミが置いてあるのが見えた。
と、兎と言えば。昨日、老爺が猟銃を片手に、一匹の白兎を狩って来ていた筈だ。明日は、その兎を煮込んだスープも良しか。
それに、あの兎も、去年の冬を越した猛者だ。随分と、美味い出汁が取れるだろう。
「今日も、また兎を狩りに行くんだが、君も一緒にどうかね?……どうも、この二ヶ月半で、君の身体能力がどれだけ凄いか分かったから、老耄の世話をしてくれんかと。……前に、試し撃ちで与えた猟銃で、的をすべて射抜いた時は驚いたさ。君は良い狩人になれる」
「む、……人、いや、兎を狩るのは初めてな物で。そう、上手く行けるとは思わんぞ?私が逆に、貴方の足手まといになりかねん」
兎、か。今夜、もう一匹狩れたなら、其奴は竈で焼いて、香辛料でも振り掛けながら味わおう。きっと、美味いだろうなあ。
「弾の詰め方と、標準の合わせ方は分かるなら、もうきっと行ける筈さ。……ああ、人を撃っても大丈夫。腐敗はそう早くは進まないさ。──はは、只の老耄の冗談だよっ!」
「む、ぅ。冗談にしては、些か真面目な声のトーンだったが?……っ、くく。〜、はは。そうかい、そうかい。っはは、は!」
家に帰るまでの通路は毎度、老爺と冗談やこの街の噂話を聞いたり、言ったりする。
その時間が、私にとっては幸せだ。
周りは、辺り一面は白いだろうと。私の心は快晴だ。ほら、辺りを見てみると。随分と、綺麗に見えるじゃないか。こんな風に良
あ。
「……っん、どうしたんだい。寒くて、手が少し悴んだか?──やはり、君にはそれは重すぎたんだ。私が、少し持とう」
薪を、雪の地面へ落とした。目の前の光景が、信じられない。え、ぁ。何で、まずい。老爺の話している事が、頭に入って来ない。
……息が荒くなる。蓋をしていた蠱毒の蓋を開けて、中の蜈蚣を見た様な気分だ。今まで、封をして居た物が、甦って来るのだ。
「『私は』あ、え、っ。……『お前』……ふ、は……?『を』──、ッ、ぅ。……??『殺』」
「………………む、ぅ……?どうかしたのかね」
居たのだ。白い、雪に隠れる様に、佇む。
一人の男が、ポツンと。背中には、小銃を携えて。──その肌と髪色は、雪と同化する様に白い。……そして、厭らしく嗤っている。
怖い、全てが壊れた音がした。──『先生』が、何故今この場にやって来たのだろうか。
いや、当たり前か。奴なら、此処まで臭いで辿ってくるのは可能だった。油断していたんだ。彼奴が、二ヶ月経っても来なかったから。
考えたくも無い。目の前の光景が信じられない。……──先生は、此方を笑いながら眺めるばかり。一言も、言葉は発さずに。
幸せが、崩れ去る音がした。




