006_失楽園。林檎と蛇の名の下に。
003
「……お前が、ヘンゼルとグレーテルの童話を殺した大罪人かっ」
先生の部屋、そこにも、支部の追っ手が迫っていた。片目に黒色の眼帯、そして、キッチリと着込んだ黒スーツ。
そいつは先生に、ヘラヘラとした様子で、声を掛ける。そして、先生もいつもの笑顔で返事を返す。
「何の用だ。生憎、俺は今から酒を弟子と共に煽る予定だったんだが」
「弟子か……。ああ、私の支部の内一人も、その弟子さんを殺すと嘆いて居た奴がいたなあ。今日はそいつと二人で任務に来ていてね」
酒瓶を片手にそう言う先生を見て、黒スーツの男はこう語る。追記で、「だが、そいつは頗る頭が悪い」と一言。
先生は、酒をまた棚に戻すと。そのまま立ち上がり。ベッド上に雑に放り投げた、スナイパーライフルを手に取れば。
「馬鹿が。こんな近距離で、スコープを覗く暇を与えるとでも?」
「大丈夫だ。何も入っちゃいねえ」
笑いながら、先生は弾の入っていないライフル片手に、くあっと欠伸。
しかし、相手は舐めているのかと、血管を浮き出し少し苛立っている様子。その姿を眺めながら、先生は見下す様な笑みを見せる。
その態度を卑しく思ったのか、スーツの男はコツコツと。靴音を響かせ先生の元へと向かって行く。
「弾無しの狙撃者、か。間抜けすぎてこっちが笑えて来る。……はは、じゃあなんだ?そのライフルにお前は何を詰める。夢か、希望か、絶望か?それじゃあ間抜けな泥舟だ」
そう言い、先生を睨みつける男。
しかし、その言葉に先生は。
「泥も炙れば器になる。想像力だよ、想像力。お前にはそれが足りないみたいだけどな」
そう言った。しかし、弾無しの狙撃者が何が出来ると言いたげな男。だが、私やオズヴァルドは知っている。
先生は、ライフルの弾が無くとも十二分に戦えるのだ。近接戦闘では、誰も勝てないと思わせる程に。
しかし、それを知らないのがこの男だ。男は、先生に向かい、メリケンサックを付けた拳を振りかざす。……その瞬間、男の前から、先生の姿が見えなくなった。
「え?」
急に、彼の視界は天井を向いた。なんだ?
そう思う暇も与えず、地面へ倒れ込んだのを感覚で感じる男。
ああ、俺。股間と首を打たれたんだ。あのスナイパーライフルで。
そして、地面に倒れた彼に向けられたのは、銃弾の入っていないライフルだ。しかし、そのライフルは、今を生きる猛獣の様に強い。
男は、身を持ってそれを体験したのだ。
勝負は数える間も無く、静寂と共に終わりを告げる。先生は、そんな地面へ倒れる男の顔面へ、グリグリと靴裏を押し付けると。
「ほお〜〜ら、吐けよお。『この下僕奴隷の肉便器が、貴方様の様な高貴なお方に踏まれて光栄です』〜ってさあ」
「てめえ……っ!?」
小馬鹿にする台詞を吐けと命令され、またまた男の眉間に皺が寄る。だが、何も口にしない男に痺れを切らしたのか。
先生は刺繍されたポケットから弾を取り出せば、スナイパーライフルへその弾丸を装填した。
そうだ、持っていたのに使わなかったのだ。完全なる舐めプである。そしてそのスナイパーライフルを、先生は奴の眉間へガチャリと翳せば。また、厭らしく微笑んだ。
「ほらほら、死にたくなければ言うんだな。今回のは、弾入りだぜ?」
「…………っ」
「あ?台詞を忘れたか。『この下僕奴隷の豚箱性欲肉便器が、貴方様の様な高貴なお方に踏まれて光栄です』だ」
「……増えてるぞ」
「覚えてるじゃねえか」
そう言い、煽る様にして銃口を動かす先生。
すると、命が惜しいのか。もごもごと曇らせながらも、口を動かす男の姿。
「……この、下僕奴隷の豚箱性欲……に、肉便器が、……っ貴方様の様な高貴なお方に……ふ、ふ、っ」
口を動かすが、肝心な部分の声が小さい。
それに苛立ったのか、先生は舌打ちをすると、また銃口をチラつかせ。
それに怖じける男。………………そして。
「踏まれてっ……かうっ、こ、光栄ですっっ!ーーーー!!!」
最後の部分は声が高く裏返っていたが、問題無し。その言葉を聞いて、先生は大爆笑。
腹を抱え、顔を真っ赤にし、馬鹿を見た様な顔で笑った。そして、その先生の様子に、恥ずかしさだろうか。相手も顔が暁色の如く、赤くなっている。
………………だが、ストンッ。静かに何かが何かに刺さる音が。先生が目に浮かぶ涙を拭い、目の前を眺めると。無慈悲にも、倒れる奴のつむじにナイフが刺さっていた。血が流れ、そして、それを見てまた笑う先生。
「くはっ、くははははっははははははは!!ははっひ……っくくく、くははははは!!っひひ、はははっ……っぶはっ!」
「……敵が目の前に居るのに、よく笑えるな」
そこには、同じくほくそ笑むユダの姿が。
先生は嘲笑を込めた意味だろうが。このユダという名の変態は、興奮という意味で笑っているのだろう。扉から部屋に入り、かつての仲間だった死体の髪を鷲掴み。
そんなユダの姿を見て、先生は笑いながらもこう言った。
「お前からは敵意や殺意が感じられないんだよ。……っくく、地上にあるもの全てには、独特の匂いが存在してる。美味い人間と、不味い人間とかな。……っそれは、感情にもあるんだよ。お前さんからは、甘い香りが鼻が曲がる程臭ってきてるんだよっはははっ!」
甘い香り、所謂性的興奮である。
「成程……私はこの罪悪感や、自身の劣等感に興奮しているのか。……んっ、股が濡れてきた」
そう言い、身を震わせながら、ユダは死体を引き摺り、私の部屋へと向かって行く。
先生はそれを見ながら、「堕落」と呟き嘲笑した。
004
「っくはははははははっ!!マジで仲間の死体を持ってくるとはなあっ!思いもしなかったぜっ」
私は、部屋に仲間の死体を、本当に運んでやって来たユダ共々を嘲笑う。酒をカラカラと煽りながらだ。ユダは、股をもじもじと動かしながら、頬を火照らせにまりと笑う。
「これで、お前らの仲間として認めてもらえるんだろうなっ」
「そうだ雌豚。私は先生とは違って優しいからな。そう期待させてから殺すなんて、野蛮な真似はしねえ」
その言葉に、「んっ……!」と反応を示すユダ。これにて、生意気だった女の堕落落ちの完成である。
私はカラカラと再度グラス内の氷を回すと、そのままユダ用の酒を注ぐ。
そして、出来上がった酒を手渡し、私はユダの方へとグラスを向ける。ユダも、死体から手を離し。そのままグラスを片手にニマリと笑う。
「大丈夫、今回の酒は本当に毒入りじゃねえ」
前に出した酒は、勿論毒入りだった。
補足程度にそう呟けば、私は「乾杯」と一言発し、そのままウイスキーを一気飲み。
その私の様子を見て、ユダはウイスキーの匂いを嗅ぐ。そして、此方へグラスを傾けて。
「毒入りだな。この程度の小細工で、私を騙せると思うなよ」
そう言い、笑いながらグラスから手を離す。
硝子が音を立てて割れるのと共に、床へ毒入りウイスキーの、小さな湖が出来上がる。
その湖に反射して、裏切り者のユダの姿だけが、綺麗に反射した。
「……合格、いいなーお前、そこらの馬鹿とは大違いだ。……私の名前はヴェルギリウス。好きな酒はフォアローゼス、好きな食べ物はチェリーパイとバタースコッチシナモンパイだ。一応、毒は匂いと味で分かるんでね、毒殺はオススメしないよっ」
「……私の名はイスカリオテ・ユダフリッヂ。好きな食べ物は、トルタ・サラータ。酒は……ワインのみ飲んだことがある。酒は全般苦手だ」
そう誇らしげに、勇者の様に語り出すユダ。
私は、その自己紹介を聞きながら、ゆっくりと酒を飲む。
しかし、無性にツマミが欲しくなる。塩っけの効いたサラミ等、喉奥が塩辛くなるチョイスが欲しい所だ。
だが、生憎この場に酒のツマミは無い。あるとすれば、ユダの語り話だろう。
と、その時。宿の扉が開く音と共に、煙草の煙が部屋内に漂って来たかと思えば。
「んっ。帰ったよ〜ダンテさん、ヴェルギリウス〜。……って、死体落ちてんじゃん。あはは、もしかしてヴェルギリウスがやったの?」
死体を蹴り飛ばし、笑いながらのご登場。そうだ、女誑しで有名な、オズヴァルドである。
オズヴァルドは、ハッシュパピーのたらふく入った紙袋を手に持ちながら、煙草片手に私の部屋へズカズカと入って来た。そして、ユダと目が合うオズヴァルド。ユダの顔を見て黙り込むオズヴァルド。
……すると徐に、オズはポケットから、小さなナイフを取り出した。
「待て、オズヴァルド」
私は、オズヴァルドに向かってそう告げる。
彼は懐にナイフを仕舞い、「何事?」とそう言い放つ。懐にナイフを入れたとは言え、まだオズの手には、ナイフが握られている。
「どうしたんだよヴェルギリウス。そいつはどう見ても、君を殺そうとした支部の人じゃないか。殺すしかないだろ、その手を退かせ」
冷徹なオズヴァルドの言葉。私はユダへ腕を翳したまま、話を進めることにした。
「此奴を今日から私達の仲間へ入れる」
「遂に頭までおかしくなったのかい、ヴェルギリウス。幾ら物語の仲間の構成が大体四人組だからって、少し影響され過ぎな気もするけど」
冗談を言い笑うが、顔が全然笑っちゃ居ない。だが想定通り。オズヴァルドは、いつもヘラヘラしているからと言って、頭が悪い訳じゃない。
逆に、私達内で一番頭がキレると言っても過言では無い。
「もし条件を呑んでくれれば、私に好きな事を一つ頼んでも良いとしよう。なんでもだ」
「はっ、誰がこんな傷だらけで、乳の小さな女とセックスするかっ。もうちょっと自分を卑下した方がいいんじゃない?」
そう言いながら、片手に持った煙草を手に、私の首筋へ、根性焼きをするオズヴァルド。
ジュウッ!人肌で火が消され、オズヴァルドは煙草を地面へ吸殻を投げ捨てると、そのまま靴裏で焦げた部分を踏み付ける。
「……じゃあ、これはどうかな?」
根性焼きの痛みに耐えながら、私は懐からとある紙を取り出した。そして、オズヴァルドへそれを見せ付ける。その瞬間、オズヴァルドの目が、カッと見開いた。
「こっ……これは!?」
そうだ、それは金である。最近、オズヴァルドは娼館の通い過ぎにより、金が枯渇しているのだ。……そんなオズヴァルドにとっては、喉から手が出る程欲しいだろうに。
……自分でも阿呆らしくなってくる。
女好きのオズヴァルドが毎度通っている娼館を、数回は十二分に楽しめる程の金額。
ハッシュパピーの袋片手に、オズヴァルドは、その金の入った袋を目にも止まらぬ速さで奪い取る。そして、友好的な態度を示しながら、ユダに向かって笑顔を見せると。
「僕の名前はオズヴァルド。オズの魔法使い出身で、好きな食べ物はハッシュパピーと、ラム肉。酒はソルティドッグが一番好きで、女遊びが大好物さ!」
瞬時に懐へ金を仕舞うと、その手でユダと無理矢理握手をする。そして。
「てかさ、君、処女?もしかしてまだ処女捨ててない感じ。そんな胸もケツもでかいのに、膣はまだきゅうきゅうかな。それなら、本番でも痛くない様に僕が手伝ってあげ」
突然のセクハラ発言に、私はオズヴァルドの頭を、思いっきり蹴り飛ばした。そして、鼻血と袋に入ったハッシュパピーが、床へ散乱。
……本当に、性欲と食欲は紙一重だな。私は再度そう実感した。