067_輝く星と、少しだけの希望。
001
──カコン、ッ。木、薪が割れる音が、森内に響き渡った。私は、額に溜まる汗を手の甲で拭いながら、静かに「ふう」と息を吐く。
「……意外と難しいんだな、此れ。力がこう、均等に加わって居ないと。薪が綺麗に割れないんだ。ほら、私の断面はどれも、ささくれの様な物があるが、貴方のは綺麗だ」
「はっはは。……そう言われたのは初めてだ。薪割りと言うのはね、唯篦棒に振り下ろせば良いって事では無いんだよ。重心をずらさずに、腰の力で薪を割る。それが、大切だ」
此処に来てから、ざっとニヶ月が経過しただろうか。今や、私は昔の様に、先生の視線を気にする事は無くなった。
先生から解放されて、ニヶ月。実に、新しい事を学んでばかりだ。勿論、先生と居た時も新しい事は学んだが。今回のは、そのベクトルが違うのだ。
人殺しや、訓練等では無い。一般的な、豆知識や技術の様な物だからこそ。
こんなにも、面白いと思えるのだろうか。
「ううむ、勉強になった。腰を重心に、振り下ろすんだな。──ッ、と。おお、!木のささくれが、幾分か無くなった様な気がするぞ」
それに、こうやって努力した事が表に直ぐ出るのが、私の好奇心を加速させる。
「これは良い薪だね。……っふふ、懐かしい気持ちだ。昔も、こうやって娘や息子に薪割りの方法を教えたよ。娘は、元気溌剌で、好奇心旺盛でね。……息子はそれに比べて、少し大人しめで、学ぶ事に熱心だったよ」
「娘と息子が居たのか……。私は一人っ子だったからな……。──っ、と。……ふう。少し、その気持ちは分からないな」
「いつか、君にも分かる日が来るさ。それもまた、人生と言う物よ。未来が分からないからこそ、人生は面白いんだ。……はは、少し、今のは気恥しいな。老耄故、口達者なんだ」
「……ああ、知っている。年老いた野郎共は全員、口やら行動やらが達者だって事くらいな」
先生。思い出す。私が、生涯一生忘れないであろう男の顔。今、この瞬間もずっと。私は恐れている。奴が、この木の木陰からじっと、私の事を眺めている姿を──。
安易に想像出来てしまう。植物の成長を妨げる、強い雷雨の様な男だよ、本当に──……あ。
──そんな事を考えて居ると、斧を突き刺した薪が、変な方向に割れた。稲妻の様な形、私は斧から手を離し、自身の手を鏡の様に眺め。
それを見た老爺が、横から私へ「変な事を考えていたな」と一言。
その言葉に、私の肩が跳ね上がる。……それを見て、老爺は「はっ」と笑えば。
「私も、若い頃は良く悩んでいたよ。……今じゃ、その悩みがちっぽけに思えて来るがね。──良いか、今は嫌な思い出であろうとも、いつかは酒のツマミに出来る。最近、都市部では色々と悩み過ぎて、自殺をする人が多いらしい。私には、『死んで逃げる』と言うのが、分からないがね……っ、ほらよっとッ!」
カン、ッ!豪快な音と共に、老爺の切株は綺麗に割れた。こんなにも、老けて年老いて居ると言うのに、まだこれ程までの力を出せるのか。私は少し感心しながら、地面に落ちた薪達を拾い上げ、沢山小脇に抱えれば。
「あの人の所に行って来る。……っ、ん。──今日は、一段と山羊の牛乳の匂いが強いな」
小屋の方を見ると、煙突から、黙々と煤煙が立ち上って居る。金持ちの家は、居間で調理をするのでは無く、地下にある調理場で静かに料理をする。オズヴァルドから聞いた事がある。
上の階級の奴らは大抵、自分で調理をすると言う事は、下民のする事だと思って居るらしく。故に、女の全てが出る調理場やらは、地下室に設けられる事が大半だとか。
……だが、こうやって。家の近くに居れば、今日の夜食のメニューが分かるのは、とても良い事だと思うんだがね。
「そうかい?……ああ、最近年で鼻が悪くてね。……山羊の牛乳、か。牛乳は腐り易い。専ら、近場にある牧場の娘から、貰った物だろう。山羊の牛乳、今日の夜食は山羊肉のシチューかね?私はあれが大好きなんだ。特に、それをバゲットに塗りたくるのがね」
「……っ、山羊肉…?前、聞いた事がある。山羊肉は、平民には手に入れ難いと聞いた」
「ああ、それは山羊では無く、羊肉の話では?私にはね、仲の良い牧場友が居るんだ。そこから偶に、乳搾りの終わった、質も悪く売れない様な山羊を貰う事がある。か、昨日食べた燻製……ベーコンか。……はは、そんなに顔を赤らめないでおくれ。今に知れた話だろう」
山羊と羊を間違えたのは、不覚であった。
いつも、オズヴァルドがメニュー表をじっくりと確認していた意味が、今に分かった気がする。私はそれを、ユダと共に「飯が冷める。馬鹿な奴だ」と罵っていたんだがね。
「ああ、それと。老婆さんに薪を届けるならば、老婆さんに、毛皮を干して置いてくれと、言っといてくれ。……毛皮は、後でセーターにでもしよう。それを売ったら、少しは金になるだろうな──。なあ、君は何か、欲しい物はあるかい?銀貨一枚分程度でね」
銀貨一枚分。喩えるならば、小説一冊分やら、卓上遊戯……チェスや、手作り人形等の、少々高価な娯楽品が変えてしまう金額。
こんな私の為に、使って良い様な金じゃないのは、聞いた瞬間にすぐ分かった。
「あ、っ。……いや、私は何も要らない。その善意だけでも、受け取っておくよ」
「本当かね?然れども昨日、婆さんが昔に来ていた古着を、随分と眺めていた様だか……」
「っ。そ、それはそれで、これはこれだ──」
私は、その頭巾をくいっ、と深く被っては。自身の感情を隠す様に、颯爽と小脇に抱えた薪を横に、老爺の目の前から去って行く。
昨日、老婆が若い頃に着ていた古着を、整頓していた日。私も、何かと気を使って手伝えない老爺の代わりに、手伝っていたからか。私が、服に興味をしてしていたのがバレてしまったらしい……。
将又、私の反応を見ていた老婆が、雑談代わりに。私の行動を話していたのか。
だが如何せん、少し恥ずかしい事には変わりない。──自分の、いつもはさらけ出さない部分が、除き見られた気分である。
そんな事を思いながら、私は小屋の扉を開く。と、開けた瞬間に、鼻に入って来るは、シチューと山羊肉の芳ばしい香りである。
「ああ、お帰りなさい。……薪。ああ、良い所で来てくれたわね。些か、火が弱くなって来てて、薪が欲しかった所なのよ。五本くらいで良いから、竈にくべて頂戴な」
老婆が竈から身体を退ければ、貴重な香辛料を取る傍ら、私へそう呼び掛ける。私の脇に抱えられた薪は、それを優に越すだろう。
私は五本。一本づつ竈にくべて行き。余った数本は、家の床下に置いおく事に。少し埃臭い床下へ、薪を置けば。私は、静かに立ち上がり、足でその床下の扉を閉める。
が、「そんな事をするな」と言わんばかりに、私の頭へ、コツンと小さな衝撃が。後ろを見てみると、そこには手に調理器具を持ち、ボロ布のエプロンを着込んだ老婆の姿が。
「駄目でしょう、足でそんな事をやるなんて。はしたないんだからっ。その腕は、一体何の為にあるのか。どうして、神様が貴方にそんな大層な腕を与えてくれたか、よく考えて」
怒られてしまったが、ごもっともな意見だ。
私は頭へ手をやり、頭巾を数回。撫でる様に掻き回せば。「ごめんなさい」と一言。
それを聞いて、老婆は「分かれば宜しい」と一言呟けば。そのまま、香辛料を片手に竈の場所へと戻って行く。……少し、彼女の期待を裏切った様な気がしてならなかった。
こんな風に、優しく怒られたのは久しぶりだ。親に、叱られた以来のこの感情。色々な意味で、少し目尻に涙が浮かぶ……。
「……今日の飯は、シチューか。……──。私は、何をすれば良い。些か、何もしていないと、こう。身体が鈍ると言うか。落ち着かない。何か、私に仕事をくれ」
「ん〜……っ。あ、なら、今晩のご飯のシチュー、もう出来上がるから、向こうの戸棚から食器を取って三人分、机の上に置いて。そして、シチューをそそぐ皿は、私の方に持って来てくれる?使うのは、木の茶碗でお願いね。硝子の綺麗な柄が書かれた食器は、娘がくれた、大切な物だから。使いたくないの」
「ああ、分かった」私はそう返事を返せば、向こうの戸棚へ足を踏み込み。そのまま、あの人が指を指した。上の右から三番目の取っ手を掴み、小さな戸棚を開く。
そこには確かに、綺麗に磨かれた硝子製の食器と、木製の、使い古された食器が置いてある。
戸棚……嫌な思い出しか浮かんで来ない。戸棚の中には、肉と葡萄酒の様なワインがあって、私はそれを食べた。専ら、その肉は実の叔母の人肉で、ワインはその血であったが。
……私は静かに、机の上へ食器を並べ、老婆の元へと向かって行く。次に、それを見た老婆が、私の持つお椀へ、食欲の唆るシチューを注ぐのだ。まるで、溶けたチーズの様に粘性があり、ミルクの甘い香りがする。
それを片手に、私はその行動を二往復。次に、老婆が、外で薪を割る老爺へ「ご飯の時間よ」と叫べば。私と共に、着席。
「ああ、それと。あの人が、毛皮を外に干して欲しいとも言っていた。……些か、料理で疲れたろう。私が、毛皮を外に干しに行くさ。ああ、血には多少慣れていてね。……知り合いの狩人と一緒に、良く狩りに行った物で」
専ら、狩人と言うのは先生の事であるが。
そして我々は、軽い雑談を交わしながら、老爺が此方へ来るのを待つ。数分後、汗を拭いながら、漸く老爺が席へと座り。それを見て、老婆が「冷めちゃうわ」と一言。
それを聞いて、老爺は「すまんすまん」と頭を掻きながら呟けば。──そのまま、手を祈る様に交差させ。双方共に目を瞑る。
「「我等が星の名に於いて。この童話世界や神々に、感謝を忘れぬ事を。妖精、精霊、狼や獣。全ての森羅万象に祈りを捧げん」」
多分、彼等の宗派なりの、食事の挨拶の様な物だろうか。……私の村。私達の様な辺境の地の子供達は、まともな教育を受けられない為、よく近場の教会に通っていた。
そこで読み書きや、言葉の練習をして。お昼の時間、我々へ教えを解いた修道士や、神父が、この挨拶をしていた様な……。
あたふたと焦る私を横に、老婆が。
「……ああ、ごめんなさい。宗派が違ったかしら?不快な思いをしてしまったろうに……」
「いや、私は無信教だ。それに、食事の挨拶もする時があったり無かったり。だから、私はそのまま頂こう。気遣ってくれてありがとう」
『この腐った世界に、乾杯』。此処では言えまいが、それが我々の食事の挨拶であった。
随分と、皮肉の籠った内容だったよ。腐っているのは、自分達だと言うのに……。
恰も、平然とした顔でそう言うのが。──だが、それが堪らなく飯を美味くさせるのだ。
「『ありがとう』……か。いい言葉ねぇ……」
ちゃんと、感謝の言葉を述べる様になったのも、彼女達のお陰だ。私は、老婆達のまねごととして、両手を祈る様に交差させ。黙祷の如く目を閉じ、数秒沈黙する。……そして、その美味そうな食事にありつくのである。
「──っ、はぐ、ッ……。…──〜ふ、はっ。っつ、ぅ〜う、まい!」
熱さで舌が焼け付くが、それを凌駕する程の、圧倒的旨み。先ず、山羊の肉の脂身が、シチューの中に溶けていて。こう、山羊の牛乳を、より円やかにしているのだ。
中には。山羊肉(柔らかかったので、脇腹辺りの肉だろうか)、人参、山菜(もしかしたら、青梗菜なのかもしれない)、形が歪な馬鈴薯、少量の五葷……玉葱等が入っていた。
私が意気揚々と、頬へシチューを頬張る姿を、老婆は優しい眼差しで眺めており。隣を見ると、老爺は何やら、怪しげな瓶を持って居り。その瓶を、開けて中を覗いていた。
「それは何だ?」私がそう呟くと、老爺は。
「これはね、前に燻製を施した品でな。山羊飼いの娘が、チーズをくれたもんだから。それを一つ一つ、丁寧に燻製した品でね。……ほら、燻製の度合いによって、色合いがこんなにも変わるんだ──。前にあったツマミ、五葷の韮、葱と大蒜のツマミが無くなった物で」
「こら、貴方っ!食事中に間食は駄目だって、言ったじゃない。……それに、また麦酒を飲む気でしょう。最近、麦酒も高いのよ。程々にして頂戴なっ」
麦酒、エール。庶民の間、葡萄酒やワインの飲めない庶民の娯楽品、酒と言った所か。有り余る麦を発酵させて作る簡単な品だからか、葡萄酒と比べれば随分と安いのだ。
それが、庶民の酒は麦酒、貴族の酒は葡萄酒と言う格付けが決まった理由であろう。
──専ら、老爺は直ぐに、傍らに置いてあった麦酒を片手に取ったが……老婆の鋭い目付きに脅されてか。直ぐにその手を辞めにして、床へ麦酒を置く。
次に、その燻製チーズの瓶は没収された。……しかし後日。私は老爺と共に、その中はしっとりとした燻製チーズを味わったのだがな。
「……──あ、雪……っ」
と、徐に外を眺めてみると。窓の外、霜が少し掛かっており。雪が、さんさんと降り注いでいるでは無いかと。
「ああ、もう雪が降り始めて来たか。……早いなあ。──それに、随分と、『あの時期』が刻々と、近付いて来ているな……」
「ええ、そうね。……──ああ、あの時期って言うのはね、皆大好き《クリスマス》──よ」
クリスマス。ベツレヘムの星を、木の上に飾り、煙突近くに靴下を置く。そして皆で、いつもは食べられない様なケーキや、美味しいチキンを食べる日。如何せん、宗教の関わって来る行事であるが、これは好きだった。
それは、翌日に、白髭のおじさんが、その子の欲しい『プレゼント』を置いて帰るから。
老夫婦は静かに、此方へ微笑みかければ。
「貴方はクリスマスの日、何が食べたいかしら。ブラートヘーンヒェンやら、何でも貴方の思うがままに。……甘味は何が良い?」
甘味、甘味と言えば、私の大好物なアレだろう。チェリーがたらふく乗っていて、外側の生地がサクッとしっとり美味しい、あの。
「──チェリーパイ。……わ、っ。私は、チェリーパイが食べたい……〜っ!」
服の裾をぎゅ。っ。と抑えながら、私はそう、か細い声を出した。
その時、私はこの家で。初めて遠慮をしなかった。




