065_その言葉は、逃げる言葉になるけれども。
肉慾の象徴、その皮斑紋ありて美しければなり
豹、獅子、狼は肉慾、慢心、貪焚の三悪を現はし、エレミヤ、五・六に、林よりいづる獅子は彼等を殺し荒野の狼は彼等を滅ぼし豹は彼等の町々をねらふとあるに據れるなりと。
── ダンテ『神曲』 ──
……ぎし、っ。何かが軋む様な音が聞こえ、私は暗い闇の中。現実と言う名の、悪夢に浸る事となった。……起きると、そこは何処か森奧の、小さな家の中であった。
……先程、我々の居た森内の別荘よりも、遥か奥の方だろうか。何にしろ、私の顔や腕。剰え、前々からある痣となった古傷にすらも、包帯が巻かれていたのは気掛かりだ。
ズキン、ッ。頭が痛んだ。前、この様な光景を見た事だがある。◇◆◇◆……カルメン達の家で、私は愛と言う物を知ってしまった。
そして、それと共に。大きな絶望感と、関係の無い彼等の命を奪う結果となった。──今回も、そうなるのだろうか?私の脳裏に、嫌な推理が頭を過り。
今すぐ、この家から出て、あの帰りたくもない別荘へ、帰りたくなった。服は生憎着たままで、武器も一式揃っている。私はすぐ様、自身の体を動かして。部屋の扉を開けた。
誰も居ない。あるのは、大きな木製のテーブルと、棚と気持ち程度の花瓶のみ。
……しかし、玄関の扉が開いた様な音がした。先生か?!──急いで玄関の方を見てみると。そこには、私を拾ったであろう、一人の老婆の姿が見えた。
老婆は、手に洗濯物を持っており。此方の姿を見るや否や、笑顔を見せて。机の上へ洗濯物を置き、「大丈夫か」と此方の方へと駆け寄ってくる──が。
「……。……っう、うぁ゛ああぁあぁっ?!やっ辞めろ!!私の傍に近寄るなッ、分かったら、これ以上私に近付くな──ッ……!」
身体から一気に力が抜けた。そして、私は部屋の隅へと急いで駆け寄れば。近くにあった花瓶を手に取り、相手へ向ける自衛行動を。
……嫌だ、此奴と関わりたくない。関わってしまえば、此奴は殺され、私は心に大きな傷を負う事になる。だから、もう辞めた。
人を信用するのはいけないことだ。全て、彼奴がぐちゃぐちゃに壊して行く。壊される物を積み上げても、意味が無い。
「は、っ?!──っひぃ、はッ!!……っ?」
「大丈夫、そうには見えない様だけど。何があったの?あの人が森で、貴方を見付けたの。大丈夫、怖くないから。安心して──」
あの人?誰だ、先生か?オズヴァルドか?
……ああ、奴の夫であろう人か。まずい、頭が働かない。だって、奴が「来るな」と言っているのに、私に近付くから。怖いんだ。
身体が小刻みに震える、目の前の、脅威にも何にもならない、目の前の老婆が怖い。私を、壊そうとする材料になるから。
「ッ、うわぁ゛あっ!!辞めろ、っ。どうせ、お前も先生に壊されるんだッ!命が惜しいだろ、なら、私にこれ以上近付くなっ……!」
「いえ、命等惜しくも何とも無いわ。もう、娘も息子も旅立ってしまったもの。……何も、残る物は無い。ええ、命等惜しくも無い。だから、私は貴方に近付く権利があるわよね」
「──っ、良いんだな!!死んでも良いんだな、っ!!殺すぞ、私はお前を殺せるっ。その年季の増した人生を、終わらせる事が出来るんだぞっ!!怖く、っ。無いのかよっ!」
まるで、私の言葉を子供の脅しの様に遇うその姿。本当に、嫌な奴に出会った物だ。
──パリン、ッ!!私の持っていた花瓶が、割れる音がした。……私は投げたのだ。この女の奥の壁へ、その花瓶を。女へ直接投げる事は出来なかったが、老婆は私の行動に少し目を見開けば。
音を聞き駆け付けた夫と思しき老人に「待って」と一言。……そして、私の体を、ぎゅっと、抱き締めたのだ。
暖かい、それに、同じ匂いがする。涙が出そうだが──私は、彼女の体を突き飛ばした。
息を荒らげながら、私は目の前へ佇み。
「お前らは、っ!……──〜〜ッう゛!?!……退けッ!!──……っ、ふ。もう良い、助けてくれてありがとうとだけ、言っておこう。私はこの様に、凶暴で残酷だ!こんな奴が居ても、何の得にもならないよ」
私は直ぐに、彼等へ背を向けて。玄関付近へとぼとぼと、ゆっくり歩いて行く。……しかし、老夫婦の一人、男が私の腕を掴み止めた。
それは、妻を吹き飛ばされた怒りも少し籠っており。……だが、それ以上に。私に対する心配の方が強かったと思う。しかし、私はその手をまた振り解き。「次は何だ!」と怒鳴る。すると、重い腰を上げた女が。
「なら、っ!その傷が癒えるまで、此処に居て頂戴!……っ、私達、貴方が自分の娘の様に思えて、そんな体で外に何か出せやしない」
「……前も、私へそう言った女が居た。だが、其奴は死んだ。私を置いて、傷付けないと言いながら。私の心を傷つけて、死んで行った。なら、お前らが私を傷付けないという証拠が、今っ、此処の何処にあると──?!」
「ならっ!!あの部屋……娘の部屋に、ずっと居て良い。私達は極力、関わらないから。どうか、この家に居て下さい……っ。お願い、しますっ……!」
謝罪の言葉。私の息がひゅ、っと詰まった。
しかし、私もこの傷であの家に向かえば、今度こそ先生からの『教育』を受けて死んでしまうかもしれない。それに、帰れば、奴の死体……オズヴァルドの亡骸もあるだろう。
何も見たくない。だから、逃げる事にした。
「……っ、チッ。お前らがその選択を選ぶのならば、それで良い。……──好きにしろ」
……私は、いつからこんなにも捻くれてしまったのだろうか。『ありがとう』の一言も、確りと言えない様になっただなんて。
胸が苦しい。とても、生きられない……。




