060_愚鈍の傍観者が擦れ違う。
憂鬱とした馬旅だった。馬車内では誰も喋る事は無く。時折、砂利道を走りガタガタと馬車が揺れ動く音と、微風が靡く音が聞こえるだけであったから。
オズヴァルドは、持っていたお情け程度の包帯を顔に巻いている様で。窓に映る彼の顔は何処か白く、中身の無いジャム瓶の様であった。……それは、私もそうだっただろう。
そして、また紙が巡れる音がした。先生だ、指のささくれを弄るオズヴァルドの隣、呑気に本を読み耽って居るのである。
何とも、前であれば何か小言を呟いていた私であったが、今はもう、そんな事を言う気力すら私に残っては居なかった。
……ずっと、幸せな夢の中でいいのに。
001
「…………っ、ぐふぅ゛つ──?!」
──だが、それも昨日の事。私は、そんな微睡みを思い出していた途中、下腹部へ強烈な一撃を喰らわせられた。……目の前には、あの忌々しき狼が。
そうだ、今は稽古と言う名の殺し合い途中であったのだ。そして、私が怯んだのと同時に、先生はすかさず私の脇腹へ再度拳を突き立てて。一度後退すれば、そのまま左回りに体をぐるりと回らせて、私の頭へその足蹴りを喰らわせた。
……ズシャ、ツ!砂の混じった地面に体を放り出され、私の身体と地面が悲鳴をあげる。
「ふ、ぐっ……?!──ッひゅー、げほっ!ごほ、っ?!、!かはッ、っふ、げッ、ほ!」
「ん〜、今回のは良い塩梅だったな。それに、最近は自分の体何てどうでも良いみたいで」
そう言うと、先生は倒れる私の傍へとしゃがみ込む。そして、私の握り締める手をぐっと力尽くで開かせれば。
……そこにあったのは、ピンのまだ抜かれていない手榴弾。
「ちっ」、私が舌打ちするのと同時に、先生は「当たり」と声を出し。その手榴弾を拾い上げ、没収だと言わんばかりに自身の懐へ。
そして、私の赤い頭巾を鷲掴み。反対側へ顔を向ける私と目を合わせ。
「……はっ、人間らしくてみっともねえな。まだ人の境は抜け切れて無いか。だから、そんなお前に一言言っといてやるよ。お前は、俺に殺されなくちゃいけない。こんな御巫山戯事で死ぬな。……お前、本当は死にたく無いんだろう。人一倍生きたいんだろう?」
手榴弾での巻き込み自殺は、お見通しだった様で。
「………っひゅー、ッ。っぺ、死ね糞野郎……」
「図星か。……なら、昔に言った言葉を胸に抱きたさながらお前は存分に、今と言う地獄を味わいたまえ。俺は、お前に期待してるんだよ──」
何が期待だ。私を、自身を殺す便利な道具としか思って居ない癖に。腹を破られ暴かれたからって、こんな地獄を味合わせる何て。
「──……けるな、巫山戯るなよ!」
唸り声を荒げる身体なんか、どうでも良い。今はただ、目の前の男が憎いのだから。
私の怒号と共に、近場の木の影に潜んで居た烏が一斉に飛び立った。バサバサバサ、森は不穏な空気に包まれる──。
……そして、私の右拳が奴の頬へと翳せられ。
だが、先生はそれを軽々と避ければ。やり返しだと言わんばかりに私の顎へと拳を入れる。私はそれを直に受けた。頬にジーンと痛みが走る。が、私は先生を睨みつけ。
「……糞が、巫山戯やがって。私が何をしたって言うんだ、全てを奪って来た癖に、見せたのがそれかよ。本当に、腐ってる…………!」
そう言い私は再度、奴の胸倉に掴み掛かる。
「あぁ、そうさ。それに、幾分とお盛んな事で。……朝から随分と、慾深い女じゃねえか」
その軽薄な態度が本当に、腹が立つ。
だが、それに見合う力を然りと持っているのも、これまた随分と腸が煮えくり返るのだ。
今日はもう駄目だ。頭が働かない。
──昇ったばかりの太陽を背に、私は影の中。静かに、思いを綴った。そして、私の意思とは関係無しに、野生の本能が私を刺激させ。
奴の首元へ、私の冷たい手が伸びる。砂利の交じった、名も無き花の咲く森奥にて。私は、思うがまま。奴の首をぐっと締めた。
「お前が私の全てを奪った。──なら、私も、お前の全てを奪わなくちゃならない。お前は、今まで殺した私の親しい人間の数を、然りと頭に入っているのか?……っ私は、一人たりとも忘れられなかったさ。毎晩、枕元で語り掛けて来るんだ。ずるい、お前だけ。って。……糞が、あぁ、殺したい。何で、お前は……こんなに首に力を込めているのに、いつまでも殺せない……っ!」
私は、首を絞める力を強めた。しかし。
「そりゃあ、俺が化物だから」
先生の唾液が頬から、床へと落ちる。
「もう、早く私は死にたいんだ。殺させてくれ、早くその身を嬲らせろ。お前に殺された奴らの苦しみを、お前は何千倍も背負って、死んでいかなくちゃいけないんだ……!」
「だから、お前に俺を殺させる為に、俺はお前に最大の絶望を与えているのさ。お前も、殺された者達の苦しみを、幾千と背負い生きろ。──そして、共に鎖で結ばれよう」
何が共に鎖で結ばれようだ。一方通行な感情の具現化は辞めて欲しい。……最近、現実と夢の区別がつかなくなって来たんだ。
ふと、窓を見ると、反射した自分の背中に、死んだ筈の人間が見える様になって来たから。勿論、後ろに振り向いても誰も居ない。
しかし、あの時確かに見えたのだ。死体の姿で映る、死屍肉の姿が。
「死ね、殺す。私は、幸せでなくてはならなかったんだ。あの日、お前が私の集落に来たから──!全て、お前が悪い。私は毎日こんなにも苦しんでいるのに、お前だけが、夢を叶えて終わるだなんて馬鹿げてる?!お前の夢を叶えた暁に、私は死ねるだろう。だが、その先に何が残るんだ?お前の死ぬという野望を叶え、死んだ先には何が残る。私は、もう自分が何をしたいのかすら分からない……」
乾いて涙が出ない。出るのは、口から吐き出される愚痴のみ。苦しみ、怒り、哀しみ、怨み、憂鬱、全てが憎たらしい。
私は、先生の首から手を離し。その震える手を、思いっきり地面へ叩き付けた。そして、ガリガリと地面を指で抉るのだ。何度も、何度も。時に、地面に血が染み出そうとも。
だが、次の瞬間。私はダンテに、逆に押し倒されてしまった。自身の身体が木に激突。じーん、と痛み、鼻が血の味がすると嘆く。
全指に滲んだ、紅い跡。奴は、それをまじまじと眺めたのかと思えば。
私の手へ自身の手を被せ、その傷跡を。ペロリと舌で舐めとったのだ。──私の背筋に寒気が走る。そして、私の指へ唾液が糸を。
気持ち悪い。ぶん殴りたい。殺したい。見ているだけでも悪寒がする。……私が目元を歪ませるのと同時に、奴は手に指を絡めさせ。
「ん〜、っ。血の味だ。久し振りに舐めたな、それに、あの頃以来じゃないか?こうやって……。近くで身体を合わせるのは──」
今直ぐ逃げ出したい。が、生憎背中には木が立っており、退こうにも退けないのである。
先生の顔が近い、近くで息がかかる。私の体を、先生の身体が覆い隠している様だ。……まずい、嫌でも思い出してしまう。あの日の惨劇と、私がやられたあの行為の事。
下腹が痛い。というか、蠢く様な感じがする。ぐわぐわと、身を蝕まれて居る様だ。
「は、っ。……?──辞めろ、退け!!離れろ、っ!!ふ、は、……?!嫌だ……っ。嫌だ嫌だっ?!辞めろ、退け!!……っ、辞めろ?!」
「あぁ、ヴェルギリウス。俺はあの小さな家で、赤い頭巾がはみ出したタンスを見た。けれども、構わない気がした。そして、獣のまま身を舐った。……俺は、お前の事が──」
嫌気がする。その回答を、私は一番聞きたくないだろう。
……私の足が、先生の身体に何度も、何度も、何度も強打され。途中、それのお陰だろうか。奴が、その続きを口ずさむ様な素振りは見せなくなった。
だが、私は奴の身体を、足で何度も踏み躙るのだ。その身体が、私を覆うのを辞めるまで。……ずっと、ずっと、ずっと。
「退け!!……っ、退け!!死ね、消えろっ。殺す、殺してやるっ!!──……ふ〜、ッ!糞が、死ねぇっ!死ね、死ね死ねっ!!」
「っくははは〜、っ?!ひひ、っ。ははは。……っふ、っくふ、ふ……!ああ〜、ヴェルギリウス〜〜っ。やはりお前は面白いな!」
満足したのか。狼はそう呟けば、私の身体から身を退けた。そして、湿気た煙草の箱から一本取り出し、珍しく。自身で火を付ける。
ぼわ、っ。男の顔を隠す様に広がる黒煙、そして、口からもそれが吐き出されるのだ。
──先生は、地面に這い蹲る私を見て。煙草を一吸い。次に、その顔面へと煙を吐き掛ける。パチ、パチパチ……っ。
目元で、何か花火が散った様な気がした。
「っ、いやあ。良いモン見れたよ、腹が痛え」
そう言い、奴は満足気に森から姿を消したのだった。多分、近場にある、拠点にでも帰ったのだろう。
……私の心臓の鼓動は、まだ止むことを知らない。
私は数分、その場から動けなかった。と言うか、もう、動きたくなかった。
ずっと、木陰の傍で。膝を曲げ、身体を丸くし腕の中に蹲る方が、何も考えなくて良いから。もう、何もしたくない。
……昔、私は奴隷や、他人に首縄を掴まれている奴を「自分で何も出来ない馬鹿」と罵った事がある。
だが、今に分かった。此奴らは、何もしたくなかったんだ。自分で選ぶ事を放棄した結果が、他人に服従すると言う事だったんだと。
身体が重い。息をするだけでも痛い……。
「……………………」
と、その時。向こうの草むらから、何かが動く音がした。……風は吹いてすら居らず。だが、私は見る気にはなれなかった。
──ガサガサ、ガサガサ。そんな私へと、その音は近付いて来る。頭が重い、動かない。……そして、やっと音の正体が姿を現した。
足元しか見えないが、その歩き方や服装からして──……オズヴァルドであろう。私は頭を極力動かさずに、上目で彼を見詰めれば。
オズヴァルドは少し気恥しそうに、頬を人差し指でポリポリと掻き毟り。
「……あ。お久しぶりだね、ヴェルギリウス」
だが、私はその言葉に返答しなかった。
その反応を見て、オズヴァルドはいつもの、あの笑顔のまま「この前はごめんね」と一言。
奴の顔には、少しの打撲跡が残っており。だが、それでも私が無言を貫いて居ると……オズヴァルドは「はあ」と溜息を。
そして、懐から何かを取り出す素振りをし。
──取り出したのは、全てを飲み込む様な黒色の、眼帯であった。
「これね、ユダちゃんが着けてた眼帯でね。……少し、目を盗んだ隙に盗ったんだけど、これだけしか手に入れられなくて。……僕、失明なんかしてないしさ。それに、良い機会だ。君に、これを渡そうと思って」
そうだ、それはユダの眼帯であったのだ。どうやら、奴は一時的に、あの場面で意識を取り戻して居た様で。我々が帰る準備をしている際に、少しくすねて来たらしい。
ああ、嘘つきめ。……此奴は、ユダが死んだ事を知っていたのか。何も信じられないな。
私は、すぐ様その場から立ち上がった。そして、奴が私の顔前に垂らす、その黒色の眼帯へ、すぐ様手を伸ばし──……。
「まだ、だ〜めっ♡」
煽る様で、生意気な糞餓鬼の様な言葉だ。
だが、オズヴァルドはその眼帯を私の手から避けさせると。またもや、御預けを食らった犬の如く私の顔へ、その眼帯を近付ける。顔は総じて笑っている。
何を考えているのか分からない、どうやら、肉親を殺しても尚、その態度らしい。
私の、潰れた片目が異様に疼く。
「貸せ!……貸してくれ!何だってする、だから、その眼帯を私に握らせろ!!」
「……やっぱり食い付いたか…………。まあ、僕も一応悪魔な物で。条件を一つ君にあげる。その条件は──僕と一緒に、ご飯を食べる事っ!」
そう言い、オズヴァルドはその眼帯を懐へと仕舞えば。此方へ背を向けニコリと笑う。
「ねえ、ヴェルギリウス。僕と一緒に、今からお昼ご飯を食べに行かないかい?……もし、一緒にご飯を食べてくれるのなら、この眼帯を君に差し出そう」
「全ては、僕が彼女の為に……」と、その言葉の最後に、オズヴァルドは追記を残し。……私は、それを聞いて重荷を上げた。
奴が、何を企んで居るか分からないが、もうどうでもいい。今は、あの眼帯を……。私は、彼の背中を追い掛けた。それは、私がオズヴァルドの提案を了承したと言う事だ。
「………………ありがとね、ヴェルギリウス」
奴の瞳は、『復讐』の二文字を抱いていた。




