059_全てが擦れ違う。
002
───────────────────
オズマを、この手で殺したい。
そう思う様になったのは、嵐が雨の様に降り注ぐ、じめじめとした土砂降りの日からでしょう。私は、父上が買って下さった、白色のドレスを汚しながら、一匹の犬を胸に抱いて来たのです。
私のドレスは、泥だらけになりました。つい先日、私の屋敷へ泊まりに来ていたオズマやゴモラ、私の母上や父上も、驚いて居ましたの。けれど私は、お気に入りのドレスを汚しても良いと感じる程に、この犬へ、それ程の価値を見出していたのですから。
そこから、私は駄々を捏ねました。
その時、父上は喘息の様な症状を患って居て、「駄目だ」と声を荒らげる事に、咳き込んでいらしたの。だけど、それでも駄々を捏ねる私を横に、父上は嗚咽ばかりを口にして。それは、酷くなるばかりで。
そして、それに負けた様に。母上は了承して下さいました。嬉しかったです。オズマは、オズマ専用の部屋である、冷たい地下室に戻っている様でしたが、ゴモラはその犬を共に、洗ってくれました。
途中、犬がブルりと震えて、石鹸の泡がゴモラに付いた時は、声を出して笑っちゃったの。そして、犬をオズマに預けて、私達が居間でチェスを楽しんでいた頃でしょうか。
『犬の名前は、何にしようかな。ああ、私の読んでいた小説の主人公の名前にしましょうよ。名前は──、ヒースクリフ』
『へえ、良いじゃないか。随分と、立派な名前だね。で、その小説の内容はどんなのだい』
確か、こんな会話だったと思います。
けれども、重要なのは此処ではありません。
『内容はね、恋をしていたキャサリン等、全てを奪われた主人公、ヒースクリフの物語。それを、屋敷のメイドであるネリーが事細かに語り手口調で話して行くの。……復讐の終わりは、総じて酷い物ばかり。復讐で人の思いが晴れることは無いわ。──けど、やるの』
その時でした。ふと、私は喉の乾きに気が付いたのです。そして、会話を颯爽と切り替えて。私は寝巻きに着替えてから、そのまま水を飲みに、地下室の厨房へ向かいました。
……私がオズマの部屋の前に来た時でしょうか。厨房前、オズマの部屋。ふと、部屋の扉が空いているのに気が付いたのです。
すると、蝋燭一本すらつけていない、暗い部屋の中。此方へ手招きをする、オズマの手が見えたのです。私はそれを見て、興味本位、期待を胸に、部屋へと行ってしまったのでした。
オズマの手は、妙に濡れていました。私はそれを不思議に思いながら、オズマの手を握り締めました。すると、奥に、犬が居ました。
そう、犬です。私が先程、オズマに預けた犬が。しかし、それはもう、犬としての原型は留めていませんでした。オズマが、蝋燭に火をつけた時、期待は絶望へと変わりました。
犬は、無惨にも殺されていたのです。あの時の健気さは何処へやら、体は散々嬲られて。身は、骨が突起する程に破裂して居る。
『きゃっ!』
私は声を荒げました。すると、彼が私の手を取って、笑ったのです。オズマの手の湿りは、その犬の血や涎、小さな肉片だった事をその時、初めて私は知りました。
『どうしてこんな事をしたの!』。怯え、声を荒げる私。それを見て、オズマは何故怒って居るのかと言わんばかりの表情を見せて、彼は……オズマは、にこにこと笑いながら。
『だって、この犬が居たら、今まで君達が僕に向けてくれていた寵愛が、少なくなってしまうでしょ?皆、この犬に夢中になって、僕の事を忘れてしまうから。……こうやって。皆が愛せない様な形にしたんだ』
その時、私は身を蝕む様な恐怖を覚えました。
『僕は、この犬のせいで、君達が僕を愛してくれなくなるのが怖い。だから殺したんだ』
普通、犬を飼ったからと言って、自分への愛が無くなるとは思うでしょうか?思わないでしょうに。だけど、彼はそう思ってしまった。もう、根っこから腐り切って居たのだと。
オズマは、固まる私の手へと両手を添えて。いつもの様に、私へ微笑みかけながら。
『僕は、君達の事を愛してるんだ。それに、今回の事で、君が僕を愛してくれているという事も知れたからね。この犬に感謝だよ。ありがとう。僕に、愛してくれているという実感をくれて』
──翌日、オズマは一日中、地下室から出て来れませんでした。泣き喚く私を横に、家族は皆、困り果てて居ましたよ。父上は頭を抱えて。母上は──、オズマを、実の息子の様に思っていたからでしょうか。私の様に泣き悔やんでいました。ゴモラも、その日は部屋から出て来なかったです。
……その日からでしょうか。オズマが、常軌を逸した行動をする様になったのは。
時には、私達へ珈琲を誤って溢したウエイトレスの女を、殴り付けたり。
時には、急に訳の分からぬ戯言を言い始めたかと思えば。精神疾患を患った者の様に、金槌を持って。目の前で喋る者全てに殴りに掛かりました。
その度に、彼は『愛』や『僕が』などの、自分事情の自己主張を繰り広げていましたよ。
彼的には、全て私達の為にやっているのだと思うけれど。
彼が、一番のエゴイストだったんだなって。
その度に、私達の仲には、大きな亀裂が入って行くのです。そして遂に、誰も、彼へ話し掛けて来なくなりました。私もその内の一人です。……私は、オズマが怖かったから。
けど、今度。また、オズマとゴモラの家に遊びに行く機会があるの。その日に、彼へ『愛』と言うのを教えてあげようと思うの。けれど、もし。その愛を、教えてあげられなかったら。
もし、その時。オズマが、それを分かっていなかったら。──いつもと同じだったなら。
──その時は、オズマを、殺して。
もう、彼のせいで誰かが苦しむのを見るのは嫌なの。そして、それで彼が無意識に苦しむのも。誰も幸せになんかなれやしない。
だから、私達の愛する者の為に、殺してあげよう。それが、私からの、最後のおねだりになるかもしれないね。
けど、私はまだまだ生きるつもりだし、オズマにも、もっと本当の、私の気持ちを──
/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
日記の途中であった。だが、オズヴァルドは、その日記を徐に破き始めたのだ。その、いつも通りの笑顔のまま、淡々と。
この調子じゃ、彼女言った様に、彼へ愛を教える事は叶わなかったのかもしれない。その結果が、この有様か。そりゃ、家族が彼や私達を殺しに掛かる訳だ。しかもその妄想が、昔よりも悪化して居るというのなら、尚更。
馬鹿げてる。まるで愛の終止符の具現化だ。
オズヴァルドはそのまま、その日記のページを散々。もう読めなくなる程に破いては。破れた冊子やページを、床へと投げ棄てて。
「はは、本当に馬鹿げてるよね。何が『私はまだ生きるつもりだし』だ。僕達を置いて、一番最初に死んで行った癖に。……なあ、ベルヤルナク。僕は、君からの愛の教えをまだ聞いていないよ?だから、僕はこうなったんだ」
──彼の顔は、いつでも総じて笑っていた。
それは、今だって。変わりなく、ずっと。
003
──オズヴァルドはその日、彼へ最大の不幸を浴びせた叔母の屋敷へ、火を付けた。中に居る叔母や、他のメイドが逃げられぬ様、玄関には閂を無理矢理立て掛けて。部屋の鍵穴には、何重にも泥と似た粘土を詰めた。
私はただ、眺める事しか出来なかった。だが、オズヴァルドは、目を逸らす事すら出来なかったのかもしれない。遠い、あの丘の木の下で私はしゃがみ込む。向こうに見えるは、炎が渦巻く大きな屋敷。
……遠くからでも分かる、オズヴァルドが、実の兄であるゴモラの死体を屋敷へ放り投げる姿が。
そして、彼が此方へ近付いて来たのかと思えば。私達の傍へ寄り。私の隣にしゃがみ込み、静かに。向こうの屋敷を眺めた。顔は笑っている、まるで青年の様だ。
──屋敷の炎が時々、海風で微かに靡くのを、私は何回眺めただろうか。もう、人の死にも抵抗が無くなって来た。私が人間として終わるのも、そう遠くない未来なのかもしれないね。
「……なあ、オズヴァルド。お前はあの屋敷を見てどう思う?どう、感じる」
「いや、別に何とも。……僕へ、沢山鞭を浴びせた叔母様に、何食わぬ顔で仕事だけを済ませれば足早に帰ったメイド達。ゴモラも、あの屋敷が焼けてから。話し掛けて来なくなっちゃったね。──ふふ、懐かしいなあ。皆、僕を目の敵にしてたんだよ。あの屋敷に転がり込んでからひと月が経った頃、居間にあった僕の席は、綺麗さっぱり無くなっていた」
『その話よりも、オズヴァルドの元居た屋敷の話をして欲しい』と、私は言いたかったが。この空気感だ、その口はぐっと押さえ込み。
木に腰掛け煙草を吸っている先生を背に、私は淡々と。友達の友達とのキャッチボールの様に。中身の無い会話を数分繰り返した。
──パリンッ、途中。あの屋敷の硝子窓が割れた音が微かにした時だっただろうか。
「……なあ、オズヴァルド。お前、ずっと笑ってるなよな」
私が適当に発した、その言葉だった。
オズヴァルドは、その言葉を聞き少し黙り込むと。先程の様に、直ぐに返事は返してくれなくなった。
目の前の屋敷を見ている私も、それは流石に不思議に思って。徐に、隣に座る奴の方へと、視線を向けたその時だった。
オズヴァルドは、真顔で。今まで見た事も無いような、笑顔を引き攣る糸が解れた様に、黒く染め上げたその瞳を、此方へとじっと覗かせていたのである。
私はその時初めて、奴の笑顔でない顔を見たのかもしれない。心臓がきゅ、っ。と唸る。
「じゃあ、どんな顔をすれば良かったの?」
オズヴァルドが、徐に私の肩を掴んだ。
「目の前で好きな人を盗られた時、どんな顔をすれば良かったの?僕が地下室で本を読んでる間、兄が好きな人とキスをしてた時、どんな顔をすればよかったの?ベルヤルナクは僕の事を愛していたのに、屋敷を継ぐことになったゴモラが政略結婚をした時、どうすれば良かったの?叔母様に鞭を打たれた時も、メイドが、僕に冷めた紅茶を出して来た時も、ゴモラが僕の本を全て破った時も、どんな顔をすれば良かったの?ベルヤルナクに笑顔が素敵だって言われたのに、皆に気色悪いとか、不細工だと言われた時、どうすれば良かったの?笑えば良かったのかな、真顔で居ればよかったの、泣けば良かったのかなあ」
肩に力がグッと込められて、私の顔は自然と歪む。それと共に、オズヴァルドが語る。
彼の鬱憤が、今まで溜めて来た物事が。自分を悪役に仕立て上げられた物語が。
全て、流れる様に口から次々と吐き出されて行くのだ。
「それが分からなくて、誰も何も言わなかったからこうなったんじゃないの?僕の事、どうせ誰も目にも留めてくれないさ。皆、ゴモラ兄さんや他の子供ばかりに目をやって。僕はずっと、寂しかった。愛が欲しかった。けれど、その結果がこの有様。好きな相手は兄に奪われて、居場所も何もかも無くなった。もう、僕には何も無かったんだよ。昔みたいに、温かい珈琲を淹れてくれるメイドも全員死んだ。僕の嫌いな紅茶の香りが、今でも鼻から離れないんだよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『ねえ、メイドさん。もし、この主人公の様な状況になった時、僕はどんな顔をすれば良いのかな?……ふふ、今日も紅茶が冷たいね』
『オズヴァルド坊ちゃま、私達には分かりません。その話は、母君に話せば良いかと。……それと、また今日も昼食を持って来ますので、部屋で大人しく本でも読んでいてと、母君から通達がありました。今日は、ゴモラ兄様の大切なお見合い候補が来る日ですので』
『じゃあ、ヨシ。ヨシヒデ。僕の話を──』
『オズ坊っちゃま。私も忙しいのでありまする。貴方に掛ける時間は、私どもにはありませぬ。さあ、部屋に戻れ、オズ坊っちゃま』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「誰も教えてくれなかった。教えてと言っても、皆あしらうか他人に任せるだけだった。僕に本だけを買い与えて、ずっと家族との食事も叶わずに。一人、一番最奥の部屋で食事をするんだ。……小説の様に、小鳥や鳩なんかも友達じゃない。外で、ゴモラと叔母様達が馬車に乗って出掛ける時も、僕は只、目を逸らす事しか出来なかったんだ。世界を憎んだ。僕だって幸せになりたかった。誰かの痰吐き壺になるだけの人生だった。皆、僕を面倒な置物の様に扱うんだ」
「……めろ、………………やめろ、っ。だまれ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『ああ、叔母様、何がいけなかったのですか。改善致します。だから、鞭打ちはもう辞めて下さい。痛いです、苦しいです。背中が焼ける様に熱いです。お願いですから』
『何が痛いだ、気色の悪い男だ。そうやって、ずっとその笑顔のまま居る気か?──その笑顔が、気持ち悪いんだよ。不細工な童め。今日はこれで辞めにする、だから、明日までにはその面を洗って、私の前に出直して来な』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あの日から、僕の人生は変わってしまったんだ。あの日、あの時刻。僕が、ベルヤルナクの為に、花束なんて馬鹿な物を、買いに行って居たから──!僕は、あの時死ねなかった……。僕がずっとあの家にいれば、あの時に僕は死ねていたのに。振り向いたら、屋敷が燃えてるんだよ?走って、走って、走って。手を伸ばしても、届かない。やっと着いたと思ったら、全部、焼けていたんだ。目を逸らす事すら出来なかった。──……だから、僕は笑ったんだ。ソドムが、唯一。僕の笑顔が素敵だって言ってくれたから。僕は、彼女の素敵である為に……笑顔で、そうやって!!」
「やめろ、っ。……手を離せ、黙れっ!」
「そうやって、皆僕を拒絶するんだ!!理由も言わずにそうやって、馬鹿だよね!!理由くらい言ってくれても良いってのに、何も言わずに手放して!!!死ねよ!!!お前ら全員死ねばいいんだ!!!僕をこんなのにしたお前ら全員、地獄に落ちて死ねばいい!!!死んじゃえ、死んじゃえ!!僕よりも苦しめ、僕よりも最悪な目に遭えばいい!!!皆、僕の欲しいものを全て持ってる癖に、まだ望むんだ!!そんな傲慢な奴は、死ねよ!!?!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『わあ、ゴモラ兄さん。大丈夫だった?僕が屋敷を見た時には、もう、屋敷が焼けて……。けど、ゴモラ兄さんだけでも無事で、嬉し』
『黙れ。……先に言っておくよ。俺は、お前が嫌いだ。何故、あの時、燃える屋敷の前でお前は笑っていた。何故、泣いて居なかった。俺、こう思うんだ。お前なんじゃないかって。……屋敷を燃やしたのは、お前なのか?』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「何も分からない癖にっ!僕の内面なんて知らない癖に!お前らには分からない癖にっ!分からないからって!のうのうと上っ面だけの言葉を投げ掛けやがって!!!!いっその事、嫌いだったら無視してよ、何で、そんな中途半端に僕を期待させるのさ!!!死ね!!死ね!!死んじゃえ!!死ぬんだ!!皆僕を置いて死ぬんだよ!!皆、僕を置いて死んじゃうんだ!!!ヴェルギリウスだって、ダンテさんだって、影で僕の事を罵ったりしてっ!馬鹿にしてるんだろ!!!!!」
「……黙れ、黙れ黙れ……っ。黙れ、黙れ黙れ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『……ねえ、ベルヤルナク。母君、御父様。昔見たいに、一緒に喋って下さいよ。昔見たいに、僕達の為にパイを焼いて下さいよ。……どうして、黙るんだい。僕を置いて、死んじゃった癖に、どうして黙るんだよ……っ。僕も、一緒に死なせて欲しかったなあ……ね?ねぇ、人の話を無視するのは良くないと思うよ。だから、一言でも良いから、声を……』
『オズ坊っちゃま、其奴らはもう死んでる。……そうやって、ずっと地面に這い蹲って、土でも何でも掻き毟ってる気か?良いか、その墓を暴け様とも、出てくるのは死体だけだ。喋らねえ、暖かくもねえ、腐敗の進んだ死肉か、骨だけの骸骨か。お前の手に掴める物は何も無い。素直に諦めて、現実を受け入れろ。オズ坊っちゃま』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ほら、そうやって僕を罵るんだ!!君だって、僕の辛さは分からないだろう!!君は、ずっと人に恵まれて生きて来たんだから!僕みたいにっ!!ずっと悔やんで悔やんで、葛藤する事なんて無かっただろうに!!そんな巫山戯たお遊び……もう、ハッキリ言っといてやるよ!!君が、ダンテさんを殺す事は無理なんだよ!!!諦めろよ?!!どうせ、毎回殴られ蹴られて死ぬんだからさぁ!!」
「──黙れ……。黙れっつってんだろ!!!」
私は、そう語るオズヴァルドへ馬乗りに。そしてそのまま、譫言を呟く彼の顔を殴り続けた。私の目も、オズヴァルドの目も。何方も、何処か埋められない喪失感で、いっぱいになっていたんだと思う。
ぶぢゅ、ぶ。オズヴァルドの鼻から鼻血が出て、彼の頬が赤黒く、紫色に変色する。
──黙れ、黙れ、黙れ。煩い、お前も何も分かっちゃいない。何故そんな事でお前は苦しんでる?私の方が、もっと辛いのに。
「何がっ、『僕を拒絶する』だ!!何が、『お前には』彼奴『は殺せない』だ!!!巫山戯やがって!!!なら、お前にも到底分からないだろうなぁ!!オズヴァルド!!」
ずぐん、っ。ずぐんっ。重い一撃一撃が、彼の頬の傷を抉るのだ。オズヴァルドは目元を手で覆い隠しながら、私の暴行を受け入れた。
──何度も、何度も、何度も。私は殴った。その思いは、彼を殺しても晴れる事はないだろう。何かが、引っ掛かるのだ。
「家族を殺されて、集落は燃やされて!!そんな元凶と一緒に、人を殺す為の旅をする!!お前みたいに、呑気な御色気坊っちゃまみてぇな、のうのうとした理由じゃねえんだよ!!人を殺さなきゃ、私は死ねないんだ!」
「──っぐ、ふ。……っぐ、は゛、っ?!」
奴が、口から溜まった唾液を吐き出すが、それも私には見えなかった。唾液と血が混ざり合い、それが私の手へ糸の様に張る。
心地好い事ではなかった。身体は熱いし、何も考えられない。もう、楽に死にたい……。
「お前は、っ!!私と同じだと思っていたのに!!お前も、私を裏切るんだなっ!!!てめえの家族が、お前にした様に!!……っ、お前みたいに、呑気な家族ごっこをして生きて来た奴と、私は違うんだ……………………!」
『家族ごっこ』。その言葉を言った瞬間だった。一瞬にして、私の視界が空を向く。
「──うあぁ!!」
オズヴァルドの雄叫びと共に、優勢に思わされた私の体は、地面へと叩き落とされた。そして、彼の手に握られた私の斧が、頭の上へと掲げられ、後頭部へと。
「このっ……!醜く腐った化け物がァ゛っ?!」
オズヴァルドの悲痛の表情と共に、見えるは彼の影のみだ。──背中に、刃がある。
それが振り下ろされれば、私の命は無いだろう。だが………………。
「…………やれるもんなら、やってみろよ……」
私は息を荒らげながら、オズヴァルドを上目で眺めた。……オズヴァルド自身も息を荒らげて居る様子であったが。数秒後、斧を地面へ落とし、そのまま明後日の方向を眺め、此方には見向きもせずに立ち上がった。
そして、彼の口から発せられるは、いつもの上っ面だけの汚い言葉。顔は笑顔で、頬は赤黒く。鼻血が荒く拭われている。
「……あはは、はは……。あはは、は……は」
乾いた笑みだった。……臀が痛い。奴に押し倒された拍子に着いた背中からの尻餅が、前回の戦闘の古傷をズキズキと蝕むのだ。
私は、彼から目を逸らす事しか出来なかった。ただ、オズヴァルドは、燃える屋敷を絶えず眺めながら、ずっと。笑っていた。
彼に出来ることは、たったの一つだけ。
──目を逸らす事しか出来ない。




