005_齧り屠るは禁断の果実。
002
……オズヴァルドと別れ、宿へ戻り。今は、自室で窓の外を眺めている最中である。
マッチ売りの少女の童話通り、外は絶えず雪が降り注いでいた。
そして、その雪達を、緑色の着色料で塗装された街灯が、明るい黄色でぽっと照らす。
私は窓縁に肘を置き、窓にできた水滴を手で拭う。そして、ぼーっと暇そうに、外の景色を眺め続けた。……だが、こんな暇な時は、無性に酒が飲みたくなる。
「……確か、棚にウイスキーを入れて置いた筈なんだが」
重い体を動かして、私は隅にある棚の扉をひっそり開く。そこには、硝子に囲まれた麦色のウイスキーと、赤紫色のワインが一本。
朝に葡萄酒、ワインは飲んだ。選択肢はウイスキー一択だろう。
腰を屈め、硝子製のウイスキーボトルに手を伸ばした時だった。部屋の扉がキイと軋む音が聞こえて来たのだ。
ドアノブを掴み、此方へ不敵な笑みを浮かべるそいつは、血の様に真っ赤な髪で、服は白色のリブタートルネックを着用。
そして、左半身を覆い尽くす白色の包帯、見え隠れする火傷跡。…………そうだ、ユダである。
三日ぶりと言うべきか。彼女も、指折りで数えられないほどの童話がある中で、よく私達が住む宿に来れたものだ。
今まで必死に探していたのだろう。だが、私達の情報をら新聞記者に話していないのは少し気がかりだ。
「久方振りだな大罪人、因縁の決着を果たしに来たぞっ」
「なんだ、夜這いか?……だが、今まで私たちの尻尾追い掛け回すのに苦労しただろ。……まあ座れよ〜、一杯入れてやるからさ」
部屋の真ん中にある、丸いティーテーブルと二席の椅子を指差し、私はそう告げる。
ユダは笑いながらも、その言葉に返事は返さない。だが、席には無粋ながらも座ってくれて居た。
私はユダの方へ、ウイスキーグラスを差し出せば。そこへ蓋の開けたウイスキーを注ぎ込む。そして、自分用のウイスキーグラスにも、麦色のウイスキーを注いだ。
私は、それを口に入れ、そのままゴクリと飲み込めば。
「安心しろ、毒は無い。氷も入れてないからな、安心して飲むといいさ」
「飲む訳が無いだろう、安全だとしてもだ。……だが、お前を探すのに本当に苦労したよ。人様の骨の髄を、ここまでしゃぶったのは初めてだ」
多分ユダは、住民の情報を片っ端から聞きに行き、集めたのだろう。……そこまでして、私に会いたかったその理由。それは。
「お前に負けてから、私はお前の事しか考えられなくなった。格闘戦では私に勝る者は誰も居らず、その度に積み上げられてきたプライドが、全てズタボロになったさ。……あの時、偶然通り掛かった仲間に助けて貰ってね。少し火傷は負ったが正常だ、存分に戦える」
私があの時、先生達に助けられてから、彼女もまた、部下に助けられたのだ。そうユダは自らの口から流暢に語り出す。
その戯言を聞きながら、私も酒を存分に煽った。そして、ユダの過去回想が終わり、私は酒の匂いが漂う口を動かしこう話す。
「あれは勝ちの無い戦いだったなあ、私も、お前に負けたとずっと思っていたさ。……っくはははっ!はははははっっ!!」
何故だろう、笑いが止まらない。
そして、笑っている私に苛立ってか。ティーテーブルに手をつき、此方を睨むユダ。
「……何がおかしいっ!!」
「焦るな、股が濡れるぞ」
その言葉の後、数秒の沈黙。……だが、意外にも。先に口を開いたのは、ユダの方だった。彼女は多分、勝利に飢えていたんだと思う。
初めての敗北という苦味を噛み締めてから。……そして、勇気の籠った言葉で。
「儚く散ったプライドの為に、私は命を賭けられる──っ」
そう豪語するユダ。それに私は「同じく」と言葉を返すと、彼女は狭い部屋の中、背中に掛けた、あの大きな大剣を手に握る。
だが、此処は室内だ。あの大きな大剣を思う存分振り回せば、自然と壁に刺さり抜けなくなったり、刃が欠けたり等の、問題が必然と起こるだろう。
多分相手も、私達がこんな小さく腑抜けた宿に、居座っていたとは思いもしなかったのだろう。その誤算が招いた惨劇が、この大きな大剣一本である。
私の特技は近接戦、特に拳や斧を主にした格闘技だ。それに対して相手は剣術に優れている。
だが、その剣術も此処では唯の重りに過ぎない。頭のネジが足りない所が、物凄くジワる。
「断言するよ、私はお前に十秒で勝てる」
「そうか、なら……やってみるがいい──!」
ユダが、ティーテーブルを引っ繰り返す。
カウントダウン、開始である。
地面に落ち割れるグラスを眺めながら、私は中指を少し出した拳で、ユダの首元を狙って拳を突き立てる──と思わせて、そのまま胸倉を掴み足技を掛けた。
ユダは手に小さな折り畳みナイフを持っていたが、対して脅威にはならないだろう。
何故なら、前の様にユダ優勢の場ではなく、此処は私の独壇場であるからだ。
「──────────!」
そのまま奴の指を骨を折る。そしてナイフを奪い、向こうの壁へ投げ捨て、ユダがナイフを取れない様に。
指の骨を折られ目を見開くユダが、そのまま倒れた体を起き上がらせて、私に襲い掛かって来る。が。
今度こそ首に中指を突き立てた拳を入れる。おまけ程度に、腹にもその拳を突きつけた。そして、ユダがよろめいたのを確認すると、それを見て股間に一撃だ。
女であれと、股間への蹴りは痛いだろう。
背中から無様倒れるユダ、体を倒した先に椅子があったからか、そのまま椅子に座る様な形で倒れ込む彼女。そして、私は棚にあった縄を使い、そのままユダを椅子へ縛り付けた。
それまでの間の時間、「0:11.05」である。
四捨五入すると十秒なので、ギリギリセーフだと思う。
そして、ユダの血が滲んだ傷跡を眺めながら、私は彼女へ話し掛けた。片手に、また注ぎ直したウイスキーグラスを持ちながら。
「勝敗は、実力だけじゃ測れない。その場の環境や運、室温や気圧で軽〜く左右されるんだよボケ。体にちゃんと染み込ませておけよっ」
「……畜生め、ははっ。また負けちまった。……だが、お前に負けた時から、こう。全力で戦い、敗北した際に、胸が熱くなる様になったんだ」
見下す私を見上げながら、ユダはこう語る。
「胸が焼け焦げる様に熱くなって……その、言葉では表現しにくいんだが……股が濡れて、体が脳の意思とは関係なく、武者震いを始めるんだ。これが敗北の味なのか……?」
顔を少し火照らせながら、胸を揺らしそう語るユダ。……私は、軽蔑した目線を彼女へ向ける。
「………………このデカ乳マゾ女めがっ!」
そんな言葉と共に、彼女の胸を叩く私。その私の行動に、「あふんぅ!」と声を返すユダ。
……どうやらユダは、初めての敗北が衝撃的で、何かしらの部分が歪んでしまったのだ。
そして、その歪みの終着点が、この敗北による興奮だと言う訳である。……ユダは体を椅子に縛られながらも、もじもじと太腿を動かし、股に貯まる熱を発散している様子。
……なんて、なんて気持ち悪い奴なんだっ??!
この私でも軽蔑してしまうぞ、このマゾめ。
「…………。……………………」
「なんだ、私の体をそんなにも愛でたしく眺めて楽しいかっ」
不思議そうに此方を眺めるユダ。
愛でてるんじゃない、軽蔑してんだよ。
そう思いながら、私は酒を一杯煽る。変態を横に飲む酒は、何だか胸がもんもんした。
と、そんな私を眺めながら、ユダは口を再度開いたが、その時に発せられた言葉は、私が思いもしなかった言葉であった。
「……なあ、私を、お前らの仲間に入れてくれないか?」
体がぴくりと勝手に動く。彼女曰く、「あの会社に居たら、身も心を犯されてしまう」との事。
そして、ユダは此方へ、私を貫き敗因となった拳銃を見せる。見せるというか、両手を縛られているので、腰に掛けた銃を見せたと言う言葉の方が、正しいのかもしれない。
「この銃は、戦闘を目的として配布された訳じゃないんだ。これは、自決用として、支部に入ると配給される」
自決、言葉を変えれば自殺である。
相手に情報を渡す等の失態を犯さない為に、自ら命を絶つ為だけに配給される。
偉い人達は、私達の事を道具としか思っていない。
人間なんて、到底。……そして追記として、「お前らが人間のゴミ貯めだとすれば、支部は世界のゴミ箱なんだ」と一言。
だが、私の答えは変わりない。
「無理だ。お前如きの為に、何故我々は裏切りと言う名のリスクを負わなければならない」
「私が居れば、支部の奴らは私を奪還しに、支部の主戦力が来るぞ。戦う事が大好きなお前さんらには、類を見ない優良物件」
「それじゃあゆっくり酒も煽れない」
彼女の言葉を遮る形でそう告げる。
そうだ、生憎私の目的は戦う事では無い。先生を殺す為の、踏み台として利用し戦っている。だから、酒を煽る時間が減るのは、それより惜しい。その言葉を聞き、口を閉じ黙り込むユダ。
……やっと分かったか。私はそう思いながら、溜息をつく。そして、彼女を殺す為に、腰に掛けた小さなナイフを取り出す……前に、ユダは此方へ舌を出す。挑発などでは無い。舌からは、血が滲み出ていた。
自殺するのだろう、自分で舌を噛み切って。
「舌を噛み切っただけじゃ、人は死ねないよ」
「嘘だ。出血死なんて甘ったらしい事はしない、そのままゆらゆら窒息死だ。……それ程、私はお前らに、命を捧げる覚悟があるっ!」
その言葉と、ユダの圧。
「…………ふうん」
私はそう一言呟くと、壁に刺さった折り畳みナイフを取り出しては。そのナイフで、ユダを拘束する縄を切る。
そして、彼女の手にそのナイフを掴ませて。
「部下でも市民でも何でもいい。その手で、人の子一人二人殺して死体を持って来い。殺したならば、オズヴァルドや先生にも、私から話をつけてやる」
「出来れば仲間の命がいい」、私は追記としてそう言うと。
「それじゃあ、行ってらっしゃい!」
万遍の笑みで、ウイスキーグラスを片手にそう告げた。