056_現実は、手で握るだけで崩れて行った。
003
「──ああ、ソドム。そんな顔をして外を眺めて、一体全体どうしたんだい?今日は生憎雨だが、君はいつも、それに負けじと笑顔だっただろうに……」
少し物悲しそうに窓際の縁に頬杖をついたベルヤルナクへと、ゴモラは駆け寄れば。肌着に等しい格好で佇む彼女の肩へ、そっと。自身が羽織っていたコートを着させ。
ベルヤルナクは、ゴモラ達の母の妹……彼らで言う、義妹に当たる人物の友人であった。それが、まるで運命の如く彼らへ絡まり、ゴモラと彼女を、結婚の関係まで行かせたのである。
──本当に、世間とは狭い物だ。
彼女は、窓の外をぼんやりと眺めている。空はどんよりと気の沈む様な煤色で、雨こそ降っていない物の、その空は、彼らの心すらも憂鬱とさせるのだ。
「……っ、ああ、オズマ──……っあ、ごめん、間違えちゃった。ごめんね、ゴモラ。私ね、あれを見てたの。こんな曇り空なのに、外でこうやって読書をしてる彼を……」
彼女の指差す方を見て、ゴモラは眉間を歪ませた。理由は単純、その先に、木陰の下。表情こそ見えない物の、本を読んでいるオズヴァルドの姿があったから。
──ゴモラは、自分のベルヤルナクが彼に奪われてしまうのが、嫌だったのかもしれないね。
「ああ、ロトか。俺の弟……。まあ、気にする程じゃないよ。彼奴はいつも、ああやって独りで本を読むのが好きなんだ。本の内容と同じで、気難しい奴なんだ。放っといてやれ」
「駄目よ、ゴモラっ!オズマの事を下の名前で呼んだり、馬鹿にしたりしないで!……直に雨が振りそうね。少し私、オズマの様子を見て来る。帰ってきたと思ったら、びしょ濡れなのは嫌でしょう?」
そう言い貰ったコートを着込み、ゴモラの制止よりも早く。彼女は部屋から出て行った。
「──……っ、あ。〜……っ糞。俺だって……」
それを追い掛ける様に、ゴモラは手を伸ばしたが、それもまた辞めにした。
男は、その手を虚しく下へ降ろし、窓の外を、彼女と同じく眺め始めたのだ。
数分後、オズヴァルドの元へと、駆け寄るソドムの姿が見えた。二人の顔は遠くて見えないけれど、何方も同様に、双方とても笑顔だっただろう。それは、彼らの手振り素振り。顔の動きや揺れる体で容易に想像出来た。
多分、あの気難しい本の内容について、話し合って居るのだろう。ゴモラは読書が苦手だったが、それとは反対に、ベルヤルナクは読書が大の得意であった。だからだろう、彼らの会話は尽きる事無く続けられるのだ。
『劫罰』や『克鯨』、読み方すら分からぬそんな言葉が連なり合い、形成する。それを一つ一つ、時間を掛けて読み解くなんて馬鹿げてる。
──ゴモラは、そう心の中で呟いた。
しかし、その顔は少し、笑みを孕んで居たんだとか。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
──ゴモラは、そんな懐かしの思い出を胸に孕ませながら。オズヴァルド目掛けて、その槌矛を振り下ろした。それは、昔からずっと積りに積もった、言葉に表せない感情を秘めた、重い一撃であった。
だが、オズヴァルドはそれを、奇怪にも造り出した塩の金槌で受け止めて。
──そんな彼の奇妙な技に、ゴモラも顔を歪めるばかり。
「む、ぅ。奇怪な技を使うのだな、お前は。だが、そんな手品の様な小細工で。俺を負かせられると思って居るのならば、大間違いだ!」
「ああ、ゴモラ兄さん。これは手品でも、魔法でも小細工でも何でもないさ。……聴こえるかな?僕の近くで、誰かが泣いている」
その言葉を聞き、ゴモラは鼻でそれを笑えば。「遂に幻聴まで聞こえ始める様になったか」とオズヴァルドを罵った。
そして、その言葉と同時に。武器は工具用の金槌から姿を一変。身長程に大きな、彼の握る槌矛程の大きさの、ハンマー型の武器へと変化。
──その体が赴くままに、彼の脇腹目掛けて、殺しに掛かったのだ。
だが、ゴモラはそれを槌矛一本で防げば。──騎士の名が落ちぬ様な、攻撃の構えを取り始め。
「──全ては、愛する者の為なんだ。今、此処でお前とその仲間を殺して、俺達は死ぬ。全ては、俺の愛する者の為に……!」
愛する者。……きっと、ベルヤルナクの事であろう。瞳には、恐れと葛藤。そして、それを塗り潰す程の、勇気があった。
それに、ゴモラが『その仲間を殺して』と言う様に、今現在。ヴェルギリウスとダンテは各々、メイドやバトラーと死闘を繰り広げている。
全ては、愛する者の為に。それが、彼らの心を決心させる、深い言葉になったであろう。
彼らは家族を愛していた。だけど、その中に、オズヴァルドは入って居なかったのかもしれないね。うん、きっとそうだと思う。
その、オズヴァルドの笑みの下。薄い膜の下には、一体何があるのだろうか。その薄ら笑みの膜。ゴモラは、それを外そうとしている。
槌矛と金槌がぶつかり合い、彼らも引かず劣らずの攻防戦。兄弟喧嘩の成れの果て、その姿は正に、見るも無惨な光景だろうに。
世間を知らず生きて来たお坊ちゃまと、それを受け入れも、受け止めも出来ずに過ごしたとある騎士。
──彼等には、一体、何が残ると言うのか。
「……お前、っロト。お前は、覚えているか?かの日、嵐が吹き荒れる土砂降りの中。ソドムが、泥だらけの犬を持って来た日の事を」
「ん〜?それっていつの話かな。僕、あんまり日常の記憶は覚えて無くて……。あ、けど、ゴモラ兄さんと一緒に、良く剣で稽古をしていた事は覚えてるよ!ふふ、あの時はよく、打ち負かされていたな」
「お前、本当に覚えてないんだな…………」
まるで、「失望したよ」と言わんばかりのその言葉。それと共に、飛び散るは火の粉。
かの日、土砂降りが続く嵐の中。服を泥だらけにして抱き抱えた野良犬の姿は、この館には存在していない。
剰え、犬の居る気配すら感じないのだ。一体全体、あの日、あの屋敷の中で、何があったと言うのか。
彼らは、死闘を思うがままに繰り広げながら、各々。昔の思い出に浸って行く。──思い出したくもない記憶だ。だが、オズヴァルドだけは、嬉々としてその内容を語るのだ。
そして、彼等の舞の様な攻防は続く。時には火花の様な物も、飛び散って居た程だ。
「……ふふ、懐かしいね。養子で引き取られた僕の部屋は、総じて暗い地下室だった。けど、そんな埃臭い地下室へ、偶に見兼ねたメイド達が、湯気立ちのぼる珈琲を持って来るんだ。その時は、毎度嬉しかったよ。僕は此処に居て良いんだって、思えたし──、っ」
そうだ、オズヴァルドは養子であったのだ。
路地裏にて、かの昔。今は焼け野原の一部となった屋敷を管理していた旦那様が、ふと。とある日、泥臭い子供を連れて来たのだ。
最初は、今や亡くなった母やベルヤルナク、ゴモラでさえ、良くは思っていなかった。貴族階級に有るまじき、その格好に、生理的な嫌悪感を感じたからだろう。しかし、段々と。年月と共に、その感情は薄れ行く物。
オズヴァルドは着実に、家族の仲を深められていた。だが、とある日。旦那様が体調を崩され、寝込んでいた日の事だろうか。
かの、野良犬の事件が起きた。それから、彼等には言葉に表せない、大きな亀裂が出来てしまったのだ……。しかし、オズヴァルドはその記憶さえも、脳の奥底は愚か、忘れてしまっている。
ゴモラは感じただろう。救い様の無いド屑を、目の前で。
その思いを、彼は武器へと込め続け。喋って居る今も尚、その槌矛を振り下ろすのだ。だが、オズヴァルドはそれを軽々と避け。不恰好なウインクを咬まし、勢いのまま身長と同等サイズの金槌を振るう。
「地下には、少し黴の生えた本が、山の様に積まれていた。そして、僕はそれから読書が好きになったんだ。雨も届かぬ暗闇内、寂しいと思い本を開けば、広い世界が待っている。楽しかったよ、君達がフカフカの布団で寝る中で一人、蝋燭を片手に本を読み耽るのは」
「……ああ、お前はよく父上へ頼み込んで、あのお方の書斎で本を読んでいたな。騎士道物語や、空想の戦記まで。……『負けた』と言う事を読み解く為だけに、あんなにも分厚い本を読むのは、俺には無理な話だったよ──」
段々と、彼等の過去が垣間見えて。
それに、ゴモラの顔にも見えずとも。心に少し、笑みを浮かべているのが分かる。愛する妻が死んで、早十数年。彼の指に嵌められた、煌びやかに輝く指輪が、その事を彷彿とさせるのだ。
……そして、オズヴァルドの指には、指輪等、嵌められては居なかった。
「お前はよく、オート麦のビスケットを食べていたよな……?ああ、それは覚えているか。良かったよ。だが、俺はあのビスケットが嫌いだったさ。何せ、素朴な味しかしない物で。ジャムでも何でも、沢山塗りたくって俺は毎回食べていたよ。そして、それを見て、ソドムが『ずるい』と言って怒るんだ……」
「ベルヤルナクはよく、僕達の家へ遊びに来てくれたよね。母君の妹様の友達だと知った時は驚いたよ。それから事ある事に、彼女は僕達の屋敷へ遊びに来てくれたよね。将来の夢は、あの屋敷を継ぐとも言ってたよ」
オズヴァルドが大きな金槌を変形させて、肉叩きの様に、平らな部分へ釘の様な棘を生成させ。
それを勢いのまま、ゴモラの方へと投げ棄てる様に潰しに掛かるのだ。
それを、ゴモラは持っていた槌矛で受け止めて。剰え、それを破壊する様な勢いで、貫きに掛かる。大きいが故に、的は広い。その塩で作られた金槌は、意図も容易く壊されて。
だが、それの強みは耐久性では無く、何度も量産出来るコスパの良さであろう。オズヴァルドはすぐ様それを再生成、次は彼と同じく、槌矛の様な形へと変化させ。
──昔、兄に似て習った居合の形を取った。
……挑戦状だろう。それを見て、ゴモラは「良いだろう」と一言。そしてその槍の矛先を、彼の脳天へと向けさせて。
「手加減は無用だよ、ゴモラ兄さん」
「分かっている。これで、決着をつけよう。その傍若無人な幻ごと、打ち砕いてやる!」
双方、同時に踏み込んだ──かに思われた。
だが、オズヴァルドの方が少し遅れをとっている。そして、それを良い事に。ゴモラは地面にしっかりと、その足裏を浸透させて、ぎゅるりと抉る様な一撃を彼の脳天目掛けて放ったのだ。
──だが、オズヴァルドも、それを偽物の槌矛で受け止めて。
「っ」
それを握り締める右腕を縮め、槌矛へと、手を添える様に翳し息を吐く。そして、蜂が毒針を刺す様に。その槌矛を、身体目掛けて突き放したのだ!
しかし、スカ。ゴモラはそれを、身体を鍛える時の様に屈めさせ回避。
だが、オズヴァルドも負けてはいられない。彼の懐へと、駆け出ししゃがみ込んだのだ。
次は、ゴモラの顎に目掛けて、その槌矛を向けるのだ。しかし、彼もやり手故。そう簡単には行かせてくれまい。
──間一髪。その槌矛を避け回避。そのまま宙を、飛び立つ脱兎の如く一回転。地面に華麗に着地後、また同じ構えをとるのだ。
だが、その彼が矛先を向ける先に、オズヴァルドの姿は見当たらない。──後ろか!
「さようなら、ゴモラ兄さん」
そう、彼が気付くよりも前に、オズヴァルドは、その槌矛を深く握り締め。上眼で彼を睨み付ければ。
──そのまま、その心臓へ一刺突きだ。
決闘はやはり、早く終わりて、早急に朽ちて行く物なのだと。オズヴァルドは、地面に倒れ、浅い呼吸を繰り返すゴモラの近くへと寄り、しゃがみ込んだ。口からは血を吐き、今にも命が途絶えそうだ。
だが、オズヴァルドは何とも思わない。只々、その肉親の屍を、じっと眺めるばかり。
それを見て、ゴモラは「はっ」と、オズヴァルドを鼻で笑えば。動かぬ口を無理に動かして、血をたぽたぽと、吐き出しながら。
「……お前の答えは、ソドムの部屋にある。……行け、そこに、全てが書いてある」
──その言葉と共に、ゴモラは冷たくなった。愛する者の墓場の近く、彼は息を途絶えたのだ。
様々な、やり残せない感情を胸に抱きながら。……オズヴァルドはそれを見て、颯爽と立ち上がり、屋敷の方へと体を向け。
ゆっくりと、向かって行く。全ては、彼の残した、胸躍らせる遺言の為に。




