055_現実を見たくないから、目を逸らした。
002
「ねえ、ロト。君は何をしているの?」
──オズヴァルドの淡い記憶だ。
屋敷から離れ、少し盛り上がった坂の上、一本の木の木陰に居た少年へ、一人の少女が話し掛けたのである。少年は笑わなかった、その少女が笑みを振り撒いてもである。
「……君は誰、僕は、君と話す余裕や時間なんて無いからね。──君も、彼奴らと同じ様に、僕の名前をからかいに来たんだろう。女々しい、って」
少年はそう呟けば、また、林の方へと視線を向ける。が、女の方がそれを許さなかった様で。少女はむすり、と頬を膨らませ。
視界の方へと割り込み、その場で意地悪にも座り込んだのだ。その様子に少年も目元を歪ませ。
「ええと、確か貴方は、『ヴォルヴァドス・ロト』って、名前だったよね?貴方は、そのロトって名前が嫌いなの?」
「ああ、そうさ。皆に女っぽいって、馬鹿にされる。……僕はこの名前が嫌いだ」
その言葉を聞いて、少女は眉間を歪ませた。
そして、少年と視線を合わせ、真面目な表情で、風の声を耳に孕ませながら。
「『名前が嫌い』って事は、貴方は自分が嫌いなの?」
「……何でそんな結論に至るんだい」
「だって、名前は自分自身だから。そんな名前を嫌うなんて、自分が嫌いだって言ってる様なものだよ。はっきり言って、おかしいよ」
その言葉を聞いて、少年は勢い良く立ち上がった。
自分自身を否定された気持ちになったのだろう。そして、吐き捨てる様に。
「なら如何した。僕がおかしいから、君は何をしたいんだ。只、その上っ面の言葉だけをペラペラと並べるだけで、気持ち良くなりやがって。皆、僕の事なんて何も分からないさ」
そう言い、少年は少女の胸倉へ。
「お前だって、恵まれただけの人間なんだろ。僕とは、違う癖に──」
──ペチンッ。少年の頬を、少女は打った。
頬を抑え、放心状態の少年へ、少女は呆れた表情を見せながら彼の手に、自身の手を寄せ、そのまま、強制的に指切りを。
少年は、少女が何をしでかすか分からなかった。けれども、それで良い気もしていた。
「オズマ……なら、今日から君の名前はオズマ。『ヴォルヴァドス』の『オ』と『ス』、『だくてん』を取って、オズマ。……私が、貴方の全てを受け入れて、一緒に居てあげる。だから貴方も私の全てを受け入れて、一緒に居て。私が、全てを変えたげる」
だが、少年にはその言葉が、風の音に打ち消され、少し聞こえなかった。けれども、その言葉は少年を変える、大きな第一歩となっただろう。少年は少女へもう一度聞き返す。
「オズヴァ……オズヴァ?僕の名前は、オズヴァなの……?変わった名前だね……っ」
「そう、オズマ!今日から貴方の名前はオズマよ。──さ、行こう、オズマ。私も、友達が一人も居なくてね。一緒に遊ぼうよ、ね」
そう言い、少女は少年の手を引っ張れば、そのまま少年を、木陰と言う名の暗闇から引き摺り出したのだ。太陽が異様に明るい、まるで、この少女を表す様に、全てを与えてくれたこの子の様に──。
「………………きれい」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
──オズヴァルドは、叔母からの罵声や暴行を受け入れた。そして、叔母が去った後。
過去を思い出しながら、その軋む身体を起こさせて。
「……はは、甘酸っぱい思い出だなあ…………」
地面には、鼻から垂れた自身の鼻血が染み付いている。けれども、こんな僕の血も直ぐに、あのメイド達に掃除されてしまうのだろう。
オズヴァルドはそう、自身を嘲笑しながら、粉々に割れたクッキーの入った瓶を下賎に見詰め。
……すぐ様、遠くに落ちていた花束や手紙を拾い上げ。ゆっくりと、オズヴァルド自身へ最大の絶望を与えた屋敷から、身を引いた。
外は寒かった。海から絶えず、冷たい風が靡いており、どうもコートを羽織っていても肌寒い。オズヴァルドは、コートの裾をきゅっと、子供の様に握り締めると。
「ほうっ」、少し白い息を吐いた。
「ん〜、少し、肌寒い様な気がするよ。……ふふ、君は今、どんな顔をしてるのかな?」
オズヴァルドは、胸に掛けていたロケットペンダントへ、一人寂しくそう告げた。
そして、見えたのは懐かしの崖っぷち。少し盛り上がった丘の上、安らぎの木陰の下。何か、煤色の物が佇んでいる。
そうだ、墓だ。木陰の下、名も無き花に囲まれて、オズヴァルドの妻と呼ばれた女が眠っているのだ。だが、オズヴァルド本人には、そんな彼女の眠り顔は、一緒拝めないだろうに。
男は爽やかな笑顔を小脇に抱きながら、墓の前へとやって来る。そして、墓へその手を添えた。
……昔の様な、太陽の如し温もりは無い。あるとするならば、風に身を晒されたが故の、冷たさだけだった。
「──ベルヤルナク、僕の愛する者よ。お久しぶり、数年振りかな?僕は、君と会えるこの日を、ずっと楽しみにしていたよ。……それに、僕の計画も順調さ。──君に最大の哀しみを与えた彼奴に、それ以上の悲観を与えてやるからね。……まあ、泥臭い話は辞めにしよう。折角、久しぶりに会えたんだから」
石の墓には『VelYarnak・Sodom』と、綺麗に彫られており。下には、『May she redt in peace.』、『彼女が安らかに眠れますように』とも刻まれていた。
そして、また微風が彼を襲い。オズヴァルドは、その風に少し目を縮ませれば。散った髪の毛を耳に掛け、また会話を再開させる。
「君の為に、僕は薔薇の花束を百本。一つ一つ、丁寧に摘んで来たさ。それに、何日も考え抜いた手紙まで。……君が望むのならば、僕は全てを捧げるよ。大好き、ずっと、僕の物だけになって……?ベルヤルナク」
そして、墓石に、オズヴァルドは花束を添えた。次に、その墓場へ──キスをした。
何年も、掃除はされて居ないだろう。汚いと思うかもしれないが、彼は構わない。だって、それもまた、僕達の愛の印でしょう?
「ああ、大好き。愛しているよ、ベルヤルナク。…………こんなに、愛していたのに。どうして、僕だけを置いて行っちゃうのさ。ベルヤルナク……。悲しい、君が居ない世界は、今も苔が生えた様に、緑色に膿腐って見えるよ。……僕は、暖かい心が欲しかっただけなのにね」
そう言って、オズヴァルドは。愛する妻の墓の前で。
──数日掛けて書いた手紙を、ビリビリと破き始めたのである。そして、遂には塵ゴミの如く小さくなった手紙を、オズヴァルドは笑いながら、空へと撒き散らした。
紙吹雪の様に、風に靡き舞う手紙を背後に。男は、先程優しく置いた花束を、墓の上でぐりぐりと、踏み躙り始めたのである。
男が靴を墓から離したその時には、その薔薇は、かの時の様な健美な状態は崩れ落ち。ただ、其処に残ったのは。押花の様に潰れた花弁と、棘が縮んだ茎の姿だけだった。
「──君が僕に、死にたいと思わせる程の喪失感を味合わせたから。僕も君に、死ぬんじゃ無かったと思わせる程の扱いをするよ。僕は、君が好きだ。好きだからこそ、こうするんだよ?分かってくれるかな、ベルヤルナク」
狂気、その憂いひとつ無い翠色の瞳には、確かに、狂気を孕み抱いていた。「はは、ははは」と掠れた笑い声を荒らげる男。笑っているが、空っぽの瓶の様に、中身は無い。
と、その時だった。草木を踏み荒らす様な、荒々しき足音と共に、オズヴァルドの背後から「おい」と図太い声が聞こえ。
オズヴァルドはその、空っぽの笑顔のまま。コートを靡かせ、顔を其方へ向けたのだ。
──そこには、凛々しい眉を歪ませて、オズヴァルドの方を睨む男が一人。背中には大きな槌矛、メイスを背負い。
黒色のコートを羽織りながら、下には確りと着こなされたスーツが見える。男は、その目に掛けた黒色のサングラスから、鋭い瞳を覗かせて。
「お前、よくそんな顔でのうのうと、この家に帰って来られたな。それに……っ、ソドムの墓へ、これ以上近付くな!巫山戯た奴めっ!」
「あはは、ゴモラ兄さん。どうしたんだい?そんなに、目元へ皺を沢山寄らせて。僕は只、僕のベルヤルナクへ十七周忌の追悼に──」
「それを巫山戯るなと、俺は言っている!!」
静かな丘の上周辺に、響き渡る様な怒号。
その言葉を聞き、オズヴァルドは笑顔のままその口を閉じた。それを見て、ゴモラと呼ばれる男は歯を食いしばり、目元をギロリと歪ませて。
オズヴァルドを親の敵の如く、熱い視線で眺めるである──。
だが、眺める事しか出来ないその姿は、まるで主人に待てをされている犬の如し。オズヴァルドはそれを見て嘲笑の笑みを浮かべ。
「何が『僕のベルヤルナク』だ、頭のネジが完全にイカれてやがる。ベルヤルナク……いや、ソドムは俺の女房だ!!まだ、お前はそんな厚かましい幻想を引き摺って……!馬鹿馬鹿しい、現実から目を逸らすのも大概にしろ!お前の鼻は、もう随分と伸び切っているだろうに」
そうだ、オズヴァルドが「妻」やら「愛する者」やら何やらと語っていた人物は、実を言う所。オズヴァルドの女房では無かったのだ。
──それを言葉に表すならば、『度の過ぎた片思い』。それが捻れに捻れ、こんな妄想に囚われた男の思想が完成したのだろう。
だが、その言葉を告げられても尚、オズヴァルドは平然と。飄々とした表情のまま、腑抜けた態度でゴモラへと。
「うん、ベルヤルナクは君の娶った女。それは分かってるよ、当たり前じゃないか。けど、確かに。彼女は僕を、君よりも愛していたんだ!それを行動に示して何が悪い、それじゃあまるで……僕が悪者で、頭のおかしな奴みたいじゃないか!うう、酷いよ……っ」
オズヴァルドはそう言うと、ダンスでも踊るのかと言わんばかりに、胸に手を置き一回転。そしてそのまま、幻想に浸る様に。
「彼女は、君の様な奴より、確実に僕の方を愛していたんだ。うん、きっとそうだと思う。だから、僕が君の妻でもおかしくないという訳だ。それに、僕は一妻多夫制は全然大丈夫だから、ゴモラ兄さんが良いのなら、ベルヤルナクは僕と半分こにしようよっ!」
その常軌を逸した行動や言動、夢の様な言葉の数々に、ゴモラも口を開きながら、黙り込んでしまった。
そして、それに追い打ちをかける様に、オズヴァルドは「セックスも、キスもオナニーも。一緒にやるのも大歓迎だよ?ゴモラ兄さん」と最悪な追記を吐き。
だが、ゴモラもやっと脳内でその言葉が変換出来たのか。血相を変え、ゆらゆらと墓の上で踊り続けるオズヴァルドの胸倉を、仇の如く握り締めたのだ。
「このっ──、異常者がッ!?馬鹿か、お前は!!そんな、こんな奴とソドムが、友達だったなんてイカれてやがる……っ。本当に、お前は一体何なんだ──ッ!!??」
「僕は、オズヴァルド。彼女が付けてくれた『オズヴァ』に『ヴォルヴァドス』のルと、彼女の穢れて居ない、聖なる部分の名前『ソドム』のドを足して、造られたのが僕、オズヴァルド!──はは、っはははは!!僕は、何て幸せ者なんだぁ!ふふっ、ふふはは、ははははははは、っはは、は、っ。はは!!!」
狂気絢爛、その姿は正に、血を帯びた悪魔の様であり。叔母に殴られ出来た傷と、狂気を孕んだその表情が、何とも。鳥肌を立たせ、男の背筋を凍らせるのだ。
──そして遂に、ゴモラは痺れを切らしたのか。背後に掛けていた、槌矛を手に握り。そのまま、引き抜く様にそれを勲章の如く掲げると。
オズヴァルドを突き飛ばし、その聖なる槌矛を彼の眉間に突き立てて。
「決闘だ、オズヴァルド……いや、ロト!俺はお前を否定して、その膿腐った夢を、この手で終わらせんと!!」
「──ッ、ああ、受けて立つとも、ゴモラ!僕の名は、オズヴァルド。っくふ、愛する者と共に、正義を孕み塩で身体を犯す者!」
正反対な二人は、共に武器を握り締めた。
オズヴァルドは手に握った金槌を、正義や真実を垂れ流す蟋蟀の頭上目掛けて、振り下ろしたのだとか──。




