054_潮の音が、中々耳から離れない。
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《拝啓、僕へ最大の絶望を味合わせたその屋敷には、まだ潮の音が木霊していますか?
君が⬛︎⬛︎⬛︎から、僕は、中身の無いジャム瓶の様になってしまったね。君の為に準備をした花束も、遠の昔に枯れてしまったよ。
あの時、僕が振り返らなければ、また新しい可能性があったのかもしれない。けれども、そうはならなかった。
あの太陽が涼しげに僕達を照らした日、焼き立てのパンの匂い漂うあの場所で、僕は、振り返ってしまったんだ。そして、走った。
振り返ってしまった事が、僕の罪だったのかもしれないね。うん、きっとそうだと思う。
今も、その罪は償えていない。……ただ、覆い隠して居るだけ。それは、指のささくれの様に、いつかは取れてしまうけれど。
──君は今、どんな顔をしているのかな?
早く、君の顔が見たいよ。待っててね、
〜僕の愛する妻へ、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎より〜》
──がたっ、がた。小刻みに揺れ動く、小さな鳥籠の様な馬車内。我々は荷物に身体を圧迫されながらも、旅路を満喫?していた。
目の前に座るオズヴァルドの方を見ると。彼は手に花束とクッキー、手紙を持ちながら外を気長に眺めている。……あの糞野郎兼先生は、絶えず今日の新聞を読んでいた。
その姿がどうも、私には薄気味悪かった様で。鳥肌がぞわり、と身を襲ったのを覚えている。
と、耳を澄ませてみれば、少し。耳に波の音が聞こえて来た様な気がした。
「……波の音、がする…………っ、のか?」
「ああ〜、僕の一時期居た屋敷は、海岸沿いの崖上にあってね。静かにすると、こうやって……気持ち程度、波の音が聞こえて来るんだ。もう時期着くね、僕の家に──」
私の独り言に、オズヴァルドはそう返答を返せば。馬車は、馬の唸り声や吐息と共に停車。少し不機嫌そうな御者が扉を開ける。
荷物を持って外に出ると、何とも言えぬ、冷たい風が身を襲い。空は晴れていると言うのに、肌寒い雰囲気が身体を襲うのだ。
……先生やオズヴァルドの様に、コートを羽織れば良かった。些か、沢山の武器や黒装束と頭巾では、何とも風は防げぬ様で。
「ああ、っ。寒いな、海風も強い……っ。煙草の火が付きやしねぇな、こりゃ」
先生は、風の吹く方向を眺めながら、一言。
手には萎えた煙草の箱と、銀色に輝くライターが握られている。そして、それを先生はコートの懐内へそっ、と仕舞えば。何か口が寂しいのか。ムズムズと口元を動かしながら、オズヴァルドに連れられて、館の方へと向かって行く……。
──今更だが、私達はこんな軽装で良かったのだろうか。館や屋敷と言う様に、どうも豪勢な階級の様に思える物で。
もう少しオズヴァルドの様に、スーツやらでも着込めば良かったのかもしれない。だが、もう遅いか。
「……おい、オズヴァルド。──何か、羽織るモンでも持っちゃ居ねえか?何せ、こんなにも海風が強いとは思いもせず。体がさみぃ」
「僕は〜……持ってないね、ダンテさんは?」
「ああ、古着で、黒色コートなら一着」
「お前に聞いてなんか居ないんだが」と、私がその言葉に返答を返せば。先生は「欲しいんだろう?」と一言。そして、此方の頭目掛けて、一着のコートを投げ捨てる。
私はそれを片手でキャッチ。そのまま、自分の体格よりも二割程度大きなコートを着込めば。……ううむ、丈が些か長く、踝まで来ているが良しとしよう。寒さを防げるならば、何だって良い。
──途中、冗談めいた雑談?を少々交わしながら歩き、数分程度経った頃だろうか。やっと、オズヴァルドの住んで居る屋敷と思しき館を見つけ。
……近くに寄ってみると分かる。私の居た家の数倍……いや、数十倍程度の大きさだ。外装は洋風で、深い色をした樹木が主に使われており、玄関とを繋ぐ扉が些か大きい。
だが、そんな扉へと。オズヴァルドは躊躇無く、両手の平を扉へと。そして、ぐっと身体の力を全て込めて扉を開く。
……目の前に見えたのは、此方を囲む様にして並ぶ女中と思しき者数十名と、執事が数名。そして、純血の様に色の濃い絨毯の上、シャンデリアに囲まれながら佇む一人の女が見えた。
「……やあ、お久しぶりですね、叔母様」
オズヴァルドが敬語を使っている所を、私は初めて見たのかもしれない。
彼が叔母様と呼ぶ者の顔や頬には、年季の入った数本の皺があり。表情は険しく、頭には煌びやかに輝く飾りが。そして、彼女は自身の心を表す様な、紫色のドレスを着込み。
……オズヴァルドのその言葉に、女は「……」と黙り込めば。数秒、気まずい沈黙が流れ。やっと、痺れを切らした女が口を開いた。
「……金は?貴方の家の財産は、どうしたのかしら。貴方に全て相続されて居た筈でしょ」
その言葉を聞いて、耳を疑った。久々に帰って来た息子に対して、その言葉かよ。と。
だが、私が何か口出しをする暇すら与えずに、オズヴァルドが又もや口を開けば。
「全て使いましたよ。何せ、貴方の言う下賎な旅人は、金遣いが荒い物でね。……ああ、それより、貴方の為にクッキーを買って来」
「──ッ、何がだ!何を全て使い切ったと!」
バチンッ!!その室内に轟く様な、大きな破裂音が聞こえた。よく見ると、オズヴァルドは頬を打たれた様で。奴は、頬を右手で抑えている。が、まだ、あの笑顔のままだ。
「ああ、お前を捨てなかったのは、あの有り余る程の金があったから……ッ!お前も分かって居た筈だろうに!何故、あれだけの金を、十年程度で、何に使えばそんなに──!!」
「娼館に、値段の張るレストラン。良い値段の宿なんかに毎日入り浸る様に泊まったら、こうなりました。ふふ、昔、言ってたじゃないですか、叔母様。『旅人は金遣いが荒い』と」
「このッ──、穀潰しの糞餓鬼がァ゛っっ!」
その後は、見るも無惨な光景だった。顔を真っ赤に火照らせた叔母様と呼ばれる女が、オズヴァルドへ暴行をし始めたのである。
頭を抱え、芋虫の様に這い蹲うオズヴァルドの頭や脇腹、背骨を何度も何度も踏み付けて。剰え、その持っていた杖で殴る蹴るとの好き放題。
──だが、オズヴァルドは何もせず、黙ってその行いを眺めていた。
私達と同じく。メイドや執事、先生や私も、誰も止めようとはしなかった。……別に、止めてもどうこうなる問題では無いと思ったから。
──多分、正義感が人一倍強いユダが居れば、奴はすぐ様助けに行っただろう。だが、奴は死んだ。私が、この手で殺したから。
そして途中、私はメイドに連れられて。先生は、執事に連れられて。各自別々の部屋へと、オズヴァルドを背に向かわされ。
「この金食い虫ッ、親不孝者っっ!!私が、どんな思いでお前を育てたと思ってるんだ!!全部、お前の財産が目当てだったのにィ゛!」
「……っぐ、ぅ。は、はは。痛いですよ、ッ。……叔母様、っぐ、ふ」
「ぐぎいいいいい!!!その軽薄な態度がッ、気に食わないんだよ!!目上の人の対応がなっちゃいない、叩き直してやるぅぅッ!!」
背中の方からは、絶えず打撲音や、オズヴァルドの喘ぎ声。女の金切り声が。私はそんな狂乱を背に、メイドへ連れられ奥の部屋へ。
長い廊下や、馴染みの無い綺麗な絵画。だが、そんな豪華な物を見ていても尚、あの光景とオズヴァルドの声、女の雄叫びが耳に残留し、何度も木霊して居る……。
不愉快だ、私は黙り込むメイドの背中に、少し「はあ」と溜息を吐いた。そして曲がり角を曲がると。そこには、見習いメイドだろうか。数多もの女中達が、窓やら絵画やらの掃除を、小箒を片手にして居る光景に出会した。
すると、私を導いてくれていたメイドが、静かに通路から脱線。窓の縁角に指をすー……っと這わせれば。這わせた指と顔合わせ。次に、黒髪のポニーテールを揺らしながら。
「……この窓の掃除を担当した物は何処へ!角と端に埃がまだ溜まって居るでは無いかっ、阿呆め。全て掃除し直しだ、これでは奥様に顔向けすら出来ないぞ!!」
「は、はぃ……すみません、ヨシ長!今直ぐにでも、館全体の掃除をし直しますっ!」
そこに現れたのは、少し焦りながら眼鏡をかちゃりと掛ける、新入りメイドであった。
この東棟を管理するメイド長である女……名をヨシとしよう。その女、ヨシは、そのメイドの頭目掛けて手の甲を向けたかと思えば──。
口に煙草を咥えたまま、奴の頭へポンと優しく手を置いた。……どうやら、あの叔母様とやらには似ていない様で。ビンタ等では無いらしい。
「ううむ、志は良きと見た。貴様、新入りか?……ああ、そうかい。ならば、その顔に免じて今回は良してやろう。さあ、皆の衆、道を開けなされ!!オズ坊ちゃまの客人が、この場にいらっしゃるのが見えぬのか!!」
その、響き渡る様な、罵声の如し声と共に、メイド一同はきっちり壁側へ列となり、頭を下げる。それを見てヨシは、火の付けて居ない煙草を上下させながらもその場を通過。
……私は、人に蔑まれたりする事には慣れて居るが……。こう、偉くなった経験は生憎初めてな物で。お恥ずかしながら、少し焦りながらも、その区域を通過した。
そして、その区域を通過した時だろうか。それと同時に、ヨシが私へ質問を。
「君は、オズ坊ちゃまの客人と聞いた。……少し無礼な質問だが、私は何歳に見える?」
急な質問だ、少し肩がピクリと微々たる程度だが、脈動するかの如く上下した。
「……なんだ、何処ぞの娼婦か?このメイドは。……まあ、私の母、程度であろうか……」
「貴方の母上の年齢は知らぬが、私は今や今年で三十八。オズ坊っちゃまの使用人として、数十年、この身を捧げたメイドである」
何と。オズヴァルドの屋敷に居る奴らは、全員年齢が狂ってやがる。確かに、その若々しさとは裏腹に、目元の皺が気になるが……気になると言っても、薄い程度。まさか、本当にその年齢だとは思いもせず……。
そのメイドも、その反応が見たかったのだろう。私の様子を横目見て、「ふん」と鼻で笑えば。そのまま会話を続行する様で。
「オズ坊っちゃまがこの屋敷に来た時の年齢は、確か二十いくつであったな。そこから十年程度、私はオズ坊っちゃまの世話をした」
──その女中が言う事を語るとするならば、この様な内容であっただろう。
オズヴァルドが初めてこの屋敷に来た時、奴は今の様に、ずっと笑顔で居たらしい。故、我々といる時のあの笑みが、今でも彼女にとっては如何しても薄気味悪くて堪らなかった様で。
しかし、世間知らずの坊ちゃんを、旅に連れて行かせて良かったと、ヨシは語って居た。
好きな食べ物は、少々脂身の多い物。だが、それ程の量は食べなかった。いつも部屋に引き篭もり、偶に部屋から出たかと思えば、それはとある墓へ行く為の外出で。十日も顔を合わせなかった事も、ザラにあったらしい。
「──な?面白いだろう。オズ坊っちゃまと何があったのかは、女中の身分、故深々とは聞かないが……。よく、あのオズ坊ちゃまを、あんなにも更生させたもので、ヨシヒデ、感激でございまする。一体、どんな教育を?」
「……オズヴァルドとは、出会った時からそうだった。……こう、何処か頭のネジが外れてると言うか、そう言う具合の奴だったよ」
だが、ヨシヒデは私の発した言葉に、何か突っ掛かる所があった様で。少し、眉を萎めれば。「オズヴァルド?」と、聞き返す。
「オズヴァルド、彼奴の名前だよ。……初めて会った時、彼奴が自らそう言った」
「オズヴァルド……。いえ、オズ坊っちゃまはそんな名前ではございませぬ。オズ坊っちゃまの名前は──『ヴォルヴァドス・ロト』でありまするぞ?」
──『ヴォルヴァドス・ロト』。それが、奴の本当の名前の様だったのだ。しかし、その名前の真相に迫ろうと口を開いた瞬間、私の言葉を遮る様にメイドが私を部屋へと案内する。
部屋に案内された私は、用意された高そうな腰掛けに座り。メイドはそれを見て、ニコリと笑みを溢しては。紅茶と少しの茶菓子の入ったお盆を手に持ち、入って来る。
そして、私の目の前へそれを置けば「どうぞ、お召し上がり下さいまし」と一言。
私は、それを聞いて、紅茶を優しく持ち上げて。痛む体を軋ませながら、その紅茶を口元へと運んだ。
………………………………………。
「…………」
「如何したんだ。早く飲みなされ、折角の温かき紅茶が冷めてしまうなかれ」
──私は、その言葉を聞くや否や、そのティーカップから手を離し、地面へとそれを打ち付けた。炸裂する様な破裂音と共に、硝子の破片が飛び散り、辺り一面に、珍妙な匂い漂う紅茶がばら撒かれ。
それを見て、使用人は焦った様に私の側へと駆け寄れば手に手拭いを持ち、地面を拭こうとするが……。
私はそんなメイドへと、懐に仕舞っていた、散弾銃の銃口を向ける。
「──おいおい、折角の紅茶に何やら異物が入ってる見たいじゃないか?これじゃあ、頂きたくとも飲めないなあ〜、メイド長。……さあ、これは如何言う了見だ?」
「……ああ、流石はオズ坊っちゃまのお仲間。ええ、紅茶の中に、幻覚剤を入れさせて頂いたなり。よもやよもや、それを勘付かれるとは思いもせず。替えを用意して居ない物で」
使用人はそう言い、後方へ撤退。懐から、何十にも重ねられたナイフを見せ付け。
私はそれを見て席を立ち上がり、彼女の眉間へ銃口を。
「それに、あの女中との会話……。私の死角で手信号を使いやがったな?内容は確か、『護衛を厳重に』と『男の管理を』だったか?」
「……はあ、とんだ鼠が我が屋敷に入り込んでしまいましたね。これは、駆除が大変だ事。──だが」
そう呟いたのと同時に、部屋の扉が勢い良く開いたかと思えば。外からゾロゾロと入って来たは、数多ものメイド達。それらは、私の周りを取り囲み。
メイド長はそれを見て、ニヤリと微笑めば。
「メイドの仕事は、屋敷内の掃除だからな!」
──両者共々、双方武器を握り締めた。




