053_ずっと、見詰める事しか出来なかった。
──少し膨らんだ丘の上。綺麗に咲き誇る、花の生い茂った地面。そして、丘の上の木の下で、誰かが此方へ手を振っている。
心を赦してしまいそうな笑顔だった。私は、その者の手の赴くまま。丘の方へと走り出す。……体が、いつもの様に痛くない。
お日様の香り、太陽が心地好い。私は丘の上、にこやかに笑う女の隣に座り込んだ。
満遍なく広がる青い空、散らばった砂糖の様に、甘そうな雲。太陽はまるで、切られていない苺のタルトの様にまんまるで。それが、私の心をより和ませる。
と、隣の女が口を開いた。
『大丈夫、ヴェルギリウス。此処には、お前を脅かす者達は居ない。自分を置いて死んだメアリーと家族、集落の皆。傷付けないと言いながら、深く心を抉ったカルメン達。何も分かってくれないオズヴァルドに、全ての元凶──ダンテ・アリギエーリ。もう、誰も居ない。誰も、居ないんだ』
「……本当に、誰も居ないのか?私はもう、失望しなくても良いのか?それは、本当なのか」
この者の近くに居ると、どうも心が落ち着いて、清らかな気分になれる。嬉しいし、どうも心地好い。こんなに、心の底から安堵したのは久しぶりだ。
──此処では、大罪や色々な事について考えなくても、いいんだと。
そう、思わせる。ぽかぽか、苺のタルトに似た太陽を眺めながら、隣に座る女は。
『今まで大変だったね、ヴェルギリウス。だけど、もう安心して。此処では全てを考えなくても良いの。只、心の赴くままに──私へ、全てを委ねてくれれば、全てが上手く行く』
彼女の差し出す手。──髪は、燃え盛る様な赤色で。顔は太陽の光が差し込み良く見えないが、黒色の眼帯をつけている。
『その顔だって、私に任せれば、直ぐに戻る。鏡を見て、失望しなくても良くなるの。さあ、全てを私に託して、ヴェルギリウス。共に共存し合い、堕落して行こうぞ……』
「…………あ」
妙に逞しい。私は、この者に全てを委ねても良いのかもしれない。委ねないと、生きていけない。現実を、直視出来ない……。
丘の下を見ると、熊の人形がぽふぽふと、可愛らしい音を奏でながら、楽団の様に音色を奏でていた。その音も、心がとても和む。
『あの子達には名前が無いの。だから、私と一緒に名前をつけようよ。そして、一緒に楽しく遊ぶの。お料理をしたり、一緒に踊ったり。トランペットが吹けなくたって大丈夫、誰も貴方を責めやしない。吹ける様にしてあげるから。ね、ヴェルギリウス?』
「……本当に?お前も、私に嘘を吐くんじゃないだろうな。そうだ、皆そうやって私を騙したんだ。そうやって信じさせてから、皆私を絶望させて行ったんだ──!信じろ?大丈夫?馬鹿にするなっ、その結果がこれだ!!」
私はそんな思いを、彼女へ吐き出した。
──彼女もこれで、その本性を露わにするだろう。ほら、私に見せろよ。その醜い中身の泥水を。……だが、彼女は何も言わなかった。
そして、より一層。自分が醜く見えた。
「あ、あぁ……。お前は、何も言わないのか?こんな私を殴ったり、嬲り倒したり……っ。色々、罵声を浴びせたりしないのか……っ?」
……ああ、私が本当に欲しかったのは、これだったのかもしれない。……本当に、大丈夫なのか?──全てを委ねても……。
「……本当に、大丈夫なのか?私を、失望させたりはしないだろうな」
『安心して、ヴェルギリウス。私を信じて。そして、私も貴方を信じるから』
初めて言われた言葉だった。信じてと言う言葉は、もう聞き飽きる程に耳にしてきたが、こう、私を信じると言われたのは……。
私は──その者の手を取った。生温かいなんて事は無く、然りと温かい。私の手よりも、遥かに暖かく、温もりを感じた。
我々は、丘の下へと降りる。降りて行く。熊の人形達が、私達に気が付き、子供の様に群がって来る。──可愛い。……そう思えた。
「はははっ!……っ、ふふ。辞めろよ〜!っはははッ!!くすぐったいな、っ。!?」
クマ達が、私達を見るや否や、此方へとぺぽぺぽと、駆け寄って来る。
『ははははっ!わあ〜、ヴェルギリウス。ね?楽しいでしょ、っふふ、面白いっ。本当に、何をやっているのっ?』
笑っても、顔の傷が痛まない。
──それに、⬛︎⬛︎と居るのは楽しい。だって、何故か心の底から分かち合える様な気がするから。私の事を信じてくれていたから。
「っふふ、暖かいなぁ……。それに、焼き立てのタルトの匂いがするっ。君は──……っ、バタークッキーの香りがするなッ!」
『本当に、暖かいね。……っははは!んもぅ、っ。辞めてよね〜、っあっははは!』
そうだ、私はこれを求めていたんだ。
彼奴は、良い人の皮を被るのが、上手かったのかもしれないね。
モフモフで、フワフワ。何とも愛くるしい。
ああ、⬛︎⬛︎。私は永遠に、この荒唐無稽な夢の中。全てを託してみたいよ。
そして、君と一緒に、私は──
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「──ッは、っ……?」
頭上。木の天井へ、私は自然と手を差し伸べていた。……自身の手を握ると、冷たい。
外を見て見ると、雪が降っていた。それは、手も凍える訳である。──クッキーの香りも、焼き立てのタルトの香りも。もふもふな熊も、顔に付いた生クリームも。全て。
私の、望んだ幻想であった様だ。……隣を見ると、棚の上。血のへばりついたナイフが置かれている。
……ああ、そうだ。昨日、このナイフを拭う途中、眠くなって寝たんだった。そして、この有様という訳か。実に馬鹿馬鹿しい。まるで子供の考える夢の様だ。
「……っ、ん。……ぐ、ぅうっ、あ。……っぐ、ぅ。っ……ふ、っ。……うぅ、……」
私は、その頭を腕の中へと疼くめた。小さく、悲しみの唸りを発しながら。
──あんな覚めない夢を見られる事が、どれだけ幸せな事であろうことか。……もう、目覚めたくない。毎朝、起きるのが憂鬱だ。
夢も、毎回あんな可愛らしいのであればいいのに。あの夢だけ、覚めなければいいのに。
永久と共に、私は静かに嘆くのだ。
私は泣いた。一人、冷たいベッドの上で。
001
今日は雨だった。ざー、ざーと淡々と振り続ける雨の音は、何とも、私の心を憂鬱とさせる。螺旋階段を降りて、ギィギィと唸る床を踏みながら、私はリビングへと。
居間には、あの憎き狼と、オズヴァルドの姿が。そして、ぽくぽくと、自然と微笑む様な雨音が耳を掠め。……耳が少々痛んだ、それと同時に、オズヴァルドが優しげな顔で、此方へ手招きしたのが見えた。
私はそれに促されるまま、隣の席に着く。目の前には、オズヴァルドが食べていたであろう、パンの屑が少々被った皿が置かれており。少し、それが私の腹を、意地悪にくすぐらせた。
「次の童話は『白雪姫』らしいね、今回は此処で暴れ過ぎたから、身を引くらしいよ」
そう言い、オズヴァルドは口周りに親指を当てて、ぎゅむりと頬を引っ張り、屑を拭き取っては。
「だけど道中、『ピノッキオ』の童話に寄るから。……理由は、僕の私情なんだけどさっ。まぁ、気楽に付き合って貰えると嬉しいよ」
『ピノッキオの冒険』
《何百年も昔のこと、あるところに……
「王様が住んでいました!」この本を読んでいる小さなみなさんは、すかさずそう言うでしょう。
でもみなさん、それははずれです。昔々、あるところに、一本の棒切れがありました。》
と、こんな風に、独特な初めの挨拶から始まる物語。この童話の主人公、ピノッキオは、人の言う事を聞かず。剰え、あの蟋蟀ですらも金槌で叩き、殺してしまうのです。
──だが、そんな童話へ、此奴は何をご所望だと言うのか。此奴の生まれた童話世界は、『オズの魔法使い』の筈なのに……。
無粋ながらも、私がその意を口にすると。
「……僕の恋人が、あと少しで十七周忌なんだ。そしてそこに、昔僕が一時期住んでた屋敷があって。近くに、彼女の墓があるんだよ。だから、手紙と花束を渡しにねっ!」
十七周忌……とは、何なのだろうか。
だが、無粋な私ながらも、その内容には踏み込めず。少し、静かに黙り込むと。それを察してか、オズヴァルドの方から「後で手紙を書くのを手伝って」と呟かれた。ああ、確かに、此奴はこう言う半端な奴だったよ。
「ああ、それなら手伝うが……。お前、傷は大丈夫なのか?如何せん、見た時は驚いたぜ。胸に大きな切り傷があった事で」
「ふふ、それなら安心してよ。ギリギリ、塩の装備的なのを作れてね〜、それで傷口は……深いけど、まあ重症では無い程に落ち着いて」
どうやら、奴は攻撃時、塩のアーマー?とやらを作り、それで防いだとの事。……やはり何を言っても魔法事、綺麗さっぱり分からない。そんな私達の方を見て、新聞を両手に、静かに読み耽りながら、先生は。
「明日には出発する。荷物の整理だけはしとけ。時期に、この家からも身を引くさ」
そう言い、先生は「出掛けて来る」と一言。
「何処に行くのか?」そう、話し掛けたかったが……私は黙ったままだった。只々、その拳を無力ながら、握り締める事しか──。
オズヴァルドも同様に、奴と簡素な挨拶を奴と交わしただけであった。──私達の頭の中には、絶えず、ユダの姿が浮かんでいた。
此処にユダが居たならば、間違い無く、対話が絶えず進んでいた事であろう。……オズヴァルドは静かに、雨音が残響する部屋の中。万年筆と、上質な紙を持って来れば。
「……ねえ、ヴェルギリウス。ユダちゃんさ、見当たらないんだけど、何処に居るか分かる」
心が直接、きゅっと握られて居る様だった。
ああ、此奴は気絶したまま此処に運ばれたから、何もかも、分からないのだ。
胸がやけに痛い、それに、表情が自然と強張ってしまう。……いつもならこんな事、無かった筈なのに。如何せん、奴は『いい奴』という皮を被るのが、上手かったのかもしれないね。
「彼奴は……死んだよ。私が、殺したんだ」
その言葉は強ち、間違いでは無かった。
静かな、雨音響く部屋の中。数秒の沈黙が流れ、オズヴァルドは、インクのたらふく入った瓶へ、その万年筆を浸らせれば。
「そっか、うん、そっか……。……──ねえ、ヴェルギリウス、ダンテさんでしょ?君はまた、何かやらされたんでしょ。その言い分じゃ、君が殺した様じゃ無いか」
「……確かに、そうかもな。だが、それでは私が逃げた様になってしまう。私が、責任から、逃げた様に感じてしまう。だから、私が殺した。それで良い、もう、それで…………」
「……………………。はは、そっか。だけど、失礼ながら、全然涙が出そうに無いや」
そう言って、オズヴァルドは手に万年筆を持ちながら。もう片方の、机へ頬杖を付いていた手を顔へと覆い、下を向いた。……オズヴァルドがそう言った意味を、分かる日が、私にもいつか来るのだろうか。だが、今の私には、その言葉の意味が分からなかった。
チュポン、ッ。「あ」と言うオズヴァルドの声と共に、手紙の上質紙へとインクが垂れた。それが波紋の様に飛び散り、一種の層を形成する。それらが、紙へと染み込んで……。
オズヴァルドはそれを見て、何も言わずにぐちゃぐちゃと丸めれば。変わりは幾らでもと言わんばかりに、懐から紙を取り出した。そして、万年筆をインクの瓶へと再度容れるのだ。
「手紙の内容は、何が良いかな〜。僕を引き取ってくれた叔母様は、僕がしがない旅人だって思っているから、偽りの冒険談……とかでも。あ、けれども愛する妻とかには、嘘はつきたくないかなぁ」
「……はあ。なら、私達の冒険談を美化してそこに記せば良い。例えるならば〜……『人を殺して金にする』と言う所を、『兎の毛皮を剥いで金にしている』〜とか、冒険色を濃いめに書けば良いんじゃないか?……それと、ああ。手土産はどうする…………はぁ、っ」
手土産、溜息と共に呟かれたその言葉を聞いて、オズヴァルドは顎に指を置き「う〜ん」と静かに一人で唸れば。
……良い案が思い付いたのだろう。目を見開き口を開け、これだと言わんばかりに微笑んでは。
「手土産は叔母様の良く食べていた、ステンドグラスクッキーにでもしよう。見た目が映えるし、何よりあの家に丁度良い。……あんな湿気た家には、直ぐに湿気るクッキーをね」
そう呟き、オズヴァルドは少し下へ俯いた。
……オズヴァルドの帰省が、少し不安になった様な気がした。──雨音が、耳へと何度も木霊する一日であった。




