052_夢が終わる。
004
「………………………………………………は?」
──先生は今、何と言った。私へ、ユダを殺せと?冗談も、程々にしておいて欲しい。
先生が殺せば良いのに。何故、私へ先生は小刀を握らせた。何故、笑いながらそう告げた。……何故、そう告げられた。
頭の中が混乱でいっぱいだ。そして、苦痛に表情を支配されたユダは、四肢の無き体を蹲わせ、此方へズルズルと寄って来るのだ。
「ぁ、え……ッ、あ゛、せ、せんせ、ッ??」
「殺せ。その小刀を、心臓へ一刺しでだ」
ズルッ、ザッ。ユダが蹲い寄って来るのと同時に、彼女の服が擦れる音が聞こえる。「こひゅ、ッ」私の喉奥から擦れた声が唸り出るのと同時に、先生は厭らしい笑みを浮かべ。
訳が分からない。何故先生はユダを生かしたのか、理解出来ない。理解したくもない。
悴む様に震える手に、耳元で呟く先生。
……あれ?人を殺すのって、こんなにも難しい事だっけ…………っ?
「な、何でだよ。……っ、先生?先生が殺せば良いじゃないか。と言うか、殺してくれ。……私に何故ユダを殺させるっ……?」
「そりゃあ、勿論。お前に深く絶望して欲しいからだ。もっともっと、地獄の果てまで堕ちて欲しい。──そして、お前が俺の事しか考えられなくなるまで、俺はお前を苦しませる」
──全ては、自分を殺させる為に。
まずい、目元に涙が浮かんで来た。視界が歪んで見える。それに、手が震えて、思う様に小刀を握れない。………ペタッ、ぐじゅっ。
地面へしゃがみ込む私の太腿に、ユダが到着した。包帯部分からはみ出た肉が痛々しい。
それに、骨も荒々しく折られて居る。所々、皮膚から突起して居る部分も見えたから。
ユダは私へ、その立派であった赤髪を揺らしながら近付き、静かな声で……。
「こ、ころぉ。って……。殺してくれ……。もぅ゛、生きたくないィ゛っ。辛い、苦じぃ」
多分、ショック死が起こらぬ様。時間を掛けて切り落とされたのだろう。ユダの髪は濡れていた。気絶をしても、水を浴びせられ、無理矢理叩き起されたか。
激痛の中、意識を保ち続けて居るユダが、私の体に這い上がり、そうボソボソと呟くのだ。
ユダの痛みに強いその特性が、却って重荷となっている。
這い蹲るその姿は、恰も生まれたての赤ん坊の様であった。苦しい、助けて。奴の口元からは、そう声がジリジリと蝕む様に。
「ほぉら、ヴェルギリウス。ユダも殺してくれと嘆いているぞ。良き仲間の最後の要求に、答えてやらないとなぁ、ヴェルギリウス!」
嬉々としたダンテの表情に殺意が湧いた。
息が苦しい、胸をぐっと掴まれて居る様だ。激しく脈動する心臓、カチカチカチカチ。震える手とそれに反応する小刀が煩い。そして、隣では狼が嗤っている。
此処が地獄なのだろうか。──嫌だ、ユダを殺したくない!だけど、だけど……ッ?!そんな姿じゃ、生きるのも辛いだろう。
どうする、どうするべきか。頭がパンクしそうだ、おかしくなりそう。
「は、はっ?!ぅ゛っ、は!は、っは!??」
息が上がる。この悪夢の様な現実よ、早く過ぎ去ってくれ──!??口から出るのは、喘ぎ声の様な途切れ途切れの言葉ばかり。
「ぁ゛ぁ、あぅ。……っぐぅ、あ。??」
『──ふふん。オズヴァルドから聞いたぞっ。ヴェルギリウスはチェリーパイが好きなんだとな。……美味い店を見つけてやるから、今日はそれを目的として、付き合ってくれっ!』
過去の思い出が、走馬灯の様に蘇って来る。
「辞めてッ、辞めて……??嫌だ、っ!?せ、先生ッ??これ以上は見たくも無いッッ!!」
『── む、ヴェルギリウス。まさかパレードを知らないとでも?なら、これを機に存分に楽』して、こ、ろして……っ。ごろじ、ッで」
確かこれは、ユダにパレードへ誘われた時に、言われた様な……?過去の淡い思い出が、私の心を着実に蝕んで行く。
「先生ッ、辞めにしようっ!もう、ユダの仲間も全員殺したっ!このままだったら、時期に死ぬ。だから、殺すのは──??」
「見殺しにするのか?ほら、小刀はこうやって握るんだ、ヴェルギリウス」
そう言って、先生は私の手を覆い。その小刀を無理矢理握らせる。そして、私の目から、大量の涙が溢れ出して。
ぼたぼたと溢れる涙、引き攣る顔と、先生の頭のおかしなその姿。本当に、限界だった。
「ぁ゛、っ。……謝る、謝るし、先生の言う事だって、何でも聞くッ。お酒だって一緒に飲む。話だって、幾らでも聞くから、…………ッだから、だからこれだけは辞めて──??」
「さあ、拳を握り締めて。小刀を逆さに持つんだ。そして、腿に居座る蛆虫へ……」
グググッ。抵抗して居るのに、上から押さえ付ける先生の力が強すぎるのだ。上へ上へと上がって行く私の拳に、輝く小刀。
「ぁ゛、っ、ッ。あ゛ぐ、っ??──ごめんなさい゛ッ、嫌です。……ユダを殺したくありません……ッ!殺させないで下さぃ゛っ?!」
「ゆっくりと、苦しませて殺しに行こうか〜」
ゆっくりと、逆さに持たれた小刀の刃は。
段々と、ユダの心臓の方へと向かって行く。
「ごめん、ッ、なさぃ……。ごめんなさぃ?!許して、下さぃ゛ッ……っ??殺させないで、嫌だ。嫌です、先生っ──???!」
だが、先生は聞く耳を持たず。
心臓がバクバクと、唸る。
「先生、ぃ゛やだ、ッ?!……ぁ、ぐ。殺したくありません……ッ。何でも、何でもしますっ!だから、殺させないで。……ッ。私に、ユダを殺させないで下さい…………っ??」
「ほぉら、ナイフが胸辺りまで来たぞ」
私の胸元辺りまで、その刃が近付いた。
ユダの寿命が近い。小刀が近付くのと同時に、私の声も張り詰めた様に高くなる。
「何がッ、何がいけなかったんですか……?か、改善しますッ、何でもっ。嫌です、ユダをっ、ユっ、ユダを殺したくありません……!お願いです、辞めてくださぃ……?」
「ん〜。もうそろそろだ……」
ナイフが、ユダの後ろ姿。背骨のすぐそこまで来た。現実を受け止めたく無い。息が苦しい、ユダをこの手で殺したくない……。
バームクーヘンのお返しだって、まだ食べてないじゃないか。買って来るから、何度だって、幾らでも買って来よう。……だから、私の目の前で消えないでくれ──ユダ!!
「嫌ですお願いします殺したくありません苦しいですお願いします嫌です殺したくありません先生お願いします殺したくありません苦しいですどうしてですか何でも改善致しますだから殺したくありません何がいけなかったのですか先生ユダを殺さないでくださいお願いします助けて下さい殺したくありません昔の様に嬲ってもいいから助けて下さいお願いします私の体を好きにしていいからユダを」
「さあ、イッツ・ショータイムッッ!!」
ずびっ、ぶ。……ユダの皮膚へ、その刃の矛先が差し込んだ。そして、ユダの意思とは別に。ナイフは、ゆっくりと降下する。
血の生臭い臭いが、私の鼻を蝕んで行く。
その間も、ユダは苦痛に身を歪め。叫び続けた、『早く殺してくれ!』と嘆くのだ。
「ぁ゛ぁ゛ああああがあ゛ああ゛ッ?!!嫌だッ、ユダッ!ー!??死なないで、嫌だ、殺したく無いッッ?!!私は何もしていないんだよ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっっ?!!」
その間も、ユダは叫ぶ。
『何で早く殺してくれないの!』『苦しいよ!』と。息苦しい、罪悪感で押し潰されそうだ。
私は何も悪く無い。全て、先生が悪いんだ。この邪悪で無敵な狼が悪いんだ。
筋張った肉が、段々と解れて行く感覚が身を襲う。……苦しい。とても生きられない。
「やッ、やぁ゛だぁあ゛ぁぁ゛ああぁ゛?!!ユダッ、ユダが死んじゃったら、私──?!嫌だ、死なないで、私は悪く無いんだよッ。ごめんなさい、お願いだからぁあ゛?!!」
刃が半分まで沈んだら、ユダは叫ばなくなった。暖かかったユダの体が、段々と冷たくなって行く感覚が、腿を蝕んで行く……。
温もりが、ユダが死んで行く…………。
「ぁ゛っ、あ……ッ?!そんな、そんな……。っ。行かないで、置いてかないでよ、ユダぁ……一人で、行かないで…………っ」
そして、刃が全て埋まった。死体は、先程まで生きていたとは思えない程、冷たかった。
手に握る、ナイフの感触が忘れられない。
「……ヴェルギリウス」
放心状態の私を見て、先生は頬を火照らせ、その身をブルリと震わせる。
「ああ、ヴェルギリウスッ!」
嬉々とする獣の隣、私は小刀を握り締め。
残るは、夢を語ったユダの亡骸死体のみ。
白痴の騎士は、英雄を否定し死んで行った。
英雄は、この世の何処にも居なかった。




