004_知恵の蛇の誘惑。
心は子どもであってはならない。
むしろ、悪いことについては子どもであり、
心としては大人であれ。
─コリントの使徒への手紙ー、第14章──
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目覚めの時が来た。
……先生は、木製の椅子に座り。私のベッド付近で足を組み、聖書を読み耽っていた。
目を覚ませば、白い毛布に包まれて、ベッドの中での快適な目覚め。寝惚けている頭を叩き起き上がると、身体中に、激痛と言う名の稲妻が走る。
体を見ると、全身に包帯が巻かれていた。私はそれを確認すると、左手の指を動かし、力を入れる。そして、左腕を何度も曲げる。問題は無い、至って平常だ。
すると、聖書を読んでいた先生が口を開く。
「三日ぶりだなヴェルギリウス。お前は傷の治りが常人より早い、だが、左腕だけは数日間酷使するな。一生使い物にならなくなるぞ」
どうやら、私は三日程寝込んでいたらしい。
そんな私に、先生は一言。聖書の紙を捲りながらだ。しかも、目線も此方へ向けていない。……まあ、先生らしいと言えば先生らしい。
私は、とある宿のベッドから起き上がると、そのままもう一つの椅子に立て掛けてあった、私の黒装束と赤い頭巾を手にすると。
そのまま、寝ぼけた体で服を着る。
ベルトを付けて、チャックを閉めて。そして牡丹もしっかりと。
「……新聞に、私達の記事が乗ってるな。『ヘンゼルとグレーテルの童話が破壊。またもや童話殺しの仕業か』、だそうだ」
「そういう噂は、世間も口も広まりやすい。外出する時は気を付けろよ。まあ、身元は特定されないと思うがね。なんせ目撃者は全員殺してんだから」
先生はそう言い笑うと、隣のティーテーブルに置いてある、珈琲を手に取り、それを一口。
珈琲豆の口を掠める苦い香り、私は、その珈琲独特の匂いと味が苦手だ。
新聞を、机の上に再度置き。私はグッと背伸びをする。そして、愛用の斧を背に掛ければ、部屋の出口に手を掛ける。
「オズヴァルドは何処にいる。……太陽の昇り具合的にも、今が丁度夕食時だろう。オズヴァルドと、そこらの喫茶かレストランで、飯を食ってくるよ」
「オズヴァルドは丁度、宿前に煙草を吸いに行った所だ。早く行ってこい糞餓鬼」
その言葉に私は忠実に従い、「はい」と答える。そして、宿を後にしたのだった。
珈琲の、淡い香りに誘われて。
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私は、煙草を吸っていたオズヴァルドを引き摺り、近場のレストランへと連行。そのまま共に飯を食う流れとなった。
そして、そんなオズヴァルドの方も、体に傷を負っている様で。長袖の服の隙間から見える範囲の手でさえも、包帯が全体にぐるぐると巻かれていた。
私は机に肘を着くと、そのままメニュー表片手に夕食を選ぶ。オズヴァルドの方は、もうメニューが決まっている様で。後は待つだけの様だ。
「……ねえヴェルギリウス、昨日、凄くなかった?いつもの事とは言え、ビビったよ。雑魚兵一人一人の基礎がちゃんとしているし、何より幹部が手強かった。最後は無理矢理抱き着いて、そのまま傷口に直接塩を流し込んだだけなんだけど……普通に死ぬかと思ったさ。ま、ヴェルギリウスの方は、僕達が来なかったら死んでたよね」
「黙れオズヴァルド。……だが、私が女相手に負けた事は不覚だった。女相手にだぞ?今まで積み上げて来たプライド、自尊心が、あの数分で全てぶち壊された。まるで、積み木を無邪気に壊す子供の様に、あっさりとだ。な、笑える話だろ?」
カラカラと、金を出し出されたお冷のグラスを回す。中の氷が音を立てて回り、周りに付いた水滴が、木の机へポトッと垂れる。
そして、嘲笑うような顔を、オズヴァルドに見せる私。その厭らしい笑みに、彼は何も返答せず。その代わりと言ってはなんだが、小馬鹿にした様な笑みを返された。
「私も途中で気付いたさ、負けるってね。だが、本当に負けるとは思いもしなかったさ」
「マーフィーの法則だよ。『起こる可能性のあるものは必ず起こる』、ヴェルギリウスは戦いの最中に負けると気付いたんだろ?マーフィーの法則によると、『物事が失敗する可能性がある場合は必ず失敗する』んだとさ。そこで、君の負けと言う名の失敗は確定されていたんだ」
「マーフィーの法則……あれか、あの、バターを塗ったトーストは、塗った面から必ず落ちるって言うあれ。……くくっ、私的にはその法則は、長年、皮肉の籠ったジョークだと捉えていたんだがなっ」
そう私達が言葉を交わしていると、向こうから、スティックフィリットの皿を持った、ウエイトレスの女が近付いてくる。
ウエイトレスは、オズヴァルドの前にその皿を置く。スティックフィリット、ステーキとフライドポテトがセットの定番メニューである。
ステーキはラム肉の赤身部分、ラムランプだろうか。その部位が焼かれ、皿に飾られていた。オズヴァルドはそれを見ると、笑いながらナイフとフォークを手に握る。……私も、そろそろ喋り口では無く、注文をする口を動かさなければな。
そう思い、メニュー表を開き、私はウエイトレスへこう告げた。
「この美味そうなチェリーパイと、シャート・べレール・ラグラールを一本頼む」
シャート・べレール・ラグラール。果実の風味や、土の様な独特の香り。酸味や苦味がほんの少し感じられる赤ワインである。
そして、このワインには熟成のピークと言うのが存在している。そのピークを超えれば段々と品質は低下していくので要注意だ。
その私の言葉に「畏まりました」と、ウエイトレスは一言。その言葉を聞き、私はまたオズヴァルドの方へと視線を向ける。
オズヴァルドは、恰も貴族の様に食べ方が上品だ。何だかこう、品のある食べ方をしている。私は昔、奴がグリーンピースをフォークを使い、最後まで食べ切ったのを見て、それを確信したのを覚えている。
そんな私の視線に気が付いてか、オズヴァルドは口に肉を含んで咀嚼し、飲み込んでから口を開くと。
「どうしたんだい、ヴェルギリウス。僕の肉がそんなに愛おしいのか」
「……いや、人を殺した後に肉を食う神経が分からないと思ってな。普通、殺した後は二日三日待ってから肉を食うだろ。なのに何でまだ血の気が抜けていない翌日なんかに肉を食う」
その私の言葉を聞くと、オズヴァルドはくすりと笑い。
「そりゃあ、肉が美味しいからだ。肉は美味い、それは神でも否定出来ない真実だ。だから僕は肉を食う、人を殺して肉を食う。……それに、人を殺した翌日に、食べる肉は絶品だ。股間と胸が熱くなる」
ぶるっ……!オズヴァルドは気分を高揚させ身震いを。
「……店内で勃起とは、随分とイカれてるな」
「食欲も性欲も紙一重だよっ」
そう言い、口にラム肉を頬張るオズヴァルド。本当にイカれてやがる。
……そんな不機嫌状態の私に、ウエイトレスが、チェリーパイを運んで来た。私は葡萄酒とチェリーパイを受け取り、分けられたチェリーパイを鷲掴み。
そのまま口へシャクッと無理矢理入れ込んだ。
チェリーパイ、私の大好きな料理である。私は、パイ系の食べ物全般が大好きだ、その中でもチェリーパイ、そしてバタースコッチシナモンパイが好物である。そして、ミートパイは嫌いだ。……そんな事を考えていると。オズヴァルドが口を開く。
「……ヴェルギリウス、君さ、食べ方汚いよ。肘をついて食べないし、机にパイ生地の粉が落ちてる。……全く、品性の欠片も無い女だ、全然興奮出来ない。体も傷だらけで全身爛れた火傷跡、それに加えて大量の切り傷と来たものだ。……っくく、けど、ヴェルギリウスのそう言う所も、僕は好きだけどね」
そう言い、近くにあったナプキンで、私の口を拭うオズヴァルド。だが、私はその手を跳ね除け、ナプキンを奪うと、自身の手で口元を拭った。
「はっ。何度でも言うがいいさ。私は確かに全身火傷跡の女を捨てた人間だ。それに加えて貧乳と来たもんさ、私自身でも笑っちまうよ。だが、言われっぱなしも少し気分が悪いんでね。……口程を弁えろ、オズヴァルド。私はいつでもお前を殺せる立場にある」
その私の威圧の籠った言葉に、オズヴァルドは笑みを返す。そして、厭らしく微笑めば。
「まあ、そういう所は君らしいけどね。……僕は逆に、君の事を男として見ているのかもしれないよ」
オズヴァルドは、そう笑いながら返事を返すと、二つ用意されたワイングラスに葡萄酒を注ぐ。トポトポトポ……その何とも言えない酒の音が、どうも私の心を擽らせた。
そして、二人共々。朝っぱらからワイングラスを片手に、こう言った。
「「この腐った世界に、乾杯」」
カチコンッ。
ワインレッドの心、紅のワインを踊らせて。