046_幸せを握らんとする者。
004
愉快な昼食も終わり、夕食ももう食べ終え、睡眠をとる時間がやって来る。
……睡魔は敵だ。故に、出来るだけ短い時間で、多くの疲れを取る事が重要視される。そして、人間が怠る事の出来ない行動だ。
私の手には、作るのに手間暇や、専用の器具。大量の砂糖が必要な高級品。バームクーヘンの入った紙袋が握られて。前に、ユダが私にくれたパイのお返しだ。
──ふふんっ。奴の、嬉々として喜ぶ姿が目に浮かぶ。
「あ、先生っ。何してんだよ。一人で寂しくないのか?」
途中、リビングにて一人、ランプの小さな灯りに照らされながら、読書をして居る先生と出会う。少し機嫌の良さそうな私の質問に、少し先生は獣の耳をピンッ、と動かせば。
「お前こそ、どうした。そんなに上機嫌に。それに……匂いから察するに、その紙袋の中身は甘味だろう。甘い香りが、鼻にしつこくへばりつくもんで。相当な高級品だな?」
「ああ、これは『ばぁーむくぅーへん』と言ってな。……前、ユダが私にパイをくれたお返しにと思って、買って来たんだ」
私は、極力先生との会話は長引かせたく無いので、颯爽とそれを皮切りに話を切り上げ、部屋へと体を向かわせる。
先生も、私が自身の事を嫌って居ると知ってか。余計な小言は珍しく言わずに、そのまま本へと目線を戻す。
……階段を上がり、隣を見ると。オズヴァルドの部屋の灯りが、珍しく付いて居る。いつもなら、肌荒れやら何やらを気にして、早めに寝て居る筈なのに。
だがまあ、私の目的はこのバームクーヘンを、ユダへ届ける事だ。私は、明かりのついたユダの部屋のドアノブに手を掛け、軋む音と共に扉を開く。
「お〜い、ユダ〜〜。……ばぁーむくぅーへんを……って、寝てんのか」
扉を開けて直ぐ見えるベッドに、少しばかり大きな膨らみが見える。多分、ユダは寝て居るのだろう。……蝋燭はともかく、オイルのランプを付けっぱなしで寝るとは何ぞや。
私は、片手でバームクーヘンの袋を手に持ちながら。ユダの喜ぶ顔を思い浮かべ、布団のシーツを無粋にも捲り上げる──。
────ベッドの上には、小麦粉の入った布袋が、人の形に整えられていた。
「ッ」
瞬時に状況を把握し、懐から短剣を。
その速度は、二秒にも満たなかったと思う。だが、罠を仕掛けた狩人に、掛かった兎が敵う筈も無い。実力差は、私の方が上であった。が、状況は全てを覆す。
私の首元へ、紅色の刃が押し当てられる感覚と共に、灰色髪の二つ結びがさっ、と靡き。
「動かない方が、身の為になるのです。──さあ、剣を捨てて。両手を挙げて地面に蹲え」
黒と赤褐色をモチーフにした服装。口元は隠れており、目線は死体の様に冷たい。……我々の正体を、分かっているのだろう。
だが、誰が無様に蹲うか。冗談も程々にしろ。私は、そのまま剣を逆手に握り締め。奴の攻撃を間一髪、服の裾が切れる程度に避ければ、その身に鋭い刃を──……。
「待て。……待ってくれ、ヴェルギリウス」
「……………………………………………………は?」
私はその手を止め、目を見開けば。持っていたバームクーヘンを、堕落の如く床へ落とした。……落としてしまったのだ。
目の前には、仲間だと思っていた筈の、『ユダ』の姿があったから。頭が一気に真っ白になった。バームクーヘンの甘い香りも、何も感じない。目の前の光景が、信じられない。
何故、ユダは其方側に居る。何故、私の手を止めた。
……確かに、最初はユダを信じては居なかった。だけど、だけど──っ!
「──嘘だと言ってくれ、ユダ…………?」
「私が謝る事は無いが……すまない。悪い事をしたと思っている。ずっと、思っていたよ」
その瞬間、私の視界は回りに回り。あの紅黒装束の女が、私の背中を抑え、床へ押し倒したのだと。瞬時に理解出来た。
そして、次は両手もクロスの形で固定され、先程よりも強く、首元へ刃が当てられる。そして、いつもは私を見上げるユダの目線が。今や、私を見下している。何も分からぬその表情で。
ああ、嘘だと言ってくれ。折角、中を深められそうになっていたのに。
折角、お前に心を開そうになっていたのに──!?……こんなの──…………あんまりじゃないか。
「どうしますか、ユダ様。この者は今混乱状態です。私がこの場で殺す事は可能なのです」
「いや、ダンテ殿……っダンテは、は匂いに敏感だ。我々が、ヴェルギリウスやオズヴァルドの所有物諸々を身に付けているとは言え、血の匂いが漂えば気付くだろう。それに、読書に集中しているとは言え、長居は避けたい。早急に終わらせよう」
何故、此奴はユダの事を『ユダ様』と呼ぶ。
何故、ユダは私をそんな目で見詰める。
昨日まで、前までずっと。一緒に飯を食べて、笑って来た筈なのに。もう、何も分からない。
──ユダや、私を抑える者からは、微かにオズヴァルドや私の香りがした。
多分、私達の使っている服などを着用、またはそれで体を入念に擦り、臭いを擦り付けたのだろう。……確信した、ユダは裏切り者だ。だが、そう思いたく無い。そんな自分が居る……。
ユダが此方へ踏み寄って来る。──ぐちゃり、っ。そして道中、ユダは私が買って来た、バームクーヘンの紙袋をその足裏で踏み付けた。ぐにゅり、と、原型を変えて隙間から溢れるバームクーヘンを見て、私は声も出せなかった。
ユダへ買って来たバームクーヘンは、ユダは本人の手により。踏み潰されたのだから。
「あ」
それを見て、背中に乗る女は呟く。
「わ、汚いっ…………」
まるで、汚物を吐く様な声だった。
顔は見えなかったが、軽蔑の目線を向けていたと思う。──自分を殺したくなった。
私が、あの時。選択を間違わなければ、違う未来が見えていたのだろうか。こんな事が、起こらずに済んだのだろうか──。
……ユダは、私の目の前でしゃがみ込むと。
「ヴェルギリウス。何か、言いたい事があるのならば、此処で聞こう」
まるで、私を小馬鹿にしている様な言葉だ。
同情、情け、哀れみ。私の嫌いな感情が、全部、その言葉に乗せられている。
私は嘆いた。ユダへ、その身を蛆虫の様に畝らせ乍ら、思った事を口に出す。
「……っ、どうして、どうして裏切ったんだ、ユダ。お前は、お前らは、私を苦しめて楽しいか……っ」
「いいか、ヴェルギリウス。君は悪役で、私は英雄なんだ。我々は共に共存等し合えるない。それに君は、罪無き人々を殺しておいて、よくそんな言葉が言えるね」
そうだろう。それが当たり前だ。
私達は、自分の身勝手な欲望や目的の為に、罪無き人々を幾千、幾万と殺して来た。
分かっている。私は、取り返しのつかない事をしてしまって、世の中から見ても。
過去を知ったとしても、拭い様の無い物なのだと。誰も抱き抱えてはくれないだろう。
けど、先生も、◇◆◇◆も──……ユダも。
どれだけ、私を傷付ければ気が済むのだ。身勝手だって、無責任だって分かってる。だけど、世界がそれを赦してくれないんだ!
「──お前も、先生も、◆◇◆◇も……っ!どれだけ私を苦しませれば気が済むんだ!!私は、私はこんなに……こんなに苦しくて、辛くて、何で……──ッどうして!!!??……っどうして、誰も分かってくれないんだよ!!」
私は叫んだ。……けど、声は小さかった。まるで、雑巾から絞り出した泥水の様に。
私と言う喉奥から絞り出されたのは、微かに響く、断末魔だけだった。
私は地面に俯きながら、ボソボソと嘆く。
「今まで、どんな気持ちで私達と接して来たんだよ……。今まで、どんな顔で一緒に飯を食ってたんだよ。……なあ、教えてくれよ、ユダ……?」
「逆に問おう。君達だって、罪無き人を殺しても尚、何故そう平然として居られる。何故、そう簡単に人を殺して肉が食える。……私は、お前らが分からない」
私の脳内の何かがはち切れる音がした。それと同時に、私は背中の者を振り解き、その手に小刀を握って、ユダ目掛けて駆け出した。
だが、ユダは逃げる様子も無く。その場に鎮座し、冷静な様子で。
「まだ、私を好いてくれているのならば。──もう、無駄な悪足掻きは辞めてくれ、ヴェルギリウス。潔く死のう、君の命は必ず役立てる」
──カチャンッ。刃が音を立てて落ちた。
それと同時に私は、ユダの胸倉を掴み。地面と向き合いながら恨み辛み、全て込めて。
「………っぅ゛、……〜??ユ、ダっ……!ユダぁ……!!」
吐き出した。お呪いをユダへと吐いたのだ。
「……ありがとう」
その言葉と共に、視界は一気に暗くなり。鈍い音、私の体は死んだ様に倒れた。
見えたのは、愚かな存在だけだった。




