037_名高き郷士ドン・キホーテについて。
私は走った。地面は少し生暖かい。
牡丹色で構成された、歪で所々に穴の空いた肉片の上を、私は走ったのだ。
そしてその肉片で出来た地面には、人間の体液。血や性行為の際に出される、分泌液の様なのが散りばめられている。
パシャッ、パシャッ。爆ぜる様に飛び散る体液を踏み荒らしながら、私は走った。そして空は虚無の様に、光を飲み込む暗黒色だ。
「はっ、は──っっ!!は、……っふ、っ!」
走れ、足を動かせ。裸の体を動かして、裸足で地面を踏み込み続けろ。──背中から、異様に膨大な邪知の塊が迫って来る。
私は只々、この美しい悪夢から覚めることを祈るのみ。
ごわごわと、背後から何かの威圧を感じる。奴が近い、あの恐ろしい肉塊が近いのだ。
──そう思っていたのも束の間、追い付かれ、掴まれた。あの肉の塊に、足首を。
滑る地面と合わさって、私は屈辱的にも背中を相手へ晒してしまった。……歯を食いしばり、後ろをちらりと振り向けば。
肉の塊は変化した。形は歪だが、面影のある人物へ。……そして、それが先生の姿で止まった。肉塊の先生は、私の顔を覗き込む。
『んばろね、んばろね、あーあーあー。こたえをんばろて、らえいゆこきく。からだにきさまむけり。あこせんじょつえきなこえをはせ』
巨体の肉塊が、私の足指へ、体をむにゅりと沈ませる。そして、段々と、私は飲み込まれて行くのだ。……その間も、奴は不可解な声を発していた。それはまるで、私の心の何かを表す様に。
『にくつきよいいからだに、やそのなたきくまや。らかておにらかて、のさあくけ、かななくに。あーあーあー。のちこゆでたゆ、このむきくまさしふおまえこしまゆせいたえまと』
「ぁ゛っ?!──っっ!!、???──っ!」
口が肉塊に覆われた。そして、その肉塊から、無数の細長い寄生虫の様なものが這い出て来たのだ。
その寄生虫が、全身の穴という穴から入り込んで来る。鼻、口、耳、臍、膣。体の内部が、気色悪い感触に段々と毒される──。
「がっ……。ぎぃ゛…?っ。……ぁ゛ぎぁ、っ」
『苦しい、気持ち悪い。頭をかち割ってやる』私はそう告げるが、上手く言葉を発せない。体内を直接犯される感触と共に、私は寄生虫の入った涙腺から涙を流す。だが、目元がきつく腫れるのみ。
…………こんなの、死んだ方がマシだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「っ、────!!??っ、はぁ゛。……!」
私は飛び起きた。
木製のベッドが、経年劣化の為軋む音を出し。私は息を荒くする。そして一応、皮膚や身体に触れてみた。……何ともない。安心しても良いだろう、私は、悪夢の様な幻想を貪っていただけなのだから。
だが、しかし……こうも鮮明に夢に出て来るのは、今週で何回目だろうか。あの日から毎晩、同じ夢を見ている様な気がする。謎の者に追われて、身を様々な方法で犯される。
……うぅ、毎日朝は死にたくなる。
間抜けな自分に腹が立つし、何より、もう夢を見たくない。私の夢は、他の者が思う甘美な物ではなく、本当の悪夢なのだから。
……私は静かに冷汗を拭い、ベッドから立ち上がり。そして、寝間着から姿を一変、いつもの赤い頭巾と黒装束を身に纏う。
赤い頭巾は、返り血や激しい戦闘諸々で、所々が解れてボロボロだ。……しかし、これは、私が持っている最後の思い出の品。そして、この醜い顔を隠す、最高の手段なのである。
私は、少し斧をボロ布で磨き整えると。そのまま下へと降りて行く。
「っん?ああ、おはよう。ヴェルギリウス」
螺旋階段を降りると、そこには革製のアタッシュケースに、衣類を詰めるオズヴァルドの姿が。そして、同様に。荷物を纏めるユダと、先生の姿。
先生は、此方へ顔を向けると。「ちょっと来い」と言わんばかりに手を振れば。……私が、仕方なく先生の元へ体を動かすと、先生は。
「やっと起きたか、餓鬼。……荷物を纏めろ。そろそろ、この童話とも別れ時だ」
「なっ──?……おい、この童話は殺して居ないだろ、何故火を灯さずにズラかるんだよ」
『ブレーメンの音楽隊』、パーティーやパレードで有名なこの童話は、まだ殺して居ない筈なのに……。
先生は突如、そう話を切り出すのと同時に、私がそう問うと、面倒臭いと言わんばかりに先生は眉間を狭めながら。
「チッ。……お前が最近、この童話の支部幹部を殺した事によって、警備が厳重になった」
この童話を管理していたのは、学者として名を馳せていたマタイである。
「そして、此処にかの有名な支部所属幹部である『ヨハネ』も滞在するみたいでね。お前らじゃ彼奴との戦いで死ぬだけだ。それに、足手まといを庇いながらは戦いたくは無いんでね──」
ヨハネ。第一支部代表、支部設立者である謎多き人物と、唯一対面を許されている存在。
……そして、その戦闘力は、世間知らずな私でも知っている。人知を超越し、神々の如く振り回される大剣は、神に愛され、大地を切り裂き池を真っ二つにするんだとか。
そんな、どの童話からの支持率が高い、最強の支部代表者ヨハネ。……先生相手では、どうなるかは分からないが。私やオズ、ユダ相手では歯が立たない事は確かである。
それに先生も、手荷物を持っての戦闘はしたくないらしい。──故の、逃亡。まあ、我々の本当の目的は、あくまでも童話の破壊では無いし、納得の理由だ。
「交通手段は何だ。馬車か?……馬車は良い値段のしない奴は、ケツが痛くなって嫌なんだよ」
「それは俺も同意見だ。……だが、多少金を多めに叩いても、今回はいつもより長い旅路だ。どの道ケツは痛くなる。我慢しろ」
そう言い、先生は少し眠そうに「くあっ」と欠伸を吐けば。荷物を纏め終えたのか、身体を上へ伸ばすと「あの死体を片付けて来る」と一言。あの死体、この家の持ち主の遺体。
多分、少しでも死体の身元が分からない様に、顔や性別が分からない程度に損壊させるのだろう。か、何か都合が悪ければ、面倒だが黒猫に頼み豚の餌だ。そして、私がそう考えている間。
隣では、ユダとオズヴァルドが、子供の様に胸躍らせていた。
「──次の童話では何を食べようか……。マフィンにカップケーキ。昔は食べられなかった甘味が、私の脳を支配して行くのだ……!」
「僕はまずハッシュパピーと、コーンミールマフィンでしょ?それと、マリトッツオに、良いお値段のするスティックフィリットも追加で一つ」
顎に指を置き、そう妄想に耽るオズヴァルド。隣では、沢山の荷物をアタッシュケースに詰め込みながら、自身気にそう告げるユダの姿もそこにはあった。
──私も、最近酒場に行っていない様な……先ずは酒を腐る程飲んでから、次にチェリーパイやバタースコッチシナモンパイ、ミートパイも食べに行こう。
……だが、首都に近付くほど、利益の為に腐った肉を平気で出す店もあるので、ミートパイは厳禁だな。
肉の臭み消しで、貴重な香辛料である胡椒やらを沢山振りかけてあったりする店はハズレだ。肉の腐敗臭を揉み消している証拠。
……まあ、そんな雑談も程々に。
──次の目的地は、灰かぶり姫と呼ばれた『シンデレラ』と言う童話世界である。
001
早朝。小鳥もまだ眠っているそんな朝方に、我々は馬車近くの商人へと声を掛ける。
「──ん、ああ。お客さん方、灰かぶり姫行きですね。畏まりました、どうぞお席に」
先生が袋に入った金貨を手渡すと、男は満足したかの様に扉を開けた。金貨は、銀貨とは比べ物にならない程に高価故、この笑顔なのであろう。
我々御一行は、少し薄いシーツの掛かった椅子へ腰を下ろせば。それを確認し男は馬へと鞭を打つ。
……そして、馬車での移動は此処からが本番だ。あまり体を動かせない上に、木製の硬い腰掛け。
そして細かに揺れる馬車のせいで、思ったよりも優雅には眠れない。
「……っくあ。……っふ……」
私は腕と足を組み、一番楽な体制へと。そして、大きな欠伸を吐く。が、背は伸ばせない。
すぐ隣にユダが居るからだ。ユダは、紙袋に入ったマフィンを黙々と食べながら、外の景色を眺めている。そして、目の前に居るオズヴァルドも同じ様に外を眺め。
──左端の先生は、読書を始めていた。本の題名をチラリと見ると、そこには『騎士道物語』と綴られている。
……先生には似ても似つかない内容だ。私は直ぐに目線を逸らせば、そのまま外の景色を眺める事に。
だが、視線はより一層。……いや、いつもよりも自然と刺々しくなっていた。
「どうした、俺と居るのがそんなに嫌か」
本を読んでいた先生が不意に、私へそう告げる。
突然の事で驚く私であったが、直ぐに体勢を整えて。私は先生を睨み付けるように。
「ああそうさ、先生と居ると虫唾が走る。早く死んで消え失せろっ」
「俺も早くそうしたいね。俺を殺すことすらままならない、役立たずの木偶の坊」
その言葉と同時に、左側にぐわっ!と何かの衝撃が走る。足を見ると、左端の先生が、私の足を蹴っているでは無いか。
怪我人に対してその行動はどうかと思うが、今の私では太刀打ち出来ないのも確か。また、あの時の様に殴られ蹴られは御免である。
私は再度深く頭巾を被り、そのまま深く腕を組む。そして、目を閉じた。……眠れなくてもそれで良い。今は、そのままで……。
辛い現実の中で、私は空虚の妄想と言う甘い果実を屠る。
……ああ、◆◇◆◇。待っていてくれ、必ず、この手で先生を──。




