035_過去が蝕み、疼く傷跡。
──黒猫へ事情を話し、ユダと共に家へと帰って来た私達御一行。しかし、家には誰も居らず。居るとするならば、この家の元家主の屍だけだろう。
私はくわっ、と欠伸を噛まし、そのままユダへ「仮眠を取る」と言い、自室へと。
──そして翌日。私とユダが、朝食を食べていた最中の頃。……先生の言っていた通り、本当に酒に溺れたオズヴァルドと先生が、朝帰りをした。
手には、空っぽになった酒瓶が、指の隙間に添えてある。
焼き立てのバケットにバターを塗る中、気分を害する様にやって来たのは酒酔い御一行。絶句の一言である。それに、とてもじゃないが、息が出来ぬ程に酒臭い。
「……っひぐっ、ぁ゛〜〜〜〜っ。ダンテさゃん飲み過ぎだぁって〜〜っ……!」
顔を赤らめ、呂律の回っていないオズヴァルド。そして、そんなオズヴァルドに肩を貸して
いるのは、珍しく顔を赤らめている先生だ。
先生はとてもじゃないが、酒が強い方である。そんな先生が酔っ払って帰って来る等……どれだけ飲んだのか計り知れまい。
「……っ、酒も女も堪能出来たなあっ。あの女のサービスは良かったぜ、顔は悪いが技術は腕利きだっ」
「だよねぇ〜〜っ。ぷ、……こりゃもう数日は通わなくても良いかなっ。久々にこんなにも張り切ったよ〜〜。あの店良かったなぁ〜っ」
馬鹿共めっ!私が眉間に皺を寄せる中、ユダはせっせとパンにジャムを塗っている。オズヴァルドは、酔った体を揺ら揺らせ。そんなユダの方へと寄って行くと……。
酒の勢いのまま。ユダの服へと手を突っ込んだのだ。そして、ブラジャーを通り越し、直接胸を鷲掴み。完全に頭のネジがぶっ飛んでやがる。私は、飲んでいた紅茶を吹き出した。
「っん゛なっ──?!」
ユダが声を荒らげ、耳の先まで赤らめる。
「ユダちゃ〜〜んっ。ユダちゃんは家庭的だし、料理も出来るしで、やっぱりお母さんっぽいよね〜〜っ。僕、ユダちゃんと赤ちゃんプレイしたいなぁ〜。その無駄にでかい乳も、使われて絶対に喜ぶっふぁ゛っ?!!」
「ぶち殺すぞてめぇっ!!」
そのままユダは、オズヴァルドの顎へと拳を突き上げた。豪快な声、大袈裟な劇の様に、オズヴァルドは気を失い、地面へ力無く倒れ。
ユダは溜息を吐くと、そのまま自身の背丈よりも大きなオズヴァルドを、いとも容易く持ち上げて。
「私はこの馬鹿を寝かせてくる」
そう呟けば、ユダはオズヴァルドを肩に乗せ、そのまま二階へと向かって行く。……私も、先生と同じ所に居るのは嫌なので、戻らせてもらおう。
そう考えて、足を一歩進ませた──と同時刻、先生に肩を掴まれた。
背筋が凍り付き、一瞬にして鳥肌が全身を覆うと、先生はニヤリと小馬鹿にした様な笑みを見せ。
「──っお前、最近露骨に俺の事避けてるだろ?……俺は寂しいなあ。もしや反抗期かっ?」
「……その酒臭ぇ手を退けろ。殺すぞ……!」
「出来もしない事を自慢げに言うな。餓鬼が調子に乗ってると、無性に腹が立ってくる」
先生はそう言うと、私の肩を掴む手の力をぐっと強め。……痛みで少し顔が強ばるのと同時に、先生は酒に溺れた顔を覗かせる。そして──嗤った。
「……っくく、くはっ。……ああ、すまねぇ。いつもの癖だっ、くく!?……ははっ……!」
私の顔を見て、小馬鹿にする様に笑う先生。
今、出来るのならば。私は此奴の顔を、思いっ切り殴り飛ばしたい気分だよ。本当に先生は、人をおちょくるのが上手い。
先生は人間を、心行くまで嘲笑えば。そのまま酔った身体を引き摺らせ。
「俺は寝る。じゃあな〜糞餓鬼……っくははっ!」
「おえっ、酒臭ぇっ?!おい先生っ!その溝に浸った獣臭のする体を洗ってから寝ろっ!!」
先生が移動する度に、その通路へ酒の匂いが充満する。気持ち悪い。一言でそう表せられる程に臭い。
だが、先生は酔っているのか、無視をしているのか。私の言葉に返答は返さず。そのまま自室へと戻って行く。私は、そんな先生の背中を眺めながら、ふと、脳裏に過ぎる計画を暗唱した。
「もしや……殺せるのではないか?あの糞ったれのオオカミを……っ?!」
先生は今、とてつもなく酒に溺れている。酒と言うのは、時に人を鈍らせる。先生は酒が強いので、こんなに酔っているのは珍しい。故に、酔いに慣れて居ない筈。
性行為を初めてする人間が、最初は快感諸々を感じ無い様に。人間は初めてに弱い。
……先生は人間では無いが、今は人間みたいなものである。今の内に殺すが吉と出た。
私はキッチンから、大きな薄刃包丁を取り出し、手にしっかりと馴染ませて。微笑んだ。
「……今日こそ拝んでやる、あの野郎の、死に屈服された表情を──っ!!」
長年の私の夢、生きる糧となった先生を、今日。この手で、殺す為に、私は握る。鉄製の、肉をバターの様に切り裂ける薄刃包丁を。
床に耳を当て、物音がしていない事を確認。私は、ひっそりと、階段が軋む音を出来るだけ立てないように、端に足を掛け移動する。忍び足でだ。
「…………っ。……………………………」
包丁の先が、ライトの光で輝いた。それを眺めながら、私は先生の部屋となった個室の前へと佇むと。
次に、ギィィッ。と、扉を軋ませ戸を開く。……先ずはナイフを先に入れ、安全確認である。包丁の角度を変え、部屋全体が見える様な角度にし、見えたのは、白色のシーツのベッドと、そこで寝ている先生の姿と思しき膨らみだ。
……私は、静かに部屋へと足を踏み入れる。興奮と言うスパイスを噛み締めて。
そして、ベッドの前までやって来た私。私は包丁を頭上まで持ち上げると、その布団の膨らみへ。
「……っは、……っ。────────!!!」
そのままナイフを、ベッドの方へと差し込んだ。やった!……そう思ったのも束の間、私は感触が無い事に気付く。人を刺した時は、筋張った肉を斬る様な感触があるのだが……それを全く感じなかった。
そして、不覚にも背後から感じる不思議な圧。血も出ていない。
このナイフを抜いて、後ろを振り返るのが怖い。後ろに何かが居る。だが、答えは一つのみ。私はゆっくりと……ゆっくりと、両手をナイフから広げると────!そのまま、不意打ちの如く後ろへの足蹴り。
パシッ!……嫌な音が、私の耳を掠めた。
「ん、っ。何だ、夜這いか?」
足を掴まれた。最悪。最悪を想定した行動だったのに、それも失敗に終わってしまった。
……それに、私が隠し持っていた手榴弾も、いつの間にか先生の手の中に。
先生は、私の靴裏に付いた小さな刃物を横目見ると、「おっかねぇ」と一言。
「……私の足から手を離せっ。……!」
先生を睨む。が、対して効いていない様子。
それに、足から手を離してもらったが……。奴は私の腰周りへ、手を蛇の如く絡ませると言う、最悪も最悪のケースに私は陥ってしまったしまった。
まるで、エスコートをする様に。……これが白馬の王子様なら絶賛だが……なんせ相手が相手だ。身の毛が弥立つ。拒否反応、故の拒絶である。それに、鼻が曲がる程に酒臭い。
……もう、此処が私の地獄に相応しいほどに。
「……っクソがっ??──先生、てめぇっ、マジで酒臭いんだよっ。風呂に入って来い風呂にっ!!」
「お前だって、昨日は酒場に入り浸って居た癖に。どの口が言ってんだっ、ええ?」
スルッ。蛇が身を這う様に、脇腹ら辺まで手を寄せられた。……早く、この悪夢が覚めることを、私は願おう。
「ん〜?どうしたぁ〜〜。そんな顔してっ」
「この酔っ払いめっ!」私がそう叫ぶのと同時に、先生は眠そうに「くあっ」と欠伸を噛まし。
そのまま、先生は私の体を胸で抱きながら、ベッドへと転がり込んだのだ。……添い寝の様に。
しかも、世界で一番憎い相手と、体を合わせてである。
ズキッ!脳裏に電流が走り、眉間と顔が歪む。忘れたい筈の記憶が私の脳裏を巡った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……体が痛い、肺の下ら辺がヤケに熱い。
屈辱的だっ、獣臭が鼻を掠め、目の前の獣は唾液を垂らす。気持ち悪い、それに、先程食んだ肉とワインの味が口から離れない。
あれが、人の子の血肉の味なのか。
私は愛する人をこの手で食べてしまった。ワインと称して、親戚の血を貪ったのだ。ステーキと称して、その脇肉を咀嚼し飲み込んでしまったのだ。
貪欲にまみれた自身の体は、まるで自分の物では無いかの様であり。目の前の狼が、私の体へ薄く爪で線を引く。
まるで、無邪気な子供がクレヨンで絵を描く様に。しかし、私の皮膚から出て来るのは、丸い血の塊と、声にもならない絶叫だけだ。今まで、味わった事の無いような痛みだったからである。
「ぁ゛ぎっ、あぁああ゛ぁ゛ぁ゛っ!!ぎっ、がっ!!ぁ゛あ゛ぁ゛ぁぁあ゛っ、ぃ゛だぃ゛っ??辞めて゛っ、い゛た゛ぃ゛ぃ?!」
……辞めてくれ、これ以上、私を貪らないでくれ。オオカミは、声を荒らげる私を見下しながら、そのまま口の中へと放り込んだ。
締め付けられる様な、生暖かい肉の感触。そして堕ちたは胃の中である。……人の骨や頭蓋骨が浮いている。ここまで来るに、何人の人間を食ったのかは歴然だった。
ああ、皮膚が焼けるように熱い。触ってみると、腐肉の様に溶けていた。触り心地も最悪だ、まるで腐った林檎に指を沈める様な、そんな感触。
胃酸が傷口に染み込み痛い、辞めてくれ。
──だが私は、このまま死んでいれば、今という地獄を生きずにすんでいたのだろうか。
あの時に潔く死んでいれば、こんな生き恥を晒さずに済んでいたのだろうか。
そう思う時がある。虚空の夢の中、残酷に残響する傷の跡を疼かせて。私はまだ、美しい悪夢の中、一人で取り残されているのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………っ、ぁ゛……??……糞っ、離れろ屑野郎がっ……!」
「おやおや……っ?」
思い出した事により、片目のの古傷が疼き、ぽっかりと傷が開く。……垂れる多少の血が、ナイフの突き刺さったベッドシーツを穢したんだとか。先生は、それが見たかったんだと言わんばかりの笑みを見せ。その笑みが、どうも私の心を傷付ける。
「──っ帰る、その手を退けろっ!!」
私は、疼く片目を抑えながら、そのまま先生の手を払いのけ部屋から出て行った。先生は、そんな私の背中を見ては、また欠伸。
そしてそのまま、刺さっていたナイフを抜き捨てて。私が垂らした血を一舐め、ペロリとシーツに舌を付けたんだとか。




