029_闘牛士の歌「諸君の乾杯を喜んで受けよう」
──私達を照らす太陽。私や人間の血で穢れたマントと頭巾が靡き、カルメンは「わぁ!」と目を光らせた。……子供故に、怖い者知らずだから出来る行動だ。普通なら、発狂案件だろう。
しかし、私達には、エデンの園に居た蛇の様な翼は無い。地面に堕ちるのは必然の事。私は、カルメンの小さな身体を胸元へ抑え。
そのまま、五点着地に似た動作を行う。
傷口が傷んだが、カルメンの為だ。仕方あるまい。──私はカルメンをそっと地面へ置くと、彼女の体に付いた木の葉や少量の土を払い。そんな中、カルメンは目を光らせて。
「──凄い凄いっ!私、初めて飛び降りたよ。鳩になった気分、それに飛ぶのって、そんなに気持ちいい事だったんだねっ!」
成功だ。体の痛みと引き替えに。
「……本当に、外へ勝手に出て良かったのだろうか。……カルメン、あまりこの家の遠くには行かないでおこう」
私は土等を払い終え、燥ぐカルメンへそう告げる。すると、カルメンは口角を上げ。
「今日はお忍びのサバトだから、魔女は居ないのっ!それに、あまり遠くには行かないわ!牧場の牛に挨拶をするだけだからっ!」
彼女の言うサバトとは、魔女達の集会の事を指す。その準備の為、子供を攫う魔女は居ない。カルメンはそう言いたいのだろう。
しかし……ふふん、すっかりと私に懐いた様だな。先程の刺々しい態度は何処へやら。やはり、子供はそう言う節があるのかもしれないな。
それ故に、魔女による子供の拉致事件が無くならないのも納得が行く話だ。警戒心が無さ過ぎる。そして私は、カルメンと手を繋ぎ、近場の牧場を見に行く事に。……カルメンの手は、とても温かかった。
こんな私の手と違い。
「……あ、ほら見てっ!あれが牛さん。でね、牛さんの耳に付いているのが耳標って言うんだよっ。ベアは分からないでしょ?私が特別に教えてあげる。あれはね、牛さんをパパやママが番号で呼ぶ為に付けてるのよっ」
カルメンは牧場に着くと、私から手を離し、柵へ体を腰掛けて、奥の牛へと指を指す。……確かに、牛の耳には札が見える。
「ほう、それで牛共……牛達を管理するのか。私の生まれた土地にも牧場はあったが、羊だったな。──牧羊犬のチャーリーとはよく戯れたよ。くくっ、懐かしいな……だが、笑うと傷口が疼く……っ」
懐かしい思い出に浸る間もなく、私の身体中には激痛が。そんな私を気に止めてか、カルメンは「大丈夫?」と声を掛けて来た。
私は、微風で揺らぐ頭巾を、再度深く被れば。カルメンの頭へぽんと手を置き。
「大丈夫だ。カルメンが心配するまでも無い」
本当は、身が焼ける程の激痛なのに。私の口からは、自然と嘘の言葉が吐き出ていた。
こんな無垢な子供と比べるのも何だが、私は再度、自身の醜さについて知った。
私が掴みたくとも掴めなかった幸せが今、此処にある。溝からでは永遠に掴めない、本当の日常が。
「──おーい、カルメン〜!ベアトリーチェ。そこで何をしているんだい〜!」
「────っあ、パパぁ!!」
「っ、危ないぞっ!?カルメンっ!」
牧場の奥、牛に餌をやっているカルメンの父親が、此方へ手を振って来る。カルメンはそれに答える様に、柵を飛び越え牧場の中へ。
私は、カルメンの父親へ、恥ずかしながらも手を振ると。そのまま天真爛漫なカルメンの背中を追いかけたのだった。──『暗闇』を背に。
002
「──っありがとうねえ、ベアトリーチェ。こんな雑用までしてくれて……っ」
「此方こそ……私も、何もせずに只々居候をするのは、少しばかり私の心が痛む」
カルメンと遊び、夕食を食べ終わった頃。
私は、赤ん坊を抱き抱えるカルメンの母親を横に、水の張った桶の中、皿洗いをこなしていた。そして、明日は洗濯物も手伝うつもりである。カルメンの母親は、そんな真剣に皿洗いをする私の姿を眺めながら、赤ん坊へ乳やっている。
今日の夕食がナポリタンだったが故、少しへばりついた汚れが面倒だ。──だが、それ程やり甲斐があるのも確か。
「……お節介みたいで悪いけれど、ベアトリーチェは、此処を出て行ったらどうするつもりなの?──少しばかり気になってね……」
そんな中、カルメンの母親がそう私へ声を掛けた。私は、その言葉に流されるまま口を開いては。
「私は、この家を出たら──……友人の旅人と共に、旅をすると決めています」
勿論、童話を殺すのを生業としている事は、口が裂けても言えない事実。旅人、昔は少し憧れていた存在。虚空の嘘に飲まれたその言葉に、自身の言葉ながらも反吐が出る。
……理想論ばかり述べていても、何も変わらないというのに。──ただ、彼らの前では、理想の姿で居たかったのかもしれない。
そんなこんなで、皿洗いが終わった。私は桶の中の水を捨て、最後の皿を拭いては立ち上がり。縮めた背中をぐっと捻る。そして。
「私はそろそろ寝ます。ありがとう……ご、ざいました」
「おやすみなさい、良い夢を──」
ああ、久方振りだ。寝る際の挨拶を交わすのは。そして、今や私の部屋となった空き部屋へ、私は足を進めて行く。途中で出会ったカルメンの父にも会釈を交わし、部屋の扉を閉めて「ふう」と一息。
純白のシーツへ身体を疼くめ、私はじっと天井を眺めた。……寝るのが怖かった。この夢の様な幻想が覚めるのを、私は恐れていたから。
「…………………………」
……眠れない。私は、上半身をベッドから起き上がらせ、隣の窓のカーテンを開く。眠れない時は、星を見ると気分が落ち着く。
こんなにも自由に広がる星々を見ていると、自身の悩みがちっぽけに思えてくるからだ。
それに、私は天体観測が好きだ。昔はよく、天動説について書かれた分厚い本を手に取り、星々を観測していたのを思い出す。
と、その時。扉が軋む音と共に、部屋に一筋の光が差し込んで来る。敵か?私は手に隠し持ってた、小さなナイフを握り締める。私が鋭い目線を向ける先は──何も無い。しかし、勝手に扉が開く筈も無い。
そう考えていた時だった。
「ねえ、ベア……。起きてる?」
「──っ。おお、どうしたんだい、カルメン」
ナイフを折り畳み、瞬時に枕裏へと投げ込めば。私は、不貞腐れているカルメンへそう告げる。……先程姿が見えなかったのは、カルメンの身長が小さかったからだろう。
カルメンは、私のその声を聞き少し目を見開けば。扉を閉じて、何かを手に抱えながら、私の布団へ潜り込んで来たのだ。
そしてカルメンは、私の胸の前まで体を寄せ「ん」と呟き、手に持っていた物を見せる。
それは、大きな本だった。本の題名は《竜と永遠の眠り姫》。高級そうな皮で作られた本の表紙には、金色の竜と、目を閉じている姫のシルエットが彫られていた。
……これを私に読めと言う事なのだろう。私は、カルメンからその絵本を手に取り、ページを捲る。
「『一匹の竜は、とある眠りの姫に恋をしていた。しかし、彼女は竜自身の毒により、永遠の眠りから覚めることはありません』『ああ、麗しの娘よ。お前はどうしたら私に振り向いてくれるのだ』『眠りの姫の周りには、竜が集めた宝石やドレス、花束でいっぱいでした』」
話の内容は、何処にでもある様な物語。
一匹の竜が、眠りの姫に恋をした。しかし、竜が死なない限り、眠りの姫の呪いは解けず、竜は困り果てていた。
──そんな中、一人の勇者が竜を倒す。竜はそのまま悔いを残して死んでしまい、竜が恋した麗しの娘は、その勇者と。末永く幸せに過ごしましたとさ。
……ざっくりとあらすじを説明すると、この様な話だ。童話らしい、救い様の無いストーリー。……少し眉間に皺が寄る。
そんな中、真面目に話を聞いてきたカルメンが、不意にこう口を開いたのだ。
「ねえ、ベア聞いて。……お話は続けて読みながら聞いて欲しいのっ。──あのね、私、最近ママとパパが、全然あたしに構ってくれないの。前までは、私と一緒に遊んでくれて、読み聞かせもしてくれたのに……っ」
カルメンは、布団のシーツを握り締めると。
「私、メルセデスが嫌い。弟だけど、全然好きになれないの。……ベアはどう思う?」
難しい質問だ。私は一人っ子だったが故に、その様な感情は抱いた事が無い。さて、どう返答したものか。地雷を踏んではいけないぞ、ヴェルギリウス。
──だが、これだけは本心で。
「……私は、別に嫌いでもいいんじゃないかと思うよ。人は、自分の持っていないものを持っているものに、嫉妬をする生き物だ。……それは正常な感情だ。誇りに持つといい」
「何言ってるのかわかんないっ。ベアの馬鹿」
口元を膨らませたカルメンに腕を抓られた。
滅茶苦茶痛い、だが此処で感情を顕にするのは三流のする事だ。私は静かに息を整え、再度絵本の読み聞かせに集中した。痛みで唇を噛み締めながら。
追記『竜と永遠の眠り姫』
《一部抜粋》
「麗しの娘よ。ああ、寝込んでいるその様も美しい。だが、健気に踊る君は、もっと美しいのだろうか」
竜は呟いた。花束で囲まれ、宝石が散らばる棺桶の中の姫を見た。死んだ様に眠っているが、死肉の臭いすら感じない。多分、生きているのだろう。
「麗しの娘。お願いだ、娘。起きてくれ……」
竜は舐めとった。彼女の頬を粘った舌で。
だが、申し訳なくなったのか。竜はその舌を引っ込めた。そして、その場を後にしたんだとか──。




