027_ハバネラ「恋は野の鳥」
あなたの父と母を敬え。
これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。
──出エジプト記、第20章12節~17節──
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「…………っんぁ……?」
頭が痛い、だが、何故かあまり体は痛まず。そして、目を開けると、木製の温かな天井が見えた。次に、脳内に走る一本の電撃。……思い出した、私は途中、気を失っていたのだと。
では、何故私は此処に居る?ああ、頭が割れそうだ。それに、傷口も疼く。──私が傷口の方を見てみると……なんと、そこには包帯が。
私の憶測だが、多分、私を見つけた誰かが介抱をしてくれたのだろう。包帯だらけの指を動かし、私は顔に手を翳す。……元々欠けている片目部分に、しっかりと包帯が巻かれていたのが確認出来た。
コンコンッ、警戒する私を横に、扉と思しき所から、軽く優しいノックが聞こえ。私は、それを聞いて急いで体制を立て直す。
……心臓が喉奥から飛び出そうだ。
「あら、起きたのね。身体中が怪我だらけでしょう、あまり動かない方がいいわよ──」
扉から顔を出したのは、三十代前半の女房と思しき女の姿。手の上のトレーには、湯気が立ちのぼるシチューが置かれている。
彼女は、シチューの乗ったトレーを、近くの棚の上に置き、沈黙。しかし、彼女はちらちらと此方の様子を伺っている様子。
そんな奴に、私は痺れを切らし声を荒らげた。
「何だお前は……っ。それに此処の童話は何処だ、何故私は此処に居る!」
「私は、この家の持ち主である夫の妻。そして此処は『ブレーメンの音楽隊』と言う童話世界よ。……朝、牛に餌やりをしに行ったらね、その牧場近くで倒れていたのよ、貴方」
女はそう言い終わると、私の佇むベッド近くへ椅子を引き摺りそこへ座る。木製のチェアが軋む音と共に、私の耳には耳鳴りが。
急に耳を抑える私を気遣ってか、女が此方へ手を伸ばす──が、私はそれを弾き飛ばし。
「私に触るなっ!……お前も、私を騙そうとしているんだろう。この世の中に信頼出来る者など居ない。私に触れるなっ!!」
叩かれた手を抑え、女は此方へ哀れだと思っていそうな顔を見せる。
ああ、私はお前のその顔が嫌いだ。私を憐れむな、私を可哀想だと思うんじゃない。それに、また体に何かされよう物なら……私は、お前を殺してやる。
だが、女は表情を一変。急に凛々しい顔になったのかと思えば。私の両頬を両手で挟み、女は顔を近付けると。
「貴方に何があったのかは知らないけれどね、礼儀ってもんがあるでしょうがっ!それに、私は貴方を分かってあげられる──」
私はその言葉を聞いて、歯を食いしばり。そのまま女の腕を、力任せに握り締める。
「お前如きに私の何が分かるっ!……他人に怖がられ、対等な関係が築けず、勝手に絶望され落胆される人生を送って来た。愛をくれる親も居ない、友人も無惨な方法で殺された。私が、心を赦した者は全員殺されたんだぞっ!!それに、私自身も何をしでかすか……っ!」
勢いのまま、本音を彼女へ吐き捨てた。……しかし、女はそんな私を見ても尚、本心は変わらない様で。……だが、そんな私も精神的にも辛かったのだろう。自然と、目からは大粒の涙が零れ出て来たのだ。脳の意志とは関係無く。
私は、女の腕を掴む手を離せば、そのまま白いベッドの上で蹲り。
嘆いた。本音を、心から。
「……私は、そんな自分が怖い。とても、心を赦す事なんて、到底出来やしない……!」
懺悔。心の奥底から出る言葉は、本音と後悔、そして悔いが籠っている。
その言葉を聞いて、女は少し考えた様に固まれば。そのまま胸に手を置き、微笑みかけ。
「大丈夫。別に、私達へ無理に心を開けなんて言わないわ。……貴方も、大変だったのね。私達は、貴方を傷付けない。約束するよ」
「……っ、口だけで言うのは簡単だろう。……それに、勝手に分かった様にっ──?!」
私は、目の周りを赤く染めた顔を女へ見せるが。──彼女は、そんな私の口へ、シチューを掬ったスプーンをねじ込んだ。
「んぐっ?!」
──やめろ!そう言いたい所だったが。
……口に広がる、仄かな甘み。美味い、甘い。それが、私の心の鎖を優しく砕いて行く。そして、自然と口から零れる言葉。──涙は、自然と収まって。
「……美味い、美味いよ。……美味しい。……こんなに美味しいのを食べたのは、あの日以来初めてだ……っ」
あの日、先生が、私の童話へ来た日の事。私はあの時から、親の味を失っていた。……彼女から、シチューの入ったお椀を渡され。
私はそれを受け取り、中の暖かいシチューを貪った。──私は、肉があまり好きではない。
実の祖母の肉を食べてからだ。それ以降、好んで食べる事は無くなった。が、このシチューに入っていた肉だけは、しっかりと味わえた。彼女は、そんな私の姿を、微笑みながら静かに眺め。
──そして、私がそのシチューを、残りカス残らず啜り終えた時。私は、口元を荒く拭えば、優しく彼女へお椀を手渡し。
「……ありがとう。私も、先程の無礼を詫びる。すまなかった。だが、もういい。これ以上この家に留まるのも失礼だろう。私は出て行くよ、助けてくれてありがとう」
これ以上此処に留まるのは、流石に非常識だ。そして、何より……此処に居ると私の心も変わってしまうやもしれぬ。復讐に血濡れた私の心が、変わってしまう前に。復讐の灯火が、消えてしまわぬ前に。
それに、傷口は痛むが、まだ歩ける。目眩もさほど気にならない。──ふらつきながらも、私はベッドから立ち上がり、部屋の扉へ手を掛ける。が、その時。そのドアノブを触った手を止められた。
「まだ傷が治っていないじゃない。駄目よ、また何処かで倒れていちゃ元も子も無い。別に、私達は貴方の事を邪魔者だなんて思わない。──その傷が……最低でも癒えるまで。貴方は此処に居てちょうだいっ!」
「…………だ、だが──────」
「『だが』じゃない。それにね……」
その時、私の体が傾いた。いや、体重を掛けていた扉が動いた、と言った方がいいのかもしれない。出て来たのは、あの女房の父と思しき男と、そいつの腕に抱えられた赤ん坊。
そして、両足を広げ、腕を組み。偉そうに頬を膨らませる、一人の幼女の姿も見える。
「ふうん、ねえママっ!そんな子置いておいて、私に構ってよ、一緒にキャッチボールしてっ!パパもメルセデスに構ってばっかりっ!ねえ、ねえってば──っ!」
女の服の裾を引っ張る幼女。
彼女と同じ金髪に、輝く白色の瞳。女房はそんな幼子に「はいはい」と生温い返事を返せば。
「──なら、傷が癒えるまで、この子、カルメンのお世話をして欲しいのだけど……」
それと同時に、父親の腕に包まれた赤ん坊が唸り声を上げ、泣き叫ぶ。次に、「ママ、ママー!」と声を荒らげる金髪の幼子。
そして、その童女は私の方をじっと見詰めれば、挑発する様に舌を出す。
──これは、拷問以上に骨が折れそうだ。




