013_『地獄篇』愛欲と肉欲に堕ちた英雄。
000
口についた吐瀉物を拭いながらも聞こえてくるは、目元の涙を拭う先生の笑い声。
私はそんな先生の姿を、今は視界にも入れたくない。それ故に、玄関の扉を開き。そのまま外へと身を乗り出し、心の感情に任せて扉を閉めた。
外は、星も凍てつく様な雪に覆われている。私は、地面の小石を蹴りながら。
そのまま、感情に任せて散歩をすることにした。先生の、悪寒を催す姿を背に。
それと、弱い自分自身への戒めの為に。
001
「……邪魔するぜ」
私は、とある裏路地の古びた扉を開けばそう呟いた。錆びた扉を開けた先には、沢山の商品棚が並んでおり、目の前に見えるカウンターの上には、様々な小道具が散らばっている。
と、私の言葉に反応をする様に。向こうに居た一人の男が口を開く。
「おおっ。誰かと思えば、ヴェルギリウスちゃんでは無いかっ!ま〜たダンテの旦那の所から、抜け出して来たのかい?」
お気楽な口調でそう告げる彼の頭には、黒猫と思しき耳が着いていた。それに、細長く動くしっぽまで。……そうだ、彼こそが、裏世界で暗躍する、黒猫本人なのである。
黒色のスーツに、きしっと付けられた白色のネクタイ。そして、くすんだ色をしたサングラスをかけている。彼は、カウンターに置いてあった様々な小道具を、全て傍らへ退かすと。そのまま飲んでいた珈琲を置き。
「吾輩は何でも屋だからね、お悩み相談でもなんでも聞くよ?勿論、しっかり金は支払ってもらうけどねっ」
束ねられたポニーテールの黒髪を揺らし、ムフフと黒猫は笑った。
私は、そんな黒猫の元へと向かって行き、そのまま目の前の椅子へと腰掛ける。そして、苛立ちながらも黒猫へ。
「新しい武器が欲しい。いつもの安いナイフと、ピースメーカーが欲しいなっ。生憎、愛用の銃が最近お釈迦になったんでね。多分、弾がジャムって、そのまま火薬でお陀仏したんだと思う」
私はそう言うと、何時ぞやの、警官乱入時に使った銃、ピースメーカーを彼に差し出しそう言った。
すると、黒猫はそのピースメーカーを見るなり、「こりゃ無理だね」と吐き捨てる。そして、その銃をカウンター向こうの部屋へと持って行けば。……次に私が見る頃には、新品が彼の手に収められていた。
「ありゃ単なる弾詰まりだ。一発目が何かしらの影響で発射できなったのにも関わらず、ヴェルギリウスちゃんがもう一発弾丸を撃ち込むから。中で火薬が爆発したんだよ。……まあ、発射されなかった理由は、経年劣化かな。そろそろ、このオンボロとも替え時さ」
黒猫はそう言うと、そのまま私へ新しいピースメーカーを投げ捨てる。私は、そのピースメーカーを手に取れば、懐へ仕舞った。
「今回も金額は相場変わらず、いつもの金貨十五枚分でいいかな。弾は全部で二十発は付属しておいてあげるよ。……それと、刃こぼれの酷い安いナイフは幾つ必要かい?」
「ざっと十本。数は多い方が断然良い」
その言葉に、黒猫は私へ十本のナイフを差し出した。それを見て、私はカウンターへ、金貨を投げ捨てる。そして、金貨の金額を確認する黒猫。
……数え終えたのだろう、金額が合っていたのか、黒猫は「まいどっ」と呟き金を仕舞えば、席に座り。
「で、本当の要件は何?どうせ武器を買いに来たとかそう言うのじゃないでしょ。腐っても、吾輩は商売を長年続けている身だ。視線や身振り手振り、声のトーンとかで大体分かっちゃんうんだよね〜〜っ」
そう言い、トンッと人差し指でカウンターを叩く黒猫。そして、猫の様にニヘリと笑う。
「此処は、何でも金で解決出来る何でも屋。名誉も、地位も、他人の命も自分の命も。全てが金で思うがまま。強欲は、人の在るべき姿なのさ。……さあ、君は何が欲しい?」
悪魔の様な微笑みである。少し体がビクリと動く。
そしてその言葉に、私はこう返事を返す。
「…………今は先生達と会いたくないから此処に来た。会っても、どうせまた殴られ蹴られでゲロ吐くだけだし」
「……ふうん。いつもの理由ね、拗ねちゃったか。まあ、特別な幼少期を過ごしたんだもの。反抗期が、そんな年頃に来るのも不思議では無いさ。……飲み物は何がいい?」
「…………いつもの甘いオレンジジュースのがいい。あと、生クリームが沢山のやつ」
カウンター席に突っ伏した私は、小さな声でそう呟く。そして黒猫は、しっかりとその聞き取り「はいはい」と返事を返すと。
「ポッテナ。クリームの乗ったオレンジジュースと、吾輩の珈琲おかわりっ」
そう言い、突然手を叩く黒猫。
すると、変えの商品やらが置いてある、カウンター奥の倉庫から、何やら誰かが準備している様な音が聞こえて来たのだ。何かが割れる音も、向こう側からは聞こえる。
そして、一通りその音が終わったのかと思えば。カウンター奥の扉は軋む音と共に開き、マグカップを二つ持った人間?とのご対面だ。
「主様。お望み通り、クリームの乗ったオレンジジュースと、主様の望んだ珈琲のおかわり。準備してまいりました」
そう言い、ぎこちない動きでカウンターへマグカップを置く、人形の様な何か。
黒猫と同じ、全てを飲み込む様な黒髪と、深淵を覗く様な、光の無い黒色の瞳孔。メイドの服を着ているが、腕や足の関節がある場所に、人形の様な丸い球体がはめ込められている。そして、その操り人形の如く彼女は動いていた。
ぎこちない動き、それは、宛ら動く等身大のパペットの様であった。……彼女の背中に取り付けられた、金色のゼンマイがきらりと光る。
「この子の名前はポッテナ。最近、とあるサーカスを見に行った際に、見つけた子なんだよ。大きな玉の上でお手玉をするって言う、なんとも面白くない技の披露をしててね。けど、彼女は全て失敗してたんだよ。その技は披露される間もなく、彼女がそのまま地面に滑って倒れてたし、ナイフ投げはあらぬ方向へ飛んで行ってた。勿論、観客席からは笑いの嵐だったさ。最初はそう言う演技なのかと思ったよ」
そう言い、口元を抑えクスリと笑う黒猫。
「勿論態としていた訳じゃなくて、本気でやって失敗してたんだ。まあ、両手両足全部が義手や義足だったし、仕方ないよね。そんな感じに、全てしっかり真面目に失敗した、ポンコツで馬鹿なこのポッテナ。その件以来吾輩はこの子の事が気に入っちゃって、サーカスから引き取る形として、此処に連れて来たって訳」
『元々彼女の髪色は金髪だったけど、吾輩の好みではないので染めた』と黒猫の口から語られるは、ぶっ飛んだ常識外れの言葉ばかり。
ポッテナと呼ばれるメイドは、その話を変わらぬ顔で眺めていた。が、よく見ると。口角が無理矢理釣り糸で縫われ、下げられている様だった。
「ポッテナ。いつもの歌歌ってよっ」
すると突然。黒猫は、ポッテナへ笑いながらそう告げる。その言葉に、ポッテナはカタコトとした動きで、淡々と口を動かし歌を歌い出す。
「哀れで醜い私はポッテナ。
何も出来やしないよポッテナ、芸もすぐに失敗しちゃうのさ。
私は貴方の奴隷、永遠に逆らわず、そして貴方を笑わせる。それが、私の祝福です」
ポッテナは、態とその場でコケると、不思議な動きで立ち上がり、また歌を歌い出す。
「ああ、なんてポッテナ。貴方よりも、道端に居る孤児達よりも不幸なポッテナ。
ポッテナに、小石を投げて下さい。ポッテナを、存分に罵ってください。
大丈夫、私は唯のパペットだから」
掛けられた不気味なオルゴールの音と共に、人形劇は幕を閉じる。黒猫はその劇を見るや否や、そのまま笑顔で拍手をしている。
私はその劇に拍手はせずに、そのままオレンジジュースを一口。ポッテナは、スカートの両端を器用に摘んでは、上品にお辞儀をし。そのまま店の奥へと帰って行く。
「面白い人形劇くらい拍手しなよ〜面目ない」
「趣味悪い。手足の無い人間を、パペットや人形劇と表す奴の傍らで、拍手などできるか」
「え〜っ。折角吾輩、頑張って彼女に歌を覚えさせたのに。芸も覚えさせたのにっ。少しくらい笑って欲しかったな〜、ヴェルギリスウちゃんっ」
頬を膨らませ、拗ねた子供の様に机へ突っ伏する黒猫。私は彼のその姿に向かって「私はそろそろ帰るぞ」と吐き捨て、そのまま彼らに背を向ける。
「…………まあ、また来るよ」
「いつもありがとうね、ヴェルギリスウちゃん。またいつでも、来てくれると嬉しいよ」
そして、見慣れた胡散臭い笑みを浮かべる黒猫を背に、いつもは帰っていたはずだが。どうやら、今回は違うらしい。
黒猫が、不意に私の服の裾を引っ張ってきたのだ。
「……ねえねえ。暇なら、一緒にサーカスを見に行こうよ。前、客からサーカスのチケットを貰ったんだ」
「遠慮しておく」
私のその言葉を聞き、黒猫は頬を膨らませ席を立ち。そのまま私の傍まで近寄ると、腰へと手をスルリと伸ばす。
「まあまあ、まだダンテの旦那と顔を合わせたくないんでしょ?ヴェルギリウスちゃん。それなら、暇潰しに一緒に行こうよっ。ね?諸々奢るぜ〜?」
「…………。……っしっかたねえなあ……」
まあ、確かに、先生に合わせる顔が無いのは確か。私は、渋々その提案を受け入れる。
そして、私達が和気藹藹と店を共に出た時だった。暗く、落ち込んだ声が店内に。
「………………主様……」
部屋の奥のパペットは、私達の関係を良く思っていなかった。彼女は向こうの壁の外、俯き唇を噛み締める。
歪んだ愛は、時に嫉妬という名の脅威となる。




