000_霜降る純白。穢れた純血。
赤い頭巾が靡き、瓦礫の欠片が散る。
「⬛︎⬛︎、私は、お前の事がずっと嫌いだった」
「…………」
平野の様に、何も無い。しかし、この光景は、長閑な平野とは掛け離れた景色だろう。
──これは、私の、人生全てを捨てた復讐の物語。
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「んっ……は!……っ。う。……あ、!」
その日の天候は雪だった。森の地面には沢山の白い粉雪が合わさり、層を形成していた。
私はその層を、裸足で。
裸足で、駆け抜けた。足は凍える様に冷たくはなく、逆に火照る程蒸し熱い。息を吐くと、むわっと目の前に広がる純白の息。
それを何度も眺めながら、終焉と比喩出来る程に長く続く森を、私は駆け抜けていた。森の木々には、霜が生い茂っていて、落ちた枯れ木を踏む度に、それらが私の足を蝕んでいった。その時の感触を、私はまだ覚えている。
「んっ……は、!ふっ!……ん、は!」
がむしゃらに走る。現実を受け止めない為に。……馬鹿だよな、私って。
《赤ずきんの少女》、皆様がよくご存知の童話である。赤ずきんが、布を被せたバスケットに、ケーキと葡萄酒を入れて、森奥のおばあさんの家へと向かって行く話。
その間に出会ったオオカミに、おばあさんは食べられて。赤ずきんも食べられてしまった。と、その時。偶然通り掛かった狩人が、オオカミを猟銃で撃ち、殺害。全員生還のハッピーエンド。
……まあ、この物語はそんな話では無いのは確かである。もし、もしもだ。もしも、物語に何らかのゆがみが発生していたら?
赤ずきんは、オオカミに唆されて寄り道を。その間にオオカミは、おばあさんの家へ先回り。オオカミはおばあさんを殺し、そのままおばあさんの肉を戸棚へ、血は小瓶に詰めたんだとか。
そして、やって来た赤ずきんは、おばあさんに変装したオオカミの言われるがまま、瓶の中の血と肉を食べた。すると、おばあさんに化けたオオカミは、私へ。
「ああ、愛しの赤ずきん。服を脱いで此方に来なさい。暖炉の火をくべたばかりだ、少しばかり寒いだろう」
と言った。そして、私は…………うっ。これ以上は言いたくもないし、話したくもない。
まあ、私は食べられてしまったのだ。
あの忌まわしきオオカミに。
この時の私は、胃液で溶かされる自身の姿を長めながら、死に物狂いで、偶然持っていたペーパーナイフを使い、オオカミの腹を掻っ切ったのだ。
半身や頭の大半には、胃液で溶かされた火傷跡の様な爛れた傷痕が。不衛生な環境だったのだろう、少し膿がうんでいたし、私はその時、女としての威厳を失った。
「待ってくれよ、お嬢さん」
その時、後ろからヘラヘラとした声が聞こえてくる。
そうだ、オオカミだ。あのオオカミが、私を追い掛けて来ているのだ。不思議なことに、人の形をしていて、二足歩行。
多分、あのオオカミでは無いことは確かだけれども。何故か、大きくて悪いオオカミに私はあの時見えた。
その時、雪に埋もれた何かが、私の足に引っ掛かった。じわっ、血が真っ白な雪を蝕み、無様にも私は失禁した。痛みと、恐怖でだ。
「ぃ゛ぎっ、あぁ…あ゛あ゛ぁ゛ああ゛ぁ゛ああぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あぁ゛あぁあああ゛あっ?!、!!!?!、!!」
雪に隠れて見えなかったが、大きさ的に熊を狩る用のトラバサミだろう。
後ろから、「あ〜あ」と、人間の姿をしたオオカミ?の声が。その残念そうに、そして落胆した様に見せて、小馬鹿にした様な声が、より一層私の恐怖をズキズキと抉る。
そして、私の目の前に、あのオオカミは座り込む。
雪のように白い、全てが白髪の淡い髪。緑のマントに、薄汚れたハット。武装された厚着の汚れた服の目立つ、狩人の装束。
腰にはボルトアクションライフルが掛けてあったのを覚えている。そして、礼儀正しく、被っていたハットを胸に置くオオカミ。
……その頭には、狼の様な、灰色の耳が生えていたのだ。まるで現実とは思えない光景に、私は唖然と、声が出なくなる。
その私の行動を見ては、オオカミは嘲笑し、また帽子を被れば、私のトラバサミに手を掛ける。
足の激痛も凍える雪に覆われて、痛みを感じなくなった頃だった。
「はっ……!、…は、…。ふ…………っ?…!」
「『誰だお前?』とでも言いたそうな顔だな、それに、あのオオカミの胃液で半身が爛れてんのか。女として終わったな、お嬢さん」
そう言いながら、私のトラバサミに手を掛けるオオカミモドキ。私を助けてくれるのか?このオオカミは。私にそう希望の光が過ぎる。だが。
「……俺はあのオオカミだ。お前のばあさんを食ったオオカミと同じ。あのばあさんの肉は柔らかかったなあ、年老いて筋肉が衰えて柔らかくなってたからな。まるで煮込んだ牛筋を食ってる気分だったよ。今の姿は、お前さんに腹を切られて弱体化した姿。ははっ、俺はそんなに容易く殺せねぇよボケ。私を助けてくれる優しいオオカミだと思ったか?くっくっくっ……」
おばあちゃんを食べたオオカミ。
そしてオオカミは、「俺は形を変えれば生き延びれる。正に天性の化け物さ」と追記で一言。その言葉だ、その言葉に、耐え難い怒りが、腸から込み上げてくる。
その私の心情を悟ってか、口元を覆いヘラヘラと、病弱な人間の様にオオカミはふらついて。仁王立ちの様なポーズをし、そのまま顔を空へと向かわせ。
「くっくく……は、ははははははははははははははははははっははははははははははははははははははは!!!くはっ!…ひっ、はははははははははははははははははははははははははははっっっ!!!!」
高らかと、私を見下す様にそう嘲笑する。
「優しく慈悲深いオオカミだと思ったか?だが残念っ!お前のばあさんを喰ったオオカミでしたあ!くはっ……!ははははははははははっ!無念無念…っ。その顔だ、俺はその顔が見たかったんだよ!絶望と言う名の純血に血濡れた、そのお前の顔をっ!」
そして、オオカミはまた笑った。
数十秒大声で笑ったかと思えば、「ひーっ…!」と引き攣れた声で、私に不愉快な笑みを見せては、トラバサミに再度手を差し伸ばす。
ガチョンッ!そんな音と共に、私の足はトラバサミから開放された。そして、私を小馬鹿にした様な顔で、私の顔面を覗き込むオオカミ。
……私はあの時、オオカミの腹を掻っ切った、ペーパーナイフを再度、手に握り締める。もう足の痛みも、体が爛れる痛みも感じない。
今だ!奴を、この手で!確実に殺す!……殺意の籠った感情を頼りに、私は、オオカミにペーパーナイフを差し向ける。狂乱に濡れた、発狂と同等の叫び声と共に。
「あ゛ぁ゛ああぁ゛ああああ゛あ゛ぁ゛あ゛ああぁ゛ああああ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああぁ゛っっっ!!!!!」
「……二度、俺に同じ手が通用すると思うなよ」
キイイイイィィイイインッ!一瞬で、ペーパーナイフのナイフ部分が切られた。金属が振動する音が、森内に木霊する。
その音と共に、私は地面に顔から倒れ込んだ。冷たい雪に覆われたと同時に、またあの小馬鹿にした様な声が、私の耳を掠める。
「………くぃ………に……ぃ……っ」
「はっ、なんて言ってんのか、声が小さくて聞こえねえよっ」
私の髪の毛を鷲掴み、上へと持ち上げるオオカミ。そして、胸倉が掴まれる感覚と共に、髪の毛の圧迫感から開放される。
憎悪、嫌悪、殺意、悪意。様々な感情が、私の脳内を駆け巡る。奴の憎い顔に、ドロップキックを噛ましてやりたい気分だった。
そして、自然と出てくる掠れた声。
「……くぃ……に、くぃ……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いっっっ!!!!!」
叫び声、それと共に、自然と小さな私の手は、オオカミの装束へと伸ばされる。そして、奴の胸倉へ掴みかかれば。
私は、叫んだ。大声で、オオカミにも聞こえる様な怒号で。
そして、自然と出てくる涙を、片方の手で拭いながら、小さな体で。両手で私はそのオオカミの体、胸を拳で殴り付けた。
全然痛くなかったと思う。力の籠っていないへなちょこの拳。唇を噛み締め、鼻から目から垂れる涙や鼻水を、私は出来るだけ堪えて。
オオカミの胸を拳で叩きながら。
「……憎い……何も出来ない私が、憎い。……うわあぁあ゛っ。憎い、自分が憎いっ……。とても死にきれないっ……!」
自分の弱さに反吐が出る。
その言葉に、オオカミが目を少し見開き、驚いた様な顔をしていた。…………死ね、死ねよ。
私の頭の中には、その言葉しか無かったのかもしれない。何人たりとも、抗えないこの感情。憤怒が私の身を包む。
「お前を殺すっ!絶対に殺して、殺してっ!ぶっ殺してっっ!!私も死ぬっっ、!!!」
あの時は、自分の体が自分の体では無かったような感覚が、体全体を蝕んでいた。
……「はーーっ…は、」と、涙と鼻水を垂れ流し、息切れを起こす私を見て、オオカミは笑った。……しかし、また笑ったのでは無い。先程の様な、嘲笑や蔑みの含んだ笑い声では無く、列記とした、本当の笑いだったからだ。
オオカミは、私の顔近くへと自身の顔を寄る。そして。
「……お前、気に入ったよっ!くははっ、そうか、自分自身が憎いかっ!そうかいそうかい、なら俺が、その復讐を果たす手伝いをしてやろう」
奴は……先生は、私に向かってこう言った。
「お前、俺の弟子になれ。……嫌だって言いたげな顔だなあ。くくっ!だがお前に拒否権は無い、お前、自分が憎いんだろ?俺を殺して、自分も死にたいんだろ?なら、俺が、俺自身を殺させる為に、鍛えてやる。逃げても何処に居ても探し出す、血反吐を吐いても鍛え続けてやる。そして……お前の手で、俺を殺せ」
先生はそう言うと、胸倉を掴む手を解放し、私の頭にポンと手を置いた。不愉快、そんな感情だけが脳内を木霊する。何より、私は先生を殺して、早く自分自身を殺させたかったのかもしれない。
それは先生も同様に。先生も、自分自身を殺させたかったのだ。
「オオカミは、悪い奴でなきゃいけない。大きくて悪いオオカミでなくちゃいけないんだ。自分自身を偽って、大きく見せて。……俺も、自分が憎いんだ」
その時の私は、その言葉の意味が分からなかった。けど、今の私なら。少しは分かる気がする。
白色の終焉の森に囲まれて、雪降る大地に産まれ堕ちたは大罪人。何人たりとも、彼らの鎖は阻めない。何方共々死を望む、そんな不思議な物語。そしてその名は、ヴェルギリウス。
又の名を、童話殺しのスレイヤー。