信頼
懲罰房の季の所に訪問者があった。
「お前に用はないんだ」
そう、その老人は、呟いた。
血溜まりを踏み、じぃっと季の顔を覗き込む。
季が首元を抑え顔を上げるとそこには、老人らしき人物がいた。ただ、目が霞むせいか顔はよく見えなかった。
「だ⋯れだ⋯おま⋯⋯え⋯⋯」
まだ息はあるようだったが、言葉はそうも続くことなく、季は気を失っていた。
「⋯まぁいいか。⋯片付けさせようかね。立葵!居ないのか!」
「はい!ここに居ます、お呼びで⋯⋯」
懲罰房棟入り口で待っていた立葵が走って駆け寄ってきていた。ふと目をやると老人の足元には、季がほぼ息をせずそこに、横たわっていた。
言葉に詰まってしまう。動揺してはいけない、しない、しない。落ち着くんだ、ここで取り乱してはいけない。
立葵はぐっと堪え深呼吸をして、自分の役割を果たす。
「団長!お呼びでしょうか」
立葵は老人を団長と呼び、両足をピタッとくっつけ、ぐっと左手を握り、右の胸元へと押し当て頭を下げる。
左の胸に手を置かないのは、何か粗相があった際、気に入らなかった際、自分の命をどうするかは上司、主の思うままにして下さいと言う意味を持つ。
何かあれば心臓を一突きしやすいように、例え理不尽なことであっても一度身を任せた相手であれば、心臓を投げ出すと。
「うむ。季は自ら、喉笛を掻っ切って死んだ。片付けておけ」
「⋯はい」
「終わったら今後の打ち合わせをする。一時間後に会議室に二部隊とも招集しなさい」
「はい、承知しました」
団長と呼ばれるその男は、そのまま懲罰房棟を後にした。
「季?季!おい、大丈夫か?」
小さな声で声を掛ける。体を揺するが返答がない。
静まり返る懲罰房で、冷たくなっていく季をただ見つめるしか無かった。
「⋯っ!くそっ!治癒魔術が使えれば⋯」
治癒魔術は高度魔術であり、使える人を確認出来てない。今この町に使える人が一人もいないのだ。
悔しくて、涙も出ないとはこう言う時に使うのかもしれない。
「無力とは罪だな」
護ってやると、ほんの少し耐えて貰うだけで、よかったはずなのに、ここから出せるはずだった⋯
少し頭が働き初め、ふと頭を嫌な考えがよぎる。
なぜ⋯なぜ死んだのか、彼は懲罰房に入りそんなに時間は経っていないのに、立葵を呼び出している。
荷物を取り上げられ、喉を掻っ切る物など季は持っていただろうか⋯
⋯⋯あぁ、そうか――
床を拳いっぱい叩く音だけが、寂しく冷たい懲罰房に響いた。
「翠、掃除道具と布、持ってきてくれないか?遺体を片付ける」
「はい。只今お持ちします。あとは何かありますか?」
「そうだ⋯会議室に招集がかかってる。二十二時に全員招集だ、伝達頼む」
わかりました。と頭を下げ翠が懲罰房を後にする。
立葵は遺体の血を拭き取り綺麗にしようと、ビリッと自分の服を破き血の着いた頬を拭いた。虚しさがない訳では無い、こんなに早くことが動くなんて思ってなかった⋯甘かったのだ。
手首の辺りでカランっと何かが外れる音がした。更に音がした物を拾い上げると、微かに魔力を感じた。
「なんだ⋯これ⋯」
ビー玉の付いたブレスレットが、キラリと光る。見覚えのあるビー玉飾りだった。
幼い頃、訓練を付けてくれた師がいた。
その人はいつも簪を挿していた「可愛いだろ」と不敵な笑みで自慢する。なんでも貰った大切なものなんだとか言いながら。
「桜さんの簪に付いていたビー玉飾り?」
正解。と言わんばかりに、パリンと音を立てて割れてしまった。同時に季の遺体も砂になって消えてしまった。
「ちょっと!おいっ!」
砂になった季をすくい上げるが、サラサラと窓から入り込む風と共に外へと飛んで行ってしまう。頬を流れるのが、涙だと言うのならば感情は悲しいだろうか。流れる涙を拭う事しか出来ず、ただただ、飛び立つ季だった砂を眺めていた。
時間にして十分程の時か流れただろうか。
懲罰房の扉を叩く音がした。力いっぱい目を擦り、何もなかったように副団長としての返事をする。
「はい。どうぞ」
翠がひょこっと顔をだす。手にはバケツに雑巾といった掃除道具がある。
「失礼します。立葵さん、掃除道具お持ちしました。
つーか、ここに俺らしかいねぇじゃん、さっきまで団長居たんだろ?なぁー?つかさあ、居ねぇなら敬語使わなくてもよくね?」
「あのなぁ、どこで誰が聞いてるかわからないんだ、一応敬語使っておけよ」
「あーはいはい。で?」
どこを見渡しても先程、広がっていた遺体が見当たらない。
「なぁ、遺体⋯ねぇな」
「うーん。⋯飛んでったよ⋯」
「は⋯?」
飛んでいったと言ってるけど、それ以上突っ込んで聞いたらいけない空気が漂う。
そのまま立葵は俯いて掌を見つめる。サラサラと風に舞うのをぼぅとみていた。
砂になった季が全て掌から飛び果てていた。
何かを決意したかのように、小さく頷き口を開く。
「翠、調べて欲しいことがある、頼める?」
急いで何かをメモ書き殴る⋯あまり顔は見せたくない。
ただ、翠には目が真っ赤に腫れているのがよく分かった。
何度も目を擦ったのだろう、懲罰房に入れるのは罪があるからで、そんな相手に目を腫らしている場合では無いし、団長に見つかったら厄介である。
翠はため息混じりに、少々当たり前すぎるんだけど。と顔でものを言いながら答えた。
「立葵、頼める?じゃなくて、やるんだろ?命令しろよ。その為に俺はお前と居るんだろ?」
半端な気持ちでは務まらない、そんな仕事であることは、立葵の赤い目を見れば一目瞭然。
「そうだな、済まない。あまり時間が無い、招集には参加しなくていい、直ぐに行ってくれ」
「わーたよ。まったく世話の焼ける幼なじみだ。
⋯あ、でもその前に立葵、目元腫れてる。ちゃんと冷やしてから招集行けよ、泣いてたなんてバレたらやべぇだろ」
立葵からピッとメモ紙を一枚受け取り、手をヒラヒラさせ翠はすぐに懲罰房を後にした。
キョトンとした顔でヒリヒリした目元を撫でる。
「まじか⋯お前には敵わなんなあ」
二十二時。町の魔術団本部、二階会議室壱番。
窓を背に机が置かれ椅子に座る団長の姿があった。
「全員揃っているか?」
「団長、申し訳ありません。白露部隊、翠以外は全員揃っています」
立葵が声をあげ、頭を下げる。―と同時に、立葵から二歩後ろに控えたほか二人が同じく頭を下げる。
「翠はどうした」
「はい、先程の始末のため、裏庭へ埋葬しに向かわせました」
「そうか。あんなもの⋯埋葬するまでもないが。
まぁ立葵の優しさなら仕方ない。⋯その優しさが命取りにならなきゃいいがな」
長い髭を手櫛で整えながら苛立ちを隠さず、団長は不敵に笑う。
「⋯はい」
不敵に、ふてぶてしい団長が何を考えているのか、全く分からない。が、このまま何もせずにいる訳にもいかない⋯ぐっと唇を噛んだ。
二人のやり取りを冷や冷やしながら見ている部下達の心配を横目に、立葵の隣にいた女性が声を上げる。
「寒露部隊は全員揃ってあります!」
左手を握り、右の胸元へと押し当て頭を下げる。部下たちも咄嗟に頭を下げる。
「ふむ。陽葵はいつも気持ちがよいのぉ。では、会議を始めるかの」
「はい!」
真ん中にドンと構えていた会議机周りに配置に着く。
団長が、机の上に地図を大きく広げ、数枚の紙を出す。中には「蕗狛」と「季」の家族構成の書かれたものもある。
「今日の会議の内容だが、蕗狛と季の法令違反の件についてだ。まず、この森の結界付近まで足を運んでいる。白露部隊に二人の確保を頼んだ訳だが⋯」
「はい、蕗狛と季は一緒に居ませんでした。季が言うには喧嘩して別れたと。季のみの確保に留まっています」
「季は、もうよい。あやつは先程懲罰房で自害したんじゃ」
「自害⋯ですか?」
陽葵が少し疑問じみたように口にする。
「そうじゃ。自害だ。話を進めるぞよ」
「⋯はい」
団長は二人の家族構成をまとめた紙を用意し、机に広げた。暫し、その構成に目を通す。
「あの、この家族構成⋯少しおかしくありませんか?」
「家族構成ってよりも、桜さん、長生きすぎませんか?」
「百二十歳で、こんなに子沢山だったのか?」
家族構成なんてものは、あまり見もしていなかった。という方が正しい。それぞれ家庭を持ってしまえば、魔術を使えるか使えないかを重要視していた、魔術団は子沢山なことなどは今まで気にも止めていなかった。
「子沢山だろうと、なんだろうとそんなものは、今はよい。それよりも、私はこの「蕗狛」に会っておらんのじゃ」
「え?会ってない⋯ですか?」
団員が目を丸くする。無理もない何故なら三歳になったら、必ず町長に「挨拶」のため会うから。
しかし、蕗狛には三歳の時点で会っていない。
町の魔術団の団長と町長はこの「長」がここ五十年変わらず勤めていた。
「なんなら、私は蕗狛自体、見た覚えがないのだよ」
「ちょっとまってください、貴方は団長であり、町長ですよ?この町は千人と居ません。会ったことがないなんて有り得ますか?」
立葵が団長へと問いかける。少し焦りながら。
自分でさえ会った事のある蕗狛に、団長も町長も務めあげる人が会ったことないなんて、有り得るのだろうか。それも十八年も⋯
「⋯ないんじゃよ。今日森へ近づいた二人の話を聞き、季はすぐ分かったんじゃが、蕗狛だけはどうしても思い出せないんじゃ。どんな性格をしていて、どんな背丈で顔はどんなのかさえ⋯」
少し硬い椅子に腰掛けて、長い髭を手櫛しながら、煙草に火をつける。大きく肺いっぱいにニコチンを含み、天井に向け吐き出す。灰皿に煙草を押し当て消しながら何かを考え込む。
「じゃあ、蕗狛が何者か、分からないってことですか?」
少しの沈黙を破り、
「そうなるのぉ。
⋯蕗狛の一家を集めて、この家族について徹底的に調べあげよ!もし何かを隠しているのであれば、一家諸共処罰の対象になりうる」
「承知致しました!」
各自離散している蕗狛の家族を、一から調べあげる事となる。
「立葵、顔色悪いけど大丈夫?」
「あぁ。なんともない」
陽葵が覗き込むが、中途半端な答えのみが返ってくる。