ただいま。
「ん……うぅっ……」
ゆっくりと瞼を開けると、俺達が元いた場所、調節池のある光景が目に入った。
だけど、もう辺りは真っ暗……すっかり夜に突入していた。
眼球だけをちらりと動かすと、遊歩道に沿って等間隔に並ぶ街灯が横倒しに揺らめいて見える。
………………
あぁ、俺の身体が横たわっているからか……地面……じゃないな、ベンチの上か。
まだ視界もぼんやりと霞む。
それにしても……俺の中に、どれくらい深く潜っていたんだろう? 今、何時だ?
意識が現実へと戻ってきたはずなのに、まだ調整が上手くいっていない感じ……視界だけじゃなく、頭もまだ朧げだ。
腑抜けた目を擦ろうと、右手を動かし……たいんだが……あ、あれ?
えっ? 何で?
身体が……動かない⁉︎
「うぇっ⁉︎」
混乱して思わず口から大きな声が出た。
すると次の瞬間……眼前が突然、ガバッと暗闇に覆われる!
「なっ⁉︎ こ、今度は一体なんだ⁉︎」
まさか、これは三度目の幻覚⁉︎
いや、そんなはずは……。
「轢斗ーーっ! お前、意識が戻ったのかーー⁉︎」
………………
「……人の顔面上から……うるせぇよ」
どうやら目の前が暗くなったのは、さっきの文字通り、俺の目がコイツに覆われたからのようだ。
器である非常口くんボディが俺の目周りをびたっとホールド……さながらアイマスクな目隠し状態で抱きついているのはモブ天使。
しかし、コイツがこんなに取り乱すなんて正直、意外だった。
俺のこと……心配してくれてたのか?
そう思うと、なんだか少しだけ胸が熱くなった。
ひょい!
顔上にあった圧が急に消え、また薄明かりが瞼の隙間から差し込む。
細めた目で焦点を合わせていくと、親指と人差し指でモブ天使を軽く摘んだ友人が、泣き顔のような微笑みを向けてきた。
「轢、戻ってきたのか……いいね」
「あぁ……ただいま、梶」
てっきり、梶と花音には開口一番叱られるかと思ったのに……本当、俺よりも大人だな、梶は……色んな意味で。
「うぅっ……れ……轢斗ぉぉっ……」
突如、後頭部側から名前を呼ばれた。
何かを考える間も無く、泣き声のする正反対の方向へ勢いよく首を動かす!
バッ!
「⁉︎」
視界に飛び込んできた彼女らの姿に、まん丸に開かれた俺の目は釘付けとなった。
「み……美風?」
「こらーーっ! 暴れないのーーっ‼︎」
「だってぇぇぇぇぇぇっ〜〜!」
感動の再会……と思いきや、美風は花音に後ろからガッチリ羽交締めにされ、ジタバタと可憐な手足をワイルドに動かしていた。
流石の花音でも暴れる美風を押さえ込むのはギリギリなのか、腕まくりした彼女の前腕にボコボコっと青筋が浮き上がる。
「え? これって……どういう状況?」
美風達から視線を戻し、自分の首から下へと向けると……手首やら足首やら胴体やらがあちこち縄でグルグル巻きにされていた。
ははっ……どうりで身体の自由が効かないわけだ。
こんだけ縛られてりゃ、俺の筋力じゃビクともしないよ。
「いやぁ……『悪魔が轢斗の身体を乗っ取って起きてきたら大変だから』ってモブ天使が……」
「だ、だって『美風が抱きついたら、ピクトさん達が消えてしまうから抑えろ』ってモブ天使が……」
「ほ、保険だ! 万が一ってこともあるだろ?」
俺の質問に、正直に答える梶と花音。
二人の言葉を聞き、じとっとモブ天使を睨むと、焦りながら取ってつけたような言い訳をしやがった。
……でもまぁ、たしかに。保険会社のテレビCMの謳い文句じゃないが、保険は大事だ。
もし俺の身体が悪魔に乗っ取られていたら、天使の援軍がない状況下で打つ手は無かったはず。
……改めて考えると恐ろしい話だ。
俺なんかに、命運を賭けるなんて、な。
ふうっと溜息を吐き出してから、再度、俺は顔を上げて、花音に捕獲されている彼女を見つめる。
視線が交差し、彼女もピタリと動きを止めた。
暴れたせいか、いつもは整っている艶やかな黒髪が乱れているし、大きな目は赤く腫れている……誰だ、泣かせたのは⁉︎
……あぁ、俺か。ごめんな。
「轢斗……」
「美風……」
バタバタバタバタッ……ざっ!
「「あっ!」」
お互いの名前を呼んだタイミングで、その間を割って入るかのように、ピクトさん達がずらりと俺の寝転がるベンチを取り囲んだ。
俺のことを心配してくれていたのか、全員がなんだか、そわそわオロオロしている。
「皆……本当にありがとう! ピクトさん達がいなかったら、今頃どうなっていたことか……」
「「「‼︎」」」
顔だけを動かして、皆を見回しながら感謝の言葉を口にする。
すると、彼らは照れたり、お辞儀を返してくれたりしてから、ピッと全員が隊列を組んだ。
「?」
どうやら役割分担が決まっているらしく、数人ならぬ数ピクトで班を作った……かと思うと、せっせと協力しながら俺の拘束を解いてくれる。
結んだのと逆の手順かな?
きっと、梶が結び方を指示して彼らが実行役だったんだろうけど……胴体のは複雑で変な縄結びだな。
……これ絶対さ、焼豚用の縛りじゃないよね?
アダルト方面に『やばい系』なナントカ結びって名称ありそう……やだ! 梶さんたら、マニアック!
そんなことを脳内で考えていると、あっという間に足元に縄が広がった。
シュルルッ……パサッ……
「おおっ、仕事が早い!」
見事な連携で縄を解いてくれたピクトさん達がぴょこぴょこと俺の周りを飛び回る……が、おいおい。外した縄で遊ばないの。
はい、そこ! 大縄跳びしない!
彼らのおかげで解放された上半身をぐいっと起こし、大きく伸びをしてから全身の関節をバキバキッと鳴らす。
「よっ、と!」
右足一本でベンチから立ち上がった俺に、安堵に似た溜息を吐きながらモブ天使が口を開いた。
「全く、ハラハラさせよって……どうなることかと思ったぞ。それにしても、あの悪魔をよくぞ封じ込めたな」
「いやぁ、それはお前のお陰だよ。色々とサンキューな!」
俺の言葉に、モブ天使が不思議そうに首を傾げる。
「色々? 一体なんのことだ?」
「またまたぁ! 計画とか、アドバイスとか……あと、ほら俺にかけてくれた加護とか……」
バッ!
「あっ! しまった!」
「轢斗ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーー!」
「うおっ⁉︎」
バタバタバタバタ……どごんっ!
ぎゅうぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜!
モブ天使との会話の途中で、美風が花音の腕の中から抜け出したかと思うと、超高速タックルで俺に抱きついてきた!
ぐっ! く、苦しい……ちょっと締めすぎ!
………………
「「「あ!」」」
俺、梶、花音が同時に呟いた瞬間……
ひゅっ……
消失の音と共に、一気に周囲にいたピクトさんが全員消えた。
いや……正確には消えていないが、普通の人間には感知できない存在へと切り替わり、看板やポスターの中へと戻ったのだ。
モブ天使もペラペラのステッカー状に戻り、俺の肩にペタッと張り付いた。
………………
「あぁっ‼︎」
「こらーーっ! 美風ーーっ! はかりんから離れなさーーい!」
「澤奈井……それは駄目だ」
「ごめんなさい。でも……私……」
花音と梶の二人に責められ、しょげながら美風は今掴んだ俺の胴体から名残惜しそうに手を引っ込めた。
すとんっ……
美風が離れるのと同時に力の抜けた俺は、ベンチにまた腰を下ろし、両手で自分の顔を覆う。
ガバッ!
「轢斗?」
「……」
どくん、どくん、どくん、どくん……
心臓の拍動がやたらにやかましい。
美風に触れられた部分が急激に温度上昇していく感覚……けして、今のタックルで内出血したとかではない、はず。
あぁ、駄目だ。
ピクトさん達と交流の取れない不謹慎な状況なのに、美風と触れ合えた喜びが体の内側から込み上げてくる。
まともに美風の顔が見られずに、俯いたまま……それでも、平静を装おうと内心で足掻く。
『兄様……』
その時、ふっと、カヤの声が耳の奥で聞こえた気がした。
あの時の俺達には、叶わなかった。叶えられなかった。
環境が、宿命が、時代が……それを許してはくれなかった。
……もしも、心の望むままに生きられたら、俺達は今度こそ笑い合って、共に生きていけるだろうか?
………………
パチンッ!
覆っていた手で両頬を叩き、顔を上げる。
そして、くるっと彼女に向きを変え、精一杯の笑い顔で声を放った。
「た……ただいま!」
「おかえり、轢斗!」




