封印した記憶。
悪魔と轢斗が見上げるのは前々世……終了の記憶。
ザシュッ!
『うわぁぁぁぁ! 死ぬなぁぁぁぁぁぁぁ! カヤァァァァァァーーッ‼︎』
……ブツンッ!
画面の中……首を斬られた妹、カヤが声を発することもなく静かに地面へと倒れていった。
薄闇の中で飛び散る血液と共に、妹の名前を叫ぶ自分の声の直後……暗転した記憶の映像は、呆気なく幕を閉じた。
………………
………………
「うっ……うおえっ……ぐっ……」
精神体のはずなのに、目からも鼻からもよくわからない液体が流れ出てきた俺は、咄嗟に口元を押さえた。
腹の奥のドロドロとした内容物が口腔内にまで迫り上がってきそうなのを、頬に爪を食い込ませながら必死に抑え込む。
だが、この強烈な吐き気だけはどうすることもできそうにない。
そしてガタガタと震える身体は、ちっぽけな理性にはコントロールしきれず、そのまま膝から真下へと崩れ落ちた。
この震えは……自分の死への恐怖じゃない。
自分の命よりも大切な存在を失ったことへの……絶望。
………………
三度目だ。
一度目は、リアルタイムで前々世に死ぬ瞬間。
二度目はカヤの言葉でさっき呼び覚まされた俺自身の記憶。
そしてまた頭上の画面を通して……今、三度目の地獄を見た。
目の前で、大切な人が死ぬ。
映画やドラマのようなフィクションではなく、すぐさっきまで動いていた存在がもう二度と動かなくなる……体験した者にしか分からない衝撃と苦痛。
これが……俺自身が封印した前々世の記憶……。
◇
「おいおい、何泣いてやがんだよ……ったく……」
呆れたようにぼやいた悪魔のその言葉を聞き、頭がカッとなる。
『お前に俺の何が分かるんだ!』と叫ぼうとして……止まった。
下からギロリと睨みつけながら、口を拳の背でぐいっと拭い、嫌味を込めた言葉をヤツに返す。
「お前こそ……俺の顔して……泣くなよ」
「はぁ? 何言って……」
ポタポタッ……
「⁉︎」
俺に小言を漏らしてきた悪魔が、自分のことを棚に上げて、ポロポロとその両目から水を溢れさせていたのだ。
自分の身体に起こっていることが信じられないという顔で、悪魔は自分の掌に落ちた雫をじっと見つめている。
その姿から、堕天する前の元・天使の心が垣間見えた気がした。
悪魔のその様子を眺め……鏡越しの自分を見ているような錯覚で、俺の頭はすうっと冷静さを取り戻していく。
そして、目を閉じ、あの日の記憶を芋づる式に引っ張り出す。
「あの晩……村の仲間達が、皆で俺らを殺したんだ……」
寝込みを襲われ、カヤの手を取り、土間のナタを掴んでから、死に物狂いで逃げて、逃げて、逃げて……だけど追いつかれ、応戦したが殺された。
「親を流行り病で失くし、親戚に屋敷を乗っ取られても、兄妹で力を合わせて必死に日々を生きていた。それなのに……金の為に、アイツらは俺達を捕まえて売ろうとして……」
「あの時代なんてのは、まだそんなものだ。人の命が軽く扱われ、金や食べ物と交換される。米の方がよほど価値が高い。まぁ捕まえようとしたら、うっかり死んじまったがな」
「理不尽に奪われていい命なんて、ないっ!」
「まぁ、そう熱くなるなよ……もう、何もかもが今更だ」
ポンと俺の肩を悪魔が軽く叩いた。
そこに悪意がなければ、俺に触れてもコイツは加護で吹っ飛ばないようだ。
今更……か。
確かに、それは正論で、もう戻れない『過去』だ。
復讐の相手だって、もはやこの世にはいない。
だけど…… 言葉では言い表せない、やり場のない気持ちだけが、俺の中に留まり渦を巻く。
重たく……黒く……濁り……澱む。
「……正当防衛とは言え、俺はあの時……何人も斬り殺した」
そう、俺も……アイツらと同じ、人殺しなんだ。
無我夢中でナタを振り回し、迫り来る腕を、細い首を、忌むべき頭を……ぶった斬った。
「ふぐっぅ……」
思い出して、また吐き気が込み上げ、ぐっと口を強く押さえた。
「疫病で人がバタバタと死んでいく時代に、死体が一つ二つ増えたところでいちいち数える奴もいないだろう。弔いもされず、墓標もなく、生きた証もない。何も珍しくはないさ」
「はぁはぁ……今は……まぁ色々あるけど、あの頃に比べれば平和なんだな。たった100年も前の話なのに……」
でも平和だからって、現代が生きやすいわけじゃない。
『多様性の時代』なんつって、耳障りよく『私達は受け入れますよ?』という上から目線で格好つけた感じがいけすかない。
結局のところ、強いモノが弱いモノを淘汰する……弱肉強食がいつの時代でも世界の理なのだ。
ふっと叔父貴の顔が頭を掠めた。
俺が中学時代に三年間引きこもれたのは、居場所も食事も与えてくれる存在があったからこそだ。
……どれほど俺は護られていたのだろうか?
感謝してもしきれない。
それに、叔父貴だけじゃない。
美風に保護されて、梶と花音に助けられ、ピクトさん達に手伝ってもらって……俺はなんとか学生生活を送れているんだ。
次々と、皆の顔が脳裏に浮かんでは消える。
「……あれ? そういや……お前、あの少年にもカヤにも、美風みたいな興味を示さないんだな。なんでだ? 同じ魂なのに……」
「はんっ! 過去の亡者に興味はないね! 生者の輝きがあってこそ、美風の魂は美しいんだ!」
彼女の名前を出した途端、明るい表情を浮かべて悪魔がそう言った。
だが次の瞬間、何を思ったのか、ふっと真剣な顔つきに変わる。
「天は二物を与えず、か……これは『試練』なのかもな」
「何の?」
「昇級」
「?」
「ま、とりあえず……お前は幾度も転生を繰り返しているが……同時に、童貞年数記録も絶賛更新中ってわけだ!」
………………
「余計なこと、言わなくていいだろぅがぁぁぁーーっ!」
うわっ! なんかショック!
俺は思わず、悪魔に掴み掛かろうとした……が、ヒョイっと避けられた俺の手は宙を空振った。
「ちっ……おい! えっと……ナナシ!」
「ん? ……え? 俺のことか?」
「あぁ。いちいち『おい、悪魔!』って呼ぶのもなんだか微妙だしさ。お前『名無し』だろ?」
「な……名? 名前? お、お、お、俺に、お前が名前を付けるのか⁉︎」
「は? 別にいいじゃねぇか。あだ名だよ、あ・だ・名」
「……」
俯き、ふるふると震える『ナナシ』。
『怒ってんのか?』と聞こうとした瞬間、ばっとヤツがその顔を上げた。
それを見て、俺は思わずギョッとする。
またしても、目からポロポロと水を溢していたのだ。
「どうした?」
「いや、よくわからん……けど、これは……何という感情なのか?」
「いや、こっちに聞かれても困る。それは俺にゃわからない」
「……そうだな」
ナナシは戸惑っているのか、ソワソワと変な動きをしては、目をゴシゴシと擦っている。
正直なところ……俺の中でコイツを『悪魔』と呼ぶことに、些か違和感が生まれてしまった。
美風を狙っていた忌々しいストーカー野郎だってのは間違いない……だが、長い年月ずっと魂を見守ってきてくれたのも、また事実だ。
しかし……喜んでるようだけど、意味わかってんのか? 『名無し』だぞ?
変に喜ばれてしまうの、俺としてはなんだか罪悪感……もう少し、いいあだ名に……うーん、いや思いつかねぇ。まっ、いいか。
「おい、ナナシ!」
「な、なんだよ?」
「とりあえず……一発殴らせろ!」
「⁉︎」
がっ!
予想外だったのだろう。
俺に腕を掴まれてバランスを崩し、ナナシが倒れた。
そこにすかさず、馬乗りになる。
腹の上から見下ろす俺に向かって、ナナシが怒声を上げる!
「ふざけるなぁぁぁぁっ!」
「ふざけてねぇ! 本気だ! いや、一発じゃ足りねえ。俺の気が済むまで殴らせろ!」
「やなこった!」
がんっ! パチッ! どんっ! バチバチッ!
俺の貧弱なパンチをナナシが前腕で防ぐと、反対に殴り掛かってくる。
だが、加護によってヤツの拳は火花を上げて弾かれた。
そのタイミングでまた俺は殴り掛かる!
だが、またしても防がれては、カウンターが飛んでくる。
そうして、同じことを延々と繰り返した。
互いに諦めず、何度弾かれようが、掴み掛かってこようが、俺も力の限り拳を振るった。
◇
「い、いい加減、殴らせろよ、バカ野郎が……」
「はぁ……はぁ……はぁ……うるせえ、こ、このクソ野郎……」
決着は付かずに疲れ果てた俺達は、二人揃って大の字に地面に寝そべっていた。
誰かと取っ組み合いをするなんて、初めてだ。
ましてや人外相手なんて……。
一方的に殴られたり、蹴られたりした経験しか俺にはない。
そして、俺のパンチは……残念ながら一発も入れられなかった。
あぁ、悲しき俺の運動能力。
「はぁ……だいたいお前は……一体何がしたいんだ?」
ナナシが、ゴロンと首だけを俺の方に向けて聞いてきた。
「そうだな……モブ天使からは『轢斗の中に閉じ込めろ』って言われたっけ」
「‼︎」
「夢の中の作戦会議でそう告げられたよ。だけど、それ以上もそれ以下もない。その先の具体的な指示はゼロ。完全に俺に丸投げだ」
どうせ、天使の加勢が来るまで時間稼ぎをして、後々はそちらに任せとけってことなんだと思うけど……。
「なぁ、ナナシ。堕天したヤツが天使に戻ることはあるのか?」
「無いな」
一秒たりとも考える間も無く、ナナシがそうスパッと言い切った。
「道を外した人間を赦すことはあっても、神に背いた悪魔を救うことは無い」
「へぇ、なるほどね……」
………………
「あぁ、そういうことか!」
「まぁ、出来たとしても……俺はもう戻りたくはないがな」
名前も与えられず、生み出された時からただの道具としてこき使われてきた存在が堕ちた先……悪魔は封じられるか、消されるかの二択。
そこで、元同僚のモブ天使が狙っていたのは……。
ガバッ!
上体を勢いよく起こして、振り向く。
「おい、ナナシ! ここから……二人して出るぞ!」
「は?」
「抗ってみようぜ、神ってヤツに……」
そう言って俺はニヤリと笑った。




