お散歩デート。
身支度を整えてから、三人揃ってエレベーターに乗り込み、一階の喫茶店内へと入る。
鉛のように重い俺の足取りと対照的に、軽やかなベルが頭上で鳴り響いた。
カランコロン……
「……」
ちらっと澤奈井さんの顔を見ると、キラキラとした瞳で扉上にある緑色の誘導灯を見上げている。
ワクワクしている彼女の感情が、察しの鈍い俺にもだだ漏れだ。
『化け物っ!』
どきんっ!
ふいに脳内で、さっき聞こえた言葉がリフレインし、跳ねるように心臓が強く拍動した。
どきどきどきどきどきどき……
鼓動が異常に速い。
怖い、怖い、怖い、怖い……!
もし、あの時みたいになったら……。
ぽんっ!
不安で青ざめる俺の両肩を大きな手が包む。
「轢斗……大丈夫だよ」
「お、叔父貴……」
………………
俺は小さく頷き、そっと右指を構えて鳴らした。
ぱちん!
指先の音を合図に、緑の空間から彼が飛び出る!
くるん、すたっ!
非常口くんは俺達の目の前の地面に華麗な着地を決めた。
………………
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ! 素敵すぎるぅぅぅぅぅぅ‼︎」
両頬に手を当て、美少女が歓喜の雄叫びを上げる!
………………
「へ?」
彼女の反応に拍子抜けした俺の口から間抜けな声が漏れた。
え? 純粋に喜んでるのか?
はしゃいでる姿……マジで可愛いな。
非常口くんも照れてるのかな? もじもじした動き。
俺と叔父貴……ある意味の身内以外で『受け入れてくれる存在』がいるというのは……やっぱ嬉しいよね、非常口くん。
カウンターのテーブル上では、澤奈井さんが小柄な彼をそっとツンツンして戯れている。
出会ったあの日の妖怪らしさはどこにも無く、まるで舞い降りた妖精の無邪気な可憐さ。
思わず目が離せずに、じっと二人のやり取りを見つめ続けてしまった。
「轢斗」
「うわっ!」
急に叔父貴から声を掛けられ、思わず大きな声が出た。
「な、何?」
「彼女に、お前の一番の味方でいてもらうには……?」
ふいに俺に問いかけてきた。
……さっきの話の復習かな?
「えっと確か……信じること……と、嘘をつかないこと……?」
部屋で言われた言葉をそっくりそのまま繰り返す。
「そう、友達は大事にしろよ」
「と、友達……」
小学生の時は、仲の良い奴が一人だけいた。
でも、あの一件以来、俺には友達と呼べるのはピクトさんだけになったんだったな。
「あ、……あの……澤奈井さん……」
意を決して、彼女に声を掛ける。
「ん? どうしたの、轢斗くん」
振り向いたお顔が、あまりに眩しくて俺は二歩下がる……が、踏み止まる。
「お、俺と……と、友達に、なってくれませんか?」
い、言ったぞ! 俺!
しーーん……
あ、あれ? 反応が……?
急に不安になり、ぶわぁっと嫌な汗が出る‼︎
「何言ってるの? もう、とっくにお友達でしょ?」
ころころと彼女は軽やかに笑った。
「え⁉︎」
「あらためてよろしくね、轢斗くん」
そんな俺らの様子を眺めて、叔父貴もいつも以上に嬉しそうだった。
◇
彼女に手を引かれ、俺達二人と一ピクトで約束通り、出掛けることになった。
ピクトさんと動物以外で、誰かと手を繋ぐなんて……一体いつぶりだろう?
しかも……。
繋いだ手から視線をずらすと、少しだけ前を歩く彼女の長い髪が視界で揺れる。
ただそこに居るだけで光が差す……オーラってこういうことだろうか?
急になんだか澤奈井さんのことを『あぁ、女の子なんだ』と意識してしまい、体温が急上昇。
手に汗かいてないかな?
気持ち悪いって思われていないかな?
……ドキドキする。
非常口くんは俺の上着のポケットから、何やら楽しそうに俺を眺めている……ねぇ、なんかそういうところ、叔父貴に似てきてない?
「あ、あ、あの……どこ、向かってるの?」
まだまだ、人との会話には慣れない……緊張して、つい辿々しくなる。
「ふふっ、どこでもいいんだよ。轢斗くんと一緒なら……ただのお散歩デートだって最高に楽しいよ!」
心から楽しそうにそう言って笑う彼女。
本当に不思議だ。
「俺なんかといて……楽しい……?」
すると俺の眉間に皺が寄るのを見逃さず、非常口くんが顔面に飛び掛かり、眉間の皺をみゅーーっと伸ばそうとしてきた!
「うおっ! び、びっくりした‼︎」
……あ、こういうのも『疑う』って……『相手を信じてない』ってことになるのかな?
うーん……相手を信じる為には、まず自分を信じられないといけないのか……これは修行が必要だ。
彼女と手を繋いだ、それだけで、また一つ新しいことを知れたんだな。
その時、ふっと視界に明るい黄色が飛び込み、思わず視線をそのブロック塀に移す……はっ、しまった!
「あ……!」
ぴきーーん。。。。
「轢斗くん⁉︎」
迂闊!
塀に貼られた『こども110番の家』のステッカーでアプデ‼︎
黄色い背景に、大人ピクトさんと子供ピクトちゃんが向かい合い、両手を繋ぐポージング!
俺は澤奈井さんと両手を取り合い、見つめ合ってしまった……30秒って長っ‼︎
………………
「さ、澤奈井さん、ほ、ほ、本当、ごめんなさいっ‼︎」
フリーズ解除直後、彼女に向けて腰を直角に曲げ、がばっと頭を下げた。
「……轢斗くん」
そっと俺の顔を下から覗き込みながら彼女は言った。
「美風……って呼んでくれたら、許します」
そう悪戯っぽい声で可愛く笑った。
◇
「ありがとうございましたーー!」
店員さんの明るい声を背に、店を出た。
カフェでサンドイッチとコーヒーをテイクアウトして、俺らはまた歩き出す。
美風から、そっと俺の手を繋いでくる。
……友達って、こんなに距離が近かったっけ?
三年も社会から離れていたから、全然知らなかったよ。
「ここで食べよっか?」
歩き進んで行くと、急に前方の視界が開けた。
そこには広い湖……と自治体が呼ばせようとしている巨大な調整池。
周りに沿って、遊歩道やベンチ、テラスが設置されている。
のんびり犬の散歩をする人や駅に向かって急ぐ人、旅行から帰ったのか大きい荷物を引く人等……春休みの平日、思ったよりも人が行き過ぎる。
自然は好きだ。
風が抜けて、気持ちいい。
目の前の水面には鴨が数羽、こちらも気持ちよさそうにスイスイと泳いでいる。
石段を下りた先のベンチに座り、紙袋を開け、サンドイッチを取り出す。
「非常口くん、はい、どうぞ」
カフェ店内では食べさせてあげられないからな。
大騒ぎになっちゃう。
「‼︎」
緑の彼はぴょーーんとポケットから飛び出し、ペコリとお辞儀。
物凄い勢いでガツガツ食べ始める……いつ見ても不思議だ。
食べ物、何処に消えるの? 四次元?
「ふふっ。いい食べっぷりですね。私の分もどうぞ」
愛おしそうに非常口くんの食事を眺める美風。
マシュマロちゃんを助けたあの日、非常口くんのこと、必死に誤魔化して……嘘つこうとしたから、美風はかえってムキになって暴きにきたのかもしれない……と、良い方向に考えよう。
……あの時はマジ怖かったからな……妖怪。
色々な意味で……まだ人のことが怖い。
だけど……彼女を……非常口くんという俺の友達を受け入れてくれた彼女を信じたい……仲良くなりたい……って、今、ほんの、ほんのちょっとだけそう思う。
非常口くんと美風に視線を戻す。
のんびりとした日常……何だか……心が柔らかいや。
「だ、誰かーー‼︎」
その時、女性の悲痛な声が響いた!
咄嗟に、俺は非常口くんをポケットに仕舞う!
ばっと振り返ると、20代後半から30代くらい、痩せ型の女性がオロオロと何かを必死で探す様子。
「だ、誰かーー! うちの子見てませんかーー‼︎」
切羽詰まった雰囲気、緊急事態か⁉︎
「あの、どうされました?」
隣にいた美風が瞬時に女性に声を掛ける。
「子供が‼︎ お、お金払ってる間に、いなくなっちゃって……ど、どうしよう……あ、あの子がいないと、わ、私……」
一気に泣き出す女性。
この辺りはキッチンカーの店舗もちらほら、一瞬、目を離した隙にお子さんが居なくなったのか?
まずいな、水辺は危険だ。
柵はあっても、もし小さな子だったら隙間から、あっという間に転落しちまう……。
「名前、特徴とか……あ、写真あります?」
美風が冷静に対応する……あぁ、なんで、こんなにかっこいいんだ?
俺は……見ず知らずの人を前に、声が……出ない。
「名前はシュン。五歳の男の子。緑の上着、下はジーンズ。写真は……これです」
スマホ画面には可愛い男の子……無事でいて欲しい。
「私達のいた方向には来ていないですね」
美風が首を横に振ると、こちらとは反対、遊歩道より東側のショッピングモールと交通量の多い道路の方を女性は見遣る。
……ん?
「し、し、し、身長は?」
やっと、絞り出したように声が口から出てきた。
「えっと、今サイズ110の服を着せてるから……」
「……だ、誰かに狙われていますか?」
ぎょっとする女性、心当たりがあるのだろう。
「ど、どうして?」
「……お、お子さんが自分の意思でいなくなったのではなく、誰かに連れ去られたと考えてる、ように見えたから……」
キッチンカーの向こうはモールの店舗。
探すならあっちの方が目撃者が多い。
でも、彼女はこちらに来た。
「み、み、美風。……大きなカバンを背負うか、スーツケースを引いた人……通ったよね?」
「あっ! と、通った‼︎ 男の人、スーツケース‼︎」
ぱっと思い出した美風が振り返るが、男の姿は何処にも見当たらない。
「い、今、離婚協議中で……たぶん……夫です」
女性がカタカタと口を震わせる。
「警察とインフォメーションに連絡しましょう!」
緊張した面持ちで美風が顔面蒼白な女性を誘導し、連れ出す。
あまり時間が無いな。
俺と非常口くんは顔を見合わせ、頷く。
周囲を見回し、看板を探す。
遊歩道の途中には、顔見知りの白い看板『立ち入り禁止』ピクトさん。
彼には協力を要請したい。
ぱちん!
右指を鳴らすと、白い背景から黒のピクトさんがぴょんと飛び出してきた。
肩に赤い『禁止リング』を担いでいる。
お久しぶりの挨拶もそこそこに、手伝いをお願いする。
この辺一体は叔父貴に連れられて散々歩き回っているので、ピクトさん達はほぼアプデ済み。
ここは俺の庭みたいなもんだ……あ、言い過ぎました、ごめんなさい。
目撃者の立ち入り禁止くんが北を指差す。
駅とは真反対。
こっちにスーツケース男が向かったのか?
ショッピングモールの広大な駐車場のある方角。
何処へ向かう?
車で逃げられたらアウトだ。
誘拐……目的は?
子どもと暮らしたい? いや絶対違うな。
身代金も違う……脅迫? それでどうなる?
奥さんを苦しめたいのか?
……だとしたら、もっとやばい。
俺はバカでかいモールの建物を見遣る。
「ピクトさん達、どうかご協力願います!」