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災厄だよ、ピクトさん。  作者: 枝久
最終章 決戦。

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悪魔の囁き。

「へぇ……」


 記憶の映像をニヤニヤと鑑賞していた悪魔が、その持ち主を振り向き見下ろす。


「そうか……あの時、邪魔をしたのはお前だったのか……」

「……」


 『あの時』は言うまでもなく、男を操って小学生の美風を誘拐、及び殺害しようとした時の話だ。


 だが、自分の計画を潰された割には、悪魔に怒る素振りが見られない。

むしろ怒るどころか、虫ケラ同然と思っていた轢斗に興味が湧いているような瞳。

この問い掛けはあくまで、ヤツにとっての確認作業の一部に過ぎないようだ。


 停止ボタン無く、ただ垂れ流されていく数多の画面を背に、悪魔は言葉を続ける。


「誰も……生まれは選べないからな……お前は悪くない」


 ぽつりとそう呟くと、ダンゴムシのように丸まり地面で小さくなっている轢斗にぬうっと手を伸ばす。

そしてその手は……彼の頭をポンっと優しく撫でた。


「辛かったなぁ……よく頑張ったなぁ……」

「……」

「お前はもう、充分頑張った。だから、休め。ゆっくり眠っていいぞ。お前が望むなら、この記憶はまた俺が黒塗りに戻してやってもいい」

「……」


 言いながら悪魔が天井付近の記憶映像群を再度見上げる。

だが、丸まった轢斗は一言も発しないし、身じろぎもしない。


 封印するように黒を塗り重ねた闇深い記憶……その瘡蓋(かさぶた)な表層を無神経に剥がし、中身を露出させ、立ち上がれない程の精神的ダメージを与える。

次に、その(ただ)れた傷口に流し込むように、甘く寄り添うような言葉を吐く……それがヤツらの常套手段だ。

そして、耳を傾けた者に対し、自分にとって有利な『取引』を持ち掛ける。


「だからこの身体さぁ……」

「……」


「俺にくれよ」

「……」


 轢斗の耳元で悪魔がそっと優しく囁いた。



 暫くの沈黙の間も、天井の記憶達は街頭の宣伝ビジョンのように止まることなく次々と映像を流し続けている。


「ちっ! ダンマリかよ……はぁ、ウゼェし、激弱ぇ……」

「……」


 無反応な交渉相手に苛立ちが募り、短気な悪魔はさっきの粗雑な口調へコロッと戻った。


 悪魔の取引といっても、方法はいくつかある。

よく知られているものとしては、契約書に血で署名をしたり、口約束で言質(げんち)を取ったり……だが、この空間内の轢斗から血は流れないし、心を閉ざした状態では口も聞けない。

廃人状態な相手では、悪魔の取引はいつまで経っても成立しない……(ゆえ)に、身体を乗っ取られることは無い……はずなのだ、本来の契約(ルール)なら。



 さぁぁぁぁぁ……

 ぴちょん……ぴちょん……


 何処(どこ)からともなく、足元には真っ黒い水がじわじわと上がってきていた。

水位はまだ悪魔の足首が浸かる程度だが、下を向いている轢斗の低い鼻はもう間も無く水面に接触するだろう。


「まだ沈まねえのか? まぁ……あとは時間の問題だな」

「……」


 心の隙間に滑り込み、多くの人間を操ってきた悪魔にとっては、この一面に広がる黒い水は見慣れた光景だ。


 すると、退屈を持て余し始めた悪魔は、軽く右足を蹴り上げて、黒い水を轢斗にワザとぶっ掛けた。


 ばしゃんっ! ぽた……ぽた……ぽた……


「……」

「はっ! つまんねぇ……」


 水圧に押されて轢斗が転ぶことを期待したが……悪魔の思惑は外れた。

思い通りにならず、むうっと不貞腐(ふてくさ)れては、その場にしゃがむと、子供のようにぴちゃぴちゃと水を掻き回し出した。



 この空間において、何らかの理由で主人が機能しなくなると、休止状態(スリープモード)へと自動で切り替わるシステムが人間の身体には備わっている。

自己防衛反応なのだろう……これ以上は精神が耐え切れないと判断した場合、深海に沈むように自ら闇へと堕ちていくのだ。

そして、肉体を操縦するはずの心が眠りにつき、空になってしまった身体を、悪魔がするりと乗っ取る……まるで不法占拠の様相だ。



 徐々に水が満ちてきて、轢斗の顔は完全に水面に浸かった。

水上に出ているのは、後頭部と肩甲骨ぐらい。

気づくと床も無くなり、悪魔も胸の辺りまで浸かっている。

そんなことはお構いなしに、悪魔は嬉しそうにジロジロと轢斗の身体を眺めていた。


「くくっ、不様だなぁ……。だが、あと少しでコイツの身体が手に入る。あの魂と何百年も連れ添ってきたこの魂の器……」


 そう嬉しそうに呟いていた悪魔が、ピタリと動きを止めた。


「コイツ……何で……浮いてやがる⁉︎」


 本来なら深く沈むはずの身体が、ユラユラと波に漂うよう小舟のように揺れている。


「くそっ!」


 悪魔が忌々しげに声を荒げた。

目の前の轢斗越しに、とある存在の力を感知したのだ……轢斗を護ろうとする光の力を……。


「……はぁ、浅はかでくだらねぇ! 沈まないように? そんなの無意味だろ? だったら……この魂を今すぐさっさと砕くだけだ!」


 ざばっ! がっ!


 うつ伏せで浮かぶ轢斗の頭と肩を乱暴に掴むと、その首筋に思い切り悪魔が噛みついた!


 バチバチバチバチッ!


 だが、歯が肉に食い込む前に、轢斗の身体から電気が走り、思わず悪魔はその身体を突き放して距離を取った。


「こ、攻撃排除⁉︎ 自動発動(オートモード)なんて……やはり天使の加護かよ! くそっ、厄介な……」


 自分の言葉でハッとして、悪魔は周囲を見回す。


「ははっ……なるほどな。天使(クソ)野郎の考えそうなことだ。人間の精神がズタボロになろうと天界のヤツらはなんとも思わねぇのは相変わらずか、石コロ以下の扱い……だが、どうやらコイツが沈む前に叩き起こさなきゃ、俺は何も出来ないし、この空間から永久に出られない……ワザと悪魔(オレ)を内側に引き入れたってわけか」


 悪魔には、元同僚であるモブ天使の顔がハッキリと思い浮かんだのだろう。

苦々しげに言葉を吐き捨てた。


「……閉じ込められたのはオレの方か?」

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