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災厄だよ、ピクトさん。  作者: 枝久
第八章 天使。

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リセット。

 美風を送り届け、その後どうやって家に帰ってきたのかは、あまりよく覚えていない。


 ガチャ……


「おう! お帰り、轢……斗……?」

「……」


 リビングにいる叔父貴の横を素通りし、自分の部屋へとふらふらと進む。


 カランカラン……どさっ……


 松葉杖を無造作に床へ転がし、ベッドに制服のまま倒れ込んだ。

ブレザーやズボンが皺になろうが、どうだっていい。

枕を抱きかかえたまま、ごろりと横向きに寝転ぶ。


 ………………


 ぽたぽたぽたぽた……


 身体が脱力した瞬間、両目から静かに涙が溢れ出てきた。

重力に素直に従いそれは流れ落ち、掛け布団が瞬く間に濡れていく。


 自分で別れの言葉を切り出したくせに、心がこんな大ダメージを喰らうなんて……想像以上だ。

知らなかった感情、喪失、虚無感。

シミュレーションなんて、まるで役に立たなかった。


 目を閉じても、瞼の裏に浮かぶのはあの瞬間の彼女の顔だ。

驚き……言葉を失っていたな、美風。


 本当は、君が怒ってくれると思ったんだ……だけど、美風は……何も言わなかった。

『何、勝手なこと言ってるの⁉︎』でも『分かった……』でも『嫌だよ‼︎』でもなく……何も……。


 ………………


「……俺は……ほんと駄目だな……」




 プルルルルル……ピッ!


「あ? うん、うん……そんなこと言ったってなぁ……あぁ……あぁ……」


 たいした厚みもない扉一枚で隔たったリビングでコール音が鳴り、誰かと電話する叔父貴の声が漏れ聞こえてきた。


「そうは言っても……あぁ、声かけられない……え? それは本人達の問題だろ?」


 ………………


 電話の相手……もしかして森羅さん……かな?

いや、自分に都合よく考え過ぎだ。


 ごろりと転がり、反対の壁側を向く。

涙で湿った布の感触を耳が感じ取り、その部分を避けるように頭の位置をそっとずらす。


 俺達の『お付き合い』、キッカケは誤解から生じた偽物のカレカノ関係。

俺がいつも彼女の隣にいられたのは、不思議(オカルト)好きな彼女の興味対象であり、ただの虫除け役だったからに過ぎない……不釣り合いな二人。

友達以上でも、それ以下でもない……そして俺は自ら恋人役を降りた。


 決戦前にこの関係を一度リセットしたくて、別れを予告した。

悪魔になった堕天使から美風を救うことができたら……あらためて、きちんと俺から告白する……つもりだったけど……あの柔らかな拒絶で、俺の心は……折れてしまった……。


 これが……失恋、か。


 勘違いしていたんだ。

美風が俺のこと、特別な存在だと思ってくれてると……これは、贅沢を願った罰だ。


 俺達は……少しだけ秘密を共有した、ただの『友達』……それだけなんだ。


 ぎゅっ……


 枕を力強く抱き締めて、再び目を閉じる。

ストーカー堕天使撃退作戦、決行は明日。


 偽物とはいえ、俺は美風にとっての『今カレ』から『元カレ』になるんだな……過去の存在へと変わる……それでいい。


 易々とアイツに負けるつもりは無い……だが、もしも……『相討ち』だった場合……明日、消滅するのは……俺かもしれないのだから……。


 最悪の結末を迎えた時、俺の存在が彼女の足枷にならないように……いつだって願うのは、大切な美風の幸せ……ただ、それだけ。


「美風は……大切な『友達』だから……」





「んんっ……」


 身を(よじ)りながら、眼球を動かす。

部屋の中は真っ暗だ……いつの間にか眠っていたんだな。


 サイドボードの目覚まし時計に手を伸ばし、頭のボタンを一度叩くと、文字盤が蛍光緑に光る。

その明かりでさえ、今の自分には眩しくて思わず顔を(しか)めた。

……21:30過ぎ……か。


 眠りは脳味噌の強制シャットダウン……よっぽど俺の心は疲弊していたんだな。


「はぁ……」


 のそのそと、重い身体を起こしてベッドから降り、着たままだった制服を床に脱ぎ捨てた。

片隅に転がる松葉杖を拾い上げ、部屋から出る。


 辛くても悲しくても生理現象は通常通りなのが、なんだか少し虚しかった。



 ジャーーッ!


 トイレを済ませてから、洗面所で顔を雑に洗う。


 ばしゃばしゃ……ぽたぽたぽた……


 水滴の飛び散った鏡の中に映る自分の顔……げっそりとした頬に、腫れぼったい目、かさかさの唇。


「あぁ……なんて……」

「ひでぇ顔……だな、轢斗」

「……プライバシー侵害だよ、叔父貴」


 俺の独り言を途中で奪った彼が、鏡越しに苦笑いを浮かべ立っていた。


「ははっ。洗面所のドア閉め忘れているヤツが言っていいセリフじゃねぇな。それと、下着一丁でウロウロしてんな、風邪ひくぞ」


 バサッ!


 言いながら、叔父貴は俺の頭に大判のタオルを掛けると、その上からぐしゃぐしゃっと無造作に撫で回してきた。

伝わる体温と柔らかな感触に包まれて、涙腺がまた緩みかけるのをなんとか堪え、一言だけ呟いた。


「……痛ぇよ」

「そういや轢斗。お前、なんも食ってねぇだろ? 腹が減ってはなんとやら、だ」

「……」


 促されるままダイニングテーブルに着席すると同時に、電子レンジの音が『チーン!』と鳴った。

漂うソースの匂いは……冷凍焼きそばだな?

俺が起きたのに合わせて食事を温めてくれた、優しい保護者。


 食事を前に、両手を合わせて、頭を下げる。


「……いただきます」

「おう、いただけ、いただけ! 食ったら……少し、話をしようか……」


 ぷしゅっ!


 そう言って叔父貴は向かいの席に座り、缶ビールを開けた。





「全く……お前はすぐ、大切なことを見失う」


 叔父貴には、帰り道の美風とのやりとりだけを伝え……そして案の定、呆れた声が返ってきた。


「美風ちゃんのこと、好きなんだろ?」

「……うん」

「じゃあ、なんで?」

「ちゃんと……こ、こ、こ、告白し直したくて……でも、それも叶わない」

「はぁ……美風ちゃんも、お前自身も……どちらも傷つく選択を、俺は『正しい』とは呼びたくないな」


 ダイニングのチェアを傾けながら、叔父貴は頭を上にぐわっと逸らせながら溜息を吐いた。


「なんでそうなるんだよ、ったく……」


 天井に向かってぶつぶつと文句を呟く叔父貴の喉元を眺めながら、少しだけ……後ろめたさが頭を(もた)げる。


 明日の作戦内容は……叔父貴に話せないな。

こんな俺でも、もしこの世からいなくなったら……この人はきっと悲しむだろうから……言えない。

また、これも彼にとっては『正しくない選択』なんだろう。


「明日、美風と一緒に出掛けて……そこで『一区切り』をつけるよ」

「……当事者間の問題に俺はとやかくは言えない。お前自身のことだからな。轢斗が考えて決めたこと……まぁ、いっぱい悩んで、たくさん失敗しろ。それが人間らしくていいんじゃねぇ?」

「人間……らしい……か」


 ガシャッ!


 そう言って、叔父貴は空き缶を片手で握り潰し、キッチンのゴミ箱へと放り投げた。

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