現場。
「人間、一人では生きていけないってこと。ま、そのうち分かるさ、轢斗」
「……」
俺の頭をポンポンと相変わらずの子供扱い。
正論をこれだけストレートに言える男は、今までどんな人間の裏側を見て来たのだろう?
……その経験値レベルはまだ俺には無い。
二人並んでしばし無言で歩き、ふと叔父貴が立ち止まる。
「ここ」
顔を上げると、左の壁は高校のフェンス。
良かった、ここまで思ったより看板ピクトは少ないようだ。
「金曜日……昨日の朝7時。澤奈井さんが散歩中、首輪からするりと抜けてマシュマロちゃんが逃げ出した。それから一晩、帰って来てない」
スマホの地図アプリを拡大して見せてくれた。
俺の通学路とマシュマロちゃんの散歩コースがほぼ重なっている。
「散歩コースはそれほど遠い距離は回っていない。まだまだ好奇心旺盛だから、スポッと抜けたんだろうな。見知らぬ道に入り込んでたら震えているかもしれない……」
春の朝晩はまだまだ冷える、室内犬にとっては恐怖だろう。
「澤奈井さんも確か70代、走れなくて見失ったと。警察には届けたらしいが、心配で居ても立ってもいられず、困って俺を頼ってきてくれたってわけ」
いつもの依頼パターンだ。
珈琲淹れながら安請け合いする叔父貴の姿が目に浮かぶ。
犬は猫より帰巣本能が強い。
それでも帰ってこないなら思いつくケースは二つ……かな?
①迷子になって帰れないかも?
②可愛いくて連れ去られちゃったかも? だな。
「で、お前の出番だよ、轢斗」
「はいはい」
叔父貴のポケットから非常口くんも既に出て、準備運動中。それはラジオ体操かい?
「非常口くん、ちょっと聞き込み頼んます」
ぴっと敬礼ポーズを取った後、歩行者信号機ピクトくんの所へぴょーーんと軽やかに飛び上がって行く。
「パンケーキ分、働いてください。よろしく。あ、目撃されちゃダメだからね! 気をつけて‼︎」
街中、よく目を凝らせばあちらこちらに看板ピクト達が働いている。
場所によったら、防犯カメラよりはるかに多い目撃者達。
「なぁ、歩行者信号機くんにも聞き込み手伝ってもらえば?」
叔父貴が提案してきた。
「ダメ。前に青信号くんにお願いして、不在を赤信号くんに頼んだことあるけど、赤と青行ったり来たりで大変だったみたいだから」
青信号くんが戻ったときには、へとへとに疲れ果てた赤信号くんが座り込んでた。
二倍の仕事量は流石に気の毒すぎる。
見上げると、非常口くんが軽やかにくるくるっと飛び降り、俺の肩に華麗に着地!
すたっ!
情報を得たのか、くいくいっと、俺の襟を引っ張り、道案内してくれる。
「おっ! 目撃情報! いい仕事しますねーー!」
口が無くて喋れないけど、だいたいは意思疎通可能だ。
人間と違って裏切らない、信用できる存在。
「轢斗、ちゃんとコミュニケーション取れてると思うんだけどなぁ……」
「ピクトさん達とはそこそこ出来る。人間とは無理!」
非常口くんに引っ張られて、俺らは歩道をぐんぐん突き進む。
だが、襟引っ張りナビで歩道の真ん中まで来たところで、ナビはピタリと止まる。
「ここで目撃情報が途絶えたか……」
分かりやすく肩の上で非常口くんがしゅんと落ち込んでいる。
「どんまいどんまい」
……仕方ない。次の手段。
周囲の通行人にバレないうちに、さっさと終わらせてやる!
「えぇと、周りに味方は……」
キョロキョロと周囲を見渡す。
あるのはスーパーとマンションと……俺の視線がある標識にロックオン!
ぴきーーん。。。。
非常口くんと手を繋いで、歩行者専用道路の親子ピクトさんと繋がる。
「ねぇ、昨日この子見てない?」
叔父貴のスマホを借り、マシュマロちゃんの面通し。
標識ピクト(父)さんがちょっと考えていると、隣の標識ピクト(娘)ちゃんは心当たりがあったのか、右下をつんつんと指差す。右下?
そちらに目を遣ると、大型マンションの敷地のフェンス。
「この中入っていったの?」
こくこくと頷く娘ちゃん。
情報ありがとう! ご協力に感謝!
「ここの管理人は知り合いだから、ちょっと待ってろ」
そう言って、マンションエントランスへ向かう叔父貴。
近隣の人々まで知り合いって……どんだけ顔が広いんだ?
◇
「オッケーだってさ」
特別に許可をもらい、敷地内に侵入。
さてさてマシュマロちゃんはどこに?
「‼︎」
「ん? どうした?」
非常口くんが何かを見つけたのか、俺の肩からピョーーンと飛び降り、駆け出す。
あぁ! 大胆な行動止めてくださぁぁい‼︎
焦り追いかけると、道の奥で立ち止まっている非常口くん。
「どうした?」
向こう側を見遣ると……ん?
何か……いる。何だ?
よくよく見ると、狭い隙間に挟まり動けなくなっている茶色い毛玉、発見!
そうだ、昨日は昼から夜にかけて雨。
白い毛並みは泥まみれで、名前はチョコマシュマロちゃんに改名するレベルの汚さ。
「見つけた」
俺はそっと、ふるふると震える小さな身体を拾い上げたのだった。
◇
「澤奈井さん、すぐ来るって!」
叔父貴はそう言って、スマホをしまう。
俺達はマシュマロちゃんを連れて、先に動物病院へ来ていた。
一晩、寒い所で震えていたようだが、先生からは体調に問題ない、との診断。
ほっと一安心。
カラン!
ドアが開き、慌てた様子の上品なお婆さんが入ってきた。
「マシュマロちゃん!」
「きゃんきゃん!」
連絡からすぐ……早っ!
よっぽど急いできたんだな。
きちんとした服装なのに、つっかけサンダル。
俺の手の中では、嬉しそうに尻尾を振る毛玉ちゃん。
「た、た、体調は、問題ないそうです」
そう告げて引き渡すと、飼い主は涙目でマシュマロちゃんをぎゅうっと抱きしめた。
我が子を大切に抱えた依頼主は、俺達の方に向き直り、深々と頭を下げた。
「本当にありがとう。もし良かったら、今から私のうちへいらっしゃい。是非、お礼がしたいわ!」
「きゃんきゃん!」
「あ、お、お、俺は別に……」
「わぁ〜〜ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しま〜〜す!」
「⁉︎⁉︎」
俺を遮り、叔父貴がニコニコと招待を受けてしまう。
………………
マジか⁉︎ 非常口くんいるぞ⁉︎
バレたらどうすんだよぉぉっ‼︎
心の中で叫び声を上げながら、真っ青な顔で俺は作り笑顔を浮かべたのだった。
あぁ……早く帰りたい……。
◇
かぽーーん……
「あ、こらこら、逃げない!」
「きゅぅぅぅぅん……」
汚れた泥毛玉ちゃんを優しく風呂場で洗い、泡を流し切ると純白の痩せ鼠かって感じの生き物が出現した。
……ふわふわした毛並みの犬って、実はこんなに本体は細っこいんだな。
ギャップが大きい……一つ勉強になったな。
経験値アップ。
三年間引きこもっていた俺は、他の同級生に比べて、圧倒的に人生における経験値が低い。
……それは当然。
色んなことにおいてのレベルは底辺だ。
自覚はある。
非常識。世間知らず。温室育ち。
後ろ向きな言葉で表現され、淘汰される。
たぶん、そこら辺を心配して、叔父貴は外へ連れ出そうとしている……んだと思う。
もしくは単に面白そうだからか……?
どちらなのかは分からない。両方かもしれない。
お節介……だけど、恩人。
洗体が終わり、俺達……一人と一匹と一ピクトは皆、仲良く湯船にちゃぽんと浸かる。
「しっかし、広いなぁ…」
風呂の中を見回し、呟く。
お金持ちの家は風呂まで豪華なんだな。
温泉旅館みたいな……なんだっけ、檜風呂っていうのかな?
木の香りがして、癒される。
そういや温泉旅行なんて、した事ないな……。
林間学校も修学旅行も……俺は行っていない。
あの後、流れで澤奈井さんのお宅にお邪魔することになり、さらに流れ流され、俺らはお風呂を頂くことになった。
他人の家の浴室に入るなんて、そうそう無い。
……まぁ、流れを作ったのは100%叔父貴、わざとだな。
あの人は言葉巧みに人を誘導したり、行動を起こさせるよう仕向けることに長けている。
実際、目の当たりにすると本当に……凄いを通り越して恐ろしくなる。
悪気なく、誰かを傷つけるような嘘もつかず、それでも人をいとも簡単に操っていくのだ。
……敵にしてはいけない種類の人間だが、味方なら心強い。
横を見ると、非常口くんはアヒルのおもちゃでぷかぷか遊んでいる。
そのアヒルをちょいちょいとつっつくマシュマロちゃん。
あっ……なんか微笑ましい。ほのぼのする。
「楽しい?」
「きゃうん!」
人間は苦手だけど、動物とピクトは苦手じゃない。
何となく、何が言いたいかもわかるし、何より……嘘をつかない。
「きゃぅぅ……」
「あぁ、そろそろ出ようか」
マシュマロちゃんが上気せてしまう前に湯船から上がろう。
ざばぁぁっ!
僕らは浴槽から出て、がらりと引き戸を開けた。
……と同時に、女の子が脱衣場へ入ってきたのだった。