少女。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
俺の悲鳴が、朝9:00の閑静な住宅街を揺るがす‼︎
ばっ!
「轢斗ーーっ⁉︎ おい、大丈夫か⁉︎」
「お、お、お、お、お、叔父貴……」
遅れて廊下に飛び出てきた彼を、涙目で見上げる。
「こ、腰抜けた……」
「お、おう」
松葉杖を抱いたままフローリングに座り込み、情けない声を出す俺の頭を、叔父貴がぽんぽんと撫でてきた。
「おはようございます」
「ひぃぃっ!」
………………
「えっ?」
目の前の小さな存在が、綺麗なお辞儀とご挨拶。
「あっ! おはようチーちゃん! こちらは娘のチサトです」
センセイが少女の隣に立ち、デレデレとした顔でご自慢の娘ちゃんをご紹介してくれる。
「む、娘……さん⁉︎」
立っていた叔父貴がすっとしゃがみ、彼女へと視線を合わせる。
「おはようございます、チサトちゃん。このお兄ちゃん、びっくりして大きな声出しちゃったんだ……驚かせてごめんね」
「ううん、だいじょうぶ」
「ご、ご、ご、ごめんなさいっ!」
既に床に座り込んでいたところから、腰を捻って上半身だけチサトちゃんに土下座する。
綺麗な黒髪ボブが青白い肌をより一層白く見せているが……マジでお化けと見間違えた、本当ごめんなさい‼︎
いくつくらいだろ? 年長さん? 小学一年生?
「……おにいちゃんもケガしてるの? いたくない? ……チーちゃんと、いっしょだね」
「えっ?」
よく見ると、長袖パジャマから隠しきれていない包帯……細い三首全てに巻かれている⁉︎
……異様だ。
「お、お兄ちゃんは、うっかり高い所から落ちて怪我しちゃったんだ。……チサトちゃんは何で怪我しちゃったの?」
自然を装って尋ねる。
「あのね、チーちゃんがわるいこだと……トモちゃんにしかられちゃうの。トモちゃんは『チーちゃんのため』にするんだって……」
「『トモちゃん』? ……って誰?」
「チーちゃんのおともだち」
こほんっ!
わざとらしい咳払いをしてから、さっきより青褪めた顔のセンセイが言葉を掛ける。
「チーちゃん、朝ごはん何がいい?」
「えーと……チーちゃん、パンケーキたべたい!」
その言葉に叔父貴が即反応する。
「おっ! じゃあ、おじさんがチサトちゃんの為に作ってもいいかな〜〜?」
「わ〜! おねがいします!」
叔父貴が小さな手にそっと自分の手を差し出し、エスコート。
叔父貴にメラッとした嫉妬の視線を向けるセンセイを眺めながら、俺はようやく立ち上がった。
「……」
玄関の反対側へと廊下は続く。
その先にじっと視線を送ってから、俺もリビングへと戻った。
◇
「はい、どうぞ召し上がれ」
「うわぁ! いただきます!」
キッチンから甘く芳ばしい香りが届く。
綺麗に焼けたパンケーキは、ダイニングテーブルに座る少女の瞳をキラキラと輝かせた。
他人様のお宅で出張マスター、ご苦労様。
センセイの家はダイニングから一段下がったダウンフロア設計のリビングで、広々とした空間になっている。
チサトちゃんのお世話を叔父貴がしているのをリビングのソファから見遣りつつ、センセイと俺は小声で話し始めた。
「『イマジナリーフレンド』……って聞いたことあるかい?」
「……確か児童期にみられる『空想上の友達』でしたっけ?」
静かにセンセイが頷く。
大人になると消失する、自分だけの遊び友達……だったか?
「以前から、よく娘からその『トモちゃん』の話が上がっていたんだが……引っ越してから、やたらと怪我をするようになって……」
「……」
「ある日、見てしまったんだ……ズルズルと伸びてきた黒い髪の毛が……娘の足首から腰にかけて絡まり、チサトを転ばせた瞬間を……」
ぞわっ!
一気に全身に鳥肌が立つ!
「それって……」
元々の空想上の友達と、引越し先の謎の存在が……融合してしまった、ということなのだろうか?
実体の存在しないものがエネルギーを得たことで具現化する例は聞いたことがある。
都市伝説の一部もそういった事象を含むものがあったはず。
この家ではチサトちゃんの『空想』という思念エネルギーが源泉となり、元は形を持たなかった『何か』に、代替品としての『トモちゃん』という固有名詞が与えられてしまったのだろう……災厄だ。
子供の想像力は逞しくて、強い。
しかも、センセイは『霊感が少しある』って言っていたから、彼女も遺伝していて何らおかしくない。
現実と非現実の境目を曖昧にする程の強い力が作用して、姿を得た『トモちゃん』。
ちらりとテーブルで食事中の少女を見遣る。
よく見れば、包帯だけじゃない。
小さな痣があちらこちら……治りかけの黄色と紫色の皮膚が痛々しい。
チサトちゃんの様子から見るに、トモちゃんの攻撃性は徐々に強まっているんじゃないかな……このままでは危険かもしれない。
「は、謀くん……?」
俺が黙り込んでしまったことで、センセイが不安そうに顔を覗き込む。
「あっ、すいません。それで……トモちゃんが現れる『条件』って……あるんですか?」
「条件……条件か……」
俺の言葉で少し、センセイの考え込む間ができる。
「はっきりとは断言できないけど……チサトが何かに失敗したり、私達から注意を受けた直後に……出て来る気がするな」
「……」
チサトちゃん本人も言ってたな……『トモちゃんにしかられる』って……。
チサトちゃんが叱られた時にトモちゃんが出てくる……慰めるのではなく、追い討ちで虐めてくるのか?
……心が落ち込んでいる時に……さらに傷をつけて弱らせて、身体を奪いにきている……のか?
それは……そんなやつは『ともだち』なんかじゃない。
「私は……大切な娘を守りたい!」
センセイは膝の上の両手を硬くぎゅっと握った。
ダイニングテーブルでは、チサトちゃんがまだ牛乳をゆっくり飲んでいる。
可愛い流行りキャラのプラコップ。
隣では空のお皿を流しに下げる叔父貴……自分家じゃないのに、スマートな動き。
「……一ついいですか? センセイが目撃した時、チサトちゃんはどんな風に転んだんです?」
「え? どんなって……」
転び方も、前方、後方、側方いろいろある。
もし、後ろから急に足を引っ張られたら、前にすってーーんと転ぶはず。
「あの時はたしか……尻もちをついてたな」
「……尻もち?」
と、いうことは……。
「ごちそうさまでした! おいしかったです!」
可愛い声のする方を振り返る。
「はい、よく食べましたね。……ねぇチーちゃん。『ともだち』のトモちゃんは……今どこにいるの?」
叔父貴がいきなり核心をついた質問をチサトちゃんにぶっ込む‼︎
おいおいおいーーっ⁉︎
「ん? トモちゃんはここにいるよ?」
ぶわっ!
一気に全身に鳥肌が立つ!
さっきの比じゃない! マジかよ⁉︎
俺も叔父貴も霊感は無いから、全く分からねぇ!
これでどう対処しろってんだ⁉︎
「ト、トモちゃんはパンケーキいるかな?」
「んん。パンケーキいらないって。……えっ? やだ〜〜それはたべれないよ〜〜」
くすくすと笑いながら、独り言を話す少女……いや、彼女には視えて会話が出来ているのだ……『ともだち』と……。
「トモちゃんは何が欲しいって言ってるの?」
「トモちゃんねぇ……おかしいんだよ? あっちの『おにいちゃんのからだ』がほしいんだって」
そう言ってチサトちゃんは俺を指差した。
ぶわーーーーっ‼︎‼︎
いきなりチサトちゃんの足元から、黒い髪の毛が一気に伸びる!
うげっ!
タコの足かよ⁉︎
ウネウネと、意思を持った気色の悪い動き‼︎
影‼︎
トモちゃんはチサトちゃんの影に入って行動してる!
尻もちをついたのは、足下から伸びた髪に引っ張られたからだ!
しゅるん! しゅるん! しゅるん!
伸びた毛はあっという間にチサトちゃんの首、手首、足首の三首に絡みつく!
包帯の上からまた締め上げるのか⁉︎
くそっ! 酷ぇ‼︎
「チーちゃん‼︎」
「パパ……トモちゃんが……よくわかんないんだけど……『チーちゃんとおにいちゃんをこうかんしたい』って……」
「そんな……」
人質。
薄々そんな気がしていたが……俺は……俺の身体はおそらく依代に最適な身体なのだろう。
ピクトさん自動アップデートが何よりの証。
……今まで大きな被害に遭っていないのは、三年間引きこもっていたお陰かな?
「……分かったよ」
俺は見えないトモちゃんに向かってそう言い放った。
びゅん!
一筋の髪の毛束が、一気に俺目掛けて飛んできた!
「轢斗ぉぉぉぉぉぉぉっ!」
そして叔父貴の声がセンセイの家に響き渡った……。




